【感想・ネタバレ】万波を翔るのレビュー

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2022年11月09日

攘夷の嵐が吹き荒れる中、欧米列強の開港圧力が高まる幕末に外交の礎を築いた幕臣たちの物語。
主人公田辺太一は、鼻っ柱の強い若者。長崎の海軍伝習所から江戸に戻り、新設された外国局で、いつも機嫌が悪く、皮肉屋の奉行・水野忠徳の下、横浜開港事務に関ることになる。水野や岩瀬忠震、小栗中順、渋沢栄一といった傑出...続きを読むした家人と交わり、持ち前の波乱を厭わない推進力や主張力を生かしながら太一は成長していく。
だが、腰が定まらない幕府、薩長のしたたかで、不穏な動きに翻弄され、受難の道を歩む。
長崎海軍伝習所で西欧の航海術や兵学をじかに学んだ太一は、日本を豊かにするためには、国を開いて異国の知恵や技術を取り入れるべきだと考えていた。その上で、この国の岐路を異国に委ねず、迎合もするべきでないという確固たる持論を持っていた。
しかるに、なかなか、外国に渡って見聞を広める機会に恵まれず、外国人の領有に対抗するため、小笠原島開拓に派遣されたり、ようやくの渡仏でも横浜鎖港交渉を命ぜられたりと意に反することばかり。
慶応3年(1863年)のパリ万博に出展した幕府の派遣施設に随行した際も、薩摩藩が幕府を出し抜いてフランスと結託、出展していた。抗議も実らず、苦悩しながら帰国の途につくが、そこで、大政奉還の報に接する。
そんな失敗の繰り返しを指南書にして、それが勝麟太郎に認めらたり、日頃厳しい兄の孫次郎がひそかに感心していたりと、太一の国を思う一貫した姿勢を評価する人物も多く登場する。
全体を通して、太一の進歩的な考え方や外国との交渉論理の組立てに合理性を覚え、自分が納得する人生を貫く姿に清涼感を感じた。 
幕末の歴史を楽しみながら勉強することができたし、幕臣の会話の中に現代にも通じる処世術が盛り込まれていたのも面白かった。

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Posted by ブクログ 2022年02月26日

幕末期、外交と経済の側からみた政をひとりの若者の一代記をもって記してある。

安政の大獄~戊辰戦争に至るまでの歴史を改めて読み直した。教科書などでは分からなかった幕臣たちの悩みやら、生の声も聞こえてくる。
主人公の田辺太一も大きな波に揺さぶられたその一人。幕末という未だ且つて武士達が経験した事の無い...続きを読む時勢の時、命ぜられるままではなく自分で考え怖いもの知らずに意見してゆくさまはむしろ、気持ちがいい。自分で江戸っ子気質と言っているとおり、その軸のぶれない生き方は現代の世界にも1人ぐらいはいて欲しい、破天荒な男だ。
丁寧に歴史を読み直すいいきっかけとなった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年07月12日

待ちに待った、木内昇の長編歴史ドラマ。
幕末といえば勤皇だ攘夷だと表舞台にたつ人物のものが多いが、さすが木内昇は違う。今でいう「官僚」幕臣の立場からみた歴史だ。それを、幕臣の次男という立場だが、傑出した才能で城勤に抜擢された、田辺太一に語らせた。

幕府は長崎海軍伝習所に直参の次男、三男から優れたも...続きを読むのを送り込んでいた。そこには薩摩や長州からも優秀な人材が集められており、勝海舟も咸臨丸で教えていた。ここで太一が日本中の優れた若者と対峙したが、攘夷思想に染まることはなかった。江戸に戻ると、新たに設けられた「外国方」として幕臣になる。亜國、英国、仏国などが日本に押し寄せようとしていた・・・。

上司の勘定奉行水野筑後守忠徳、同僚の平三、英語が得意な若者福地源一郎、兄と兄嫁など、魅力的な人物とが生き生きと描かれ、当時の武士の生活も垣間見られる。この描写は実に楽しい。木内昇の真骨頂!このおかげで、歴史に疎い私のようなものでも、ぐいぐい引き込まれて読み進む。
(長編には、是非とも主要人物紹介をつけてくださるよう、切にお願いします)

