【感想・ネタバレ】熟達論―人はいつまでも学び、成長できる―のレビュー

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Posted by ブクログ

知り合いが読んで絶賛していたので読破。
まさに現代版「五輪の書」!
著者かアスリートなのでスポーツを例に話が進むが、スポーツ以外の分野でも熟達のプロセスは同じで、自分の現在の熟達具合(仕事諸々で)を考えさせられました。
学びを楽しみ成長したいと感じさせてくれる一作でした。夢中になれるよう学んでいきます!

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2024年07月11日

Posted by ブクログ

GLOBISのモデレーターとして司会を務める著者に対し、スポーツ選手ながら随分仕切りや纏め方の上手い方だなと思いながら、スポーツや身体を扱う世界独特の視点での解釈や表現の仕方が新鮮で、本著についても当にそうした学びを言語化した名著との前評判から、楽しみにしていた。身体化という言語化とは異なるプロセスの解剖から得るものが多い読書となった。

ー 私たちは大雑把に対象をつかんでいて、いわば強調すべき部分、ハイライトの部分だけを拾って、つなげたものを全体だと理解している。そこには身体部位の名称という言葉の限界もある。例えば、下半身を動かす場合、腰、膝、足首だけに着目しがちだが、各部位の間にも身体はある。しかし、ほとんど意識される事は無い。言葉によって身体を分けていくと、どうしても重要な部位以外が抜け落ちる。

私たち自身がデフォルメ化された世界を見ているのだ。言い表せない「部位」を型に慣らし、無意識のものにする。

ー 私たちは言語を扱うことができるが、その言語一つ一つを維持するようでは会話に集中できない。自由にその技能を使うと言う事は、無意識でもきちんと機能すると言うことを意味している。それができれば、その上に次の技能を重ねていくことができる。

ー 熟達していく過程で、私たちは夢中と言う状態に入る。熟達のプロセスで遭遇する夢中の瞬間こそが人間の生きる実感の中心だと私は考えている。

ー 上級者と初心者の違いは、雑念の滞在時間だ。ネガティブな思考でも、ポジティブな思考でも、集中を妨げる点ではどちらも雑念である。上級者は雑念が浮かび上がっても、長く滞在させず流していく。

まさに、これに囚われるのがイップスだろう。

ー オリンピックの決勝のような舞台ですが、トップスプリンター同士の足の改善のリズムがシンクロすることが知られている。リズムだけではなく、相手の動きや、話し方、考え方にも影響される。集団にいると、どんなに意識しても集団に自分が擦り寄っていくことになる。当然、常識とされるものも似通っていくのだ。孤独でいれば、集団に対しての同調から距離を取ることができる。集団の「当たり前」に影響されにくくなるのだ。

ー ずっと同じ文化の中に身を置いていると自己評価に偏りが出る。違うグループに入れば別の価値観を知ることで、徐々に自分自身の捉え方も変わっていく。複数の基準を持っているほど自分を捉えやすい。自分の個性を考えるときには、どの基準で比較をしているのかを理解しておく必要がある。

ー 行動し、試行錯誤の回数が増えれば、必ず成長していく。失敗すれば、学習の機会はいくらでも作れるが、失敗させることが最も難しいのだ。

失敗や異なる価値観、孤立により、自らをセンシングしながら相対化し、当て嵌める言語すら不要な絶対的な身体感覚を手に入れていく。

ー ロボット技術の世界にチャンク化という言葉がある。ある一連の動作が人まとまりとなって記憶されることだ。無意識で行える事はまさにこれで、実際に人間の運動もあれこれ考えながらやっていた動作が習得されると、一つのきっかけだけで一気に連動するようになる。

面白い。しかし、故に気になったのは、知的活動における熟達とは。つまり、言語化を要する熟達においても、やはり同じ論理が適用できるだろうか。話し始めてから、思考が纏まっていく、意図せず言葉が湧き出てくる、ということもある。なるほど、この点では論理や論説をチャンク化し、身体化していると言えるのかも知れない。

