稲葉振一郎のレビュー一覧
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「長期主義」を中心に人類の未来の可能性についての哲学的倫理学の観点からの考察を紹介した書。「長期主義」とは、我々は人類とその後継者の、未来における可能な限り長期の存続と繁栄を目標とすべきだ、と主張し、そのためには何が必要か、を考える、応用倫理学上の新しいアプローチ。
第1章では、長期主義は功利主義倫理学の応用として発展してきた、という経緯を、ピーター・シンガーによる効果的利他主義とデレク・パーフィットによる世代間倫理学の刷新に焦点を当てて説明。
第2章では、「スーパーインテリジェンス論」や「シミュレーション論法」で著名なニック・ボストロムの「存亡リスク」論もまた長期主義の前提となっていることを説明。
第3章では、長期主義の理論的核心と隣接する「加速主義」と「効果的加速主義」を紹介。
第4章では動物倫理学、第5章では「いとわしい問題」第6章では「非同一性問題」を紹介。
第7章ではボストロムが「存亡リスク」を切り抜けるには不可欠という「シングルトン(人類社会全体を統括しうる意思決定機関)」について考察。
第8章では「フェルミ・パラドックス」第9章では「暗黒森林理論」、第10章では恒星間宇宙に進出する積極的な理由について考察。
本書のスコープとなる事柄については興味はあったものの倫理学的な議論についてまとまった解説を読んだことはなく、非常に参考になった。著者の知識の豊富さや関心の幅広さにも敬意を覚えた。
【目次】
はじめに
1 『風の谷のナウシカ』と考える超未来
2 長期主義とは何か?
第一章 最大多数の最大幸福
1 長期主義はどこからやってきたのか?:ピーター・シンガーと功利主義の革新
2 未来のための行いが未来のためになるとは限らない:デレク・パーフィットと世代間倫理
第二章 人類が滅びる可能性
1 ニック・ボストロムと存亡リスク
2 カタストロフ保険はありうるか?
3 ポストヒューマン時代
第三章 未来への対立軸
1 道徳哲学における長期主義
2 加速主義とテクノ・リバタリアン
3 これは新しい優生学か?
第四章 動物たちの未来と反出生主義
1 奴隷的存在は生まれてこない方がよかったのか?
2 動物・AI・人造人間の尊厳
第五章 倫理は常識に合致するか?
1 功利主義と不平等
2 「いとわしい結論」
3 未来のために現在を犠牲にするべきか?
第六章 あなたが存在する世界と非同一性問題
1 枝分かれする世界線
2 道徳か、人生の意味か?
3 不死は悪か?
第七章 シングルトンの困難
1 ノーマル・アクシデント
2 宇宙へのエクソダス?
第八章 宇宙には他に誰かいるのか?
1 フェルミ・パラドックス
2 この世界はシミュレーションか?
第九章 本当に人類は宇宙に出ていいのか?
1 引きこもり文明
2 暗黒森林理論
第十章 それでも宇宙を目指す意味
1 星間文明
補論 星間スーパーコンピューター
2 分岐する人類
おわりに 現在と未来
1 まとめ
2 『風の谷のナウシカ』と考える現在
3 終末なき終末論
注
あとがき -
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昨年のコロナ禍の下で、取り組もうと思った「働くこと」についての本の読みつなぎ、こんな難しい本にまで届いてしまっています。題名に「AI時代〜」とは付いていますが、2014年のマイケル・A・オズボーン准教授らの論文『雇用の未来ーコンピューター化によって仕事は失われるのか』的な職業の浮き沈みの話ではなくて、そもそも「労働とはなにか?」という基礎の確認を行う、とても教科書として有効な本です。なので、アダム・スミス、ヘーゲル、ロック、マルクスまで遡っています。そこで、明らかにされるのは資本主義における「生産要素市場」の意味みたいなことになって、大きくピケティの『21世紀の資本』や斎藤幸平『人新世の「資本論」』という最近の読書も横糸として編み合わされてきます。一回読んで、理解出来ていないところ、多々ですが、自分が今、もやもや感じていることのアウトラインはこの薄い本に示されているような気がしています。もう一回。
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「自由な雇用労働が保証するのは、暴力や強制からの解放であって、健康で安全な生存ではない。」
はるか昔では社会ってのは資本(土地とか金とか)をベースに作られていて、そういった物を持つ人間のみが働き、そして生活する場だった。自給自足的な生活ではそれが一般的だった。そして、それ以外の持たざる者は蚊帳の外だと考えられていた。国家は「人」ではなく「資本」の集まりだと捉えられていた。
