石牟礼道子のレビュー一覧
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本書は、朝日新聞に2015年1月から2018年1月31日まで掲載されたものを書籍化したものだが、著者が亡くなられたのが2018年2月であるから、正にその最晩年の肉声である。(その文章は口述筆記でされたようだ。)
育った場所や家族との思い出、幼き日に束の間出会った友だちとの遊び、水におぼれたときの記憶、そうした懐かしさを語る合間、合間に水俣病の被害者の姿や、海や川の汚染の様相が炙り出される。
自然と人間とのつながり、人と人との関わりについて、美しくも、力強い文章をたくさん残していただいた。一つだけここに特記しておきたい。2017年9月28日掲載「原初の渚」より。
「海が汚染されるという -
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此処にひとりのほとけさまがいる。
もはや、詩人伊藤比呂美を聞き手にした石牟礼版「歎異抄」。
人は何故生き、何故死ぬのか。
‥‥次の世というのは、あるんだと思いますよ。「次の世は良か所に、行かれませ」って言いますよ。亡くなったあとに、体を清めてあげるときに。
‥‥人間というのはね、「願う」存在だと思いますね。(略)逆に言えば、人間はそれほど救済しがたいというか、救済しがたい所まで行きやすい。願わずにはいられない。
‥‥(この世に生まれた意味は?と聞かれて)役割とも違いますね。役割を自分は見つけたとしても、その役割を果たすのは至難の業で、ただ、なんか「縁」がある。
‥‥(死とは何かを聞かれ)(賢 -
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水俣病に苦しむ人びとの声にならない声を、著者がことばに書きとめた作品です。
本書の巻末に収録されている渡辺京二の「石牟礼道子の世界」には、本書は正確なインタヴューやルポタージュではなく、著者自身が「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と語っていたことが明かされています。こうした著者のスタンスは、病に苦しむ人びとがうしなったものがいったいなんであったのかを的確にえがき出しているように思えます。
病状などについては、本書のなかでしばしば引用されている水俣病にかんする記録の文章で客観的に示されており、また患者の状況についてはジャーナリスティックな立場からの取材 -
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ネタバレ水俣から福島へ。
近代の日本史において、国と企業の闘いが前景化・可視化され始めたのがサークル村による一連の活動からだったとするなら、そこから半世紀以上たった今、石牟礼さんは何を思うだろうか(何を思って旅立ったのだろう)。
本書は、写真家の藤原さんとの対談であり、震災を契機として露になった政府や企業の暴力性を足掛かりに、水俣病とその後(母胎を通じて継がれる苦しみは、現在のものであり、未来のものだ)に言及しながら、変わらない構造的な暴力が紡がれる。
日本には教科書に書かれていない公害がたくさんあったし、今も規模の大小に関わらず起こり続けている。その姿に接してきた二人の語りには、どこか諦めに近い幻滅 -
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作家・詩人の石牟礼道子(1927~2018年)氏と作家・写真家の藤原新也(1944年~)氏が、2011年6月に熊本市の石牟礼氏の自宅で3日間に亘り行った対談である。2012年に出版、2020年に文庫化された。
石牟礼氏は、天草市(現)に生まれ、1969年に発表したデビュー作にして代表作『苦海浄土~わが水俣病』(第1回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退)は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛され、1973年にマグサイサイ賞を受賞、その後も、数々の小説、詩集のほか、創作能なども手掛けた。ノーベル文学賞に近い女性作家とも言われた。
藤原氏は、北九州市(現)に生まれ、 -
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幼いみっちんとものたち、あのひとたち、狐さんや死人さん、山の神さま、気のふれた人々、社会の最底辺に追いやられた人々の歌、散文、言葉の交歓。取り囲んでいる自然、海、大木、川、風、光などのやわらかく、繊細な描写。短編を読み進めていくうちに、自分の中にある原風景が重なり合っていく。
読み終えたとき、吉川英治の言葉を思い出した。
「本当の人生の苦労らしい、苦労を舐めたに違いない人は、そんな惨苦と闘ってきたととても見えないほど、明るくて、温和に、そしてどこか風雨に洗われた花の淡々たる姿のようにさりげない人柄をもつに至るのである。なぜならば、正しく苦労をうけとって、正しく打ち克ってきた生命には、当然、そう -