市井の人々から見た歴史物語は、中央の動きが伝わりにくいが、当時の下っ端の幕臣には、このくらいのことしか知らされなかったのだ。そこもリアルに伝わってくる。
そして何より、今に通じる、外交のあり方を問う。
幕府の白黒つけらない態度が、外国人の信頼を失い、優柔不断な判断が、太一らを苦しめる。失敗とみなされれば蟄居を命ぜられたり、切腹するものもあり、という理不尽な結末が待っている。上にいるものは生き残って責任を免れる。
過去の時代劇と思ってはいけない。

余談だが映画化、希望。大河ドラマでもいい。「いだてん」のように、時代に生きた、市井の人々のドラマが見たい。(来年度は渋澤栄一か・・・)

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Posted by ブクログ 2020年02月10日

歴史は人の営みが重なり合って築かれるもの。物理法則のように因果律がしかと定まっている訳ではない。もちろん、負けに不思議の負け無し、などと言うように定石めいたものはあるのだろう。天の時、地の利をよくよく図り戦えば勝つ確率は高くなるのかも知れない。しかし一方で、勝ちに不思議の勝ちあり、とも言う。孫子の説...続きを読むく五道を見誤っても尚勝敗の行方は思わぬ方へ転がってゆく。その裏で動いているのは、役目の定まった将棋の駒でも白黒旗幟鮮明な碁石でもなく、泣いたり嗤ったりする人だろう。木内昇の小説はいつもそれがよく描かれている。

例えば、本書は幕末の話であるのに例の有名人が出てこない。徳川方の幕臣が主人公なので敢えてそうしているのかも知れないが、そこに木内昇の歴史観を見るようで案外面白い。常に動いている個々の現実の複合の中にあって、たった一人の英雄めいた人物が全て流れの方向を決定づけるような歴史ドラマはやはりどこか嘘くさい。それに比べると、たとえ一人の主人公に焦点を当ててはいても、錯綜する個々の心情や思惑が歴史となって形作られていく様を描くこの作家の物語は、固有名詞を離れて生身の逡巡が身近に感じられる。

歴史嫌いで通して来たせいで、本書の主人公たる田辺太一なる某がどれほど有名な人物であるのかは知らない。故に、幕末の混乱期にあって幕府方にもこんな傑出した下僚がいたことを初めて知る。しかし考えてみれば、自分でさえ知っている勝安房守や小栗上野介ばかりで巨大な幕僚組織を動かせる筈もなく、明治政府が貼り付けた駄目な末期の徳川体制という教科書的歴史観に如何に染まっていたのかを改めて思い知らされる。歴史の必然ではあるけれど、残されるのは常に勝者に都合の良い事実だけなのだ。

しかし未だに歴史嫌いで通している自分は、やはりこの物語を歴史物としては読むことはない。かと言って、今回ばかりはいつものように木内昇の人情噺としても途中からは読まなかった。では何だと思って読んでいたかと言えば、ビジネス書のように感じていたのだ。

人はいつでも過去の出来事を小さく見積もり現在の出来事を大きく見がちであるとの認識を持ちつつ、それでも今や未曾有の激動の時局を迎えているように思う。昨日まで正しいと思っていたことが今日は通用しない。そんな中で己を貫いて行く事とは何か、その生き方にどんな意味を見出し得るのか、そんな考えが知らず知らずの内に頭の中を過(よ)ぎってゆく。だからといって何も主人公に理想の姿を追い求める訳ではないけれど、次々に起こる変化に竿立てて流されず立ち向かう肝の座り方は見習わなければなるまい。

日経夕刊に連載されたことも理由の一つかも知れないが、普段ビジネス書ばかり読んでいる知り合いが珍しく本書を読んで面白かったと言ってきたのが、判るような気がした。

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Posted by ブクログ 2019年12月03日

木内昇の小説の主人公はいつも内側に熱い情熱を抱え純粋ゆえに不器用にもがき、そしてそのもがきの中で自分の使命を理解していく、という表舞台には決して登場しない市井の人々が多いと思います。そこが彼女の作品に惹かれる理由かも。日経新聞連載時から本作の主人公が江戸から明治への過渡期の外交という舞台で切歯扼腕し...続きを読むている様子は感じていました。今回、したたかな欧米列強に対し、初心な江戸幕府が翻弄される細かい交渉を積み重ねて「太平の眠りを覚ます…」って歴史が生まれたことを単行本として一気に読んだことで理解しました。でも、この本、「歴史小説」というより「仕事小説」としての共感が高いです。偏屈な上司との付き合い方、自分でも信じていないことをやらなくてはならない辛さ、ころころ変わる組織の中での継続性、尊敬出来る人、嫌な人、凄い人、羨ましい人、そして家族の存在…主人公、太一の直面していることは今の我々の向かい合っていることと全く同じ。さすが働く人の新聞、日経新聞の連載だからか。外交と経済というテーマは江戸末期から現在までサスティナブルに続いています。トランプ、習近平、安倍首相に文大統領、さらにG20 、外交というと新聞に載るリーダーの元に数知れぬ、そして名も知れぬ大勢の田辺太一がいることを思い至りました。がんばろう!下準備!