それから時が過ぎ、産業の発展によって資本を一切持たない労働者階級が台頭してきた。そして市場経済が不動だった資本までもを動かすようになり、「所有」に関する考え方も大きく変わってきた。僕たちの労働には何らかの価値なり効果があるはず。その労働を所有している僕たちはそれをどう考え、どう扱うのか。
何も持たない私たちは、私たちが唯一持ちうる「私」という資本から始めなければならないのかもしれない。 -
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人文系の人(経済学の素人)が素人のために書いた経済学の本。で個人的には初めての経済学の本。
自身が素人であることを断った上でどの理論にも依ることなく俯瞰的な立場で経済学を論じる。
現代思想をメインステージに活動する著者らしいので文章展開もそれらしく教科書的でない風な点で面白く読める。直接の経済学とは繋がりそうにない「平等と不平等」をテーマにした導入部がユニークであるように思った。
簡潔に紹介されるミクロ経済とマクロ経済の関係がいまいちピンとこないままゴリゴリと進まざるを得なくなり(実際に文中で参考図書の紹介が多く、深入りしにくいところはそれでスルーしている)あらためて論理的思考を必要とする読書の厄介さを思い知った。
便利な入門書とは違う気がするが、特に文型人間が経済学と向き合うに当たってはタイトルの通り教養としての経済学を掴むのに役立つ。
09.1.31 -
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人類の未来のあり方や未来に関わる各種技術や環境等との関係について、倫理学的な側面からどのような論点や議論の対立があるかを示し、かつ著者としてもさまざまな面での思考実験を行いながら立論を試みる一冊。長期主義にも倫理学にもそれ程詳しいわけではなかったので整理しながら理解するのは難しかったが、時間軸を変えて捉えることで価値判断のあり方が変わり得るという点は元々関心のあった点でもあり色々と刺激を受けられた。分かりやすいところではベンサムの「最大多数の最大幸福」は多くの人が聞いたことのあるかと思いますが、例えばこの問題を考える上で幸福の合計点を考えることと平均点を考えることでは何がどう異なりどちらが良いのか、未来のまだ生まれていない人類の幸福を考えるとはどういうことなのか、超技術で超寿命化したり地球外に飛び出した人類が現れた場合どこまでを人類に含めて考えるべきか、動物を含めたり、幸福というプラスだけではなく苦痛というマイナス面について考えたらどうなるか、などなどさまざまな論点が提示されます。
各種の議論自体で想定されている場面や技術は極端なものだったりもするので、なんでそんなことを考えているのかと思う方も少なくないかと思いますが、AIを始めとした技術革新、気候変動などの環境問題、少子高齢化や国際情勢不安など、問題ばかりの社会の中で何か少しでも社会に良いことをしようとする取り組みの中ではしばしば倫理的な判断が求められたり関わる場面は相当に多い。というか、実はそうでない場合の方が少ないように思う。
個人的には非営利組織の社会課題解決を志向した事業に関わることが多いので、特定の受益者の苦痛や幸福に着目する視点、受益者を層として捉える視点、受益者も含めた市民や住民を総体として捉える視点、社会全体を捉える視点、といった対象の範囲と、社会的プログラムに参加している間や直後、数ヶ月から1年、2~3年、5~10年、数十年や次の世代、更に先まで見据えたものなどの時間軸と、どの掛け合わせに主に焦点を当てた議論をしているのかで前提とされる倫理観が異なるということを改めて感じた。学んだ視点を今後の仕事現場でのさまざまな問いかけに活かしていきたい。 -
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「核戦争や気候変動などで向こう数百年の間に人類が滅亡する可能性は無視し難いほど高いが、そこを切り抜けられれば、人類に敵対的ではないような超AIを活用して高度な問題解決能力を得て、地球以外、外宇宙にも、その生存圏を広げて、そう簡単には滅亡しなくなる〔…〕その意味でも存亡リスク論は長期主義にとって不可欠の契機をなしている。」P52
要約は結構上の文章な気がする。
総量説や存在先行説といった功利主義のバージョンから、カント的倫理学、徳倫理学など我々の持ちうる「幸福」の哲学を抑え、人類という種が今後何百万年というスケールで繁栄していくことは、果たして善なのか、現代に生きる我々は、将来世代のために何を為すべき(為さないべき)なのかといったことを、さまざまな分野にまたがって解説してくれている本。
