安野光雅のレビュー一覧
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子どもの頃、母が与えてくれた絵本、『もりのえほん』。十数年経った今でも、また読みたいと思える絵本である。このような絵本はなかなか無い。その作者である、安野光雅さんのエッセイ。
私にとっては、教科書以外で初めて触れるエッセイだった。
自分で考えるということをテーマに綴られたこの一冊は、全ての大人に読んでもらいたいと思える一冊である。特に、親や教育に携わる大人にお薦めする。
『子ども自身の成長に必要だから、ということで叱っている方は、少ないのではないでしょうか。』
という言葉にはハッとさせられた。
読みながら、自身が子どもの頃のことを思い出した。
ぬいぐるみでおままごとをしたり、夜寝るときにはベットの下に何かいるかもしれないと怯えたり。一日中よく色んなことを考えていたな、と思い出した。そして、とても楽しかったことも思い出した。
現代は、考えなくても楽しめる環境なのかもしれない。だが、考えることをやめてしまっては、本当の楽しさ、豊かさには出会えないのかもしれない。そんな風に感じさせられた一冊であった。 -
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ネタバレ映画で見て,「本当に,そんな結末なの?」と思って読んでみました。そんで,せっかくなので,訳:谷川俊太郎,絵:安野光雅のものを選んで…。もう一冊,違う翻訳本も横に並べながら,訳がどんなふうに違うのか比べたりもして…。
私的にビックリしたのは,ジュディのあしながおじさん宛の手紙(大学4年生時代の2月)に,サミュエル・ピープスの日記の引用が出てきたところです。サミュエル・ピープスは,17世紀の英国海軍大臣で,日記が有名な人です。人名辞典では,DIARISTと出てくるのが普通らしいです。
私はピープスのことを知ったのは,20年ほど前に自分が興味を持って調べていた「ロンドン王認学会=ロイアル・ソアイエティ」に関わってです。彼は,海軍のお偉いさんだけではなく,この王認学会の会長にまでなった人です。彼の日記には,彼の科学好きが分かる文章がたくさんあります。それらは,板倉聖宣編訳『ロンドン科学日記~S.ピープスの日記とロンドン王認学会の記録』(板倉研究室,1995年)で読むことができます。
話はそれましたが,『あしながおじさん』は,そのほとんどを「知らない人への手紙」という形をとって物語が進んで行くという,斬新な小説です。それなのに,単調さを感じることなく,主人公が大学生として成長していく様がしっかり伝わってきて,読んだあとにはなんだか透明感というか清涼感に包まれる感じです。
子どもの時に,読んでおけば,もっと違った人生だったかなあ…変わらないか。 -
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銀の匙は中勘助が書いた小説。中勘助の自伝的小説だそうだ。
明治43年に前編が執筆され後編は大正2年1913年に執筆された。
文章が美しく、当時をしらない自分にも郷愁を抱かせる描写がすばらしい。
東京の神田で生まれた主人公は、やがて緑豊かな小石川に引っ越す。
その土地でであった子どもたちとの交流や、自然描写、淡い恋心などが綴られていく。
病弱だった主人公が、世界を見る視点は、生き生きとしていて驚きや恐怖に満ちている。
小学校に上がってしばらくすると、主人公は勉強に追いつかず、苦労して遅れを取り戻す。
体が大きくなり、ガキ大将となる。
やがて近所に越してきたおけいちゃんという女の子と親しくなり、一緒に日々を過ごす。同級生からのやっかみや、ライバルの出現などもあるが、おけいちゃんは最後は主人公のもとに戻ってくる。
しかしおけいちゃんは父親が亡くなり、母親の郷里に戻ることになる。
おけいちゃんが暇乞いをしにきたとき、主人公は部屋にこもって挨拶をしない。このひねくれた気持ちは自分にもよくわかった。
後半は、男らしさを求める兄とのやりとりや、戦争で盛り上がる同級生や学校の先生への反発、ひとり休暇をすごしにいった静養地での美しい女性との出会いなどが語られる。
この女性とは少ない交流の中で主人公に強烈な印象を与えたらしく、これ以上ない美しさをもって描写される。そして、彼女が京都に戻る暇乞いをしにきたとき、主人公はまたも天の邪鬼になり、聞こえなかったふりをする。
彼は恋をした女性の暇乞いには応えないのだ。
それは、おそらくは暇乞いを受けてしまうとその別れを認めることになるからではないだろうか。
美しいものを丁寧な言葉で表現する。それを書き連ねたことで美しい小説が完成した。 -
