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基礎の習得から無我の境地まで、人間の成長には5つの段階がある。では、壁を越え、先に進むために必要なものは何か。自分をどう扱えばいいのか。「走る哲学者」が半生をかけて考え抜き、様々なジャンルの達人たちとの対話を重ねて辿り着いた方法論が一冊に。経験と考察が融合した現代の「五輪書」誕生!
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Posted by ブクログ
運動に限らず、物事を極める、熟達するまでの5段段階を言語化している本。 オリンピアンである著者らしく、自身が熟達するまでの例や引退後に各著名人とのインタビューなどの例を使って説明しているが、基本的には、運動に限らず、全ての事柄に当てはめられる一般化した主張となっています。 野球の解説者や運動のコー...続きを読むチなどが、人により言っている事が真逆な事を言っている事が多々あり、違和感を覚える事があったが、これらは、本人の状況の違いによって、アドバイスが真逆になることもある事が深く理解できた。 遊、型、観、心(中心)、無 の5つのフェーズを経たり、行き来きしながら物事は上達いくとの主張。 なんとなく、まずは型に嵌めて、そこから アレンジしていくものと思っていまいしたが、そんな単純ではなく、奥深いものと感じました。 スポーツが科学的アプローチがされてきているなかでも、個々人全てを網羅できる方法があるわけではなく、本書記載のように、自分の中で見極めて(観)、必要な部分を認知しアレンジしていく(心)事は本質的には自分でしかできない事のように思いました。 個人的には、本書を座右の銘とし、常に意識していきたいと思いました。
為末さんの本はいつもハッとさせられる。陸上を通じて自らが経験した試行錯誤を客観的な視点で見つめて、言語化しにくいことを見事に表現している。 学びを、遊、型、観、心、空の5段階に分けて論じているが、自分がランニングをやっているので、思い当たることばかりだったし、ここで書かれていることは、運動以外の学び...続きを読むにも適用できると思った。
知り合いが読んで絶賛していたので読破。 まさに現代版「五輪の書」! 著者かアスリートなのでスポーツを例に話が進むが、スポーツ以外の分野でも熟達のプロセスは同じで、自分の現在の熟達具合(仕事諸々で)を考えさせられました。 学びを楽しみ成長したいと感じさせてくれる一作でした。夢中になれるよう学んでいきま...続きを読むす!
GLOBISのモデレーターとして司会を務める著者に対し、スポーツ選手ながら随分仕切りや纏め方の上手い方だなと思いながら、スポーツや身体を扱う世界独特の視点での解釈や表現の仕方が新鮮で、本著についても当にそうした学びを言語化した名著との前評判から、楽しみにしていた。身体化という言語化とは異なるプロセス...続きを読むの解剖から得るものが多い読書となった。 ー 私たちは大雑把に対象をつかんでいて、いわば強調すべき部分、ハイライトの部分だけを拾って、つなげたものを全体だと理解している。そこには身体部位の名称という言葉の限界もある。例えば、下半身を動かす場合、腰、膝、足首だけに着目しがちだが、各部位の間にも身体はある。しかし、ほとんど意識される事は無い。言葉によって身体を分けていくと、どうしても重要な部位以外が抜け落ちる。 私たち自身がデフォルメ化された世界を見ているのだ。言い表せない「部位」を型に慣らし、無意識のものにする。 ー 私たちは言語を扱うことができるが、その言語一つ一つを維持するようでは会話に集中できない。自由にその技能を使うと言う事は、無意識でもきちんと機能すると言うことを意味している。それができれば、その上に次の技能を重ねていくことができる。 ー 熟達していく過程で、私たちは夢中と言う状態に入る。熟達のプロセスで遭遇する夢中の瞬間こそが人間の生きる実感の中心だと私は考えている。 ー 上級者と初心者の違いは、雑念の滞在時間だ。ネガティブな思考でも、ポジティブな思考でも、集中を妨げる点ではどちらも雑念である。上級者は雑念が浮かび上がっても、長く滞在させず流していく。 まさに、これに囚われるのがイップスだろう。 ー オリンピックの決勝のような舞台ですが、トップスプリンター同士の足の改善のリズムがシンクロすることが知られている。リズムだけではなく、相手の動きや、話し方、考え方にも影響される。集団にいると、どんなに意識しても集団に自分が擦り寄っていくことになる。当然、常識とされるものも似通っていくのだ。孤独でいれば、集団に対しての同調から距離を取ることができる。集団の「当たり前」に影響されにくくなるのだ。 ー ずっと同じ文化の中に身を置いていると自己評価に偏りが出る。違うグループに入れば別の価値観を知ることで、徐々に自分自身の捉え方も変わっていく。複数の基準を持っているほど自分を捉えやすい。自分の個性を考えるときには、どの基準で比較をしているのかを理解しておく必要がある。 ー 行動し、試行錯誤の回数が増えれば、必ず成長していく。失敗すれば、学習の機会はいくらでも作れるが、失敗させることが最も難しいのだ。 失敗や異なる価値観、孤立により、自らをセンシングしながら相対化し、当て嵌める言語すら不要な絶対的な身体感覚を手に入れていく。 ー ロボット技術の世界にチャンク化という言葉がある。ある一連の動作が人まとまりとなって記憶されることだ。無意識で行える事はまさにこれで、実際に人間の運動もあれこれ考えながらやっていた動作が習得されると、一つのきっかけだけで一気に連動するようになる。 面白い。しかし、故に気になったのは、知的活動における熟達とは。つまり、言語化を要する熟達においても、やはり同じ論理が適用できるだろうか。話し始めてから、思考が纏まっていく、意図せず言葉が湧き出てくる、ということもある。なるほど、この点では論理や論説をチャンク化し、身体化していると言えるのかも知れない。