個人的に好きだったのは、長期主義というかなり長いスケールに関わる話では、優生学や悲惨だが長く続く生のような一見忌避されるべき考え方が、十分に採択される可能性があるという議論の部分。今まで触れたことのない考え方で新鮮味を感じた。
「宇宙人はどこにいるのだろうか?」といったフェルミ・パラドックス/グレートフィルター仮説や「この世界はシミュレーションか?」といったシミュレーション論法は、表層だけでも面白く考えることができた。
とはいえ、自分自身はかなりの実存主義が好きなので、「将来世代のために」といったような長期主義の哲学には今のところあまり意味を感じられないため、自分ごととしてはうまく読めなかった。 -
Posted by ブクログ
経済の構造について述べた本。理系の書というよりは文系に内容が寄った書である。
AIが導入されることで結局世の中ってどのように変わるの?という点をマルクスなどを引用しつつ考察していく。マルクスのいう資本に知識を当てはめたり、機械化をAIに当てはめるなどの応用をしていくさまが見ていて楽しかった。
AIが発展していっても、結局その影響としては産業革命による機械化のときの影響の延長線上であるという点が自分にはない発想であった。結局のところ、AIが導入されることで生じることは、AIによる雇用減とAIによる生産性増大のみである。後者の影響が前者を上回れば問題としては生じないというスタンス。ただ、後者の利益が平等に配分されるような社会システムでないと不平等が蔓延してしまうという点には自覚的でなければならない。
他に、人-物の図式の中にAIが収まればいいが、人にも物にもAIが収まらず、その中間に位置し始めると身分制の再来が危惧されるという点が興味深いと感じた。AIよりも能力が上である人間と、能力が下である人間の両方が生じてしまうような状況下では、身分制が起こってしまうのは必至であろう。不平等を拡大させるという性質がAIにあるのだろうということに気づいた。すると、AIが人口に膾炙している現在・そして広く流布していく将来において、社会主義的思考が必要なのかもしれない。ただ、社会主義ではイノベーションは生まれにくい。従って、国民一人一人が不平等を是正する姿勢を見せることが大切なのかもしれない。
AIは、我々の善性を確かめる試金石となるのかもしれないと感じた。
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序章
鈴木敏夫 スタジオジプリプロデューサー
鈴木敏夫は「風の谷のナウシカ」の制作背景やそのテーマについて語っている。彼は、作品が発表された当時の社会的・環境的状況がどのように影響を与えたのかを考察し、ナウシカというキャラクターが持つ強い意志や優しさが、現代においても重要なメッセージを持っていることを強調している。
風の谷のナウシカの題材は『新諸国物語』(NHK ドラマ1952年)。
ナウシカが旅をして、見聞きしたものによって、読者が世界の秘密を知っていく。宮崎駿は「勧善懲悪」が好きで、それが「自然を守る人がいいひとで、自然を破壊するのは悪人」と言う物語にした。
赤坂憲雄の『ナウシカ考 風の谷の黙示録』を読み、宮崎駿は「おもしろいね。俺ってこんなもの書いていたんだ」と言った。他者からの深い考察が、作者に新たな気づきを与える。
映画では「腐海は自然の象徴で、腐海こそが人類を救う」と謳ったのに、第7巻で「腐海や王蟲が、実は人間の文明が作り上げた人工的な生態系だった」ことが明らかになった。物語全体の構図がまるで変わってしまった。
ナウシカは、本来、風の谷の500人のために闘った。そして、もののけ姫のアシタカは「個人的な理由で戦う主人公」となった。宮崎駿は、どんどんと変わっていく。
杏 俳優
時間の経過とともに死生観や価値観が大きく変わる。そういう時代に生きている。ナウシカは「母は決して癒されない悲しみがあることを教えてくれましたが、私を愛さなかった」という。母は絶対的な存在でなくていい。巨神兵は、ナウシカを母親と思い込んだ。そして王蟲はナウシカを守って死んだ後、「母は私を愛さなかったけれど、オーマは私を愛してくれた」とナウシカはいう。母と娘の関係が全く違うものがある。
叶精二 映像研究家
アニメーションが前提でない『風の谷のナウシカ』、コミック版。なるほど。
連載中に、東西冷戦の終結、ユーゴースラビアの内戦など衝撃的な事件があり、影響を受けている。
小泉悠 軍事アナリスト
