あらすじ
たとえば、天使がラッパを吹きながら空を舞う名画は、技術の蓄積だけでは描けなかった。目には見えないその姿を描く画家は、人体のデッサンに習熟し、想像力に助けられて、絵画という世界を構築していったのだろう。この本ではクールベやゴッホなどのたくらみや情熱の跡を辿り、美の宇宙の源泉へ旅してみたい。描く技術、鑑賞する感性を会得するには、近道も終着点もないが、創造の歴史には「絵の真実」が現われてくる。
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1056円
安野光雅『カラー版 絵の教室』(中公新書1827)の目次です。全7章、224ページ。
1. 空想の宿題
2. 絵と真実
3. 遠近法の実験
4. よく見て描く
5. 自画像の実験
6. ゴッホの存在
7. イマジネーションと子どもの時代
安野 光雅
(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日[1])は、日本の画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。東京都小金井市在住。文化功労者。40年以上にわたって描かれた代表作の1つ『旅の絵本』シリーズ全10冊のうち9冊までの累計発行部数は、152万部を記録している(2022年1月末時点[2][3])。子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く[要出典]。主な著書に、『ふしぎなえ』、『繪本平家物語』、『天動説の絵本』、『空想の絵本』、『ABCの本』、『旅の絵本』、『算私語録』、『空想工房』、『空想書房』、『わが友 石頭計算機』(『石頭コンピュータ』としてリメイクされている)など。アンデルセンの原作を森鷗外が翻訳した『即興詩人』の熱心なファンで、舞台となったイタリアの紀行文『繪本即興詩人』を発表している。
「ギュスターヴ・クールベ(一八一九─七七)は、フランスとスイスとの国境に近いオルナンという村の裕福な家に生まれ、画塾に学びましたが、ほとんど独学と言ってもよいくらいで、パリに出て行ったのは二一歳のときでした。現実にありえないものは描かないという信念を貫き、写実主義のさきがけとして知られる画家で、「天使は見たことがないから描かない」というのは彼の有名な言葉です。それまでの宗教画や歴史画に対して、新しい写実主義を象徴するような言葉になりました。写実といっても、写真のように描く、というのではなく、画面を構成しながら、そこに寓意をこめたり、時間的経過を劇的に織り込むといった、それまでの絵画のあり方を踏襲したものではありました。つまり、描かれたものはそれぞれ写実的だけれど、それらが画面でなくては同居することはなかったという意味で、それまでの絵画の思想を満足させるものでした。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「ひろしま美術館には、『雪の中の鹿の戦い』(一八六八頃)というクールベの作品が収蔵されています。これはメス鹿の見ている前で、二匹のオスの鹿が、雪を蹴散らし戦っています。 さきに「写真のように」ということを書きました。これは別に写生したわけではないのですが、事実として見ようと思えば見ることのできる光景です。説明するまでもないことですが、一匹のメス鹿を二匹のオス鹿が争っていることの、一つの暗喩をこの絵から読み取ることができる絵です。 もっとも、これはほんの序の口で、クールベはもっと時代を画するほどの仕事をした人です。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「 クールベは部屋の中で外の風景を描いています。風景を描くなら外へ描きに行けばいいじゃないかということになりそうです。それは、外光派、つまり外の光の下で直接描くという、今ではいかにも当たり前の流派(ゴッホなど、 6章からを参照してください)がのちに現われたことを知っているわたしたちが考えることかもしれません。 また、外光派の一時期が過ぎた今となっては、「部屋の中で外の風景を描いてもいいのではないか」と思わせられる点でも、これは一つのおもしろい示唆をはらんでいると思います。 この作品は今でこそ評価の高いものですが、一八五五年の万国博覧会に出品され、審査員の眼鏡にかなわず落選したのだといいますから絵描きも楽ではありません(クールベの他の作品は入選しました)。