為末大のレビュー一覧
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自分で考え、自分の考えを信じ、繰り返し実践する。
これを尋常でない錬度で、深く強く行っている。
見習いたい。
以下抜粋。(簡略抜粋もあり)
「欧米、アフリカ人はおおむね骨盤が正面向き。日本人の骨盤はやや上向き。そのため日本人が欧米人と同じ方法で走ると、前へ進む力が斜め上へ逃げてしまいがち。」(P.26)
→そこで「イメージとしては、滑りやすい学校の廊下を滑らないように走る、あの感じ。ある意味は、能の舞で見られる、あの摺り足のイメージです。」(P.27)
『何万回、何十万回と着地する中で、地面に着いた足の上に骨盤が乗り込み、股関節のあたりに地面を踏んだ感触が直接に伝わってきて、体 -
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ネタバレ「学習においてなぜ身体性がなぜ大切なのか」という問いのヒントになるかと思い本書を手に取った。読み終えて振り返ると、答えは大きく2つに整理できると思われる。
ひとつは記号接地。抽象的な概念を生活や経験と結びつけ、実感を伴って理解することで、初めてその概念を自由に操作できるようになるという視点である。
もうひとつは熟達のあり方。熟達とは多様な状況にほぼ無意識に対応できる力であり、熟達するためには、言語的な学びだけでなく、身体化していく必要があるからだろう。
どちらも結局は「身体で学ぶこと」が、学びを柔軟に応用できる土台になる、という話なのかもしれない。
今井むつみさんの著作はこれまでも読んでき -
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「できるようになる」ということについて言葉・言語の専門家である今井むつみさんと、アスリートという身体の学びの専門家である為末さんの対談書。身体の学びには言葉が、言葉をはじめ学問的な学びには身体がそれぞれどのように関わっているのか、お互いの専門領域や経験を踏まえた解説、比喩、そして問いかけが絶妙なバランスで知的刺激が大変心地良い対談でした。為末さんの『熟達論』も続けて読むつもりですが、私が考えたいのは「コンサルティングなどの組織支援、組織開発等を適切にできるようになる・育成する」であり(アスリート的な文脈とは異なる仕方だが)身体もことばも両方使う職種なので、本書の横断的な視点が重要なのかなと思う
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タイトルにひかれて。対話形式で読みやすかった。
自身がずっとプレーヤーだったけどこんな色々考えてなかったしどちらかというと思考停止で嫌々プレーしてたことのほうが多かったなあと色々思い出した。
ありきたりな感想っぽいけど幼い頃から客観視、俯瞰できるスポーツ選手が活躍できるし伸びるんだな
高校生という大人と子どもの狭間の監督をする大変さもよくわかった。
どんなスポーツでも、軍隊のように統一されてるチームが勝てるかというと必ずしもそうでもないし、その枠から放り出された元隊員は生きづらさを感じるんだろうなあとよく思うことがあったけど、この本にはよくそういうことが書かれてた。主体性や考える力とことばに -
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為末さんの実践経験に基づく疑問を、今井さんが学問的に表現していく。対談形式は読みやすくわかりやすい。
人的資本と言われ、人財に注目が集まる昨今。わかる、熟練するということはどういうことで、そこを目指すためには何をどうすればよいのか、考えている組織が多いと思います。この本、とても示唆的です。
リスキリングとして、野放図に雑多な動画コンテンツを揃える。これはだめだと確信しました。役割期待と目指すべき到達点を明示し、必要となるスキルを可視化し一覧性を高める。一方で、情報が多くなりすぎないようスキルは絞る。実践を前提として。実践は、復習要素も入れて段階的に高度化していき、目指すべき水準まで様々に経験さ -
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・「アンラーン」とは、これまで身につけた思考の
クセ(パターン化した思考)を取り除くこと
・変化の多い時代だからこそ、変わり続ける勇気
と気概を持ち値づけなければならない
・「アンラーン」することにより、柔軟な発想がで
きるようにしておくことができる
・「思考のクセ」から解放される
固定化されたパターンかを一旦忘れる
一点に集中しすぎていると思ったら立ち止まる
これまでの「当たり前」や既存の概念を捨て去る
・アンラーンを阻む7つの壁
①「このままでいいんじゃないか」
②「今あるものを手放したくない」
③「せっかくここまで頑張ってきたのだから」
④「自分におやり方でやりたい」 -
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日頃ぼんやりと考えていることが、言葉として、文章としてまとめられている、という感覚。
遺伝、環境と自己。
不条理と努力。
あなたの夢はなにか。とまっすぐな目で聞いてくる人たちがいる。
今の持ち物とこれからの偶然を見据え、どこが目指すことのできる場所だろうか、と考えても、人様にお話しできるような美しい物語は語れない。
「夢は寝てみるもんだよ。」
と言いたくもなる。
夢と表現していいのかどうかわからないが、将来の自らの姿については、一人呻吟して、選びたくもない僅かな選択肢の中から、それでも選んでいくその先にほのかに見える程度のものでしかないのではないか。