現実のウクライナとナウシカの世界、戦争の「ネイチャー」は変わらない。核戦争による世界の破滅は、ウクライナでは現実のものになるかもしれない。戦争を経験した世代、戦争を経験した世代を親に持った世代、戦争を知らない世代。世代によって、大きく戦争の捉え方が違ってくる。
『宇宙戦艦ヤマト』『ウルトラマン』は、作り手の戦争体験が塗り込められている。
庵野秀明は、『宇宙戦艦ヤマト』『連合艦隊』に影響を受け、『エヴァンゲリオン』を作っている。
戦後の日本では、戦争の悲惨さや反戦が訴えられたが、戦争そのものを真正面から描きにくかった。それがサブカルチャーの一部がになった。日本人には「敗戦で自分たちの国は、一度滅びてしまった」という感覚がある。
ナウシカによって、「滅びはやってくる可能性がある」「文明が滅びた後はこうなる」を知らされる。小泉は、戦争が、悲惨であるにもかかわらずかっこよさがある。「人間は本来、こんなひどいことをするはずはない」と小泉は言いたくもないという。宮崎駿は、兵器や飛行機の時として持つエロティックな美しさに魅了されているところがある。戦争の実相は、巨大な悲惨が人々を襲い、世界が破滅の淵に追いやられていくこともある。
川上弘美 作家
ナウシカは不思議な人。自分を傷つけるクシャナ、敵国の人々、深井の動植物など自分の周囲に来たものを全部守ろうとする。ナウシカは、物語の中でみんなを繋ぐ絆になっている。ちょっとした破綻、なんでこんな文章がという驚きや作者自体が制御できないものが雑音としてあっても、ノイズがあることは避けられない。それも受け入れることだ。
精一杯生きること、自らの死を認めることは、両立する。原発の使用済み核燃料は10万年も危険な放射能を出し続ける。その間、人類が確実に存続し、責任もって保管し続けられると考えること自体がおかしい。「滅びはあり得ない」と信じ込もうとしているのではないか。
ボーヴォワールは「人おのおのは死にますが、人類は死ぬべきものではないことを我々は知っています」というが。川上弘美は「人類の未来を自然に委ねる」という選択をする。確かに、『風の谷のナウシカ』は、単純な物差しで測れるようなシロモノではないのだね。
福岡伸一 生物学者
老いるからこそ、死ぬからこそ人は美しい。環境の全体のバランスを考え、人間に害を及ぼしかねない存在とも共存していく。ナウシカは人類のことを「大地を傷つけ、奪い取り、汚し、焼き尽くすだけの、もっとも醜いいきもの」としている。
竹宮恵子 漫画家
物語が始まった時「これから何かが違う世界が始まるんだ」ナウシカはあまり言葉で説明しない。ナウシカの世界でも、たとえ人工的に作られたものでも、生命は常に変化し、創造主の意図を超えていくとして描かれた。素晴らしきディストピアの拒絶があり、それでも自分の意思で生きようとする。
鈴木涼美 文筆家
『娼婦の本棚』を書いた著者は、夜の街=腐海に生きている。腐海に生きる蟲たちは美しい。闇があって光がある。悪の方に魅力を感じる。ナウシカは生に執着せず、死の恐怖がない。
河野真太郎 英文学者
ナウシカは戦う力と、腐海の真実に気づく科学的知識を持ち、包み込むような母性とカリスマ性のない混ぜになった女性。族長の父は「男であったら何もいうことはない」という。
クシャナは、母親が、王家の陰謀の犠牲、家父長制の犠牲になって心を病んだことへの怒りを動機に、父王や兄王子たちと戦ってきた人。女性性を捨て、男性性を獲得しなければならなかった。
ナウシカの物語は、「自然を守ればそれでいい」という考え方とは、異なる思想。
大木毅 現代史家
戦争では多くの住民が飢えや病気で死んでいく。ナウシカは「なんという戦争、いかがわしい正義すらかけらもないなんて」という。戦争はそのような残虐性を持っている。
赤坂憲雄 民俗学者
ゴジラは1954年に発表された。ゴジラの映画には、科学やテクノロジーへの信頼がある。ゴジラを最終的に葬るのは、一人の科学者の自己犠牲。それは宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』の主人公の姿と重なる。ナウシカは、最先端テクノロジーが暴走し、地球環境を破壊してから1000年後の世界。科学や文明への信頼が裏切られていく時代を予感しながら作られている。「何が起こるか分からない」という不気味さ、不安の中に置かれている。ナウシカの世界が、とてもリアルに感じられる時代へ運ばれつつある。
ナウシカの物語は、宮崎さんの巨大な無意識が充満している。それが最大の魅力。宮崎駿はいう「こういうふうにしたい、じゃなくて、こうなっちゃう、ものを作る主体というより、ただ後ろ方くっついていっただけ」
権力に善意は期待できず、権力そのものを無化する仕掛けを作り出すしかないという作品。