これを怒ったクールベは自分だけの作品を並べた「リアリズム館」という名の会場を設営したということです。そんなことがあって、クールベの写実主義は時代を画すことになります。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「生粋のパリ育ちであったマネは、市民の日常生活をテーマに多くの絵を描いています。マネは、当時クールベと並んで最先端にあった人ですが、マネのほうはすでにサロンに入選していましたし、声望も高く、将来を嘱望されていた人の一人です。トーマ・クーチュールという肖像画や歴史画で知られた画家に学び、二九歳のとき『ギター弾き』(『スペインの歌手』ともある)という作品で好評を受けます。だから彼もサロンの中にいて、おとなしく絵を描いていれば出世は間違いないのですが、いわゆる画壇の伝統的な評価にこだわらず、自己主張を持った作品でなければ飽き足りなくて、もっと過激な実験的な作品を世に問いたいというファイトがあったと見えます。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「マネはこの落選に怒り、若い画家たちもこぞって審査の不当に抗議をはじめたため、時の皇帝ナポレオン三世の提案で「産業博覧会の会場とは別に会場をもうけて展示し、大方の批評にまかせてはどうか」ということになり、世に言う「落選展」が開かれました。 そのときの世間の評判もやはり、「ああいう内容の絵は感心しない」ということだったらしいのです。それから約六〇年の後、パリではおしり丸出しのフレンチカンカンが一世を風靡するようになることを誰が予見したでしょう。 マネは亡くなる前の年にレジオン・ドヌール勲章を受けたのでしたが、今から思えば遅すぎた受章ではありました。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「わたしたちは、ものごとを、写真のように見ているのではなく、絵のように(主観的に、かなり自分の都合のいいように)見ているのだった。そして絵はそれでもよかった。むしろ、そのほうがよかった。 ということになりますが、いかにも悟ったようなこの考えかたは、実は写真がわたしたちに教えてくれた、あるいは、気づかせてくれた考えかただったのです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「おもしろいことに写真を発明したダゲールは、はじめ絵のように、静物画を撮っていたのです。証拠写真とか、写真測量とか報道写真といった考え方は急には生まれませんでした。写真的な技術を待望していたのは画家だったのに、いざできてみると、これは強敵でした。写真は神を冒すものだという話になったりしました。写実の権威だったアングルもその反対者だったといいますが、彼の『泉』は写真を参考にしたものだそうです。 写真の出現に一時は大あわてだった画家たちでしたが、セザンヌ、ルソー、ピカソ、ドガ、ロートレックなどは写真を利用したことがあると言われています。とくにユトリロなどは公然と写真を参考にして描いています。「なーんだそうだったのか、それなら簡単だ」とは思いませんか? ところが、そうではありません。写真を使ってもそう簡単には描けないのです。写真のようにはなっても、絵にはならないのです。最近ではアメリカのノーマン・ロックウェルの仕事があります。これはありあわせの写真を使うのではなくて、まるで映画を撮るように写真を準備してとりかかっているのですから、かえって大変です。「スーパーリアリズム」という用語を聞いた方もあると思います。これは写真で撮るほかはない決定的瞬間を、写真よりも迫力のある絵として試みた仕事でした。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「ちょっとラブレターの話をします。ラブレターには間違い字があったほうがむしろいいと言う人がいます。ものすごく上手な字で水茎麗しく、間違い字も何もない、一分の隙もないお手本のような字で書かれるよりは、むしろ間違い字があったほうがその人らしい─そういう余裕があったほうがいいということをよく言います。 ワープロで書いたラブレターというのは考えられないのですが、この頃はどうなのでしょう。以前はワープロで書いたよりも手で書いた手紙のほうが、その人の気持ちが直接伝わってきたような気がします。 