石牟礼道子のレビュー一覧
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ネタバレ著者が、まだ不思議の世界の中に
いた時代…いわゆる幼児の時代の作品です。
子どもだから…
ということは決して通用しないということが
この作品の端々に出てきます。
その中には大人が言う
決して子どもの耳に入れてはいけないこと
も含まれています。
本来は耳には決して入れてはいけないものなのです。
ですが、穢れ多き大人たちはその禁を平気で犯します。
ただ、みっちんはいい親を持ちましたね。
決してそのことをまねしてはいけないという
母親に恵まれましたので。
最後はどこか神々しいものがありました。
おもかさまはもともとはひたむきで
優しい人だったに違いありません。
ただし、最愛の息子の死が
全て -
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生きることをかみしめながら、口に運ぶものを自分の手でこしらえる石牟礼さん。
その豊かな記憶の広い世界が描かれていた。
食べごしらえ、おままごとの中に描かれていることもすでに失われているものが多い。私などよりも、描かれている出来事を体験したことのある読者の方が受ける感銘は大きいのではないかと思う。文章の感触は失われなくてもそういうことはありそうでうらやましい。
FOOD2040によると、2040年には日本の食品の70%が家庭外で作られるようになるとされているから驚いてしまうが、徐々に進行しつつある気はする。服の主流が既製服になったように、既成食になっていくのか。
そうした意味でも今読んでみ -
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本当は1968年に講談社から出た単行本のほうを読んだのだが、検索で引っかからなかったため此方に。
今日まで未解決のまま続く水俣病。事件の外面的事情は色々なところに書かれているが、この本は現地の人々の声をルポした筆者がその時系列順にそのまま綴ったというドキュメンタリーな一冊。
水俣病は何が問題だったのか。この事件が被害を受けた人々にどのように捉えられていたか。そしてその加害者側の人々の対応はどうであったか。
水俣病を患う人々、とくに医学的に証明されている胎児生水俣病を病んでいながら、それが政治的には認められていないため未認定患者として打ち捨てられている人々の問題は、たんに水俣病患者だけの問 -
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[ 内容 ]
寝たきりの母を持つ詩人は、死とはどういうものか知りたかった。
他の人にあけすけに聞けない、「でも石牟礼さんなら」。
これまで多くの苦しみと死を見つめてきた作家は、切実なことをぐさりと言われたような気がした。
こうして十二月の穏やかな日、二人は語りはじめた。
老いと病、介護・看護、家族の死、さらには『梁塵秘抄』。
そして「いつかは浄土へ」という祈りに至る安らぎの対話。
[ 目次 ]
第1章 飢えと空襲の中で見たもの(パーキンソン症候群―読めなくなる、書けなくなる 声が出なくなるかもしれない ほか)
第2章 印象に残っている死とは(祖母の死 あの世は「良か所」 ほか)
第3章 それ -
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ネタバレ水俣病レポート。小説。ノンフィクション。
どの分野になるのかよくわからない。
このタイトルと名前ではわからなくても、「もう一ぺん人間に」は国語の教科書に載っていたぐらいだから、記憶にある人も多いだろう。まあ少なくても無夜と同じ教科書を使わされていた人は強制的に読まされたはずだから。
読んで騙されるといい(笑)
石牟礼道子の世界というところに答えがある。
無夜としては「あっそう」という程度のショックだが、これをバイブルにしかけていた人にはこのオチはひどいかも。
この人は人間の作り方がすごくうまい。無夜がこうほめるときは、汚さがよく書けているということだけれど、被害者の憎悪とかがわかり -
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誠に失礼ながら、紹介きっかけで本書を紐解いたため、著者両名もどんな中身なのかも知らないまま、お二方の語りを傍で聴かせていただくことになった。
近代化には様々な犠牲が伴う、という文脈の教育を、小中学校で盛んに受けてきた世代だが、とはいえ社会は過去に起きたことを繰り返さないようプロセスを見直しながら「それでも近代化に向かっていく」ということに変わりはないのだな、と感じていた。
そんなスタンスの社会(あるいは、直接的な被害を受けずに近代化の利益を享受できている社会構成員全員)に対して、当事者は何を感じるか?「許す」というワードに得心がいくところがあった。
色々なものを駄目にしながら社会が(勝手に?) -
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ネタバレ石牟礼道子 1927年~2018年
藤原新也 1944年~
(84歳くらい、と、67歳くらい)
が、2011年の6月に三日かけて対談し(福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談)、2012年3月に共著として刊行。
当然2011年3月の東日本大震災への言及多い。
この文庫は2020年。
を2025年ようやく読んだ。
水俣病と、福島原発と。
正直な感想として、石牟礼晩年の10年は「働かせすぎじゃねぇの」と思わないでもないが(近代化の罪は、もう夢幻境で遊んでいてもいい人を、再度引っ張ってこなければならない状況を、またもや作り出してしまった)、対談の中でも「苦海浄土 第四部」を構想しているというく -
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「苦海浄土」の著者が自分の幼女時代を振り返り、当時の自然や情景、家族や大人たちがどう映っていたかを描いた作品。その圧倒的な感性の鋭敏さ、類いまれな描写力に驚嘆させられるというより、自分の読解力が及ばず、ついていくのが困難だったというのが正直な感想である。巻末の解説にあるように、この本を読む上で大事なのはゆっくり読むこと。今の世に流布しているような、速く読むことを前提に書かれた本とは対極にあると言える。
舞台は昭和初期の水俣。チッソによる水銀中毒が発生する以前の自然や風習、暮らしが描かれる。
主人公である4歳のみっちんこと道子は大家族のもとに育つ。盲目で頭もおかしくなった祖母・おもかさま、祖父・ -
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ネタバレ「椿の海の記」を先に読んでおいてよかった。
グルメエッセイって苦手なのだが、本書は作者自らグルメではないと主張、印象的なタイトルへつなげる。
実際読んでいて浮かぶのは食べ物そのものではなく、そんな食事や料理を営んできた人々の姿だ。
特に作者の父母や弟の顔が、もちろん知らないけど浮かぶかのようだ。もちろん「椿の海の記」の影響。
石牟礼道子は1927年生まれ。わが祖父と同じくらいか。ちなみに、
三島由紀夫は1925年生まれ。
水木しげるは1922年生まれ。
育ちや環境は全然異なるが。
以下メモ。
父の歳時記への拘り。
母が子を五日で喪う。
馬の背さながらの俎板。
子を寝かしつける母は即興詩人。