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2024年07月04日

Posted by ブクログ

為末さんの本はどれも好きですが、これは特に良書だと思います。少し難解さがあるからこそ再読して深く読み込みたい。

終わりにあった一節↓が刺さりました。

「学び」そのものが「娯楽化」するのが熟達の道だ。

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2024年01月20日

Posted by ブクログ

熟達は聞きなれない言葉
「無」の境地になれ とはよく聞くが
どうすればできるかはあまり聞かない

自分には「遊」が足りないと感じている。
面白がり、こころを動かし、主体的に行動していないという証でもあろう。

ほかの著書も読んでみようと思う。

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2024年01月03日

Posted by ブクログ

「走る哲学者」為末大さんの学び論。世界のトップアスリートと戦う中で、自身が天才ではないと気がついたという為末さんは、天才ではない人間が戦っていくには人の何倍も学ぶしかないと考えたのだそう。競技者として引退してからも学びは続き、身体、メンタルなど数多くの著作もある。本書はその集大成といえるのだろう。遊ー型ー観ー心ー空と5段階にわかれる学びのステップ。最初は何も考えずに思い切り楽しむことが実はとても重要で、最後の段階ではまた何も考えない、いわゆるゾーンの状態に至るというのは興味深い。ご自身も語っておられるように、現代版の五輪の書ともいえる一冊なのではないか。個人的には今年のベスト3には入る一冊。

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2023年12月23日

Posted by ブクログ

目標に直線な生き方が、苦しい理由がわかった。
目標を捉えた気ままさ、遊ぶことが熟達の真髄。
なりたい理想から目をそらさずに、
でも同時に他の興味も止めない、
これが楽しく道を極めるコツだと思えました。
フラフラと人生、楽しみます。

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2023年11月25日

Posted by ブクログ

「熟達」のプロセスをものすごく精緻に記している。読んでいるだけで、体が組み替えられそうなくらいの言語化具合。
遊→型→観→心→空の5つのプロセスのうち、この本の中でのハイライトは「空」だろうが、私にとっては、「遊」「観」のプロセスは意識したことがなかったので、目が見開かれる思いだった。
この本の読書体験自体が気持ち良い感覚だったので、また読み直したい。

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2023年09月09日

Posted by ブクログ

熟達への道は、習慣化して長い時間をかけるしかないのだろうと思っていた。この本を読んで、何事も適切な順番で、自分の状態を客観的に見てやり方を変えながら、うまくいかないときも淡々と技能を身につけたいと思った。その先に自由に創造性を発揮して表現できる楽しみが待っていると思うと日々の練習を頑張れそうだ。哲学的で理解が難しい箇所は具体例でわかりやすく説明されていて、深く納得させられた。

なるほど!と思ったところ
・うまくいった時に喜び、失敗したときに悔しがるリアクションが大きい人ほど、「諦める傾向」にある。失望は期待との落差だから、期待が大きければ失望も大きい。続けていればいつかうまくいくがすぐうまくいくとは限らない。そう考えることで、反応を小さくすることができ、ただ淡々と続けることができる。今やったことを振り返り、別のやり方をまた試す。
・型の習得は、本来は自分で試行錯誤しながら辿り着く地点に、ワープするようなものである。先人が試行錯誤した結果として、型は出来上がっているからだ。だから、型を身につけた方が早く高度な段階に進める。
・人間は複雑なことを無意識に行っている。意識よりも無意識の世界の方が遥かに大きく深遠である。技能を高める上では無意識の世界に注意を向け、意識的に行うことは避けられないが、意識を向ければ無意識の世界を混乱させることにも繋がり、この加減が難しい。
・体調を整えるのがうまいアスリートは、朝起きた瞬間に自分が正常な状態からどの程度ずれているのかを敏感に察知する。そのずれをトレーニングなり日常生活なりで調整し、いざ試合の時には正常な状態に近づけておく。
・「リラックスする」「脱力する」ということの本当の意味は「姿勢維持に必要な部分のみに力を入れ、それ以外の力を抜く」ことである。必要な箇所に、必要なだけ力を入れ、それ以外は脱力する。これが自然体だ。
・よい連動を引き出すためにはリズムが使われる。どんなことでも上手な人と一緒に何かを行うと、うまくできるような感覚に陥ることがある。知的作業でも上級者の横で一緒に行っているだけでリズムにひきずられてうまくいく。だが、内在化されていないので一人で行うとまた元に戻ってしまう。
・言葉は先人の感覚を保存するものでもある。型の伝承も言語を通じてなされることが多い。映像は表現された姿しか残せないことがある。言葉は表現された姿だけではなく、どこに注意を向けながら行うかなど感覚の部分も含んでいる。
・技能が使えるようになると新たなイメージが浮かんでくる。絵を描く技能が向上することにより、こんな表現方法があったのかと、創造性が膨らんでいく。創造性と技能は双方向の関係で、お互いに高めあっている。
・「思い込み」は外にあるものではなく、自分の中にあるもので、制限や壁とも言える。自分自身が囚われている「思い込み」の外に飛び出すには意識する自分を消してしまうことだ。無我夢中になることだ。
・勘については「経験を元にした無意識下の論理的帰結」だと定義している。熟達者には多くの経験が蓄積されており、その領域においての勘は論理を超える。
・「空」で起きている出来事に身体がすぐさま反応するという世界を体験すると、意識するという行為の遅さ、狭さを感じるようになる。感じることの広さ深さを知り、今を生きることを身体で悟る。いくら情報が行き交ったとしても、それを受け取った自分の主体的体験こそが自分にとってのすべてなのだ。
・学ぶという行為は二つの見方をすることができる。人は無知で生まれてくる。知識を得て、経験をしていくことで、一つずつ学んでいくというもの。もう一つは制限を取り払うという見方だ。人間は外界を内在化させる時、社会の「当たり前」を取り込んでしまう。学び続けることでその制限を取り払っていき最終的に解放されることを目指すというものだ。

