安野光雅のレビュー一覧
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ネタバレ安野光雅さんのエッセイ。
少年時代から歳を重ねるまでの思い出が綴られています。
生きてきた時代は異なるのに、どこか懐かしい匂いのするお話も多数あり、朗らかな気持ちで読めました。
そんな中にも安野さんなりの信条や絵を思う気持ちが散りばめられていて、ますます安野さんのファンになりました。
本の中で、
妄想と空想は違う。
妄想は現実と想像の違いがわかっていないが、空想は現実を理解した上で想像していること。
というようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。
宮沢賢治は教員時代に空想の時間を設けていたようですが、「空想」は自分の世界を広げるために必要な時間だなと改めて思います。 -
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NHK人間講座「絵とイマジネーション」をもとに書かれたもの。写真、遠近法、実際の画家を映した映画、ゴッホの生き方というものなどを手掛かりにしたり、実際にスケッチしたり、自画像を描いたりしたりしながら、イマジネーション(想像力)というものを考えている。見たものを写真のように描くことや遠近法を厳密に守って描くこと、刻々と変化するものを一瞬として捉えるのと時間の流れの中で視点も移動しながら全体として描くのを比較したりなどと、いろいろな観点から考えているが、結局は描く人の内からの衝動(ミューズ!?)が大切だということなのだろう。絵画鑑賞の本ではなく、絵を描く人のためのものだね、やっぱり。
ゴッホについての章は力が入っている。著者が好きなんだろうな。ゴッホは赤い靴を履かされて「死ぬまで描き続けよ」という内面の叫びのままに一生描き続けた人なのだ。 -
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基礎がないと応用はできない。そんな当たり前なことは意外に理解できていないことなのかも知れない。
例えば、ピカソの絵を見て「俺にもこんな絵描ける!」って思うことは1度はあるだろうが、実際彼のデッサンを見るとまぁ普通に上手いわけ。笑
このように基礎の上に応用、つまり創造性やイマジネーションが成り立つ。基礎もないのにそれらは成り立たない。
この本で著者は、基礎である技術を磨くことに拘泥するあまり、創造性を放棄することを危惧している。(どちらも必要だということ)
一般的に本物のように描く写実的な絵が「上手い絵」とされるが、本当にそうなのか?
遠近法を用いた絵は現実に近いから「上手い絵」なのか?
そうではなく、自分の感性に従って描くべきで、本書では「直感的に絵は進んでいきます。よく考えてみると、誰の命令でもなく、知らず知らずのうちに進行して、絵になっていくのです。」と述べており、″ミューズのしわざ″と表現している。
絵は創造性を発揮できる行為そのものであり、それによって豊かな感受性を獲得し、豊かな世界を生きることに繋がるんじゃないかなぁ。
幼少期の豊かな感受性を取り戻さないとね。
【メモ】
David Hockneyの『絵画の歴史』と内容的に被る箇所があって復習になった。特に、ドゥーラーの遠近法の説明が詳しくなされていて、本書で補足できる。
「写実」と「事実」の違いは今まで盲点だった。
描こうとすると、モノの仕組みを考えようとする。これを考えると、レオナルドが狂気的な好奇心を持って人体解剖や観察を行ったわけにも納得する。
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藤原さんの国語教育重視の考え方に賛同しているワタシ。今回は久しぶりにその流れの一冊を。
藤原さんの小学校の恩師(!)である安野さんとの対談形式で進むこの本のいいところは、「今の若いもんは…」的な嘆き調になっていないこと。だから、読んでいて反発を覚えるどころか、やっぱり日本人としては日本語を誇り、日本語、しかも文語を読まなきゃ、という気にさせてくれる。
内田樹さんも指摘している通り、母語のほかに英語をマスターしないと職につけないなどという状況もなく、日本語さえ使えれば何とかなってしまう。この環境に感謝しつつ、文語にも目を向けることにしよう。 -
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表紙が素敵すぎる。
安野さんの絵本、特に「はじめてであうすうがくの絵本」は息子のお気に入りだった。彼にとって、計算とか公式からではない部分から「数学」という分野に近づけたことは、とても幸福な出来事だったのではないだろうか。
その作者のエッセイなので、今回とても興味深く読むことができた。
