北森鴻のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
目次
・ラストマティーニ
・プレジール
・背表紙の友
・終幕の風景
・香菜里屋を知っていますか
・双獣記
前回読んだときは単行本だったけれど、今回は文庫本。
未完の「双獣記」も収録されているので、ちょっとお得感。
さて、香菜里屋シリーズの最終巻から読んだため、登場人物たちの人間関係がよく分からなくて、そして急激な最後の展開についていけなくて、シリーズを最初から読みなおした。
そして再びの最終巻。
やっぱり最後の展開は唐突過ぎると思うの。
工藤が待っていたという香菜からの連絡。
それを匂わせるような描写がないかと最初から読んでいたけれど、今作になって初めて明かされた工藤の過去がすべてだった。
他のシリーズの主人公である宇佐見陶子や蓮杖那智が出てくるのも、単なる作者のお遊びではなくて、作家として自作を畳んでケリをつけたのかな、と思えてくる。
それは作者の早すぎる死と関係があるのかないのかはわからないけれど。
今までいろいろと食べ物屋を舞台にした小説を読んできましたが、工藤の料理が一番美味しそうに感じられる。
手のこんだものもあるけれど、大抵は丁寧に作られてはいるけれどそれほど凝ってはいない。
それが素材の良さと、工藤の腕で絶品料理になる。
もっと彼の料理と謎解きを味わいたかったなあ。
それから「双獣記」。
なんと大好きな飛鳥時代が舞台です。
神秘の力を持つ厩戸皇子対異形の飲んだくれ蘇我蝦夷の戦いになるのでしょうか。
ええ、もちろん蝦夷が善です。
仏教の持つ力を使って権力を手中に収め、何ならこの世をぶっ潰そうとするのが厩戸皇子。
とりあえず彼の人外の手下は、威怒(いぬ)、佐流(さる)、吉路(きじ)。
え?厩戸皇子は桃太郎なんか?
蝦夷は厩戸皇子や蘇我馬子に追いやられ住む場所のなくなった者たちに居場所を与える。
それが吉備。(今の岡山県)
そこが襲われ、信頼していた手の者が鬼になったと聞き、吉備へ急ぐ蝦夷。
ってところまでで終わってしまった。
歴史を見れば、蝦夷は負けです。
それをどうやって世界の破滅を防がせるのか。
そして多分主人公になるはずだったかもしれない鞍作那由他(くらつくりのなゆた)。
まだ少年で、鞍作止利(くらつくりのとり)の弟子でしかないので、今後どう化ける予定だったのか。
ああ、本当に読みたかったなあ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ目次
・蛍坂
・猫に恩返し
・雪待人
・双貌
・孤拳
《香菜里屋》に集まる人は、皆それぞれに鬱屈を抱えながら、マスターの工藤に心をほぐしてもらって前に進む。
取り返しのつかない選択でさえ、工藤に話を聞いてもらって、美味しい料理とビールがあれば、なんとか前に進んでいける。
苦い後味の話もあるけれど、時系列と人称が複雑な割に最後に明るく終わる『双貌』が面白かったかな。
だけど『孤拳』が白眉。
5歳しか年の違わない叔父と姪。
幼なじみの恋人同士のような二人の日々。
見ようとしなかっただけで、最初から終わりが来ることはわかっていた。
だから互いに口にせず、大切にしてきた想い。
それは『孤拳』という、誰も聞いたことのない幻の焼酎、二人だけの秘密の味。
「前に進みなさい。でも忘れないで。」
あまりにも切ないメッセージに涙が。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ目次
・花の下にて春死なむ
・家族写真
・終の棲み家
・殺人者の赤い手
・七皿は多すぎる
・魚の交わり
以前、シリーズの最終巻を読んでしまったので、最初から通読することに。
連作短編のミステリなので、短編一作を読んでも話は分かるが、店の常連やマスターとの会話でゆるく話が繋がってもいるので、やはりこれは順に読むべき作品と思った。
舞台は、今でこそ珍しくはないビアバーの香菜里屋。
それぞれアルコール度数の違う4種のビールを置き、客の様子を見ながら絶品の料理を提供してくれる。
そして、客の持ち込むちょっとした謎をマスターの工藤が解き明かしてくれる、というもの。
アシモフの『黒後家蜘蛛の会』を彷彿させるつくり。
殺人事件がないわけでもないが、それは直接かかわるものではないので、毒はそれほど強くない。
ただ、工藤のような人が身近にいたら、ちょっとしんどいかなあ。
全てを見透かされそうで。
いや、工藤の方がしんどいんだろうなあ。
面に出さないだけで。
年のせいか『花の下にて春死なむ』と『終の棲み家』が、ことによかった。
ひとり、寒いアパートで震えながら死んでいくというのは嫌だけど、その枕元に季節外れに咲く桜があってよかったと思った。
若者の生真面目な正義感から起こした行動が、一生ふるさとに帰ることのできない放浪生活を彼に強いたのだとしても、思った未来とは違う人生になってしまったけれども、決して不幸ばかりの人生ではなかったのだと思いたい。
謎のすべてを明らかにするわけではないからこそ残る余韻。
それは工藤の、作者の優しさなのだと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ注! かなり内容に触れています
偶然が重なることで「こと」が動き出して事件が起きる、すごく好みの話。
それって、つまり『獄門島』だし、『犬神家の一族』で、すごく横溝正史的(オドロオドロシイ怪奇趣味という意味ではない)なのだ。
その偶然(すでにあった偶然の重なり)も、ある人物がそれをしなければ、「こと」は動き出さない。
しかし、ある人物がそれをするきっかけも、すでにあった偶然との出逢いがきっかけだったりする。
といっても、決して偶然が重なっただけのご都合主義で進むストーリではない。
元々そこに別個にあった偶然に、ある人物がそれが引き金になることで、偶然ではないはずの人物が自ら大事にしているものを守ろうと、起きなくてもいいはずだった悲劇を起こしてしまうという、人の哀しさを描いたミステリー小説で、そういう意味でも横溝正史的だと思う。
(といっても、この著者の性格なのか、哀しさは意識して強調していないように思える)
ただ、この小説。話の軸、みたいなものがないんだよなーw
それがないから、読んでいて自分がこの話に噛み合ってこない。
主人公は、間違いなく真夜子(変な名前w)なのだ。ストーリーも、まあ真夜子を中心に進む。
なのに、話の軸に真夜子がいるかというと、微妙に違う。そう思って読んでいたら、はぐらかされる感じがある。
もちろん、真夜子は、主人公として読ませることで内容をこんがらがらせる、いわゆる狂言回し的な役割もあるんだろう。
でも、狂言回しなら狂言回しで、ずっとストーリーを転がらせる役割があると思うのだ。
その役割が、途中でいったん途切れてしまう感じがすると言ったらいいのか?