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谷川俊太郎さんの訳した『あしながおじさん』を読む。よく考えると、あしながおじさんを読むのはじめてだ。1967年に出版された少年少女世界の文学の初版本。装丁が美しく、いまさっき、偶然持ち込まれたもの。必然なのかな。
作家としての表現力をやしなうには、手紙を書くのがいちばんだと、孤児院から大学へ通わせてくれたあしながおじさんと一方通行の文通をするミスジルーシャアボット。実はぼくも架空の女性「詠美」へ向けた手紙を毎日書き綴っている。手紙って、ほんとに魅力的で、内面の強度を高められる。
内部の強度を鍛える。。外側だけ取り繕っても、現代の社会では、それなりにきれいなものが出来上がってしまう。学生でも、子供でも。それは、響かない。かといって、愛などと言う誰にも反論が許されない抽象的なものでもない。コピー&ペーストでつくられる安易な表現に飛び付くのは、もう卒業しよう。ぼくたちは、ホンモノを磨くためにひとりになる。ぼくは、ダメダメだ。
人生でりっぱな人格が必要になってくるのは大事件がおこったときじゃありません。いざというときにはだれだってしゃんとするものだし、大悲劇になら勇敢に面と向かうことができます。だけど、日常のみみっちいいざこざをわらいとばすってことは、これこそ根性がいるわ。
あしながおじさんとジュデイは、会ったことがないのに、生きている時間を過ごせてる。ただ居合わせた二人とは違う。死んだ時間を何千時間過ごしても意味がない。お互いに尊敬し、信頼し、協力する。それが愛する秘訣なのだと思う。
長新太さんの挿し絵も素敵だった。
世界はこんなにもおおくのものでいっぱいだ
わたしたちがみな王のようにしあわせであるべきなのはたしかなことだ
愛されるよりも愛することって、素晴らしい。過去や未来の不安に創造力を発揮させるなら、いまここに生きることを大切にしたい。いま思いを寄せることに集中したい。
あしながおじさんとのラストは、とても温かい気持ちになった。
未来の大作家ムック -
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子どもの頃に読んだはずなのに、
まるで覚えていなかった。
ほんっとに面白い傑作。
ジュディの知性と率直さを見出したあしながおじさんの導きで、
カレッジで学ぶようになるジュディの変化が、
一方的な手紙を通じて、
情緒豊かに展開していく。
この一方通行が重要なのだ。
まるで精神分析のように、
おじさまがそこにいるのかいないのか、
何を感じ考えているのかわからないからこそ、
素直になったり、怒ったり、
いろんな感情が広がっていく。
ジュディの劣等感と傷つきと寂しさは、
体験のない人間には容易には理解できないのだが、
それを不幸にしない心のちからこそ、
あしながおじさんが彼女に惹かれたところではないだろうか。
おそらく途中からジュディ以外の読者は、
このからくりが見えてくるはずだが、
それでも最後の最後まで、
息もつかせぬ約5年間の手紙がどのように終わるのか、
ふたりはどうなっていくのか、
わくわくが止まらない。
そして私は、胸を打たれて涙した。
*
安野光雅の絵が、なんとも魅力的であり、
物語に旨味を与えている。 -
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2018.12月。
自分で考えること。いかに日々考えてないことが多いか。
メモ
物理的な見え方や時間の感じ方など、大人と子どもの感じる世界は違う。
しつけや怒ることは必要か。
悔しさや屈辱を経験して揉まれる。
勉強は自分でやること。自分で学ぶこと。
知ることとわかることは違う。考えてわかる。知るは知識・情報。
一流のものを見せて一流の音を聴かせる。それを繰り返して自分のものさしができる。自分で経験して自分のものさしを作る。
勉強はinterest。
何もかも疑い自分で考える。
自然の中で自分を知る。
その場に行きその場で感じる。
本物を見る。
ひとりでいる。
本を読むことは心の体操。心を磨き鍛え心が満ち足りる。自分の考えを育てることにつながる。
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絵本作家、安野光雅さんが「考える」ことについて、自身の子供時代や今の子供たちを見つめながら「考えた」ことを綴ったエッセイ。
子どもってどんな生き物だろう、学ぶってなんだろう、自分で考えるってどういうことだろう。易しい言葉の中に鋭い考えがあり、読みながらドキッとした。
私は考えることをやめていたかもしれない、
子どもたちに考えることをやめさせていたかもしれない。
世の中が考えることから離れていってるかもしれない。