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2019年09月16日

開国から4年、江戸幕府は異国との外交を担う外国局(外務省の先駆け)を新設する。
一筋縄ではいかない異国との折衝に加え、幕府への不信とともに高まる攘夷熱。
腕に覚えはないけれど、短気で鼻っ柱の強い江戸っ子・田辺太一の成長を通して、幕末における日本の行く末を追う。

日本に乗り込み次々に無理難題を押し付...続きを読むける異国や、そんな異国へ勝手に戦を仕掛けたり幕府を通さずに直接取引しようとする諸藩に、ひたすら攘夷を要求する天朝。
そんな幾度も押し寄せる荒波に翻弄されながらも知恵を絞って果敢に立ち向かう太一。
幕末から明治へ激動の時代を懸命に翔け抜ける太一の姿は生き生きとして実に清々しい。

歴史上の事件名は知っていたけれど、事件の裏で外国局の武士達がこんなにも苦労していたとは。
長年の鎖国が解けて急に異人達とやり取りしなければならない苦労に頭が下がる。
言葉も通じなければ作法も食の好みまで何もかもが違う。
事前の情報もないままでの折衝はさぞかし大変だったことだろう。
己の信ずることを真っ直ぐに通す、志の高い太一に好感を持った。

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Posted by ブクログ 2022年05月21日

幕末、外国方として勤めた田辺太一のお話。はじめ、本のボリュームに大河ものかと思ったけど、後で調べてみたらほんの10数年間のお話で…この後のお話も読んでみたいなぁ。そもそも幕末ものにはあまり興味がなかったワタクシですが、『龍馬伝』やら『晴天を衝け』を見たり『グッドバイ』を読んだりしていたせいか、分かり...続きを読むやすかったです。太一のキャラクターも面白かったし、ダメダメな閣老の対応も今もいろんな組織であるんだろうなぁ(^^;

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Posted by ブクログ 2021年08月05日

幕末の本は結構読んでるつもりでしたが、幕府の幕末外交は初めて。岩瀬忠震、堀利煕、水野忠徳、そして主人公の田辺太一。あまり存じ上げませんでしたが、このような立派な役人もいたという、幕末幕臣の立場での作品も、大変興味深かったです。こういう人たちの置かれた立場は厳しい。当時の幕府幹部、欧米列強もやり方がヒ...続きを読むドい。「変われない」ということが最後まで尾を引いたのでしょうか。でも、この人たちのような、幕府側でも苦労した人が維新後も活躍しなければ明治維新後の展開もなかったのでしょう。

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Posted by ブクログ 2020年10月17日

幕末の幕府の側で外交がこれほど真剣に考えられていたことに驚きました.勝てば官軍の伝で,薩摩,長州の傑物達に目を惹かれますが,いやいやご公儀も捨てたものではないというより,むしろ優れているような気にもなったこの物語.条約締結の話し合いなど,手に汗握る場面も多く,主人公太一の成長も楽しみで,一気に読みま...続きを読むした.

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Posted by ブクログ 2020年10月08日

幕末の外国方の役人、田辺太一の活躍を描く。
この時代はさまざまな小説になっているが、幕府方の内幕に焦点を当てたものは多くはないだろう。
まるで眠っているかのように感じていた幕府の中でこのような、葛藤があったかもしれないと思うとちょっと胸が熱くなるような思いがする。
なかなか取り上げられることのない、...続きを読む幕府の外交の一端を担った田辺という人物に目をつけた著者の目に感服する思いである。