絵もやはりそれに似ています。写真のように描いたり、あるいは写真を見て描いたりするとダメだと思うのです。その人の個性がどこかへ行ってしまって、写真のように描かされてしまい、上手だけども何も伝わってこない、ということになりがちです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「そうは言っても、わたしは長いあいだ写実的な絵を描いて、悩んだ経験もあります。ようやく、好きなように描けばいいんだと悟り、外国の町や、人の見ているところでは「僕はもともと下手なんだ、頭も足りないんだ、絵が好きなだけなんだ」と、自分に言い聞かせます。そうして、世間の目の中で、まったく自由な世界を創って、その中で描くのです。その頃から描くことがより楽しくなりました。これは、いわば悟りでした。これは絵を描く方法論の中では最高に難しく、また実に楽なことでもあるのですが、わかってもらえるでしょうか。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「そのようにして見た結果を、画用紙の上に描きます。植物学の牧野富太郎は、細い筆で、和紙の上に驚くべき精密さで描きました(優れた画家の助手もいたそうです)。描かれたものは、絵というより、正確で説明的な意味を持っているので図と言ったほうがいいかもしれません。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「野の花 以前、『日本の椿』という書名の豪華本を作ることに関わったことがあります。紅白が斑入りに乱れた花を咲かせる、京都の法然院の椿なども見たことがありますが、銘木中の銘木で、それは実に豪華な花です。それにくらべて、椿の原種と言ってもいい大島椿は、鑑賞用というより油を採るためですし、山野の藪椿などはほとんど自生しているわけですが、豪華な改良種にくらべ、花は小さいし、葉は虫が食っているし、一見して野性的です。 一般に改良種の花と、野生の花をくらべると、野の花のほうが貧相な感じがしますが、絵に描いているうちに、断然野の花のほうが美しいと思うようになります。 これはなぜなのか、改良種と言っても自然の恵みによるもので、造花とは大きくちがいます。それでも野の花のほうが美しいと思えます。これがなぜなのか、いろいろなことが言えそうですが、言葉で説得されるより、自分で花を見て感じることのほうがいいと思います。 このたび、いろいろ描いてみた中で、花屋さんで買ったものはアネモネで栽培種です。木イチゴも買ったものですが、これは山道に自生しているものと同じです。木蓮もそうです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
Posted by ブクログ
カラー版 絵の教室
著:安野 光雅
中公新書 1827
絵をどうかけばいいのかという方法ではなく、感性豊かな画家が、自分の心情、考え方を述べたものであると理解しました。
絵を書かないものが、「絵の教室」だなんて変だとはおもいますが、カラーの挿絵がたくさんあり、まさに、絵がわかりやすく語ってくれる本となっています。
気になったのは、以下です
■はじめに
・絵描きにならなくても、絵が好きと言う人はたくさんいます。そういう人は音楽について話したり、絵について感じたことを述べるとき、自分の言葉で話します。文学作品について好き嫌いや、あるいはもっとつっこんだ話をする人もおなじです
・そういえば、野球でも、競馬でも、それらを好きな人は自分の考えをもっています。この「自分の考え」というところが大切、間違ったり論理的に矛盾がある感じ方でも、受け売りでなかったらいいかなと思います。
・写実的な絵というのは、目に見えているものを描いた結果のことですが、よく考えて見ると目に見えないものを描いていることが少なくありません。むしろ見えていないものを描くことに絵の意味があるのではないか、と思います。
■絵と真実
・昔は、「写真みたい」というのが、ほめ言葉だと思われていました。たぶん今でもその傾向はあると思います。
・宗教絵画、戦勝記念の絵、歴史絵図などは、舞台そのもののように、説明図になっています。今でいうイラストレーションの立場で考えると、絵の意味を抜きにすることができなくなります。
・構図とは、絵の構成のことで、コンポジションなどと言っています。