日常の小さな出来事を拾いながら、そこにはたくさん考えることがある。そして、それはとても楽しいことだと教えてくれる。
さらさらと2時間もかからず読めるが、奥深い。
安野さんの絵本には言葉がないが、語られない考え方や言葉があることを知った。
安野さんのエッセイ、他にも読んでみたい。
以下心にとめたい言葉
美談の本ではなく、ほんとうのことが書かれた本を
(よだかの星、赤毛のアン、君たちはどう生きるか)
クイズよりパズルを、「知る」より「わかる」を
(暗記より考える力)
勉強はインポータントではなく、インタレスト。
商品やCMに流されていないか疑う
ひとりでもいい、みんなと一緒でなくていい、と思えば恐れしいものはない
本は読まなくてもいい、でも本を読んで生きた人は20年も30年も生きたことになる -
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懐かしい。子どもの頃に「大草原の小さな家」のテレビドラマも観たし、翻訳本もほぼ読んだと思う。
大好きなシリーズだった。
今作では文章も挿絵も一新されたが、文、絵ともに温かみがあり、ページをパラパラとめくるだけでも楽しめる。
子どもの頃はこの物語を単にローラの目線で読んでいたと思う。両親を大事に思い尊敬し、お姉ちゃんが大好きでもありうらやましい存在でもある。。。家族の愛に包まれた少女を体感しているように読んでいた。
○十年経ち、母親になった今読むと、ローラの目線もそうだが、両親、特に母親の目線でも読むようになる。母として主婦としていかに家庭を切り盛りしているか、限られた道具や食材を利用していかに家族の笑顔を引き出しているか?現在の物に溢れた便利な時代を生きている自分はなんてありがたいんだと思う反面贅沢だと反省してみたり。
子供の頃に読んだ福音館の「大草原」シリーズ、きっとまだ実家の本棚に並んでいるだろう。また読み返してみるのもいいかもしれない。 -
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★★★
ビッグウッズの森の隅にローラの家はあります。
家族はお父さんのチャールズ、お母さんのキャロライン、姉のメアリー、そしてまだ赤ちゃんの妹キャリーです。
小さな家には、みんなで食事をしたり生活するために必要なものを作ったり家族が団欒する大きな部屋と、小さな寝室と、そして冬の間には食料貯蔵庫となる屋根裏部屋があります。
家畜は、牛のスーキー、冬の食料になる豚、猫のブラックスーザン、そして森の獣を追い払うためのブルドックのジャックがいます。
お父さんは狩りに出かけ、獲物を高い木に吊るします。
お母さんは獲物は毛を削ぎ皮を剥ぎ、肉を切り取り燻製にします。メアリーとローラも手伝います。
メアリーとローラには、布で作った人形が何よりの宝物です。
人形をもらったら、口が利けなくなるくらいの喜びが溢れます。
ローラは町を知りません。家が二軒並んでいるところも見たことありません。
親戚は大きな森のあちら側に住んでいて、お洒落してダンスすることが楽しみです…。
★★★
「大きな森の小さな家」を画家の安野光雅さんが監訳して挿絵を付けた本です。
「大きな森~」ではローラの物語として人の感情も書かれていましたが、
こちらではアメリカの開拓者一家の生活を文章と挿絵で丁寧に追うという作りです。
全てのページのそれぞれ1/3以上に挿絵があります。(安野さんが後書きで「もうこんなに絵のある本は書かないと思います」と言っているくらい/笑)
狩りの獲物の処理の仕方、銃の玉作りの方法、罠の作り方、刈入れや脱穀の仕方、食べ物の作り方と食べ物、そして当時の日常生活用品が描かれます。
水彩絵の具の滲みを生かして、簡素ながらも詳細で味のとユーモラスさのある挿絵は、その一つ一つを見るだけでもじっくりと楽しめる実に味わいの深い本です。
絵も字もじっくり見て当時の生活を連想していくので、子供より大人が楽しめる本かもしれません。 -
Posted by ブクログ
ネタバレいつも小説ばかり読んでいるので、新書を手にとってみました。
日本語って綺麗だなあと漠然と思っていたけれど、改めて日本語の奥の深さや、自分の浅学さを感じることができた気がします。
「文字を簡略化するたびに、世代間に一種の段差ができます。世代くらいならまだいいのですが、古典との間に開きができます。」
日本は、日本語で書かれた書物が古くから多く残っている国です。私たちが日本語を正しく身につけられていないことで、その歴史や文化との間に壁が出来るのは、悲しいことだと思いました。
昔から紡がれてきた文学を、言葉を、美しいと思えるように、美しい日本語を学び続けたいなと感じました。
日本語が愛しくなる本です。対談形式で、読みやすかった。