王という存在は必然ではない。首長というのは、部族の人々に隷属を求める権力ではなく、むしろ、言葉によって自分の権力を絶えず無化していくことを求められ、それを理念や義務として積極的に引き受ける。ナウシカは、人々に命令を下すことはなく、権力を持たず、深い思索に裏打ちされた言葉だけで人々を励まし、なだめ、導き、ひたすら調停者としての役割を果たそうとする。宮崎駿は「虫愛づる君」に、自らの知性と探究心で腐海の謎を解き明かす役割を与えた。
民主主義は、権力の毒や腐敗を知る人が作り出した暫定的なシステムである。愚かにして美しい人間を完全にコントロールはできない。ナウシカの物語は、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニー(多声音楽)が本質なのだ。いやはや。ナウシカを読み解く力の深いことよ。
もう、ナウシカの物語は、実に多面的な見方ができる。いろんな問いかけがあり、考えるきっかけになるいい本である。なぜか、頭の中の芯を熱くする。 -
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現代社会学を巡る3つの潮流である質的調査・量的調査・理論をそれぞれ代表する社会学者に、どちらかというと社会思想史の研究者としての色合いが濃い稲葉振一郎を加え、それぞれの鼎談によって構成された一冊。
社会学に対して多少なりとも興味関心がある人でないと全く面白く感じない本だとは思うが、登場する社会学者はみな、現代の日本の社会学におけるトップクラスの論客たちであり、知的な刺激は大いに得られる。
大きく印象に残ったのは2点。
北田暁大氏については私が大学生だったときから既に若手論客として名を馳せており、何の本に収められた論考だったかは全く忘れてしまったのだが、「社会的な問題にコミットする」という姿勢を当時から明確にしていたその論考の異常なまでの熱さに、21-22くらいの私は多いに刺激を受けたものであった(2006年、集中講義にも来てくれて受講した記憶がある)。それから15年ほどが経つが、本書においても氏のスタンスは「社会学というのは、社会問題が存在するという点を前提とすべきだ」と変わっておらず、印象に残った。
もう1点は統計データの分析等に基づく量的調査を得意とする筒井淳也氏の「開発経済学や行動経済学に代表されるような統計的因果推論はあまりにもブームになりすぎていて、過剰な期待を背負わされている」という指摘は非常に鋭いものだと感じた。確かに、人文社会科学においても経済学などをはじめとして統計的因果推論のバブルは異常なまでの熱気に達しているような気は薄々としていた。そういう点で、社会学における量的調査は、「Aを行えばBのような結果が得られる」という変化についての含意は全く扱わずに、そもそも「社会がAのような状況にあるのはなぜか」という論点を扱うわけであり、変化の前提となる現状把握として意味があるという指摘は、なるほどと実感した。 -
Posted by ブクログ
社会学のイメージって、手広くやってるけど、実際学問として何やるの?くらいしか分かってなかった自分……。
量的調査と質的調査の相いれなさと希望に何度か言及する所が印象に残ったかな。
状況を捉えようと思えば、サンプルの量が必要で、そこからこうですよねって導き出すのが量的。
けれど、そのサンプルがたとえば100集めてこうですって言ったとして、別の100集めたら別の結果や意味が生まれたとしたら。(そうならないようにされているんだけども)
一人一人の感じてきたこと、考えてきたことは、同じ状況であっても違うんじゃないか。それなら、一人の語りを深く掘り下げることで、背景に見えてくるものがある、とするのが質的ということかな。
進めていく中で、どちらも必要になってくることは分かりつつ、手を伸ばす時間と資源がない。
お互いが生み出した蓄積を使いながら、違った角度から進めていきたいのだけど、そこで対象の広さの壁や、継続性から捨てられない壁が見えてくる。
また、経済みたいな動きを見るものでも、臨床みたいに治療が目的になるものでもない、政策科学とは円の重なりがあってどう分けていくか、というのもなるほどーと思う。
時々、○○学って何するものぞ?みたいに軽く扱ってしまうことがあるんだけど、その分野の人は自分たちのテリトリーについてすごく真剣に考えているんだよね……。
最後に。
他者を理解する、マイノリティとは何かという話も自分には大切な視点になった。
研究対象ではあるんだけど、その人たちの立場を想像出来なければ、アンケートやるにしても、項目にズレが生じてしまう。
かといって、密接になりすぎて、距離を取って書くことが出来なければ、あるいは踏み込めなければ、それは論として成り立たない。
理解することの、暴力。
でも、理解できることとは。