為末大のレビュー一覧
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人生100年時代、っていうフレーズをよく聞くようになったけど、じゃあ、その中でどう自分のキャリアをデザインしていくのか、どこで自分の「引き際」「賞味期限」を見極めて、次のステップに進むのか、そのつなぎ目のつくり方ってまだまだ分からないことが多いように思う。
本書は、一般のビジネスパーソンよりもセカンドキャリアを考えるタイミングが早いアスリートである為末大さんのこれまでの人生を振り返りながら、その節目節目はどういう転機だったのか、どうやって次に進むための「リセットボタン」を押したのか、中原先生との対談の中で明らかにしていくもの。
アスリートだから選手生命は短いというのはあるけど、あんまりそう -
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著者は2001年エドモントン世界選手権で、男子400mハードル日本人初となる銅メダルを獲得。さらに、2005年ヘルシンキ世界選手権でも銅メダルと、トラック種目で初めて日本人が世界大会で二度メダルを獲得するという快挙を達成。侍ハードラーの異名を持つトップアスリート。
著書に「走る哲学」「決断という技術」等多数。
もがき苦しむ中で、見えてきたものもある。
競技人生には「限界」がある。限界があるからこそ、今日という瞬間を駆け抜けることができた。夢は叶わないこともある。
だからこそ、夢を追い続けることの尊さや喜びを知り得た。
何かが終わるということは、何かが始まるということでもある。
本書は著者 -
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トラック種目の世界大会で日本人としては初めて
2度のメダリストとなった著者の思想書。
どこまで行っても競技スポーツは、急こう配のピラミッドの頂を
目指すことを強いられる。
地区大会で勝てば市大会、県大会、エリア大会、全国大会、
アジア大会、ユーラシア大陸、世界大会・・・。
甲子園が分かりやすいだろうか。
そして、プレイヤーはどこかのタイミングで、圧倒的に負ける。
その敗北に、「惜しい」とか「もう少しで」とかいうものは介在しない。
もはや住む領域の違う完敗だけが待つ。
理解や形象化が不可能な完敗や圧倒的挫折を経た時にだけ得られる
「精神」と「身体」の行き来の原体験を
日常生活や仕事、更には -
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ネタバレ名前は知っていたが、とりわけ注目したこともないし、おそらく競技をしているところも見たことがない。
普通に書店で見たら間違いなく買わなかった本の一つ。
何かのレビューに乗っていたのだと思うが、予想をいい意味で裏切ってくれた。
成功しているスポーツ選手には、単に圧倒的な運動能力でやってきた人と、プラス頭を使っている人、運動能力はそこそこでアタマを使っている人の3種類がいると思うが、その3番目にあたる。
そういう人の話は素人にもわかる具体性があり、言語化しながらやってきていたと窺え、読んでいて面白い。
変に熱く、「あきらめなければ何でもできる」とか「夢を持って老い続けるのだ」とか言うのではなく、一見 -
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「日本人の足を速くする」
世界を席巻するアフリカ選手、ルメートルを先頭とする欧州出身選手、小国や諸島から誕生するメダリストやファイナリスト、彼らに勝つ為近づく為に、日本人はどうするべきか。
400mH選手と言えば、日本人として初めて世界選手権400mHのファイナリスト(1995年イエテボリ大会7位)となった山崎一彦選手、同大会の準決勝進出者でもあった苅部俊二選手、そして斎藤嘉彦選手が挙げられます。彼らが日本のハードルレベルを一気に上げてくれました。そんな彼らに続いたハードル選手が為末大、その人。
彼は、 2001年エドモントン、2005年ヘルシンキ世界陸上で銅メダルを獲得し、日本人でも -
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自分で考え、自分の考えを信じ、繰り返し実践する。
これを尋常でない錬度で、深く強く行っている。
見習いたい。
以下抜粋。(簡略抜粋もあり)
「欧米、アフリカ人はおおむね骨盤が正面向き。日本人の骨盤はやや上向き。そのため日本人が欧米人と同じ方法で走ると、前へ進む力が斜め上へ逃げてしまいがち。」(P.26)
→そこで「イメージとしては、滑りやすい学校の廊下を滑らないように走る、あの感じ。ある意味は、能の舞で見られる、あの摺り足のイメージです。」(P.27)
『何万回、何十万回と着地する中で、地面に着いた足の上に骨盤が乗り込み、股関節のあたりに地面を踏んだ感触が直接に伝わってきて、体 -
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ネタバレ「学習においてなぜ身体性がなぜ大切なのか」という問いのヒントになるかと思い本書を手に取った。読み終えて振り返ると、答えは大きく2つに整理できると思われる。
ひとつは記号接地。抽象的な概念を生活や経験と結びつけ、実感を伴って理解することで、初めてその概念を自由に操作できるようになるという視点である。
もうひとつは熟達のあり方。熟達とは多様な状況にほぼ無意識に対応できる力であり、熟達するためには、言語的な学びだけでなく、身体化していく必要があるからだろう。
どちらも結局は「身体で学ぶこと」が、学びを柔軟に応用できる土台になる、という話なのかもしれない。
今井むつみさんの著作はこれまでも読んでき -
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ネタバレとても素敵な本でした。
人間の可能性を言葉で伝えるということにおいても。
熟達ー「人間総体としての探求であり、技能と自分が影響しあい相互に高まること」。
_私は熟達こそが「人間にしかできないこと」を理解するカギになると考えている。
いろいろな度合いででも、いや、為末さんのおっしゃられているような熟達はそこまで多くの人が人生のなかで経るものではないのかもしれないけれど、
それぞれ、自分なりに、深めていくことを持つこと、
人間にしかできないことは何かが問われる今日、自分という未知なるものに好奇心を持つことが、生きがいにもつながるように思いました。
そして、順序、を経ること。積み上げが