それとも、読者が真夜子を主人公だとした思い入れみたいなものを、はぐらかせてしまうところがあると言ったらいいのか?
だから、ストーリーに入り込めないんだと思う。
でも、それはストーリーを通す軸がないからで。
読んでいて、ストーリーの歯車に読者の歯車が巧くかみ合わないから、ストーリーを辿りにくい。
だから、すごく混み入った話のように感じてしまうんだと思う。
ゆえに、最後の真夜子の比喩的で言ったこと(というか、それは何度も出てくるのだが)を、「裏にある真相」のように勘違いしてしまう。
そのせいで、合理的な解決じゃないとイヤな人は、この小説をツマラナイと結論付けてしまう。
そういうことなんじゃないだろうか?
最後の方で、そもそもの根本にある樹来たか子の死、その3つの説を登場人物の一人が整理して言うシーンがある。
でも、その3つの説は、それぞれに関わる人の思惑や思い込み、あるいは間違いがあって。
それらに、現在、この小説の舞台である遠誉野に住む偶然のピースと、本来は関係ないのに偶然に巻き込まれた人たちの、それぞれに思惑や思い込み、間違いによる行動が関わる。
そこに、著者によって読者から遠ざけられていた、もう一つの偶然のピースによる思いが絡んでいた。
この話の構造って、実はそれだけだ。
(もちろん、枝葉は他にもあるがw)
なのに、裏表紙のあらすじ紹介に、“夭逝した童謡詩人・樹来たか子の「秋の聲」に書かれた〈しゃぼろん、しゃぼろん〉という不思議な擬音の正体は?”なんて書くから、読者はその軸で読み進めちゃって。
その結果、この話が、〈しゃぼろん、しゃぼろん〉の謎を追う話じゃないから、こんがらがるんじゃん!(^^;
それはそうだろう。だって、その〈しゃぼろん、しゃぼろん〉なんて、話の筋にはほとんど関係ないんだもんw
ぶっちゃけちゃえば、“不思議な擬音の正体”は水琴窟の音だって、途中でさらっと明かされる。
いや、それ、ネタバレするなよー!と思う人もいるかもしれないが大丈夫。それ、そもそもの事件の真相に“直接的にはつながってない”から(^^ゞ
ていうか、この話って。
その〈しゃぼろん、しゃぼろん〉が何の音なのか?と真夜子が探っていく、ということを軸にして書いた方がシンプルでよかったんじゃないかって気がするけどなー。
偶然の重なりによって起きてしまう悲劇という展開は、それでも十分表現できたはずだし。
読者は、真夜子に思い入れして読むことで、より物語に没入出来たように思う(そうすれば、最後の真夜子の比喩的表現が裏の真相だというファンタジー的勘違いにならないと思う)。
なのに、州内一馬の視点や、謎のハガキ「2-1=3」なんて入れちゃうから、話が取っ散らかっちゃうんじゃないだろうか。
特に、州内一馬の視点はなかった方がよかったように思う。
入れるなら、樹来静弥のモノローグのパート以外に、本来のその人物としてのモノローグで表して。
その人物の過去の思いも含めて表した方が、真相の印象がより強くなったように思う。
個人的には、そこがすごく惜しいなーって思うんだけど。ただ、著者の意図としては、どうだったんだろう?
やっぱり、当時、著者はデビュー間もない頃ということで、「すげぇーの書くぞー!」的な気負いや娑婆っ気みたいなものがあったってことなんじゃないのかなぁー(^^ゞ
ただ、個人的には、そこに著者に連城三紀彦っぽい気負い(ある意味過剰なw)を感じて。すごく好感を抱いた。
そんなわけで、他の本も読んでみたいんだけど、ただ、この著者って、シリーズものや連作短編が多いんだよなー。
自分はシリーズものじゃない長編が好きなので、そこがちょっと残念w