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Posted by ブクログ 2020年03月23日

田辺太一という人物を初めて知った。
日経新聞の連載になった作品だけに、読みごたえがあった。
「家人」としての忠義と、一人の若者としての思いや情熱。
幕府側の外国方の外交を描く。
為替ルート、内政不干渉、国内経済安定など、
現代の日本経済を彷彿させるようなストーリー感心した。
また、薩摩藩がパリ万国博...続きを読む覧会に
「日本薩摩琉球国太守政府」の名で出展し、
丸に十字の勲章まで作っていたとは知らなかった。
落語好きでべらんめいちょうの太一は
薩摩人を「芋!」と呼ぶ。
これまでのご維新物語にはない、江戸幕臣の痛快さがある。
明治3年(1870年)外務省から要請されるところで終わる。

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Posted by ブクログ 2019年10月15日

開国を受けて、幕府に新設された「外国方」で、外交に携わる事になった、江戸っ子侍・田辺太一の生涯。

攘夷の嵐吹き荒れる中、老獪な諸外国と折衝する事は本当に大変だったと思います。
本書の主人公・太一も、毎回外国に(時には薩摩に)煮え湯を飲まされていますが、彼の真っ直ぐで熱い思いが伝わってくるので、応援...続きを読むしたくなりました。
それにしても、つくづく日本という国は外交が苦手ですよね。令和になってもまだ後手後手な印象ですし。
日本という国家の永遠の課題かもしれないな。と、思いました。

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Posted by ブクログ 2021年08月22日

大河ドラマ『青天を衝け』のパリ万博シーンで、見事薩摩藩に出し抜かれて悔しがっていた印象しかなかった外国奉行支配役・田辺太一を主人公に、幕末から明治を外交という目線で描く。

幕末ものなのに物騒な戦争シーンは殆ど出て来ない。しかしこれは紛れもなく外国との戦争の物語であり、しかも負け戦ばかりの物語でもあ...続きを読むった。
何しろ日本はそれまで二百年以上、外国とまともな交渉などしてこなかったのだ。逆にアメリカ、イギリス、フランスなどの大国は強大な武力と強かな交渉術で日本を食い物にしようとしている。
なのに日本は公儀と天朝との足並みが揃わないだけでなく、攘夷派だの開国派だのの横槍に加え薩摩藩や長州藩が勝手に外国と争いを起こす。

それでも外国方の面々は必死に戦っていた。
洋銀引換の不平等を何とかしようと戦い、輸入税輸出税を何とか日本有利にしようと戦い、港を開かせようと押しきられそうになるのを何とか抗い…そして破れ去った。

田辺太一は外国方の書物役や調役などのいわば下っぱ役人。だが物怖じせず上役の外国奉行にもガンガン意見する。何だか『青天を衝け』の渋沢栄一のようだ。
中盤まではやる気ばかり逸っているようで微妙なキャラクターだったのだが、様々な人たちや様々な交渉の場に接していくうちに成長していく。

『こののち、もしそなたが勤めを究めたければ、批難に刻(とき)を割かぬことじゃ。(中略)批難する暇があるならば、代案を考えることじゃ。よりよい先を見据えることじゃ』
と外国方に勤める上での心構えを教えてくれた堀利煕外国奉行。

『私が信ずるのは、確実に責任をとれる立場にある人物だけだ。(中略)責を負える人物から、こちらの思う条項を引き出してはじめて、外交と言えるのだ』
と外交の基本を諭したアメリカのハリス。

『おぬしは常に逸り過ぎじゃ。機を待つことも時には大事じゃぞ』
と見守ってくれた兄・孫次郎。

水野奉行のようにアクの強い上役もいたが、彼もまた太一を成長させてくれた。

これだけ厳しい状況でまともな外交など難しかっただろうと同情はするが、幕府側も大切な人員を急に職から外したり間違っていると分かっていながら意固地に進めたり、太一同様ガッカリすることも多く、これでは外国だけでなく薩摩や長州などからつけ入れられても仕方ないかという部分が多かった。
そんな中抗う太一が憎めないのは、そうした『しくじり』の歴史をきちんと記し、外交において『してはならぬこと』を示し勝海舟に託したところ。
何故公儀が外交に失敗し、引いては公儀自体が消滅することになったのか、それをきちんと評価したところ。

物語は外国方の『しくじり』だけに終始したが、こうした太一らの努力があったからこそその後の建て直しもあったのだろうし、太一の外国方としての復帰もあったのだろう。分厚いページ数の割に公儀のやられっぱなしの物語なので痛快さはないが、何故か読後感は清々しい。渋沢栄一もチラッと出て来る。