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2023年09月03日

Posted by ブクログ

熟達を「人間総体としての探求であり、技能と自分が影響しあい相互に高まること」と定義し、五段階の探求プロセス「遊」「型」「観」「心」「空」から考察する。
走る哲学者による「学び」に関する中間報告。

積み上げてきたものが最後にすべてひっくり返ることが圧巻であり、奥深く、爽快。

砂浜の遊びが感動的。

【まえがき・序】
・「自分の頭で考えることが大事」「考えるな。言われた通りやってみろ」等、一見正反対の助言が成り立つのは段階の違い。自分自身の段階を理解する。
・三浦梅園「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」熟達は全ての人に開かれている。
・「主観的体験」こそが人間にしかできないこと。

【第一段階 遊 不規則さを身につける】
・遊びとは「主体的であり、面白さを伴い、不規則なもの」=モチベーション
・文脈からずれて広げる行為であり、秩序が固定する前にそれを壊す行為。=逸脱
・トレーニングにおける馴化を崩して効果を上げる
・未来報酬型の目標志向で消費する心を、現在報酬型の遊びで満たす
・先に全力、後に制御
・虚構であると知っていながら、本当のように振る舞うごっこ遊びの絶妙なバランス。緊張の緩和
・好奇心の誘導、変化の意識

【第二段階 型 無意識にできるようになる】
・型とは「土台となる最も基本的なもの」であり、個人差を超えて最も安定している普遍的なもの。
・何も考えなくてもそれができる状態を目指す。
・なぜ「遊」の次の段階が「型」なのか
 →基本となる型を手に入れることで上の階層で遊べる
 →「遊」がモチベーションを維持し、ある型から次の型への逸脱を生む
・模倣により型を習得する。模倣は「観察」と「再現」の二段階がある。
・観察はまず写実的に見ることを繰り返す中で、特徴を捉える。相手がどんな意識で行っているか等、内面を捉える想像力が必要。
・模倣は表出しているものだけなく、意識するところを変えながら、身体的な試行錯誤をして得る。
・型の重要性は体感しない限りわからず、一連の動きで時系列を必要とするため、いいとこ取りはできない。丸呑みをする。
・一方で人間は覚えるより忘れるほうが難しい。

◯悪い型の条件
 1 シンプルでない
 2 検証がタブー視されている
 3 効果を期待されすぎている

・型を習得するときは、うまくいったとき、失敗したときともに「反応の大きさ」を大きくしないため「期待しない」。ただ時間を費やせるかどうかのみ。
・人は柔軟すぎるため一つの行為に無数の方法があるが、ある目的のために最善の方法は自ずと限定される。これが型。
・先人の試行錯誤の結果としての型を習得することは、本来は自分で試行錯誤しながら辿り着く地点にワープするようなもの。

無意識でペダルを漕ぎ自転車を扱えるようになったとき、初めて外の景色を見渡せる。その世界は。

【第三段階 観 部分、関係、構造がわかる】
・「守破離」における「破」にどうやって至るか

・「観」を経て、ぼんやりとしていた世界を細かく部分に分けることができるようになり、丸呑みした型は破られ、関係を理解し、構造を把握する。

・眼球だけでなく、全身で見る。ただし無意識下でノイズはカットされ、重要だと思われるものだけ本人の意識に上がっており、世界はすでに編集されたものだと気づく。この前提で観察する。

・知識と経験も観察に影響を与える。
・時間をかけて量を積み重ねると部分が見えるようになり、ある段階で量ではなく集中力の深さが重要になる。
・距離を取り俯瞰し、対象への集中をずらす。
・「俯瞰」と「集中」の二つの視点を使い分けることで観察の精度が上がる。
・「型」でできる(体感!)を「観」でわかる。

【第四段階 心 中心をつかみ自在になる】
・心とは型の核となる部分。丸呑みした漠然としたまとまりだった「型」の構造が「観」で見えるようになり、さらに洗練させていくうちにここを押さえればうまくいくという「心」を見つけ、不必要な部分の力が抜けていく。

