安野光雅のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1974年発表の(本書は2011年の復刻版)、文も絵も安野光雅さんが描いた『シンデレラ』は、ファンタジー要素満載な夢物語というよりは、その中世ヨーロッパを舞台にしたような服飾や世界観に、当時としては親しみやすい、くだけた文章もあることで、とても現実感の強い物語に感じられて、たとえ魔法の力を借りたとはいえ、そこから垣間見えたのは、安野さんの絵による、人の見えない素敵な部分を見事に表した、そのシンデレラ自身の絵から醸し出される、素朴な優しさの中にも凛と佇む、一人の女性としての気高さであった。
シンデレラと共に暮らす、2度目の母と2人の姉達が彼女に付けたあだ名は、「灰まみれのきたない娘」と、聞 -
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Posted by ブクログ
安野さんの生きた時代の息づかいを感じたのが良かった。ずっと続いているような錯覚に陥るけれど、母と父、祖父母、私と兄弟、甥っ子、それぞれを取り巻いてきた、取り巻いている時代の空気は、自分の生きた年齢に合わせてその感じ方は矢張り違うもので、それをまざまざと実感したというか。同じ時代を生きているということだけで、どうしてこう容易く「私とあなたは同じ」だなんて思ってしまえるんだろう?甘えもいいとこだ。厳密に言えば、同世代と言えども違うこともあるわけなのに。
「同じだね」って、時にぐっと人との距離を近づけてくれるけれど、同時に同じくらい「我々は違う」って、忘れないでいることって、とっても大事なんだなっ -
Posted by ブクログ
ネタバレ安野光雅さんのエッセイ。
少年時代から歳を重ねるまでの思い出が綴られています。
生きてきた時代は異なるのに、どこか懐かしい匂いのするお話も多数あり、朗らかな気持ちで読めました。
そんな中にも安野さんなりの信条や絵を思う気持ちが散りばめられていて、ますます安野さんのファンになりました。
本の中で、
妄想と空想は違う。
妄想は現実と想像の違いがわかっていないが、空想は現実を理解した上で想像していること。
というようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。
宮沢賢治は教員時代に空想の時間を設けていたようですが、「空想」は自分の世界を広げるために必要な時間だなと改めて思います。 -
Posted by ブクログ
NHK人間講座「絵とイマジネーション」をもとに書かれたもの。写真、遠近法、実際の画家を映した映画、ゴッホの生き方というものなどを手掛かりにしたり、実際にスケッチしたり、自画像を描いたりしたりしながら、イマジネーション(想像力)というものを考えている。見たものを写真のように描くことや遠近法を厳密に守って描くこと、刻々と変化するものを一瞬として捉えるのと時間の流れの中で視点も移動しながら全体として描くのを比較したりなどと、いろいろな観点から考えているが、結局は描く人の内からの衝動(ミューズ!?)が大切だということなのだろう。絵画鑑賞の本ではなく、絵を描く人のためのものだね、やっぱり。
ゴッホについ -
Posted by ブクログ
基礎がないと応用はできない。そんな当たり前なことは意外に理解できていないことなのかも知れない。
例えば、ピカソの絵を見て「俺にもこんな絵描ける!」って思うことは1度はあるだろうが、実際彼のデッサンを見るとまぁ普通に上手いわけ。笑
このように基礎の上に応用、つまり創造性やイマジネーションが成り立つ。基礎もないのにそれらは成り立たない。
この本で著者は、基礎である技術を磨くことに拘泥するあまり、創造性を放棄することを危惧している。(どちらも必要だということ)
一般的に本物のように描く写実的な絵が「上手い絵」とされるが、本当にそうなのか?
遠近法を用いた絵は現実に近いから「上手い絵」なのか? -
Posted by ブクログ
藤原さんの国語教育重視の考え方に賛同しているワタシ。今回は久しぶりにその流れの一冊を。
藤原さんの小学校の恩師(!)である安野さんとの対談形式で進むこの本のいいところは、「今の若いもんは…」的な嘆き調になっていないこと。だから、読んでいて反発を覚えるどころか、やっぱり日本人としては日本語を誇り、日本語、しかも文語を読まなきゃ、という気にさせてくれる。
内田樹さんも指摘している通り、母語のほかに英語をマスターしないと職につけないなどという状況もなく、日本語さえ使えれば何とかなってしまう。この環境に感謝しつつ、文語にも目を向けることにしよう。