石牟礼道子のレビュー一覧

  • 魂の秘境から

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    今年の自分の誕生日にお亡くなりになられた著者の
    3年間くらいのエッセー集。
    昔の水俣あたりの風景や風土がよくわかるというか
    懐かしい感じがする内容です。自分の昔いた田舎と
    やっぱりかさなってしまいます。水俣ではないですし
    九州でもなく、海沿いでもないのですが。
    水俣病に対しての思いや怒りはあまりでてきませんが
    それ以前の風景や幻視によって、かえってその近代に
    対しての怒りが見えてくるような内容のような気がします。

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    2018年05月28日
  • 食べごしらえ おままごと

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    手が荒れてしまうからアクの強い野菜を扱うのは避けてしまいがちだけど、そういう軟弱な姿勢を見直したいと思いました。思い通りにいかない野菜や魚にちゃんと向き合って、おいしく食べる気概。

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    2018年01月27日
  • 水はみどろの宮

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    2017.10/28 昔語り、方言が耳に心地よく、細部まで描ききらないところに想像の目が羽ばたく。大人にも十分楽しめる児童文学。

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    2018年01月09日
  • 十六夜橋

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    辺見庸による解説「あらゆる評言を許す。けれども、いかなる評言も当てはまりはしない」という言及が、奇しくも私の感想でもある。
    同じ母国語をもつ作者と読者、という紐帯がはらむ濃厚な血の絡み合いを感じ取る、そんな読書。

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    2017年02月18日
  • 椿の海の記

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    ネタバレ

    著者が、まだ不思議の世界の中に
    いた時代…いわゆる幼児の時代の作品です。

    子どもだから…
    ということは決して通用しないということが
    この作品の端々に出てきます。

    その中には大人が言う
    決して子どもの耳に入れてはいけないこと
    も含まれています。
    本来は耳には決して入れてはいけないものなのです。
    ですが、穢れ多き大人たちはその禁を平気で犯します。

    ただ、みっちんはいい親を持ちましたね。
    決してそのことをまねしてはいけないという
    母親に恵まれましたので。

    最後はどこか神々しいものがありました。
    おもかさまはもともとはひたむきで
    優しい人だったに違いありません。
    ただし、最愛の息子の死が
    全て

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    2016年09月26日
  • あやとりの記

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    本の裏側に「小学校上級以上」と表示されていたのですが、このぎすぎすとした嫌な雰囲気が蔓延した日本社会で生活しているわれわれ大人が読んだほうが良いでしょう。読後感は、例えは変ですが、脂っこいものを食べた後にお漬物で口中をさっぱりさせた感じでしょうか。この著作は自然と人の共生が見事に描かれています。私が小学生の頃は、まだここに描かれているような自然やコミュニティが少しは残っていたように想います。いまはもう望むべくもないでしょう。淋しいかぎりです。

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    2014年07月02日
  • 食べごしらえ おままごと

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    読み進めるうちに、映画「阿賀に生きる」の映像が頭に浮かんできた。作者の名前を見て、あの「水俣」の、とつい思ってしまったが、「阿賀に生きる」に描かれた阿賀野川流域と同様、水俣にも豊かな自然と風土、四季折々を慈しみ、節目節目を大切にする人々の生活があったのだ。この本ではそういう暮らしが「食べごしらえ」を通じていきいきと描かれている。それは公害病という災厄に見舞われても、その災厄と様々な形で付き合わざるを得ないということも日常に取り込みながら、続いてきたのだろうと思う・・・阿賀野川流域がそうだったように。

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    2013年11月11日
  • 食べごしらえ おままごと

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    生きることをかみしめながら、口に運ぶものを自分の手でこしらえる石牟礼さん。
    その豊かな記憶の広い世界が描かれていた。

    食べごしらえ、おままごとの中に描かれていることもすでに失われているものが多い。私などよりも、描かれている出来事を体験したことのある読者の方が受ける感銘は大きいのではないかと思う。文章の感触は失われなくてもそういうことはありそうでうらやましい。

