木内昇のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
作品紹介・あらすじ
「猪口才」な輩に見切りを付け、東京に戻って清と暮らした漱石「坊っちゃん」の馬鹿正直さを肯定し、織田作が描く主人公の地を這うような生き様に喝采を送る――。心に残る物語は、自分が生きる行程に必ず寄り添い続けてくれる。今も愛してやまない作品群から選び出した言葉を中心に、生の豊かさと奥深さを切実な感覚で紐解く。作家デビュー以前の幻の名エッセイ、待望の復刊。
*****
2003年に出版され、2025年にめでたく復刊された木内昇による文学エッセイ。夏目漱石、芥川龍之介、永井荷風などいわゆる「文豪」とされる日本人作家の作品から、一つの単語を抽出しそれを軸に話が進められている。
僕はこれら文豪の作品をほとんど読んできていない。どうも日本人だけでなく、海外の文豪が残した「古典」といった作品をなんとなく避けてきたように思う。なぜなのか自分でもわからないのだけれど、もしかしたら「なんか面倒くさそう」という意識が働いているのかもしれない。
それでもここで木内さんが紹介している文章を読むと「なるほど、面白そうだな、読んでみようかな」という気持ちにさせられるのは、この種のエッセイとして、とても役割を果たしているように感じた。ずいぶんと僭越な意見ですが。
あとがきによると本書の出版は小説家としてデビューする以前に出版されたとのこと。僕は木内さんの書籍を読んだのが昨年(2025年)出版された「奇のくに風土記」が初めてであり、これがものすごく面白かったので、本書を手に取った次第。本書がデビュー前の作品ということを知らずに読んでいたのだけれど、エッセイと小説の違いがあるとはいえ、やはり本書と「奇のくに風土記」を比べてみると、本書には若干の若さというか、筆が少し走ってしまっているような箇所も見受けられたように思う。これまたすごく僭越で生意気な感想ですが。それでも(というかそれだからこそ、なのかも)本書には未読の書籍を手に取らせようと強く誘導してくれる力があったと思う。めぐり合えてよかった一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ近ごろ、出版に関わるもの、作家の内面に迫る書物が多くなった気がする。
出版不況を何とかしようとする業界の思いとも取れるし、苦難の中に物語があると創作の食指も伸びるのだろう。
『PRIZE』(村山由佳著)も文学賞に憑りつかれる作家と編集者の心理を描いた力作だった。木内昇は、同様に自作を世に出したいと願う作者の思いを描くが、題材を江戸時代に取った。目の付けどころが実に、らしい。
時は、耕書堂を興し、江戸文化に洒落本、黄表紙の一大ブームを巻き起こした蔦谷重三郎の、その少し後のお話。まだ北斎、馬琴、山東京伝など、蔦重と時代の重なる登場人物が生きている時代に、本書の主人公鈴木牧之という『北越雪譜』を後世に残した作家の、出版(当時は、板行という)に至るまでの半生記だ。
出版ブームの江戸に、無名の地方の作家が作品を売り込み、出版に漕ぎつけようとする苦労がいやというほど描かれる。本業があってこその話で、今の自分とも重なり、いろいろ他人事ではないなと読みふけってしまったよ。
曰く、
「上板が契機となって文筆に没頭しはじめたら、鈴木屋は傾いてしまうかもしれぬ。神仏が、それを避けんがために50両という途方もない額を示して、引き留めてくださったのだ―」
自費出版という甘い蜜もぶら下がっている昨今。でも、200万円は下らない初期投資。冷静に判断して、そこには容易に踏み込むべきではないと、神仏でなくても、己の良心が囁くことだろう。
山東京伝をして、著者もこう語らせる。
「はて、本を出したいという希求は欲深いことなのだろうかと京伝は自問する。戯作なぞ、心願欲して目指すほどの営為ではない。手慰み携わるくらいで十分なのだ。」