・昔は、基礎としての構図の方法論のようなものがあって、ちょうど、作文の文法のように、それを、マスターしなければ描けないというような考え方があったのです。
・伝承は単なる模倣ではなく、創造性が必要で、自分の創意が歴史的な創意にはかなわない、自分の創造性もつまるところ伝統が育んでくれたのだ、と謙虚に思うことも大切だという意味です。
■遠近法の実験
・同じ人物なら、遠くへ行くほど、小さく見える。鉄道の線路は遠くへ行っても同じ幅なのに、遠くは狭く見え、ついには、一点に収束して見えなくなります。この現象を、「遠近法」と呼びます
・遠近法という技術の問題というより、客観的なものの見方が問題なのだ。
・遠近法は、見えない世界を、さも見えているかのように描き表す手段になりました。
・わたしたちは、ものごとを、写真のようにみているのではなく、絵のように見ているのだった。そして絵はそれでもよかった。むしろ、そのほうがよかった。
・写真のように描いたり、あるいは写真を見て描いたりするとダメだと思うんです。その人の個性がどこかへいってしまって、写真のように描かされてしまい、上手だけど何も伝わってこない、と言うことになりがちです。
・美しいと感じる風景があるのはなぜでしょう。そうした感性を育ててくれた風景のことを、原風景といっています。
■よく見て描く
・生物学を学ぶ人たちは、花でも、昆虫でもそのように、解剖学的に花や虫を見ます。
・見ないでも描けるのは、仕組みがわかっているためです。
・描かれたものは、絵と言うより、正確で説明的な意味を持っているので図といったほうがいいかもしれません。
・「よく見ておく」ことをしなければ、蓄積することはできません。また、ただ見るだけでなく、絵に描けば記憶は、よりはっきりしたものとして、しまっておけることになります。
・よく対象を見て考えて描いたという下積みの経験があれば、一見デタラメなようであってもそれはデタラメではなくて、行ってみれば「デッサン力」というものになっていくでしょう。
■自画像の実験
・寺田寅彦に「自画像」という有名なエッセイがあります。
・子どもの頃、小学校の廊下に、「乃木大将」の肖像がかかっていました。白黒写真をもとに「写真みたい」に描いたものです。ところがこの絵はふしぎでした。それを見るわたしが右から見ても、左から見ても絵の顔はわたしを見据えているのです。
・寺田寅彦は描きかけの自画像を壁にかけていると、「絵の顔が思いがけもなくまたたきをするような気がした。これはおもしろいと思って見つめるとなんともない」などと書いています。
・山藤章二の場合で言うと、「花の中三トリオ」を描いた有名な作品があります。山口百恵と桜田淳子、森昌子の三人が中学生の時に売り出していたことがありますが、この人たちが年をとったらどうなるんだろうという50年たったのちの中三トリオを想定して描いているのです。
・「似ても似つかないものを描いて、しかし似ている」という離れ業みたいなことをやっている、これが似顔絵の真面目です。
■ゴッホの存在
著者はどうして、ゴッホだけを、ひとつの章で表現したかったのでしょうか。ちょっと気になりました。
・ゴッホたちがせっかく浮世絵がすばらしいと言ってくれるのに、反対に、たとえばレンブラントだとか、ブリューゲルなどに傾倒してしまう私たちからすれば、彼らの考え方を「美しい誤解だ」と思う必要はないかもしれませんが、「そうだとしても日本の浮世絵はすばらしい」と胸をはる気にはなれません。それは彼らの創造性が認識したのであり、わたしは彼らの目によって再認識したからです。また、わたしは、日本の浮世絵に反応するより前に、印象派の仕事に反応していたことも、やや後ろめたく思うのです。
・ゴッホに至るまでは、情熱だけで絵を描いたという時代はおそらくなかったのではないでしょうか。ゴッホが現れて、情熱だけで描いていきます。「お金になろうとなるまいと、売れようと売れまいと、とにかく絵を描く絵を描きさえすればそれでいい。もしかして、売れずに終わったかもしれないけれど、それで満足だ。絵さえ描いておれば満足だ」という彼の生き方が、私たちに何か強く訴えかけてくれます。
・売れない絵ばかりが繋がっているのを見ると、ある意味では哀れだし、ある意味では非常に感動的で、絵を描くわたしたちにとってはとても大きな存在のように見えてくるのです。
■イマジネーションと子どもの時代
・森鴎外も、なんだか自分を支配するものが頭にいて……、責任上、鴎外の著作をさんざん探して、「妄想」という作品の中にあったことがわかりました。
