石牟礼道子のレビュー一覧
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水俣病の被害を直接訴えるため、東京丸の内のチッソ本社に赴いた川本輝夫たちの行動を追い、チッソとの交渉の様子を克明に記しています。
『苦界浄土』にくらべると、患者たちの苦しみとその活動の困難さを、いい意味でも悪い意味でもジャーナリスティックな側面が強い印象を受けました。もちろん著者は、どこまでも川本たちに寄り添う観点に立って、彼らの活動の実情をていねいにえがいているのですが、水俣病をめぐるさまざまな立場からの働きかけが錯綜している状況についても触れざるをえず、そのことがこうした印象をあたえる原因になっているのかもしれません。
あるいは、病と世間の無理解に苦しめられてきた患者たちの時間の長さと -
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Posted by ブクログ
一昔前の田舎の人が、どのように作物や獲物を食べ物にしていたかがよくわかるだけでなく、どんな思いでその行為を行っていたかがわかる。
昔の人がお米一粒でも捨てたりしなかったのは、ここに書かれたような苦労をして(今の農業よりずっと過酷)やっと手に入れたものだからなのだと改めて思ったし、添加物などもちろんなく、すべて捕ったものか作ったもので作った食事がいかに滋味に富んだものであったかは、化学的な味になれてしまった身としては想像するしかないが、どんなにおいしかったことだろう。
今だって、大金を払えば、この本にあるような食材を使った手のかかった料理を食べることはできるかもしれないが、ここに書かれているほど -
Posted by ブクログ
石牟礼道子さんと伊藤比呂美さんの対談集パーキンソン病を患う石牟礼さんが老いや死をどのように受けとめているかを、執拗に伊藤さんは聞く。梁塵秘抄の「暁静かに目覚めして、思えば涙ぞ抑えあへぬ、儚く此の世を過ごしては何時かは浄土に参るべき」。石牟礼さんの到達した地点に私はまだ遠い。しかし浄土に参るという考え方に共感。豊かな時間を生きてきた人だと痛感する。昔、老人との別れの言葉は「さようなら」ではなく「お名残惜しゅうございます」だったとか。このコトバには「この次においでるときは私はもういません」という含みがある。生きることは死ぬこと。そんな遠いことではないようだ。