・中心は捉えて終わりではなく、環境変化に合わせて補正され恒常的に保たれて初めて機能する。柔らかいからこそ崩れない状態を獲得するのが「心」

・中心をしっかり掴んでいれば、安心して冒険できるので「自分らしさ」が出てくる。
・自分の取るべき位置が安定するので、自然に、無理せず、力みにない状態「自然体」が取れる。

・「自然体」が取れると「構え」がなくなり、「気がつく→判断する→準備する→行動する」の準備するが省けて、滞りがない、美しくリズムがあり意図を読み取られない動きができる。

・個性を活かせる場に身を置くことで活躍できる。個性は諦めて受け入れる。

・「心」を発揮するには自分と環境の相互作用を利用する。これを想起させる身体を介した言葉を身につける。
→ここまで技能を身につけることが創造性を解放する。

【第五段階 空 我を忘れる】
・これまでの「遊」「型」「観」「心」では、「扱う自分」は意識し考える自分であり、「扱われる自分」は無意識の自分であると使い分け、自らを扱う方法を学び、成長させて可能性を追求してきた。
・だが、「扱う自分」の側に、自分を制限する意識があるとしたら?「思い込み」が自分の制限や壁になる。

・「空」は夢中になり自我が消え、環境と自分が連動している状態。「軽剣を元にした無意識下の論理的帰結」である勘を活かす。身体に意識を明け渡す。「ZONE」とも呼ばれる。

・自分の特徴を過不足なく捉え、活かすことができればポテンシャルが十分に発揮されるが、自身の価値観がそれを阻む。行為に集中する没頭により忘却され観察者なき世界、評価者なき世界、空の世界になる。

・私たちが自由になる時、常に何かからの解放を前提としている。だが、私たちが最も強く執着しているのは、何かから解放されようと考えている「自我」そのもの。「空」とは「自我」からの解放。

・空を体験しても人生が劇的に変わるわけではない。今までと同じようにうまくいかないことに苦しみ、今までと同じようにサボりたいなという気持ちが芽生え、今までと同じように未来を憂う。
だが、一瞬でも主体となる自我がなくなり、行為のみになる体験はリアリティを変えてしまう。

・意識することはすべて過去のことである。意識するという行為の遅さ狭さを感じ、感じることの広さ深さを知り、今を生きることを身体で悟る。

・私にやれることを私なりにやっていく。目指すもののために今があるのか、今にために目指すものがあるのかわからくなり、どうでもよく、私が生きているのは「今」のみである。

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2023年09月17日

Posted by ブクログ

現代の五輪の書
力を出せる時と出しきれない時や人の解説は目から鱗。これが海外のチームスポーツの練習のインテンシティの差。遊びから入る大切さは、学びごとから入る人との差に大きく影響する。

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2023年08月10日

Posted by ブクログ

競技や自分自身などあらゆることに素直に向き合えるのが、為末さんの強みなのかと思えた。まえがきとあとがきに記された以下の二文がもっとも印象深かった。自分ももっと学んでいきたい。

・熟達者には共通点がいくつもある。基本となるものを持っている/迷うと基本に返っている/人生で何かに深く没頭した時期がある/感覚を大事にしている/おかしいと気づくのが早い/自然であろうとしている/自分がやっていることと距離を取る態度を身につけている/専門外の分野から学んだ経験がある。
・競争は必ず優劣をつけるが、「学び」自体は全ての人に開かれている。そして「学び」そのものが「娯楽化」するのが熟達の道だ。

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2023年08月06日

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とことん自分と向き合って、競技と向き合ってきた方なんだろうなと尊敬する。
いくつになっても学べるし、成長できるという自分に対してのワクワク感が生まれた。
自分が今どの位置にいるのかも想像しながら読むことができた。

考え方が深くて素晴らしかったです。

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2023年07月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

為末大の本は基本購入して何度でも読むことにしている。この本も本屋で発見し、即購入。

今までの為末大の本は、断片的というか、書物にしては短文が多かったが、今回は1冊を通して、色んな技術をどのような段階を踏まえてスキルアップさせていくか、まさに熟達について5章だて5段階を踏まえて書かれている。

結構な歳になってからクライミングやランニングを始めた俺は、生来の運動音痴や積年の不摂生もあって、上達速度が非常に遅く、正直身体を動かすことには全く不向きだなと痛感することが多い。

それでも楽しいから続けているのだが、楽しいからやっているというのはこの本では第一段階の「遊」に当たるのだ。所謂努力や練習と言われる第二段階の「型」にすら到達していない情けなさ…。