一方、創作に臨むときの心がけも多く出てきて参考になる。
「いかに戯作といっても、なんでもかんでも白日のもとに晒すのは野暮でしかねぇのだ。わからねぇことはわからねぇまま、不可解なことは不可解なままに描くのが一番なのよ。わっちら戯作者は神じゃねぇんだからさ。神どころか、世の底の底を這いずってねぇと、ろくなものは書けねぇんだぜ―」
これは、知人にも指摘された。自身アーティストでもある、その知人は「もっと読者を信じて」と言った。
「わからねぇこと」は、作者と読者の両者で解を得るもの。その心がけが大切なんだな。
あるいは、この「神どころか、世の底の底を這いずってねぇと」は、容易にAIに頼ることも戒めているようでもあった。AI=神とは言わないが、なんでも解を提示してしまう奴等の思うままになってはいけない。
創造の翼を、いかに羽ばたかせ続けるかも、難しい。京伝、馬琴らも苦労した話が語られる。京伝の七光りでデビューした弟の京山は、その思いが強い。ましてや、越後の片田舎で創作に励む主人公儀三治(=鈴木牧之)には、並大抵のことではなかったろう。
「かつてはよく見えていた不思議なものを、ここ数年、なにひとつ見ていない、ということに。猫又も、雪の日についてくる狼も。土地の気風が変わったということはなかろうから、己の目が曇ったのだろうか。ものを書いている限り、現と夢のあわいに佇むことができていたはずなのに。」
これを世にいうスランプ、ライターズブロックと容易に片づけてはいけないが、アイディアが枯れないよう、心身の健康と、あくなき好奇心、世の中と切り結ぶ生活力を保ち続けて行かねばいけないと思わされた。
いよいよ巻末近く、京山のサポートを受け、出版にこぎつけた儀三治が、こうつぶやく。
「まったく浅ましいことでございますが、書くことより他のことに多くの時を費やしておりまして、あるときからなにも見えなくなってしもうたのでございます」
本書のテーマであろうと思うが、これを主人公に語らせてしまうのが、ちょっと惜しいな、木内さんよ。
本書全体を通じて、その思いは感じ取れたよ。 良い本でした。
P.S.
理想の物書きとして山東京伝、奇人の戯作者として登場する曲亭馬琴。本書の馬琴として、パッと思い出した人物像が、映画『八犬伝』(曽根文彦監督2024年)の内野聖陽だった。が、ありゃ、馬琴じゃなくて、北斎を演じていたっけと途中で気づいた。でも、本書の横暴な鼻持ちならない人物は、映画の中で馬琴を演じた役所広司ではなかったなあ。最後まで、内野聖陽だったよ(苦笑) -
Posted by ブクログ
高杉晋作の「おもしろき こともなき世 を おもしろく」という辞世の句に「すみなすものは 心なりけり」と言う下の句を継いだと言われる望東尼の半生を描いた作品です。
前半の舞台は幕末期の福岡藩。藩としては佐幕でありながら、一部藩士は尊王攘夷に走り出す。54歳で夫を亡くした望東尼は、確たる思想があってと言うよりも、勤王の志士たちの一途さを愛して、彼らを支援するようになって行きます。
いわば維新前夜の片隅の物語です。なにせ維新の元勲と言われる人々はほとんど顔を出しません。高杉晋作を除けば、セリフがあるのは晋作の付き人的な伊藤博文だけ。桂小五郎や井上馨などは名前がチラリと出てくるくらいです。
そして後半は病に倒れた晋作と、彼によって流刑地から救い出された望東尼、晋作の愛妾おうの、そして正妻・雅の物語。
全編にわたって登場人物たちがくっきりと立ち上がっています。維新に突き進む男性陣もですが、望東尼の嫁のタネ、女性勤王家のはしりの村岡局、隣家のかわいい娘・駒子、流刑地で望東尼の世話をするフジと言った女性陣も。維新という大きな時代の流れの片隅に生きた人々を、端役にいたるまでくっきりと描き出した、じっくり読ませる歴史小説でした。 -
Posted by ブクログ
野村望東尼のこともよく知らずに読んでいたが、たまらなくなって、途中調べながら読み進んだ。
