【感想・ネタバレ】なみだふるはなのレビュー

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Posted by ブクログ

石牟礼道子さんと、藤原新也さんの対談。東日本大地震の、いや、福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談。石牟礼道子さんの語りが美しすぎて、、藤原新也さんの子ども時代との共通体験に話は滑らかに進行するが、今から10年前のこの時にも、今なお水俣病を発症し何世代にもわたりこの病に苦しまへている方がいる、この衝撃。私も学生の頃水俣にお伺いして、とてもおいしいお刺身をご馳走になり、今風に言えば、本当に利他の心、そしてダライ・ラマの教えに通じる慈悲の心に満ちた方々にお会いした、美しい海、風景を思い出しながら、今なお、、と思うと怒りが湧き起こる。当時は成長成長で風景を壊し環境や生命を破壊破損しそれが正義だったけど、本当に地球の主人は人間ではない。人間は山も海も全ての資源をお借りしているのだ。金持ち連中や金持ち国家がもう資源取り尽くし温暖化と環境破壊で終わりゆく地球横目に宇宙にまで出張って自分のものでもない他の星をなんとかしようとしているのがこの対談から10年後の今。山のものをとるとき、海や川のものをとるとき、とりすぎませんので少し分けてくださいとお断りして採取する、そのようにして共生、それが共生であり、いまは免罪符の流行り言葉いや流行り病のようにSDGsとか叫びながら煌びやかに資源とお金を使い広告垂れ流しで、ほぼすべてグリーンウォッシュのように見える、外形標準整えて、今まで我が物と勘違いし好き勝手した分お返しなければ、という気持ちはない。自分たちの都合と延命のためのSDGsと思えないか、
水俣の患者さん、被害者さんが、不平等、傲慢な和解をさせられてきた中で、チッソも国も世間も誰もわかってない、理解しない、しようともしない中で、水俣病になってよかったばい、と、おっしゃる。憎しみと許しという章で石牟礼さんがはっきりとおっしゃる。いままでずっと書いてこられたことだ。
引用
世間の人たちもわかってくれなかった。なんでこう苦しまなければならないんだと考えて、「あんたたちは誰も病まんけん、代わって俺たちが病んでいるんだ」という気持ちになられるのです。なんでわたしたちが病むんだろう。回復不能の病気をなんで病まなければならないのか。みんなの代わりに病んでいるんだ。「病むと言うことを知らない日本国民、病んだものの気持ちもわからない世間さまに対して、わたしたちが代わって病みよったぞ」と自分で思い聞かせることにした。、とおっしゃっています。
引用終わり

病まん人の分までわたし共が、うち負うてゆく、全部背負うてゆく。

このことがそのまま2010年代に原発事故と被爆でのさらなる棄民に無反省、無知の連鎖に連なっていく。社会科の時間に水俣病とか公害病のこと習うんだろうけど一行二行教科書に書いて読むのではなくこのような文章を読んだりして学んでいくことはできないものか。偉そうな書き振りになり心苦しいが例えばテレビだってなんだってSDGsとかなんとか声高く喧伝するなら、グルメ番組とかに大半の時間使わず垂れ流さず視聴者をバカにせずに、このような美しい言葉、思想、本質に触れるようなものを作れないものか。まとまりきらないが石牟礼道子さんは人智を超える存在と再認識。映画ミナマタを見る前に読んだ。このような美しい言葉、美しい生きざまをたっぷりとお示しいただき、もう映画見なくても良いか、と思ったり。

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2021年10月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

水俣から福島へ。
近代の日本史において、国と企業の闘いが前景化・可視化され始めたのがサークル村による一連の活動からだったとするなら、そこから半世紀以上たった今、石牟礼さんは何を思うだろうか(何を思って旅立ったのだろう)。
本書は、写真家の藤原さんとの対談であり、震災を契機として露になった政府や企業の暴力性を足掛かりに、水俣病とその後(母胎を通じて継がれる苦しみは、現在のものであり、未来のものだ)に言及しながら、変わらない構造的な暴力が紡がれる。
日本には教科書に書かれていない公害がたくさんあったし、今も規模の大小に関わらず起こり続けている。その姿に接してきた二人の語りには、どこか諦めに近い幻滅も感じられつつ、石牟礼さんの影響を受けた現在の「サークル村」の可能性も垣間見える。それは意志を受け継いでいる人たちの存在だ(だからこそこの対談という形式が重要なのだ)。
対談は説教めいた言葉のやり取りも続くのだが、ただの年寄りの小言と思わせない、豊饒な精神がある(いや、ちょっと小言めいているかな)。何より、藤原さんに振る舞われる、石牟礼さんの手料理がとても魅力的で、ここにも市民であり続けることの豊かさを感じる。