・この本の結論は、想像力・創造力がたいせつなのだという話になります。そしてそれは疑う力とセットになっています。創造性は想像すること、つまりイマジネーションからはじまりますから、一言でいうとやはり、イマジネーションという問題です。絵を描かない人でも、イメージする力は大切なことです。
目次
はじめに
1 空想の宿題
2 絵と真実
3 遠近法の実験
4 よく見て描く
5 自画像の実験
6 ゴッホの存在
7 イマジネーションと子どもの時代
あとがき
ISBN:9784121018274
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:224ページ
定価:980円(本体)
2005年12月20日初版
2007年06月10日7版
Posted by ブクログ
書店で『旅の絵本』を手に取ってみて、良い本だな~なんて見入ったものだけど、同作の著者による、絵についての新書。確か、『新書75冊』からのチョイスだったかな。最初はちょっとした絵のコツみたいなところから始まって、中盤以降、美術史からゴッホ史へ、みたいな流れ。絵は描く方にも興味があるから、ちょっとした線画でも描いてみたくなっちった。読み物としても楽しめる内容でした。
Posted by ブクログ
「想像力・創造力を人が身に付けてきたのは子供の頃の豊かな時代だ、その点をとれば大学生の時代よりも小学生の頃のほうが大切なのだ」という考えがとても好き。
Posted by ブクログ
安野光雅さんが絵について教えてくれている。絵の理論が分かっているとよりいっそう絵を見るのも楽しめるし、絵を描くってことを感覚じゃなしに理解できた気がする。
でも何より、安野さんの中で大きな存在というゴッホについての章が印象に残った。安野さんは、ゴッホは絵をいかなる時も描かねばならないという「赤い靴」を履いているように思える、と表現している。
Posted by ブクログ
だまし絵や、旅の絵本で有名な安野光雅さんの本。
新書版ですが、カラー図版も沢山あって、説明が
分かりやすくなっています。
難しい絵画論ではなく、素人の私達にもよく分かるように
楽しく書かれていて、絵筆を取りたくなる一冊。
絵描きから見た、絵画の歴史も画法を元に書かれていて、
今までの絵画本とは違う興味をそそられます。
何度でも見たい秀作です!
Posted by ブクログ
遠近法という策が技術からものの見方、認識の仕方と絵を描くということを関連付けながら、これらを画家の視線から浮き彫りにしてゆくところが非常に面白く感じた。画家の視点での絵の見方というものも少し垣間見られてなかなかよかったし、「赤い靴」にたとえて、ゴッホの生きざまをなぞらえるあたりもなかなかわかりよかった。この本の良いところは、映画や本なども紹介されていて、さらにもう少し先の学びに導いてくれるところ。
Posted by ブクログ
NHK人間講座「絵とイマジネーション」をもとに書かれたもの。写真、遠近法、実際の画家を映した映画、ゴッホの生き方というものなどを手掛かりにしたり、実際にスケッチしたり、自画像を描いたりしたりしながら、イマジネーション(想像力)というものを考えている。見たものを写真のように描くことや遠近法を厳密に守って描くこと、刻々と変化するものを一瞬として捉えるのと時間の流れの中で視点も移動しながら全体として描くのを比較したりなどと、いろいろな観点から考えているが、結局は描く人の内からの衝動(ミューズ!?)が大切だということなのだろう。絵画鑑賞の本ではなく、絵を描く人のためのものだね、やっぱり。
ゴッホについての章は力が入っている。著者が好きなんだろうな。ゴッホは赤い靴を履かされて「死ぬまで描き続けよ」という内面の叫びのままに一生描き続けた人なのだ。
Posted by ブクログ
基礎がないと応用はできない。そんな当たり前なことは意外に理解できていないことなのかも知れない。
例えば、ピカソの絵を見て「俺にもこんな絵描ける!」って思うことは1度はあるだろうが、実際彼のデッサンを見るとまぁ普通に上手いわけ。笑
このように基礎の上に応用、つまり創造性やイマジネーションが成り立つ。基礎もないのにそれらは成り立たない。
この本で著者は、基礎である技術を磨くことに拘泥するあまり、創造性を放棄することを危惧している。(どちらも必要だということ)
一般的に本物のように描く写実的な絵が「上手い絵」とされるが、本当にそうなのか?
