ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
9pt
基礎の習得から無我の境地まで、人間の成長には5つの段階がある。では、壁を越え、先に進むために必要なものは何か。自分をどう扱えばいいのか。「走る哲学者」が半生をかけて考え抜き、様々なジャンルの達人たちとの対話を重ねて辿り着いた方法論が一冊に。経験と考察が融合した現代の「五輪書」誕生!
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
運動に限らず、物事を極める、熟達するまでの5段段階を言語化している本。 オリンピアンである著者らしく、自身が熟達するまでの例や引退後に各著名人とのインタビューなどの例を使って説明しているが、基本的には、運動に限らず、全ての事柄に当てはめられる一般化した主張となっています。 野球の解説者や運動のコー...続きを読むチなどが、人により言っている事が真逆な事を言っている事が多々あり、違和感を覚える事があったが、これらは、本人の状況の違いによって、アドバイスが真逆になることもある事が深く理解できた。 遊、型、観、心(中心)、無 の5つのフェーズを経たり、行き来きしながら物事は上達いくとの主張。 なんとなく、まずは型に嵌めて、そこから アレンジしていくものと思っていまいしたが、そんな単純ではなく、奥深いものと感じました。 スポーツが科学的アプローチがされてきているなかでも、個々人全てを網羅できる方法があるわけではなく、本書記載のように、自分の中で見極めて(観)、必要な部分を認知しアレンジしていく(心)事は本質的には自分でしかできない事のように思いました。 個人的には、本書を座右の銘とし、常に意識していきたいと思いました。
為末さんの本はいつもハッとさせられる。陸上を通じて自らが経験した試行錯誤を客観的な視点で見つめて、言語化しにくいことを見事に表現している。 学びを、遊、型、観、心、空の5段階に分けて論じているが、自分がランニングをやっているので、思い当たることばかりだったし、ここで書かれていることは、運動以外の学び...続きを読むにも適用できると思った。
知り合いが読んで絶賛していたので読破。 まさに現代版「五輪の書」! 著者かアスリートなのでスポーツを例に話が進むが、スポーツ以外の分野でも熟達のプロセスは同じで、自分の現在の熟達具合(仕事諸々で)を考えさせられました。 学びを楽しみ成長したいと感じさせてくれる一作でした。夢中になれるよう学んでいきま...続きを読むす!
為末さんの本はどれも好きですが、これは特に良書だと思います。少し難解さがあるからこそ再読して深く読み込みたい。 終わりにあった一節↓が刺さりました。 「学び」そのものが「娯楽化」するのが熟達の道だ。
熟達は聞きなれない言葉 「無」の境地になれ とはよく聞くが どうすればできるかはあまり聞かない 自分には「遊」が足りないと感じている。 面白がり、こころを動かし、主体的に行動していないという証でもあろう。 ほかの著書も読んでみようと思う。
「走る哲学者」為末大さんの学び論。世界のトップアスリートと戦う中で、自身が天才ではないと気がついたという為末さんは、天才ではない人間が戦っていくには人の何倍も学ぶしかないと考えたのだそう。競技者として引退してからも学びは続き、身体、メンタルなど数多くの著作もある。本書はその集大成といえるのだろう。遊...続きを読むー型ー観ー心ー空と5段階にわかれる学びのステップ。最初は何も考えずに思い切り楽しむことが実はとても重要で、最後の段階ではまた何も考えない、いわゆるゾーンの状態に至るというのは興味深い。ご自身も語っておられるように、現代版の五輪の書ともいえる一冊なのではないか。個人的には今年のベスト3には入る一冊。
目標に直線な生き方が、苦しい理由がわかった。 目標を捉えた気ままさ、遊ぶことが熟達の真髄。 なりたい理想から目をそらさずに、 でも同時に他の興味も止めない、 これが楽しく道を極めるコツだと思えました。 フラフラと人生、楽しみます。
「熟達」のプロセスをものすごく精緻に記している。読んでいるだけで、体が組み替えられそうなくらいの言語化具合。 遊→型→観→心→空の5つのプロセスのうち、この本の中でのハイライトは「空」だろうが、私にとっては、「遊」「観」のプロセスは意識したことがなかったので、目が見開かれる思いだった。 この本の読書...続きを読む体験自体が気持ち良い感覚だったので、また読み直したい。