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2020年05月11日

Posted by ブクログ

作家・詩人の石牟礼道子(1927~2018年)氏と作家・写真家の藤原新也(1944年~)氏が、2011年6月に熊本市の石牟礼氏の自宅で3日間に亘り行った対談である。2012年に出版、2020年に文庫化された。
石牟礼氏は、天草市(現)に生まれ、1969年に発表したデビュー作にして代表作『苦海浄土~わが水俣病』(第1回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退)は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛され、1973年にマグサイサイ賞を受賞、その後も、数々の小説、詩集のほか、創作能なども手掛けた。ノーベル文学賞に近い女性作家とも言われた。
藤原氏は、北九州市(現)に生まれ、東京藝大中退後、インド、東南アジア、アフリカ、アメリカなどを放浪し、写真・エッセイ集を発表。1972年発表のデビュー作『印度放浪』は青年層のバイブル的な存在となり、1981年の『全東洋街道』で毎日芸術賞を受賞、1983年の『東京漂流』は、大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推されたが、辞退した。同年に発表された『メメント・モリ』(ラテン語で“死を想え”)は、隣り合わせの死と生を考えさせる代表作である。
本対談は、2011年3月11日の東日本大震災のショックから覚めない時期に行われたが、それは、藤原氏の次のような思いによる。「1950年代を発端とするミナマタ。そして2011年のフクシマ。このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。効率を先んじ安全を怠った企業運営の破綻。その結果、長年に渡って危機にさらされる普通の人々の生活と命。情報を隠蔽し、さらに国民を危機に陥れた政府と企業。罪なき動物たちの犠牲。母なる海の汚染。歴史は繰り返す、という言葉をこれほど鮮明に再現した例は稀有だろう。そのふたつの歴史にかかる橋をミナマタの証言者、石牟礼道子さんと渡ってみたいと思った。」
そして、互いに類まれな感性、経験、表現力を併せ持った二人の会話が紡ぎ出す世界は、幻影と覚醒、80年前のリアルと2011年のリアルを行きつ戻りつする、この二人でなければ作り出せない、心を震わせる世界である。
詩人の伊藤比呂美は、解説でこう書いている。「石牟礼さんは当時84才で、ここにいるが、ここにいない。昨日あったことも、80年前のことも、人から聞いた言葉も、ここにないが、ここにある。・・・藤原さんは当時67才で、若くもなく、年取りすぎてもいず、石牟礼さんの言葉を、驚かず、あわてず、さわがずに、聞き取って、遠くの昔のできごとや伝聞としてではなく、今そこに在る現実として、受け止めて理解する。そしてそれを自分の経験しつつある現実にむすびつけていく。」
東日本大震災から9年、石牟礼道子が亡くなってから2年。単行本は既に絶版になり、手に入らなかった本書が文庫化されたのは僥倖である。
(2020年3月了)

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2020年03月17日

Posted by ブクログ

水俣病も東日本大震災も確かに日本で起きたことで、傷ついた人たちは今でもたくさんいるということを忘れないでいるにはどうしたらいいんだろうか。
怒るのではなく、責めるのでもなく、人に伝えるにはどうしたらいいんだろうか。

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2021年09月26日

Posted by ブクログ

「この世には尊貴なものがあるのだ、と。それは身近にあるかもしれない。そのことに気づいて死ななきゃいけないと思っています。」

石牟礼道子は、尊貴なものを感受し、詩に換えてこの世に現出させるシャーマンのような作家だったと思う。

福島原発問題を、水俣事件の闘士がどう捉え、何を嘆き、どこに希望を見出そうとしているのか、という点が読みどころ。

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2021年08月20日

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