「子ども」について、「自分で考える」ということについて、なるほど、こういう思考の方からできた絵本は、そりゃ面白いだろうと思えた。
「勉強」がインポータント(大切)なことではなく、インターレスト(おもしろい)ことなんだ、と言えるような環境で子ども達が育ってほしいな、と思った。 -
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ドラマ『大草原の小さな家』の原作を安野光雅が翻訳したもの。もともとは絵で多くを語ることを前提とした対訳本にしたかったのだそうで、絵本並みに挿絵が充実しており、2歳の娘も「いっしょによむ」と寄ってきたのには驚いた。
私はドラマも見たことがなく他の翻訳本も読んだことがないので、初ローラでしたが、季節の移り変わりのなか、厳しく・美しく・災厄も恵みももたらす自然に囲まれて暮らすローラたちの生活ぶりが丁寧に描かれ、興味深かったです。人間も自然の一部だということを私たちはつい忘れがちだけど、忘れようのない、それを大前提とした暮らし。
『北の国から』とか『アボンリーへの道』とか、知っているドラマをイメージしつつ、こっちがそれらの原点なのだろうなあと思いながら読みました。
反面、登場人物のキャラクターや心理描写はわりと淡白に感じましたが、この本に関するインタビュー記事で、訳者の安野さん自身この作品の好きなところとして生活の描写のことを挙げていたので、狙い通りというか、安野版としてはそれでよいのだろう。原作に触れる楽しみがまだあるというところか。
(安野ファンとしては、どれが遺作になるかとハラハラ…) -
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ネタバレ訳と絵が素晴らしく合っていてかわいい。これは古書店で探します。
小さい頃に、この絵本があったのですが、その記憶がよみがえってきて、大変懐かしかったです。あ、自分の中の何割かは、あの絵本が閉めていたんだな、と。
雪で冷ます蜜のキャンディ。燻製造り。とうもろこしの人形。もこもこのソリでやってくるいとこ。あの家の間取り図。
ダンスパーティーの準備や町への買い出しの様子が、当時のおしゃれの雰囲気が味わえて良いです。
あとやはり、日々を暮らす生活力に・・・、頭が下がります。
しかしこの家系図・・・お父さんとお母さんのきょうだい、他に結婚相手はおらなんだか。いとこ同士絶対に結婚しちゃいけないパターンじゃあないですかね。
同じく絵本を読んでいたはずのきょうだいにこれを見せたら、まさか覚えてるわけないじゃーんw・・・はっ!、てな感じで思いだしていて、見ていて面白かったです。 -
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私の好きなアラナイ、改め、アラ卒(※アラウンド・卒寿)著名人のひとり、絵本作家安野光雅さんの最新エッセイ。
安野さんの文章は、自由で、いい加減。
軽やかで興味を引く語りから始まって、「そういえば」などと言って一見無関係な話題に飛んだりして、このあたりまでが枕かな?ここからどしっと本題に入るのだな、とワクワクしてきたあたりで、言いたいことは終わったのではい終わりです、というような(笑)。
○○であらねばならない、という気張りが微塵も感じられない、おおらかさが魅力です。
そしてたまにぶちこんでくる冗談がまた、かわいい。冗談そのものが格別におもしろいというわけではないのですが、ちょっと笑わせちゃお♪と、砂糖ひとつまみ入れるようなサービス精神がお茶目でかわいらしく、いたずら好きの少年の仕事につい目を細めてしまうような感覚で、笑ってしまうのです。
「破天荒」とも「おしゃれ」ともちがう、この可愛い自由さが私は好きです。
そんな安野エッセイファンの私は、何を読んでもそれなりに安野萌えできるので楽しいのですが、何でも人に薦められるかというと、あまりにナンセンスだったり、話題が偏りすぎていたりするものもあり、難しい。
そんな中この本は、
・主題(「安野さんの好きな画家」)の明確さ
・実際にいろいろな絵が掲載されているというお得感
・最新作(2016年5月刊行)であるという今性
という点で、いま読んでみたい人には堂々とお薦めできる作品です。
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前述の通り、安野さんの特に好きな画家(のなかの「ホンノ一部」)が、その作品と共に紹介されている本。その内容は、画家の生涯に触れていたり、作品解説だったり、生地を訪れたときの挿話だったりといろいろで、「安野節を楽しみたい」というのが本音であるような私にとっては、「そのうえ解説付きで絵画鑑賞までできて最高」とでもいったところ。
以下は、特に心に残ったことの備忘メモ。
・小村雪岱(1887-1940)