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Posted by ブクログ 2020年03月01日

500ページ越えで長かったんですが読みにくくもなく、半日かけて読みました!主人公の田辺太一さんのことは知らなかったんですが、元々幕末が好きなのもあって、時代背景とかもするすると頭に入って面白かった。
やはり、歴史が変わる瞬間というのは、どの立場でもどこか切なくて、胸が締め付けられる気がします。田辺さ...続きを読むんの江戸弁が軽快で好きだった。わたしは平凡な人間なので、平三さんの気持ちがわかりすぎました。笑

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2019年12月09日

 著者作品3冊目。良く知る時代を、意外な人物の視点から描く新聞連載小説(2017年2月~2018年7月)。
 同時期、朝刊の「ワカタケル」は毎日読んでいたが、こちらは見落としていた(気づいた時には話はずいぶん進んでいた)。

 馴染みのある幕末が舞台。開国に踏み切り世が乱れていく渦中に、「外国方」と...続きを読むいう今でいう外交官・書記官に登用されるいち家人田辺太一の半生を通じ、幕末から明治に至る激動を外交という視点で幕府側から描いた、かつてない新鮮な内容の作品。

 新鮮・・・。いや、外交という点を除けば、幕臣の立場から見た幕末、明治維新は手塚治虫著『陽だまりの樹』が思い出される。正直、本書を読んでいても、多くの場面で手塚の描く登場人物がそのまま脳裏に浮かんでいた。
 田辺太一こそ出てこなかったが、桜田門外の変のシーンや、老中阿部のぬらりとした顔、亜国駐日大使ハリス等々。本書ではキーパーソンの一人である、外国奉行の一人水野忠徳は、『陽だまり~』のほうでは下田玉泉寺でのハリスとの交渉で大汗を拭きながら言を左右にハリス一行の江戸入りを拒んでいた役人だったのだろうか。岩瀬忠震、小栗忠順も登場していたのかもしれない。改めて『陽だまりの樹』も読み返してみたくなった。

 さて、その『陽だまり~』では、いっさい登場しなかった田辺太一が主人公。この人物に光を当てたところが著者の目の付けどころの妙(と言うか、『陽だまり~』で手塚が、伊武谷万次郎という一介の御家人を主役に据えたのと同じ視点だ)。
 攘夷論渦巻く国内の世相と、欧米列強の開港・交易圧力という内憂外患の板挟みで、軸の定まらないご公儀の勤め人たる太一が、上記の水野や岩瀬、小栗と言った上司に鍛えられ、勝海舟、渋沢栄一らの知己を得て明治まで駆け抜ける成長譚。

 著者の真骨頂と言うか、存在感ある人物造形が光る。主人公田辺太一は、軸のブレない一本気な性格。それだけなら面白みに欠けるが、「緊張が極に達するとつい噺家らしい口調になってしまう」という味付けをする。会話にリズムが生まれ、上司相手に噺家然と語り掛けるものだからハラハラもするが、愛嬌も添えていて面白い。女好きで放蕩癖という点も描かれるが、これはどうやら実在の人物もそうだったようだ。
 同僚の福地、家族である兄孫次郎、その嫁ツヤ、嫁の己巳子ら周辺の登場人物も太一と存分に絡んできて幕末の生活感を見事に描き出している。

 そして、もう一人、エッヂを利かせた人物造形は、なんと言っても太一の生涯の上役となる水野忠徳であろう。吝嗇家で頑固、自分の筋を通しすぎて左遷もされ、外遊の機会も棒に振り、部下である太一に類が及ぶことも一度や二度ではない。序盤は徹底的に厭な上司として描かれる。太一による洋銀兌換の二朱銀の提案も、さも自分の発案かのように部下の手柄を掠め取っていくのだった。
 この上司が、生涯を通じ太一を導いていく立場になっていくとは想像だにできなかったが、こりゃ作者に一本とられたと思わされる点。思い返せば、『光炎の人』でも、主人公の音三郎と対峙する科学オタクの金海という男が、ヤな奴として描かれるのだが、実は彼の考え方に正義があったという描き方をしていた。作者のお得意の手法か。