為末さんの本はどれも好きですが、これは特に良書だと思います。少し難解さがあるからこそ再読して深く読み込みたい。 終わりにあった一節↓が刺さりました。 「学び」そのものが「娯楽化」するのが熟達の道だ。
熟達は聞きなれない言葉 「無」の境地になれ とはよく聞くが どうすればできるかはあまり聞かない 自分には「遊」が足りないと感じている。 面白がり、こころを動かし、主体的に行動していないという証でもあろう。 ほかの著書も読んでみようと思う。
「走る哲学者」為末大さんの学び論。世界のトップアスリートと戦う中で、自身が天才ではないと気がついたという為末さんは、天才ではない人間が戦っていくには人の何倍も学ぶしかないと考えたのだそう。競技者として引退してからも学びは続き、身体、メンタルなど数多くの著作もある。本書はその集大成といえるのだろう。遊...続きを読むー型ー観ー心ー空と5段階にわかれる学びのステップ。最初は何も考えずに思い切り楽しむことが実はとても重要で、最後の段階ではまた何も考えない、いわゆるゾーンの状態に至るというのは興味深い。ご自身も語っておられるように、現代版の五輪の書ともいえる一冊なのではないか。個人的には今年のベスト3には入る一冊。
目標に直線な生き方が、苦しい理由がわかった。 目標を捉えた気ままさ、遊ぶことが熟達の真髄。 なりたい理想から目をそらさずに、 でも同時に他の興味も止めない、 これが楽しく道を極めるコツだと思えました。 フラフラと人生、楽しみます。
「熟達」のプロセスをものすごく精緻に記している。読んでいるだけで、体が組み替えられそうなくらいの言語化具合。 遊→型→観→心→空の5つのプロセスのうち、この本の中でのハイライトは「空」だろうが、私にとっては、「遊」「観」のプロセスは意識したことがなかったので、目が見開かれる思いだった。 この本の読書...続きを読む体験自体が気持ち良い感覚だったので、また読み直したい。
熟達への道は、習慣化して長い時間をかけるしかないのだろうと思っていた。この本を読んで、何事も適切な順番で、自分の状態を客観的に見てやり方を変えながら、うまくいかないときも淡々と技能を身につけたいと思った。その先に自由に創造性を発揮して表現できる楽しみが待っていると思うと日々の練習を頑張れそうだ。哲学...続きを読む的で理解が難しい箇所は具体例でわかりやすく説明されていて、深く納得させられた。 なるほど!と思ったところ ・うまくいった時に喜び、失敗したときに悔しがるリアクションが大きい人ほど、「諦める傾向」にある。失望は期待との落差だから、期待が大きければ失望も大きい。続けていればいつかうまくいくがすぐうまくいくとは限らない。そう考えることで、反応を小さくすることができ、ただ淡々と続けることができる。今やったことを振り返り、別のやり方をまた試す。 ・型の習得は、本来は自分で試行錯誤しながら辿り着く地点に、ワープするようなものである。先人が試行錯誤した結果として、型は出来上がっているからだ。だから、型を身につけた方が早く高度な段階に進める。 ・人間は複雑なことを無意識に行っている。意識よりも無意識の世界の方が遥かに大きく深遠である。技能を高める上では無意識の世界に注意を向け、意識的に行うことは避けられないが、意識を向ければ無意識の世界を混乱させることにも繋がり、この加減が難しい。 ・体調を整えるのがうまいアスリートは、朝起きた瞬間に自分が正常な状態からどの程度ずれているのかを敏感に察知する。そのずれをトレーニングなり日常生活なりで調整し、いざ試合の時には正常な状態に近づけておく。 ・「リラックスする」「脱力する」ということの本当の意味は「姿勢維持に必要な部分のみに力を入れ、それ以外の力を抜く」ことである。必要な箇所に、必要なだけ力を入れ、それ以外は脱力する。これが自然体だ。 ・よい連動を引き出すためにはリズムが使われる。どんなことでも上手な人と一緒に何かを行うと、うまくできるような感覚に陥ることがある。知的作業でも上級者の横で一緒に行っているだけでリズムにひきずられてうまくいく。だが、内在化されていないので一人で行うとまた元に戻ってしまう。 ・言葉は先人の感覚を保存するものでもある。型の伝承も言語を通じてなされることが多い。映像は表現された姿しか残せないことがある。言葉は表現された姿だけではなく、どこに注意を向けながら行うかなど感覚の部分も含んでいる。 ・技能が使えるようになると新たなイメージが浮かんでくる。絵を描く技能が向上することにより、こんな表現方法があったのかと、創造性が膨らんでいく。創造性と技能は双方向の関係で、お互いに高めあっている。 ・「思い込み」は外にあるものではなく、自分の中にあるもので、制限や壁とも言える。自分自身が囚われている「思い込み」の外に飛び出すには意識する自分を消してしまうことだ。無我夢中になることだ。 ・勘については「経験を元にした無意識下の論理的帰結」だと定義している。熟達者には多くの経験が蓄積されており、その領域においての勘は論理を超える。 ・「空」で起きている出来事に身体がすぐさま反応するという世界を体験すると、意識するという行為の遅さ、狭さを感じるようになる。感じることの広さ深さを知り、今を生きることを身体で悟る。いくら情報が行き交ったとしても、それを受け取った自分の主体的体験こそが自分にとってのすべてなのだ。 ・学ぶという行為は二つの見方をすることができる。人は無知で生まれてくる。知識を得て、経験をしていくことで、一つずつ学んでいくというもの。もう一つは制限を取り払うという見方だ。人間は外界を内在化させる時、社会の「当たり前」を取り込んでしまう。学び続けることでその制限を取り払っていき最終的に解放されることを目指すというものだ。
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