為末大のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「できるようになる」ということについて言葉・言語の専門家である今井むつみさんと、アスリートという身体の学びの専門家である為末さんの対談書。身体の学びには言葉が、言葉をはじめ学問的な学びには身体がそれぞれどのように関わっているのか、お互いの専門領域や経験を踏まえた解説、比喩、そして問いかけが絶妙なバランスで知的刺激が大変心地良い対談でした。為末さんの『熟達論』も続けて読むつもりですが、私が考えたいのは「コンサルティングなどの組織支援、組織開発等を適切にできるようになる・育成する」であり(アスリート的な文脈とは異なる仕方だが)身体もことばも両方使う職種なので、本書の横断的な視点が重要なのかなと思う
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Posted by ブクログ
タイトルにひかれて。対話形式で読みやすかった。
自身がずっとプレーヤーだったけどこんな色々考えてなかったしどちらかというと思考停止で嫌々プレーしてたことのほうが多かったなあと色々思い出した。
ありきたりな感想っぽいけど幼い頃から客観視、俯瞰できるスポーツ選手が活躍できるし伸びるんだな
高校生という大人と子どもの狭間の監督をする大変さもよくわかった。
どんなスポーツでも、軍隊のように統一されてるチームが勝てるかというと必ずしもそうでもないし、その枠から放り出された元隊員は生きづらさを感じるんだろうなあとよく思うことがあったけど、この本にはよくそういうことが書かれてた。主体性や考える力とことばに -
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為末さんの実践経験に基づく疑問を、今井さんが学問的に表現していく。対談形式は読みやすくわかりやすい。
人的資本と言われ、人財に注目が集まる昨今。わかる、熟練するということはどういうことで、そこを目指すためには何をどうすればよいのか、考えている組織が多いと思います。この本、とても示唆的です。
リスキリングとして、野放図に雑多な動画コンテンツを揃える。これはだめだと確信しました。役割期待と目指すべき到達点を明示し、必要となるスキルを可視化し一覧性を高める。一方で、情報が多くなりすぎないようスキルは絞る。実践を前提として。実践は、復習要素も入れて段階的に高度化していき、目指すべき水準まで様々に経験さ -
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為末大氏による、スポーツの世界に喩えた言語化にハマっている。熟達論を読んで、他にも読みたいと思って手に取ったのが本書。アンラーンって何?という所からスタート。
アンラーンとは、思考の癖を取り除くこと。悪い癖を直すこと。いきなり炸裂する為末氏。スポーツで言えば、身体化された悪い癖を意識することにより直す事だと。身体の事に当て嵌めると、何故こんなに分かりやすいのだろう。スッと理解できる。無意識でできるようになった自転車のペダリングを変えていく場合、意識的に、無意識の動きを1回忘れる必要がある。
仕事とか思考については?無意識・自動化された行動、ルーチン行動を紙に書き出すと良いらしい。無意識を書 -
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ネタバレ抽象的な内容が多く難しかった。
スポーツでも将棋とかでも何かを極めていくまでには、遊→型→観→心→空 という段階があるということ。
最初は遊ぶ、自由に楽しみ失敗とかしながら改善して成長する、
でもどっかで、型を身につけておかないと限界が来る。また、同じ分野の人を見て型の癖とか見ながら学ぶこともある。
そこまでは何となくあり得る進め方だが、心というのは考えにはなく印象深かった。
力を入れず脱力する部分を見つけること、それによりマラソンなら力入れない時間も増え疲れも減るし、何か別の行動を移すための準備時間も減らすことができる。合気道がまさにその考え。
確かにウルトラマラソンとか走ってる先輩を見る -
Posted by ブクログ
・「アンラーン」とは、これまで身につけた思考の
クセ(パターン化した思考)を取り除くこと
・変化の多い時代だからこそ、変わり続ける勇気
と気概を持ち値づけなければならない
・「アンラーン」することにより、柔軟な発想がで
きるようにしておくことができる
・「思考のクセ」から解放される
固定化されたパターンかを一旦忘れる
一点に集中しすぎていると思ったら立ち止まる
これまでの「当たり前」や既存の概念を捨て去る
・アンラーンを阻む7つの壁
①「このままでいいんじゃないか」
②「今あるものを手放したくない」
③「せっかくここまで頑張ってきたのだから」
④「自分におやり方でやりたい」 -
Posted by ブクログ
日頃ぼんやりと考えていることが、言葉として、文章としてまとめられている、という感覚。
遺伝、環境と自己。
不条理と努力。
あなたの夢はなにか。とまっすぐな目で聞いてくる人たちがいる。
今の持ち物とこれからの偶然を見据え、どこが目指すことのできる場所だろうか、と考えても、人様にお話しできるような美しい物語は語れない。
「夢は寝てみるもんだよ。」
と言いたくもなる。
夢と表現していいのかどうかわからないが、将来の自らの姿については、一人呻吟して、選びたくもない僅かな選択肢の中から、それでも選んでいくその先にほのかに見える程度のものでしかないのではないか。