石牟礼道子のレビュー一覧
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当時福音館の雑誌「子どもの館」に連載され、「児童書」に分類されているのだが、 実際に読むのは児童ではなく親だろうけれど、 これを子供が読んだらなんと贅沢な読書体験だろうと思う。
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不知火に住むみっちんは、海と山に囲まれた村に住んでいる。
村の人々たちは人間以外の海や山の”あのひとたち”の気配を感じている。
あのひとたちは八千万憶の世から来らいました方々。
あのひとたちの歌が聞こえてくる、 山のものと海のものが入れ替わる時は喧騒が起きる、人々を助けてくれることも、悪さをすることもある。
山というのはなんと多くものを養っているのか、山と海とは入り混じりあい、山が海のものを養っているのか、海 -
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八歳のお葉は船頭の祖父千松爺と二人暮らし。
父と母は水に呑まれてしまった。
両親がいなくて町はずれに住むお葉は村の子供たちと一緒に遊べない。
お葉は大犬の”らん”と親しくなる。らんは盲の山伏に寄り添っていた犬で、きっと山の神様のおつかいだ。
らんに連れられお葉は山の奥深くに入り込む。
お葉は”ごんの守”に会う。
ごんの守は神様のおつかいで、位の良い狐だ。そしてそのお役目は、山の胎の水を浄めることだ。
お葉はごんの守と一緒に山のお胎(おなか)のような湖の底にお籠りをして、その時から山の声が聞こえるようになった。
ある時地面が揺れ山が火と石とを飛び散らせる。
山が火を噴けば石は飛び地面は割れ山 -
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著者が過ごした不知火の思い出語り。
祖父松太郎は天領天草出身を誇りとしている。土方仕事を「仕事は人を絞ってやるんじゃない、信用でやるんだ」と、天候による損失もすべて自分の山や土地を売って補填してきた。だから家はどんどん身代を崩していった。
その本妻である祖母のおもかさまは魂が漂浪(され)き、盲の神経殿となり表を流離う。細い右足と象膚病で肥大化し膨れ上がった左足を引きずり着物の裾を破き歩く。おもかさまに付き添うのが孫のみっちゃん。 おもかさまは山に行けば「やまのものはカラス女の、狐女の、兎女のもんじゃるけん、慾慾こさぎっては成らん」という。家ではすっかり色の替わった白無垢をいじりながらみっちゃん -
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【わし共(どま)、西郷戦争ちゅうぞ。十年戦争ともな(※明治十年/1877年)。一の谷の熊谷さんと敦盛さんの戦さは昔話にきいとったが、実地に見たのは西郷戦争が初めてじゃったげな。それからちゅうもん、ひっつけひっつけ戦があって、日清・日露・満州事変から、今度(こんだ)の戦争―。西郷戦争は、思えば世の中の展(ひら)くる初めになったなあ。わしゃ、西郷戦争の年、親たちが逃げとった山の穴で生まれたげなばい】(P7)
日本最後の内乱、西南戦争を知る地元の老人たちに聞いた聞き語り。
著者が話を聞いた相手は、
西南役からアメリカがアポロの打ち上げを行った時代まで生きた老人、亭主に嫁入りして八十年の老女、乞食非 -
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80歳、パーキンソン病の詩人、石牟礼道子さんと詩人・伊藤比呂美さんの「死を想う」こと。伊藤が聞き手となって、石牟礼の家族の死のこと、そして自分自身の死のことを聞いている。
伊藤自身も両親を介護しながらだから、いずれかならず訪れるであろう身近な人や自分自身の「死」について考えている、うちに、話は「梁塵秘抄」に行き着く。後白河法皇の編纂した歌謡集で、平安時代の当時からどのようにして死んでいくか(そして、仏になるか)はずっと人々が思い悩んでいたということらしい。
仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ
なにかこう、人々が朝早くぱっちりと目が