夫なきあと、夫のしつらえてくれた庵で、尼僧となり、和歌を詠みながら老後を送るはずだったモト。
しかし時代の波がモトに被さってきた。勤王派、攘夷派が時代を動かそうとする真っ最中、モトは和歌の師である大隈言道に、夫の死を直に伝えたいと大阪行きを決心するが、徳川は腰入りする和泉姫を一眼見たいと京都にも立ち寄ろうとする。この寄り道が、モトの運命を変える。
モトをはじめ、嫁のタネ、京都で出会う村岡局、高杉の妾おうのや正妻の倫など、登場する女性たちの個性が光って素晴らしい。男性に付き従うように見えるものも、それぞれが個性的で、魅力的。この女性たちがいなければ、物語は厚みのない「ただの歴史」になってしまうと思うほどだった。
高杉晋作との出会いと、その後の人生はとてもドラマティックであり、物語を一気に盛り上げる。(ネタバレになるので書けない)
過去にも大河ドラマに取り上げられたことがあるらしいが、見ていない。野村望東尼の目線で描く幕末を、ぜひ見てみたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者に小説はまだ読んだことがないのに、この随筆集を読めばそれらも読んでみなくてはという思いに至る。
既読なの太宰治の「人間失格」と漱石の「坊っちゃん」のみ。
ここに紹介されている作家たちの小説はどれも読みたくなった。
特に芥川龍之介の「歯車」は自死する前に書かれた心情が綴られていて小泉八雲やスティーヴン・キングより怖いといkた一読せねば。
それと竹内浩三、
戦死はあわれ、
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
は有名な詩、この詩を書いたのが竹内浩三。
闊達な青年で食べることが大好きで本がなによりも好き。
いつか小説を書きたい、映画を撮りたい、
戦争が終わったらご飯を腹いっぱい食べたいと思いながら
ルソン島で23歳の短い生涯を終えたこと。
この人にことについてもっと知りたい。と思ったよ。
関係書籍があったら読んで見よう。 -
Posted by ブクログ
日本人て、幕末の頃から本質的に変わってないんだなと思った。いまもまだ「攘夷」って言ってる人たちは結構たくさんいるし。
最近、欧米の歴史系ユーチューバーが日本の歴史を紹介している動画で、「日本には中国の科挙のような制度はなかった」と言っているのを見てハッとしたのだけれど、確かに、今作を読んでいても、幕末の混迷の中にあってさえ、武士階級の中からだろうが外からだろうがかかわりなく優れた人材をすくい取って、適材適所で役に立ってもらおうという考えは薄い。そして、日本ではいまだに、能力よりも血脈や派閥が一番重要なのは変わっていない気がするのだ。
坂本龍馬や薩長、新選組や幕府上層部、会津藩などが主となる、幕末を舞台にした物語やドラマなどは多いけれど、開国当時に外交を担った幕府の一御家人(実在の人物がモデルになっているようだ)の物語は新鮮で、とても面白かった。彼の、仕事をする上での苛立ちや焦燥が、普段働いて生活している中で私自身が抱く感情と似ているが故に、読んでいて少し疲れもしたけれど、徒労感を感じながらもとにかく、自分の信じる道を進むしかないと前を向かせてくれた。 -
Posted by ブクログ
私は知らなかったのだけれど、主人公は実在の本草学者がモデルになっているようだ。
大河ドラマ「べらぼう」の少し後の時代(「べらぼう」で高橋英樹さんが演じた紀州藩主の次の代)の紀州が舞台になっていて、梨木果歩さんの「家守綺譚」が思い浮かぶような幻想的な雰囲気があって、とても良かった。
神道はアニミズム的といわれるけれど、植物の化身が現れたり、自然の物の中にも魂が宿っているような感覚が割とすんなり受け入れられるのは、神道にも馴染んだ日本人ならではなのだろうか。
以前に、熊野の山を舞台に、深山から深山へ移動し、良い木で炭を作りながら生きている炭焼きの人たちの物語を読んで、タイトルは残念ながらもう忘れてしまったのだけれど、物語はずっと心に残っている。