 だからだろうか、読み終えて、付箋を付けた箇所を抜き出してみて気づくが、水野が太一を諭す箇所が一番多く出てくる。曰く、

「前例を覆せばすなわち己が認められると考え違いをしておるゆえ、手に負えんのじゃ」

これは外国奉行のトップを交替させられる折に後任者に対して太一に愚痴った言葉だが的を射ている。他にも水野が太一に語る人生訓は枚挙に遑ない。

「誰にも認められずとも、己の信じることをやり遂げた者こそが、最後は功成り名を遂げるのだ」
「仕事というのは忠心、忠義ばかりで行うものではない。上役だの公儀だののために尽くす、という考えももはや古い。(中略) なにより己のためだと考えたほうがよい」
「そなたは公儀の家人よ。しかしだからといって、無私かつ忠誠であらねばならぬという法はない。いかに家人とて、駒のごとく使われてはならぬのじゃ」

 思うに、これは幕末の幕府閣僚を題材に、勤め人の心得を説いたビジネス書か?! 終身雇用、年功序列が崩壊し、企業と雇用者との新たな契約形態が模索される今の時代に投げかけられた処世の指南書のようでもある。
 変わり者水野をして、現代社会の逃げ腰とも言える部下の指導・教育姿勢にもチクリと物申す著者。

「叱るには覚悟と労力が要る。つまり相手の面倒を見るという肝(はら)よ。対して褒めるのは、心なくとも甘言さえ吐いておけば済む」

 なにかあればパワハラだと騒がれる昨今。後輩、部下の面倒を見ると肝をくくって接することのなんと希薄になったことよ。自分の子どもに対してもそうだもの。こうした視点で描いたのは作者の手腕でもあり、掲載媒体(日本経済新聞)の性格、あるいは時代の求めか。編集者とも、そんな作品トーンの打ち合わせがあったのかもしれないとと思わさせる。

 こうして愛すべきヤな上司に鍛えられ成長していく組織人太一。本書で描いた時代の先に、岩倉遣欧使節として再渡欧、人生の花をいっそう咲かせる時代もあるが、そこまで描かない作者の割り切りは、これまで読んだ作品同様見事だ。事実を列挙する歴史小説ではないのだな、これは。そう思うと、尚更、本書の言わんとすることは何だったのかと、視線の角度が上向き加減からちょっと下がってきたりもするのだった。

 幕府の一家人の視点から描く、ちっちゃな話だなと、読み始めは思う(いや、読み終わってもか)。司馬遼太郎が高度経済成長期に『竜馬がゆく』で描く幕末とは、視点の違いだけでなく、トーンも明らかに異なる。
 竜馬に感化されて、ありもしないが未知だということを幸いに己の可能性を信じ大いなる大志を抱けた当時と比べ、今の時代にこの小説を読んで十代二十代の若者たちは何を思うのだろうか。
 己の分をわきまえて、与えられた場所で任務を全うすることの大切さだろうか? 親方日の丸で所属した組織に期待するな、組織を利用して己を高めよという教えか? 

 自分もちっちぇ勤め人渡世の終盤を迎えつつある身ながら、変に期待させない昨今のこの手の小説のトーンに時代を感じる今日この頃。寂・・・。

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Posted by ブクログ 2019年09月20日

思わぬことに出版直後の新刊が借りられ、続けざまに幕末を舞台にした歴史小説を読むことになりました。
今度は木内昇さん、エンタメ寄りの佐藤さんよりはグッと重厚な感じです。
揺らぐ幕藩制度という内憂を抱え、圧倒的な技術力を持つ諸外国と言う外患に立ち向かわざるを得なかった幕末の外交の姿という珍しい視点から描...続きを読むかれた歴史小説です。

主人公は田辺太一という実在の徳川幕府の外交官僚です。攘夷を唱える諸藩の突き上げで揺れ動く幕府の政策、派閥的論理で次々に交代する外国奉行。そんな中で旗本の次男坊として生まれ、能力を買われて下位の見習いからスタートし、周りに振り回されながらもどこか一本筋が通った外交官僚・田辺太一の成長を描いて行きます。

いきなり田辺の奔放ぶりに笑ってしまいます。田辺の良き理解者である兄と、遠慮容赦のない兄嫁とのやり取りも面白い。でも読み進めるうちにべらんべえで破天荒な田辺の中にある真面目で一本気な姿が見えてきます。田辺を取り巻く狷介で皮肉屋なくせに実は面倒見の良い上司の水野、要領の良い同僚の福地(桜痴)、渋沢栄一、小栗忠順、勝海舟。次月に錚々たるメンバーが登場します。これも面白い。
ただね、常に誰かの下で働く田辺が主人公の物語のため、厚み(550ページ)の割にやや小ぶりにまとまってしまった気もします。

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