    FOOD2040によると、2040年には日本の食品の70%が家庭外で作られるようになるとされているから驚いてしまうが、徐々に進行しつつある気はする。服の主流が既製服になったように、既成食になっていくのか。

    そうした意味でも今読んでみ

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    2012年11月15日
  • 苦海浄土 わが水俣病

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    本当は1968年に講談社から出た単行本のほうを読んだのだが、検索で引っかからなかったため此方に。

    今日まで未解決のまま続く水俣病。事件の外面的事情は色々なところに書かれているが、この本は現地の人々の声をルポした筆者がその時系列順にそのまま綴ったというドキュメンタリーな一冊。

    水俣病は何が問題だったのか。この事件が被害を受けた人々にどのように捉えられていたか。そしてその加害者側の人々の対応はどうであったか。

    水俣病を患う人々、とくに医学的に証明されている胎児生水俣病を病んでいながら、それが政治的には認められていないため未認定患者として打ち捨てられている人々の問題は、たんに水俣病患者だけの問

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    2012年07月26日
  • 死を想う

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    [ 内容 ]
    寝たきりの母を持つ詩人は、死とはどういうものか知りたかった。
    他の人にあけすけに聞けない、「でも石牟礼さんなら」。
    これまで多くの苦しみと死を見つめてきた作家は、切実なことをぐさりと言われたような気がした。
    こうして十二月の穏やかな日、二人は語りはじめた。
    老いと病、介護・看護、家族の死、さらには『梁塵秘抄』。
    そして「いつかは浄土へ」という祈りに至る安らぎの対話。

    [ 目次 ]
    第1章 飢えと空襲の中で見たもの(パーキンソン症候群―読めなくなる、書けなくなる 声が出なくなるかもしれない ほか)
    第2章 印象に残っている死とは(祖母の死 あの世は「良か所」 ほか)
    第3章 それ

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    2011年05月27日
  • 苦海浄土 わが水俣病

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    ネタバレ

    水俣病レポート。小説。ノンフィクション。
     どの分野になるのかよくわからない。
     このタイトルと名前ではわからなくても、「もう一ぺん人間に」は国語の教科書に載っていたぐらいだから、記憶にある人も多いだろう。まあ少なくても無夜と同じ教科書を使わされていた人は強制的に読まされたはずだから。
     読んで騙されるといい(笑)
     石牟礼道子の世界というところに答えがある。
     無夜としては「あっそう」という程度のショックだが、これをバイブルにしかけていた人にはこのオチはひどいかも。
     この人は人間の作り方がすごくうまい。無夜がこうほめるときは、汚さがよく書けているということだけれど、被害者の憎悪とかがわかり

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    2011年05月26日
  • なみだふるはな

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    誠に失礼ながら、紹介きっかけで本書を紐解いたため、著者両名もどんな中身なのかも知らないまま、お二方の語りを傍で聴かせていただくことになった。
    近代化には様々な犠牲が伴う、という文脈の教育を、小中学校で盛んに受けてきた世代だが、とはいえ社会は過去に起きたことを繰り返さないようプロセスを見直しながら「それでも近代化に向かっていく」ということに変わりはないのだな、と感じていた。
    そんなスタンスの社会(あるいは、直接的な被害を受けずに近代化の利益を享受できている社会構成員全員)に対して、当事者は何を感じるか?「許す」というワードに得心がいくところがあった。
    色々なものを駄目にしながら社会が(勝手に?)

