三辺律子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
散文詩形式で書かれた小説は初めて読みました。
主人公の心情が、まっすぐに心に刺さります。
暴力をふるう父親から逃げ、行き場を失った少女と、独りで暮らす認知症の老女。
こうした設定でありがちな心温まる交流ではなく、感動の結末が待っているわけではない。
もっとリアルに、混乱しながらも力強く人生は続いていく。
相手を利用することばかり考える若者と、厄介事を避けたがる大人たち。そんな世界で居場所を見つけるのは大変です。
嘘を重ねるうちに自分の存在感が薄れてしまうアリソン。相手に求められる姿を演じ続ける自分を透明人間と呼ぶ。
読者にも、事実と主観の境界があやふやになってきます。
マーラの記憶は安定しないけれど、確かに過ごしてきた人生があり、アリソンと過ごした時間は消えるわけではない。言葉にできるものが全てではないと感じられました。
「人はあなたが言ったことは忘れる。
でも、あなたに対して抱いた気持ちは決して忘れない
――カール・W・ビューナー」 -
Posted by ブクログ
古より慣習として残る「儀礼殺人」、今なおそれにより命を落とす子どもが多くいることを、私は知らなかった。
権力を得るために、呪術師や呪術医を頼る。困り事があると、医師よりも役所よりもまず相談に行くのは彼らの慣わしである。問題や事件は彼らに占いで解決してもらおうとする。そんな風に一見馬鹿げたような話がごく当たり前にされている地域があると思うと、なんとも言えない苦い気持ちが胸に広がる。
ノンフィクションではなくフィクションで書いた理由は読者が読みながら自分の考えを紡いでいく余地を残すためだと著者は言う。
正直なところ、フィクションだとはいえ、実際に起こっていることだと思うと、創作された物語としては読めない。
この物語では、アマントルというたまたまその地域に派遣された外部の人間がその慣習に口を挟む形になっている。けれど、彼らはそんなことでは全くびくともしない。それは心の底から何も悪いことをしていないと思っているからなのか、それとも悪いと思っていても行うことが当たり前で仕方がないことだからなのか。
こういった出来事とは無縁の読者に対しては、それを信じるものたちが固く戸を閉ざしているようにも見える。我々は黙って見ているしかないのだろうか。
実際に起こる事件をフィクションとして書き、その問題点の本質を浮き彫りにしている手腕はすごいと思う。
すごいと思うだけに、もどかしさの残る読後感となってしまった。 -
Posted by ブクログ
13、14世紀に実在したとも言われる森に住む盗賊達のエピソード。森に差し掛かった人たちから半ば奪い取るように貰いつつも鹿肉やエールでもてなし、芸や武勇伝を聞かせて楽しませることで例え悪役でも愉快な時間を過ごす。
弓使いの名手にして人望のあるロビンが仲間を従えて法に縛られない自然に満ちた生活を送る様は痛快であり、憧れる。読んでいる際ロビンと恋人のエピソードがないのは不思議ですが、そこはやや納得は出来ないものの解説にて触れられていますね。
終盤のフィンズベリーで弓使いの大会に出場したあたりからのエピソードが特に好きです。
シャーウッドの森にはロビンフッドゆかりの観光地があるとのことで、いつか訪れたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ父から虐待されて育ち、生きる場所が見つけられないアリソン。友を失い、娘を亡くし、認知症が進行して不安に怯えている老女マーラ。
詩の形式で物語を綴るのはこの頃の英米文学の流行のようだけど、(単なる流行りではなく、スマホ、ネットに時間を割き、長い文章を読まなくなっている現代人に読んでほしいと工夫した結果ではないかと思う)この形式だからこそ、胸に直接響いてくる。
アリソンがいかに父の愛情を欲していたか。父親は支配的でありながら、精神面では大人とは言えないほど未熟。
マーラの心は何かをきっかけに今までの人生の哀しかったこと、嬉しかったことが現れ、それを隠したり押さえたりするのが認知症のために難しくなっている。派遣されてきている介護者はマーラは頭がおかしくなったと考え、彼女の言葉を真剣に考えない。全てハイハイ、という態度。息子は母の認知症が進行してまともな会話が成り立たないことに怒りを感じている。それら全てをマーラは感じ取っている。
なんともやるせない話ではあるが、後味はよく、何よりアリソンの成長と幸せが見えてくるのが良い。 -
Posted by ブクログ
ボツワナでの儀礼殺人事件を下敷きにしたアフリカ発のサスペンス。著者のユニティ・ダウは現職のボツワナ国務大臣である。
『テスカトリポカ』もそうだったが、陰惨な殺人を扱った小説は言葉で感想を述べるのが難しい。主人公であるアマントルが権力に果敢に挑み、事件の内容を掘り起こしていく様は痛快なように見える。しかし、ラストの衝撃を考えると彼女は単なる狂言回しであるようにすら感じる。
権力の腐敗やジェンダー格差は勿論問題であろう。だが、根本にあるのはボツワナ人が持つ呪術への信頼と恐怖である。ボツワナ人は何かあると「呪術医」を頼り、実際に他者を呪おうとしたり、あるいは呪いに対抗したりしようとする。
彼らを非科学的だと、非合理的だと笑うことはできるだろうか。我々が神社に詣でる心、勝負の前に験を担ぐ心と、彼らが呪術に頼る心は同一線上にある。ダウもまた、呪術信仰については決して否定しない。彼女自身、伝統と近代のコンフリクトに対し結論を自分のなかで出せていないのだろう。そこにある歯切れの悪さが却って人間臭い。