あらすじ
一九五〇年代水俣、そして二〇一一年福島。企業と国家によって危機に陥れられたこの2つの土地の悲劇をそれぞれに目撃した2人が、絶望と希望の間を揺れ動きながら語り合う対話集。
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Posted by ブクログ
水俣から福島へ。
近代の日本史において、国と企業の闘いが前景化・可視化され始めたのがサークル村による一連の活動からだったとするなら、そこから半世紀以上たった今、石牟礼さんは何を思うだろうか(何を思って旅立ったのだろう)。
本書は、写真家の藤原さんとの対談であり、震災を契機として露になった政府や企業の暴力性を足掛かりに、水俣病とその後(母胎を通じて継がれる苦しみは、現在のものであり、未来のものだ)に言及しながら、変わらない構造的な暴力が紡がれる。
日本には教科書に書かれていない公害がたくさんあったし、今も規模の大小に関わらず起こり続けている。その姿に接してきた二人の語りには、どこか諦めに近い幻滅も感じられつつ、石牟礼さんの影響を受けた現在の「サークル村」の可能性も垣間見える。それは意志を受け継いでいる人たちの存在だ(だからこそこの対談という形式が重要なのだ)。
対談は説教めいた言葉のやり取りも続くのだが、ただの年寄りの小言と思わせない、豊饒な精神がある(いや、ちょっと小言めいているかな)。何より、藤原さんに振る舞われる、石牟礼さんの手料理がとても魅力的で、ここにも市民であり続けることの豊かさを感じる。
Posted by ブクログ
石牟礼道子 1927年~2018年
藤原新也 1944年~
(84歳くらい、と、67歳くらい)
が、2011年の6月に三日かけて対談し(福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談)、2012年3月に共著として刊行。
当然2011年3月の東日本大震災への言及多い。
この文庫は2020年。
を2025年ようやく読んだ。
水俣病と、福島原発と。
正直な感想として、石牟礼晩年の10年は「働かせすぎじゃねぇの」と思わないでもないが(近代化の罪は、もう夢幻境で遊んでいてもいい人を、再度引っ張ってこなければならない状況を、またもや作り出してしまった)、対談の中でも「苦海浄土 第四部」を構想しているというくらいだから、いくらでも発信したい人だったのかしらん。
藤原新也、個人的に若干うさん臭さを感じ敬遠していたが、押井守がロケハンの際にモノクロ写真を撮る(というか樋上晴彦に撮らせる)際に意識していると(確か)言及していて、俄かに興味を持った、というミーハーな読者。
乱暴に左翼文脈に連ねちゃうが、聞き手として十分いい話を引き出してくれた。
「椿の海の記」を裏打ちするインタビューでもある。
私にとって石牟礼道子は、亡くなった後に知った作家で、近代国家の暴力、企業および国家が作った(隠蔽しようとした)悲劇を、撃たんとした作家だが、
あるいは同時代的に、まずは娯楽作として享受した宮崎駿のアニメーションが、実は発端(幼少期)にある戦争体験を引き摺らなければならない悲劇にも、思いを馳せたし、それを見続ける(期待し続ける)客がいることの、残酷さも、思った。
もちろんそれぞれの作家の生年によって、所謂大きな物語への遠近法はあるだろうけれども。