安野光雅のレビュー一覧
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2016年刊。ロートレック、モディリアーニ、ゴッホといった個々の画家についてのエッセイ、全部で23篇。半数は雑誌等に既発表、残り半数が書き下ろし。
「ブリューゲル」のエッセイは、お茶の水にあった喫茶店「ジロー」から始まる(1963年頃の話か)。ドル解禁になり世界一周を考えていた安野、隣に座っていたオーストリアの学生と仲良くなり、彼の故郷ウィーンに立ち寄ることになる。彼のおばあちゃんに連れてゆかれたのが美術館。そう、ブリューゲルの名作が何点もある、あのウィーン美術史美術館。
「ラスコーの洞窟画」は、車を運転してラスコーにアプローチするところから始まる。洞窟のなかの電球に不思議がり、本物だと思って見ていた壁画が実はレプリカとわかって驚く。先史時代の絵に驚くよりも、レプリカの精巧さに驚いているところが可笑しい。
いずれのエッセイも、その画家や作品よりも、ゆかりの場所や人々に至るプロセス、印象的なエピソードが読みどころ。
(p.s. 意味の通らない文章がいくつかある。編集や校閲でチェックが入ってもよさそうなのに。少し残念。) -
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ネタバレ★P70引用 一部変更
過去の教科書に書かれた子どもたちへのメッセージ
じょうずにかこうとするよりも・・・
しんけんに・・・人としての感じ方も育ちます。
このくりかえしのなかで、・・・
どんな人にならなければならないかが、
わかってきます。
これがめあてです。
★感想
読書は、心の体操→自分の考え方を育てる。
先生は、給料もらって保育教育をしているが、
親は無料で子どもも育てている。
当たり前のことではあるが、
だからこそ真剣(色んな感情含め)になってあたり前。
なるほど!!って思うで止まらず、
自分も自分で考える人であるようにしたい。 -
Posted by ブクログ
1974年発表の(本書は2011年の復刻版)、文も絵も安野光雅さんが描いた『シンデレラ』は、ファンタジー要素満載な夢物語というよりは、その中世ヨーロッパを舞台にしたような服飾や世界観に、当時としては親しみやすい、くだけた文章もあることで、とても現実感の強い物語に感じられて、たとえ魔法の力を借りたとはいえ、そこから垣間見えたのは、安野さんの絵による、人の見えない素敵な部分を見事に表した、そのシンデレラ自身の絵から醸し出される、素朴な優しさの中にも凛と佇む、一人の女性としての気高さであった。
シンデレラと共に暮らす、2度目の母と2人の姉達が彼女に付けたあだ名は、「灰まみれのきたない娘」と、聞いただけで怒りが込み上げてくるような呼び方だが、それでも隠しきれない彼女自身の魅力として、勿論、朝から晩までよく働くような優しい人柄もそうだと思うが、これが安野さんの絵で描かれることによって、彼女のファッションからも、それを感じさせられたことが、とても印象的だった。
そのオフショルダーのワンピースは、確かに下の方に縫い合わせた跡が見られたりするが、私が気になったのはそこではなく、それを上品に覆い隠した多彩な色(表紙のそれとはまた異なる色)を散りばめたストールに加えて、それと合わせた同じ色のスカーフを頭に巻いている、彼女の素朴ながらも、思わずハッとさせられる、一つの主張の表れに、「ああ彼女は、毎日こんな思いをさせられながらも、彼女だけの何かをしっかりと持ち続けているのだな」と、決して彼女自身、あまり個性的な会話が無くても、その着ているものだけで充分に感じさせられる、彼女の女性としての在り方を、安野さんの絵は伝えてくれながらも、その色の多彩さこそ、一見地味に見えながら、その中には、色取り取りのたくさんの思いで満たされている、シンデレラの内面のように思われて、それは彼女が寝るベッドのデザインにも、よく表れていると思う。
そして、安野さんの絵自体の魅力も多彩であり、それは、シンデレラに限らず、魔法使いのおばあさんの、涼しい色合いのアーガイル柄のワンピースを着ながらも、どこか漂わせる、その人の好い雰囲気や(彼女の凄いところは、全ての場面に於いて、必ずどこかでシンデレラを見守っていること)、シンデレラの夢心地の心境を表したような、お城へ向かう道中の、その地の底が計り知れないような大胆なデザインに加えて、建物を大きく、人物を小さく描写することにより、それでも目に留まる麗しい優雅な様や(シンデレラのダンスの美しさといったら)、人のやり切れない儚さといった繊細さが(あの鐘の聞こえるシーンは見ていて切ない)、より如実に表れて見えるのも印象的である。