紀州=和歌山には山深いイメージがあるけれど、南方熊楠といい、やはりすごい植物学者が排出されるような土壌・環境があるのかなと思った。 -
Posted by ブクログ
紀州藩士の息子・十兵衛(後の本草学者・畔田翠山)は、幼いころから草花とは自在に語らうことができるのに、人と接するとうまく言葉を交わすことができずに育った。ある日、草花の採取に出かけた山中で天狗と出会ってから、面妖な出来事が身の回りで次々と起こり。
タイトルでは“奇のくに”となっているが、本当の舞台は“奇のくに”=紀伊国である。フィールドワークを行ったことから、“もうひとりの熊楠”とも言われる。本編では、あまり人付き合いがうまくないというキャラクター設定が行われているが、メンターである小原桃洞や彼のパトロンである紀伊国和歌山藩・第10代藩主徳川治宝には、しっかり実力を認められている。更にフィクション要素として、山に住む天狗や恨みを持つ姫君、他人には見えない蔦を通ってやってくる亡父など、異世界の者との交流ができる、少し不思議な存在ともなっている。
徳川治宝は、紀ノ川流域で大規模な百姓一揆が勃発し、責任を取る形で翌年藩主の座を御三卿・清水家からの養子・斉順(将軍・徳川家斉の七男)に譲った。徳川家斉とは、いわゆるオットセイ将軍で、子だくさんで知られている。彼の子供の後始末のため、各藩に子供たちが養子に出された。隠居は財政援助を行った幕府の強圧を背景にしていたが、治宝は和歌山の西浜御殿を居所として、隠居後も藩政の実権を握り続けた、頼れる殿様であり続けた。
特に強大な敵となる存在は見当たらず、翠山の地味な努力が実を結ぶ、静かな作品であった。 -
Posted by ブクログ
『ダ・ヴィンチ』2025年8月号のプラチナ本。
ということで、木内昇さんの作品を初読み。
紀州藩士の息子・十兵衛(後の畔田翠山(くろだ すいざん))は、人と接するとうまく言葉が出ず、人よりも草木と語らう日々。師・小原桃洞(おはら とうどう)の下で本草学を学びその才を伸ばしていた。ある日、草花の採取に出かけた山中で天狗(てんぎゃん)と出会ってからというもの、身の周りで妖しいことが起こり始める…
江戸時代後期の紀伊国(和歌山県と三重県南西部)で活躍した、本草学者・畔田翠山が草木や友、恩師との温かな交わりをとおして成長する半生がファンタジーテイストで描かれている。
心に残ったフレーズ。
“みなそれぞれ与えられた姿を全うしたいと願っておる。それは人も草花も変わらぬ”
“華やぐ時期ゆうのは、人それぞれ違うさけな”
人も草花も自分にしか咲かせることができない花があって、それぞれ咲く時期は違う。自分らしく、自分のペースで人と比べることはないよ。と励ましてもらった気がする。
幻想的な自然もあり、美っつい物語だった。 -
Posted by ブクログ
泉鏡花文学賞
泉鏡花文学賞授賞式にて、木内昇さんのスピーチを拝聴。
生木内昇さんはやはり素敵だった。
コロナ禍で、いろいろなことがあったにもかかわらず、今まで邪魔で、いっそコンクリートで埋めようかと思っていたほどの庭の雑草が逞しく育っているのを見て、救われたとのこと。それもあって、この作品を書かれたらしい。
また、表紙の絵は、亡くなられた友人のMAYA MAXXさんの作品とのこと。
実は、こういったファンタジー要素のあるものは得意ではないのだが、二日ほどで読み終えた。
ファンタジー要素があるからこそ、幻想的な作品に与えられる泉鏡花文学賞なのだが。
また、白山が出てくるのも、石川県とゆかりがあったとおっしゃっていた。
不思議だが、爽やかな読後感だった。
また、直前に読んだ『僕には鳥の言葉がわかる』に通じるものもあると思った。ただし、鈴木先生はコミュ障じゃないけど。
この本も、鈴木先生のイラストのように、畔田翠山(くろだすいざん)の素晴らしい絵が挟まれている。