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    2025年09月01日
  • なみだふるはな

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    ネタバレ

    石牟礼道子 1927年~2018年
    藤原新也 1944年~
    (84歳くらい、と、67歳くらい)
    が、2011年の6月に三日かけて対談し(福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談)、2012年3月に共著として刊行。
    当然2011年3月の東日本大震災への言及多い。
    この文庫は2020年。
    を2025年ようやく読んだ。

    水俣病と、福島原発と。
    正直な感想として、石牟礼晩年の10年は「働かせすぎじゃねぇの」と思わないでもないが(近代化の罪は、もう夢幻境で遊んでいてもいい人を、再度引っ張ってこなければならない状況を、またもや作り出してしまった)、対談の中でも「苦海浄土 第四部」を構想しているというく

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    2025年04月21日
  • 椿の海の記

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    水俣という土地に宿る魂を呼び覚ますように、書き尽くしたような作品。
    そこに行ってみたいななどという軽い感想は受付ない。もうそこに降り立ったように、読者を誘う。

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    2024年07月19日
  • 椿の海の記

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    「苦海浄土」の著者が自分の幼女時代を振り返り、当時の自然や情景、家族や大人たちがどう映っていたかを描いた作品。その圧倒的な感性の鋭敏さ、類いまれな描写力に驚嘆させられるというより、自分の読解力が及ばず、ついていくのが困難だったというのが正直な感想である。巻末の解説にあるように、この本を読む上で大事なのはゆっくり読むこと。今の世に流布しているような、速く読むことを前提に書かれた本とは対極にあると言える。
    舞台は昭和初期の水俣。チッソによる水銀中毒が発生する以前の自然や風習、暮らしが描かれる。
    主人公である4歳のみっちんこと道子は大家族のもとに育つ。盲目で頭もおかしくなった祖母・おもかさま、祖父・

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    2024年06月07日
  • 食べごしらえ おままごと

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    食べてきたもの、作ったものが
    思い出と結びついている。

    熊本の郷土料理のことも
    いろいろ書かれていますが
    祭事や行事の記憶も綴られていて
    その料理がその土地で
    愛されてきたのがわかる。

    母の行商についていって待ちぼうけ。
    洗い場の女衆たちが
    大きな夏蜜柑をくれたという逸話に
    ちょっとほろり。

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    2024年05月24日
  • 食べごしらえ おままごと

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    ネタバレ

    「椿の海の記」を先に読んでおいてよかった。
    グルメエッセイって苦手なのだが、本書は作者自らグルメではないと主張、印象的なタイトルへつなげる。
    実際読んでいて浮かぶのは食べ物そのものではなく、そんな食事や料理を営んできた人々の姿だ。
    特に作者の父母や弟の顔が、もちろん知らないけど浮かぶかのようだ。もちろん「椿の海の記」の影響。
    石牟礼道子は1927年生まれ。わが祖父と同じくらいか。ちなみに、
    三島由紀夫は1925年生まれ。
    水木しげるは1922年生まれ。
    育ちや環境は全然異なるが。
    以下メモ。

    父の歳時記への拘り。
    母が子を五日で喪う。
    馬の背さながらの俎板。
    子を寝かしつける母は即興詩人。

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    2022年07月20日
  • 道子の草文

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    石牟礼さんの小説等読んだことがなかったけど、初めて読むべき本ではなかったかも。書きかけの未完小説やちょっとした日記のようなものを集めた本だけど、これだけではよくわからないなというのが正直なところだった。水俣の人たちを描いた小説からは、丸太のような強靭さを感じるけれど…。

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    2022年05月16日
  • なみだふるはな

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    水俣病も東日本大震災も確かに日本で起きたことで、傷ついた人たちは今でもたくさんいるということを忘れないでいるにはどうしたらいいんだろうか。
    怒るのではなく、責めるのでもなく、人に伝えるにはどうしたらいいんだろうか。

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    2021年09月26日
  • なみだふるはな

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    「この世には尊貴なものがあるのだ、と。それは身近にあるかもしれない。そのことに気づいて死ななきゃいけないと思っています。」

    石牟礼道子は、尊貴なものを感受し、詩に換えてこの世に現出させるシャーマンのような作家だったと思う。

    福島原発問題を、水俣事件の闘士がどう捉え、何を嘆き、どこに希望を見出そうとしているのか、という点が読みどころ。

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    2021年08月20日