更に特筆すべきは、やはりシンデレラの変身前と変身後の見開きの対照性であり、そこで感じられた、ため息ものの美しさこそ、シンデレラ本来の心の中の姿であり、それは奇跡などではなく、普段から彼女自身が自然とありのままに見せていた、優しくも確固とした気高さを抱いていた、一人の女性としての存在意義を認められた証なのではないかと、私には思われたのであった。
最後に、私が印象的だったのが、おそらく安野さんが意図的にそうしたと思われる、ウィスタリア色の見返しであり、「ウィスタリア」は和名だと「藤」になるのだが、色としては、前者の方が後者よりも、濃い色ということで別のものとなり、その花言葉、『ようこそ美しき未知の人』には、これまで辛い思いをしてきた、シンデレラの可能性に満ち溢れた未来が宿っているようで、それは魔法使いのおばあさんと共に心を込めた、安野さんの彼女への祝福のしるしとも感じられたのであった。
ちなみに、本書のシンデレラについて、最初は大人向けのそれと感じましたが、何度も読み返す内に、はたして本当にそうなのだろうかとも思い、こればかりは、子ども次第と思うところもありながら、別に読み手があれこれ説明しなくても、子ども自身で何かを感じてくれるものも、きっとあると思い(安野さんの絵には、品の良さと人懐こさが共存している)、そうした安野さんの決して子どもに媚びない対等な姿勢に、絵本作家としての誇りを感じました。安野さんの場合、この絵本だけがそうではありませんがね。 -
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ネタバレ「自分で考える」ことの大切さを手を変え品を変え語った本。
教師や親が敷いたレールの上で、教師も親も子どもも何も考えず安穏のしていることがいかにつまらない人生なのかを様々な視点から述べられている。
・子どもの生活が、親の考える「ものさし」と合っていれば安心。
→ きちんとしている子ども? → 何も考えられない子ども?
・子どもの「勉強」を、大人の思う「勉強」に当てはめるのは、ほとんどの場合勘違い → 教師や親の枠の中での知識の入れ込み → 勉強は「解像度」をあげる道楽 → イエスマンな何も考えられない子ども?
・学校で「野球をやりましょう」not= 遊びで「野球をやろう」
→ 教師や親が敷いたレールの上で、安穏とした遊び → 何も考えられない子ども?
・子どもは早く大人になるより、子どもらしい世界に存分に生きて、自分から「お行儀良くした方がいいらしいぞ」と感じる時を、待つ方がいいとおもいます。
→ 教師や親の枠の中での「行儀よく」 → 必要感を感じることで子どもが考え出す。
・親が自分の都合で子どもを叱っていることが多い。大人のさまたげになるときに叱っている。
→ 教師や親の枠の中での都合のよさ → 自分で考えない子ども、考える隙がない
・子ども自身の成長に必要だから、ということで叱っている方は少ない。
→ 自分で考えない子ども、考える隙がない
・ほかの子を傷つけたり、いじめたりした時には叱ることも必要であると思っています。 → これは是になりうることは決してない。他者の人権を尊重することは必要
・はだかで現実にぶつかることが少ない
・その中でもまれるといった生活体験は、のちに必ず生きてくると思います。
→ 自分で考える子ども
・子どもにとったら「いま」が大切
→ 子どもにとって人生はミクロな分かれ道の選択の連続 → 自分で考える子ども
・全ての教科において、自分で考え、答えを見つける癖をつけさせる。たいせtではなく、おもしろい。算数は比べて考える
・全てのものを一応疑う。確実だと思うものに出会うまで、すべてのものを疑う。疑って、疑って信じない。しかし、「疑う自分がいる」ということだけはほんとうだと。というほかなかった」デカルト
・本を読むことは自分の考え方を育てること
頭が柔らかいうちに、世の中には様々な考え方があることを知りたいもの。
全てが前述した
「自分で考える」ことの大切さと教師や親が敷いたレールの上でイエスマンであることにそもそも気が付かない人生ががいかにつまらない人生なのかを様々な視点から述べられている。「自分が主人公なんだ」
そんなた安野さんの考えが根底に流れている本。 -
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安野さんの生きた時代の息づかいを感じたのが良かった。ずっと続いているような錯覚に陥るけれど、母と父、祖父母、私と兄弟、甥っ子、それぞれを取り巻いてきた、取り巻いている時代の空気は、自分の生きた年齢に合わせてその感じ方は矢張り違うもので、それをまざまざと実感したというか。同じ時代を生きているということだけで、どうしてこう容易く「私とあなたは同じ」だなんて思ってしまえるんだろう?甘えもいいとこだ。厳密に言えば、同世代と言えども違うこともあるわけなのに。
「同じだね」って、時にぐっと人との距離を近づけてくれるけれど、同時に同じくらい「我々は違う」って、忘れないでいることって、とっても大事なんだなって、ふと思った。