熟達への道は、習慣化して長い時間をかけるしかないのだろうと思っていた。この本を読んで、何事も適切な順番で、自分の状態を客観的に見てやり方を変えながら、うまくいかないときも淡々と技能を身につけたいと思った。その先に自由に創造性を発揮して表現できる楽しみが待っていると思うと日々の練習を頑張れそうだ。哲学...続きを読む的で理解が難しい箇所は具体例でわかりやすく説明されていて、深く納得させられた。 なるほど!と思ったところ ・うまくいった時に喜び、失敗したときに悔しがるリアクションが大きい人ほど、「諦める傾向」にある。失望は期待との落差だから、期待が大きければ失望も大きい。続けていればいつかうまくいくがすぐうまくいくとは限らない。そう考えることで、反応を小さくすることができ、ただ淡々と続けることができる。今やったことを振り返り、別のやり方をまた試す。 ・型の習得は、本来は自分で試行錯誤しながら辿り着く地点に、ワープするようなものである。先人が試行錯誤した結果として、型は出来上がっているからだ。だから、型を身につけた方が早く高度な段階に進める。 ・人間は複雑なことを無意識に行っている。意識よりも無意識の世界の方が遥かに大きく深遠である。技能を高める上では無意識の世界に注意を向け、意識的に行うことは避けられないが、意識を向ければ無意識の世界を混乱させることにも繋がり、この加減が難しい。 ・体調を整えるのがうまいアスリートは、朝起きた瞬間に自分が正常な状態からどの程度ずれているのかを敏感に察知する。そのずれをトレーニングなり日常生活なりで調整し、いざ試合の時には正常な状態に近づけておく。 ・「リラックスする」「脱力する」ということの本当の意味は「姿勢維持に必要な部分のみに力を入れ、それ以外の力を抜く」ことである。必要な箇所に、必要なだけ力を入れ、それ以外は脱力する。これが自然体だ。 ・よい連動を引き出すためにはリズムが使われる。どんなことでも上手な人と一緒に何かを行うと、うまくできるような感覚に陥ることがある。知的作業でも上級者の横で一緒に行っているだけでリズムにひきずられてうまくいく。だが、内在化されていないので一人で行うとまた元に戻ってしまう。 ・言葉は先人の感覚を保存するものでもある。型の伝承も言語を通じてなされることが多い。映像は表現された姿しか残せないことがある。言葉は表現された姿だけではなく、どこに注意を向けながら行うかなど感覚の部分も含んでいる。 ・技能が使えるようになると新たなイメージが浮かんでくる。絵を描く技能が向上することにより、こんな表現方法があったのかと、創造性が膨らんでいく。創造性と技能は双方向の関係で、お互いに高めあっている。 ・「思い込み」は外にあるものではなく、自分の中にあるもので、制限や壁とも言える。自分自身が囚われている「思い込み」の外に飛び出すには意識する自分を消してしまうことだ。無我夢中になることだ。 ・勘については「経験を元にした無意識下の論理的帰結」だと定義している。熟達者には多くの経験が蓄積されており、その領域においての勘は論理を超える。 ・「空」で起きている出来事に身体がすぐさま反応するという世界を体験すると、意識するという行為の遅さ、狭さを感じるようになる。感じることの広さ深さを知り、今を生きることを身体で悟る。いくら情報が行き交ったとしても、それを受け取った自分の主体的体験こそが自分にとってのすべてなのだ。 ・学ぶという行為は二つの見方をすることができる。人は無知で生まれてくる。知識を得て、経験をしていくことで、一つずつ学んでいくというもの。もう一つは制限を取り払うという見方だ。人間は外界を内在化させる時、社会の「当たり前」を取り込んでしまう。学び続けることでその制限を取り払っていき最終的に解放されることを目指すというものだ。
熟達を「人間総体としての探求であり、技能と自分が影響しあい相互に高まること」と定義し、五段階の探求プロセス「遊」「型」「観」「心」「空」から考察する。 走る哲学者による「学び」に関する中間報告。 積み上げてきたものが最後にすべてひっくり返ることが圧巻であり、奥深く、爽快。 砂浜の遊びが感動的。 ...続きを読む 【まえがき・序】 ・「自分の頭で考えることが大事」「考えるな。言われた通りやってみろ」等、一見正反対の助言が成り立つのは段階の違い。自分自身の段階を理解する。 ・三浦梅園「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」熟達は全ての人に開かれている。 ・「主観的体験」こそが人間にしかできないこと。 【第一段階 遊 不規則さを身につける】 ・遊びとは「主体的であり、面白さを伴い、不規則なもの」=モチベーション ・文脈からずれて広げる行為であり、秩序が固定する前にそれを壊す行為。=逸脱 ・トレーニングにおける馴化を崩して効果を上げる ・未来報酬型の目標志向で消費する心を、現在報酬型の遊びで満たす ・先に全力、後に制御 ・虚構であると知っていながら、本当のように振る舞うごっこ遊びの絶妙なバランス。緊張の緩和 ・好奇心の誘導、変化の意識 【第二段階 型 無意識にできるようになる】 ・型とは「土台となる最も基本的なもの」であり、個人差を超えて最も安定している普遍的なもの。 ・何も考えなくてもそれができる状態を目指す。 ・なぜ「遊」の次の段階が「型」なのか →基本となる型を手に入れることで上の階層で遊べる →「遊」がモチベーションを維持し、ある型から次の型への逸脱を生む ・模倣により型を習得する。模倣は「観察」と「再現」の二段階がある。 ・観察はまず写実的に見ることを繰り返す中で、特徴を捉える。相手がどんな意識で行っているか等、内面を捉える想像力が必要。 ・模倣は表出しているものだけなく、意識するところを変えながら、身体的な試行錯誤をして得る。 ・型の重要性は体感しない限りわからず、一連の動きで時系列を必要とするため、いいとこ取りはできない。丸呑みをする。 ・一方で人間は覚えるより忘れるほうが難しい。 ◯悪い型の条件 1 シンプルでない 2 検証がタブー視されている 3 効果を期待されすぎている ・型を習得するときは、うまくいったとき、失敗したときともに「反応の大きさ」を大きくしないため「期待しない」。ただ時間を費やせるかどうかのみ。 ・人は柔軟すぎるため一つの行為に無数の方法があるが、ある目的のために最善の方法は自ずと限定される。これが型。 ・先人の試行錯誤の結果としての型を習得することは、本来は自分で試行錯誤しながら辿り着く地点にワープするようなもの。 無意識でペダルを漕ぎ自転車を扱えるようになったとき、初めて外の景色を見渡せる。その世界は。 【第三段階 観 部分、関係、構造がわかる】 ・「守破離」における「破」にどうやって至るか ・「観」を経て、ぼんやりとしていた世界を細かく部分に分けることができるようになり、丸呑みした型は破られ、関係を理解し、構造を把握する。 ・眼球だけでなく、全身で見る。ただし無意識下でノイズはカットされ、重要だと思われるものだけ本人の意識に上がっており、世界はすでに編集されたものだと気づく。この前提で観察する。 ・知識と経験も観察に影響を与える。 ・時間をかけて量を積み重ねると部分が見えるようになり、ある段階で量ではなく集中力の深さが重要になる。 ・距離を取り俯瞰し、対象への集中をずらす。 ・「俯瞰」と「集中」の二つの視点を使い分けることで観察の精度が上がる。 ・「型」でできる(体感!)を「観」でわかる。 【第四段階 心 中心をつかみ自在になる】 ・心とは型の核となる部分。丸呑みした漠然としたまとまりだった「型」の構造が「観」で見えるようになり、さらに洗練させていくうちにここを押さえればうまくいくという「心」を見つけ、不必要な部分の力が抜けていく。 ・中心は捉えて終わりではなく、環境変化に合わせて補正され恒常的に保たれて初めて機能する。柔らかいからこそ崩れない状態を獲得するのが「心」 ・中心をしっかり掴んでいれば、安心して冒険できるので「自分らしさ」が出てくる。 ・自分の取るべき位置が安定するので、自然に、無理せず、力みにない状態「自然体」が取れる。 ・「自然体」が取れると「構え」がなくなり、「気がつく→判断する→準備する→行動する」の準備するが省けて、滞りがない、美しくリズムがあり意図を読み取られない動きができる。 ・個性を活かせる場に身を置くことで活躍できる。個性は諦めて受け入れる。 ・「心」を発揮するには自分と環境の相互作用を利用する。これを想起させる身体を介した言葉を身につける。 →ここまで技能を身につけることが創造性を解放する。 【第五段階 空 我を忘れる】 ・これまでの「遊」「型」「観」「心」では、「扱う自分」は意識し考える自分であり、「扱われる自分」は無意識の自分であると使い分け、自らを扱う方法を学び、成長させて可能性を追求してきた。 ・だが、「扱う自分」の側に、自分を制限する意識があるとしたら?「思い込み」が自分の制限や壁になる。 ・「空」は夢中になり自我が消え、環境と自分が連動している状態。「軽剣を元にした無意識下の論理的帰結」である勘を活かす。身体に意識を明け渡す。「ZONE」とも呼ばれる。 ・自分の特徴を過不足なく捉え、活かすことができればポテンシャルが十分に発揮されるが、自身の価値観がそれを阻む。行為に集中する没頭により忘却され観察者なき世界、評価者なき世界、空の世界になる。 ・私たちが自由になる時、常に何かからの解放を前提としている。だが、私たちが最も強く執着しているのは、何かから解放されようと考えている「自我」そのもの。「空」とは「自我」からの解放。 ・空を体験しても人生が劇的に変わるわけではない。今までと同じようにうまくいかないことに苦しみ、今までと同じようにサボりたいなという気持ちが芽生え、今までと同じように未来を憂う。 だが、一瞬でも主体となる自我がなくなり、行為のみになる体験はリアリティを変えてしまう。 ・意識することはすべて過去のことである。意識するという行為の遅さ狭さを感じ、感じることの広さ深さを知り、今を生きることを身体で悟る。 ・私にやれることを私なりにやっていく。目指すもののために今があるのか、今にために目指すものがあるのかわからくなり、どうでもよく、私が生きているのは「今」のみである。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
熟達論―人はいつまでも学び、成長できる―
新刊情報をお知らせします。
為末大
フォロー機能について
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない
Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」
ウィニング・アローン――自己理解のパフォーマンス論
限界の正体 自分の見えない檻から抜け出す法
ことば、身体、学び 「できるようになる」とはどういうことか
仕事人生のリセットボタン ──転機のレッスン
新装版 「遊ぶ」が勝ち
自分を超える心とからだの使い方 ゾーンとモチベーションの脳科学
「為末大」のこれもおすすめ一覧へ
みんなの公開リストをもっと見る
一覧 >>
▲熟達論―人はいつまでも学び、成長できる― ページトップヘ