『青柳』など。新聞連載小説の挿絵や舞台美術、映画の衣装やセットの考案も手掛けた。というより終生挿絵画家だった。しかし美術に上下の区別無し、展覧会をするような画家だけが画家ではない。我が我がでないこういう佇まい、態度を好ましく思う。
・ピーテル・ブリューゲル(1525?ー69)
画面全体のそこかしこに焦点があり、物語がある。こういうふうに楽しむのか、と目から鱗。
・ノーマン・ロックウェル(1894ー1978)
『サタデー・イブニング・ポスト』の表紙を長く描いていた。登場人物ひとりひとりの心の動きをすべて説明しようとしているが、「このように巧みにかき分けた例を他に知らない」。謎解きのように鑑賞する楽しさ。
・東藤吉(1908ー2007)
山で木こりをしていたが、79歳の時老人ホームに入り、趣味の絵を描きはじめた。
・花森安治(1911ー78)
著書『一銭五厘の旗』が面白そうだったのでメモ。 -
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生きているだけで人間は幸せだ、という傲慢さは筆者にはない。筆者は悪人である。人間の善意や純情は信じていない。悪人が持つグラマーというべき法則を信じている。良心も、その人の総合的な体験からできるものだ、と考えている。そうであれば、無垢に人間の幸せを願う宗教にも懐疑的になるのだ。
氏の根本には、戦争を生き延びたという体験がある。生きているだけでまるもうけなのだ。しかし、それですべてのことがなんでもいいどうでもいいという発想にはならない。人間存在は地球の大きな生命の流れの中の一部でしかないという認識がある。
つまるところ、謙虚なのだ。悪人を礼賛しつつも、それは他人との協働生活の中でお互いの利害を尊重するという思考であるし、その背景には人間は多様な生命のごく一部という考えがある。私、他人という二項対立的なスタンスから、生命全体というスケールで物事を見ている。近代合理主義的な思考から離れ、筆者のような思考を持てば、煩雑な人生の問題にも違う見方ができるのではないだろうか。 -
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安野光雅の新書、しかもカラー版。手に取ってみて、すぐに購入に至った。ところがしばらく、積ん読になっていた。本棚にあるときは、読んでほしいという気持ちが、背表紙を通して伝わってきていた。こちらも期待感が募った。
果たして、読んでみて、どうだったのか。絵とは、創造性のなせるものである。遠近法を使った対象物の写し取りの実験が示されている。反証である。絵は、画家が感じたことが投影される。写真には、その余地が無い。自画像の実験でも、同じことが言える。人物像とは、瞬間、瞬間の記憶の総合が描いている。このため、光の明暗などにこだわり過ぎる必要は無い。
創造性の最たる例として、著者はゴッホを挙げる。荒れ模様の空を舞う烏と麦畑、では、麦畑に触発された画家の情熱が、荒々しいタッチという筆跡として残された。表現されているのは、ゴッホの心象なのである。
かくいう私の感想もまた、おおげさに言えば、私の創造が込められている。単なる著作内容の抜粋ではなく、私というフィルターを通して、語られている。それでいいのだと、感じさせてくれるメッセージが本著にはちりばめられていた。 -
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即興詩人のストーリーに沿って、画家本人が旅をしながら、イタリアの名所をスケッチした本。
即興詩人が読みたかったわけではなく、安野さんの絵が見たかったので買った。
物語のあらすじとともに、森鴎外の訳を引用しているので、なんとなくではあるけれど即興詩人がどんなストーリーなのかはわかる。でも画家本人は、これを読んだからと言って即興詩人を読んだ気になって欲しくない、と断っている。あくまで紀行画文集として楽しむ本だ。
画集としてはとても良い。安いし。即興詩人のストーリーを知らなくても、描かれている場所は有名なところがほとんどなので、絵だけ眺めていても楽しい。なんで表紙に中の絵を使わないのかが不思議だ。
美しいという鴎外訳の即興詩人を読んでみたくなったけど、引用されているような文章が延々と500ページ近くも続くのかと思うと読み通せる自信がない。
主人公のアントニオが初めてつくった即興詩を参考までに引用すると、こんな感じ。
「詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘(ギリシャ)の緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典(アテネ)は荒草断碑の中にあり。ここに野生の無花果樹の摧け残りたる石柱を掩へるあり」
美しい。でも、あきらめる。