遠近法を用いた絵は現実に近いから「上手い絵」なのか?
そうではなく、自分の感性に従って描くべきで、本書では「直感的に絵は進んでいきます。よく考えてみると、誰の命令でもなく、知らず知らずのうちに進行して、絵になっていくのです。」と述べており、″ミューズのしわざ″と表現している。
絵は創造性を発揮できる行為そのものであり、それによって豊かな感受性を獲得し、豊かな世界を生きることに繋がるんじゃないかなぁ。
幼少期の豊かな感受性を取り戻さないとね。
【メモ】
David Hockneyの『絵画の歴史』と内容的に被る箇所があって復習になった。特に、ドゥーラーの遠近法の説明が詳しくなされていて、本書で補足できる。
「写実」と「事実」の違いは今まで盲点だった。
描こうとすると、モノの仕組みを考えようとする。これを考えると、レオナルドが狂気的な好奇心を持って人体解剖や観察を行ったわけにも納得する。
Posted by ブクログ
安野光雅の新書、しかもカラー版。手に取ってみて、すぐに購入に至った。ところがしばらく、積ん読になっていた。本棚にあるときは、読んでほしいという気持ちが、背表紙を通して伝わってきていた。こちらも期待感が募った。
果たして、読んでみて、どうだったのか。絵とは、創造性のなせるものである。遠近法を使った対象物の写し取りの実験が示されている。反証である。絵は、画家が感じたことが投影される。写真には、その余地が無い。自画像の実験でも、同じことが言える。人物像とは、瞬間、瞬間の記憶の総合が描いている。このため、光の明暗などにこだわり過ぎる必要は無い。
創造性の最たる例として、著者はゴッホを挙げる。荒れ模様の空を舞う烏と麦畑、では、麦畑に触発された画家の情熱が、荒々しいタッチという筆跡として残された。表現されているのは、ゴッホの心象なのである。
かくいう私の感想もまた、おおげさに言えば、私の創造が込められている。単なる著作内容の抜粋ではなく、私というフィルターを通して、語られている。それでいいのだと、感じさせてくれるメッセージが本著にはちりばめられていた。
Posted by ブクログ
渡邊十絲子さんおススメの一冊。
絵と写真とは何がどう違うのか、この本を読んでよくわかりました。
また、ふだんよく目にしているものも、「じゃあ絵で描いてみましょう」と言われると、少しもその細部が浮かんでこない、つまりはそのくらいにしかきちんとものを見ていないということも、よくわかりました。
ものをよく見ないということは、物事もよく見ていないということでありましょう。
反省しないといけません。
Posted by ブクログ
著者の語り口の感じでなのか、絵を描くのに、そんなに肩肘張らなくていいのかなと思える本だった。
絵を描くのに苦しんでいる人が読んだら、少し楽な気分になれるんじゃないかと。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
たとえば、天使がラッパを吹きながら空を舞う名画は、技術の蓄積だけでは描けなかった。
目には見えないその姿を描く画家は、人体のデッサンに習熟し、想像力に助けられて、絵画という世界を構築していったのだろう。
この本ではクールベやゴッホなどのたくらみや情熱の跡を辿り、美の宇宙の源泉へ旅してみたい。
描く技術、鑑賞する感性を会得するには、近道も終着点もないが、創造の歴史には「絵の真実」が現われてくる。
[ 目次 ]
1 空想の宿題
2 絵と真実
3 遠近法の実験
4 よく見て描く
5 自画像の実験
6 ゴッホの存在
7 イマジネーションと子どもの時代
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
中世から現代までの絵画についての本です。近代絵画は宗教画から始まり、想像で書かれていたが、次第に写実的になり、自分の内面を表現しやすい抽象画が登場しといった具合に話が進んでいく。
時代背景が豊富に記述されているので、美術館などに行く前に見る違った目線で見られる。
Posted by ブクログ
んー。ほんとうに初めて絵を勉強したい、という人には最適なのかもしれないが。まぁ私も最初の演習実践中だけど。
多少学んだ人からすると物足りない。
自然界と想像力が彼のキーワードみたい。