それでも、日々走って登って楽しんでいれば、死ぬまでにひょっとしたら第三段階「観」の端っぽぐらいには手が届くかもしれない。成長が遅くても誰にも迷惑をかけないのであれば、それでもいいかなと思っている。

とにかくしっかり意識した練習を「量」こなしていくこと。そこを習慣化していかないと…
ってこれ、読書のレビューなのか?(笑

この本も何度も何度も読み返すことになりそうだ。特に前半は型がつくくらいに読みふけりそう。

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2023年07月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

抽象的な内容が多く難しかった。
スポーツでも将棋とかでも何かを極めていくまでには、遊→型→観→心→空 という段階があるということ。

最初は遊ぶ、自由に楽しみ失敗とかしながら改善して成長する、
でもどっかで、型を身につけておかないと限界が来る。また、同じ分野の人を見て型の癖とか見ながら学ぶこともある
そこまでは何となくあり得る進め方だが、心というのは考えにはなく印象深かった。
力を入れず脱力する部分を見つけること、それによりマラソンなら力入れない時間も増え疲れも減るし、何か別の行動を移すための準備時間も減らすことができる。合気道がまさにその考え。
確かにウルトラマラソンとか走ってる先輩を見ると腕の脱力感は大きいし、心の考えもあるのかもしれない。

他印象に残ったのは
◯若いときは筋力、体力をつけるのに力を入れるが歳を重ねるにつれて、休養のとり方が大事になる。その時々で最適なトレーニング、考え方は変わる。
◯人は目で観てるだけでなく、五感全てで観ている。卓球であれば球の動きだけでなく、球が台に当たる音も聞き学んでいる。
◯体力は衰えても、熟達のレベルが低下したわけでない、そのときの条件下で最も巧みなパフォーマンスを発揮できる
◯走り方とか説明するときに、具体的な行動を指示するだけでなく、例を伝えるのが大事。足を速く動かす、というのは地面が熱くて足をバタバタせざるを得ない状況を想像する、ということ。

まずは、今までに発想になかった心を意識していきたい。

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2024年06月08日

Posted by ブクログ

あとがきにも書いてあるように、例がスポーツ関連であることが多く、そちらの経験者の方がより共感する部分が多いのかなぁと思いました。

とはいえ、スポーツ関連経験者でなくても問題なく読み進められると思います。面白かったです。

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2024年01月18日

Posted by ブクログ

人が学んでいくプロセスを「遊-型-観-心-空」というプロセスでどのような過程か解説してある。例がとてもわかりやすい。分かりやすいんだけれども、これが著書も書いているが、スポーツの例が多いので、知的作業の場合はどうなるのかイメージがつきにくかった。加えて、この本のサブタイトルである「人はいつまでも学び、成長できる」のに対応した記述がそれほど多くなかったように思えた。

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2024年01月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

思いの外さらさらと読めてしまった
1つ1つは短編で読みやすい
もう一度メモしながら読もうかと思っている
自身も草の根レベルでスポーツをしていることもあり、なんか、あるあるが列挙されていると感じた
構造的な部分で言えば、あらゆる物事に転用できる感覚や自信の体験と重なることが多くて、他の人も同じように感じてることもあるんだと嬉しくなった
量から質へ、でも、違うこともしないと凝り固まるし、軸があれば戻ってくれるけどというような感覚とかも言語化されていて気持ちよかった

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2024年01月01日

Posted by ブクログ

走る哲学者の極み。
少々難解すぎて心が折れそうになるところもあったが、読み終えてみると、「学びとは、結局自分と向き合い続けること」なのかもしれないと思った。僕らの思う考えや感じ方にも経験からくる前提があって、それはすべて過去の体験でしかない。
結局熟達への道は終わりはないんだけど、そのプロセスを可視化してもらった感覚。
遊びから入って、型を手に入れ、構造を理解し、中心を知ることで自在になり、最後は全てから解き放たれ、また遊びに戻る。
人生って、そんなもの。
難しく、生きづらく、楽しい。

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2023年09月30日

Posted by ブクログ

日本記録保持者、為末さんの「熟達論」。ご自身の体験や各回の熟達者との対談を通じて得られた、成長・上達・熟達へいたる理論。「遊」から始まり、一定の「型」を得て、部分と全体の構造がわかる「観」、物事の中心をつかむ「心」、そして自由になる「空」の境地に至る。一つ一つの段階がどういうものか、細かく記載があってっわかりやすい。ただ、せっかく多くの熟達者との対談に基づいているのなら、そのエピソードなどがもっとあったらよかった。あと、データがあってもよかったかも。

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2023年10月08日

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