【感想・ネタバレ】万波を翔るのレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

待ちに待った、木内昇の長編歴史ドラマ。
幕末といえば勤皇だ攘夷だと表舞台にたつ人物のものが多いが、さすが木内昇は違う。今でいう「官僚」幕臣の立場からみた歴史だ。それを、幕臣の次男という立場だが、傑出した才能で城勤に抜擢された、田辺太一に語らせた。

幕府は長崎海軍伝習所に直参の次男、三男から優れたものを送り込んでいた。そこには薩摩や長州からも優秀な人材が集められており、勝海舟も咸臨丸で教えていた。ここで太一が日本中の優れた若者と対峙したが、攘夷思想に染まることはなかった。江戸に戻ると、新たに設けられた「外国方」として幕臣になる。亜國、英国、仏国などが日本に押し寄せようとしていた・・・。

上司の勘定奉行水野筑後守忠徳、同僚の平三、英語が得意な若者福地源一郎、兄と兄嫁など、魅力的な人物とが生き生きと描かれ、当時の武士の生活も垣間見られる。この描写は実に楽しい。木内昇の真骨頂!このおかげで、歴史に疎い私のようなものでも、ぐいぐい引き込まれて読み進む。
(長編には、是非とも主要人物紹介をつけてくださるよう、切にお願いします)

市井の人々から見た歴史物語は、中央の動きが伝わりにくいが、当時の下っ端の幕臣には、このくらいのことしか知らされなかったのだ。そこもリアルに伝わってくる。
そして何より、今に通じる、外交のあり方を問う。
幕府の白黒つけらない態度が、外国人の信頼を失い、優柔不断な判断が、太一らを苦しめる。失敗とみなされれば蟄居を命ぜられたり、切腹するものもあり、という理不尽な結末が待っている。上にいるものは生き残って責任を免れる。
過去の時代劇と思ってはいけない。

余談だが映画化、希望。大河ドラマでもいい。「いだてん」のように、時代に生きた、市井の人々のドラマが見たい。(来年度は渋澤栄一か・・・)

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2020年07月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

開国から4年、江戸幕府は異国との外交を担う外国局(外務省の先駆け)を新設する。
一筋縄ではいかない異国との折衝に加え、幕府への不信とともに高まる攘夷熱。
腕に覚えはないけれど、短気で鼻っ柱の強い江戸っ子・田辺太一の成長を通して、幕末における日本の行く末を追う。

日本に乗り込み次々に無理難題を押し付ける異国や、そんな異国へ勝手に戦を仕掛けたり幕府を通さずに直接取引しようとする諸藩に、ひたすら攘夷を要求する天朝。
そんな幾度も押し寄せる荒波に翻弄されながらも知恵を絞って果敢に立ち向かう太一。
幕末から明治へ激動の時代を懸命に翔け抜ける太一の姿は生き生きとして実に清々しい。

歴史上の事件名は知っていたけれど、事件の裏で外国局の武士達がこんなにも苦労していたとは。
長年の鎖国が解けて急に異人達とやり取りしなければならない苦労に頭が下がる。
言葉も通じなければ作法も食の好みまで何もかもが違う。
事前の情報もないままでの折衝はさぞかし大変だったことだろう。
己の信ずることを真っ直ぐに通す、志の高い太一に好感を持った。

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2019年09月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 著者作品3冊目。良く知る時代を、意外な人物の視点から描く新聞連載小説(2017年2月~2018年7月)。
 同時期、朝刊の「ワカタケル」は毎日読んでいたが、こちらは見落としていた(気づいた時には話はずいぶん進んでいた)。

 馴染みのある幕末が舞台。開国に踏み切り世が乱れていく渦中に、「外国方」という今でいう外交官・書記官に登用されるいち家人田辺太一の半生を通じ、幕末から明治に至る激動を外交という視点で幕府側から描いた、かつてない新鮮な内容の作品。

 新鮮・・・。いや、外交という点を除けば、幕臣の立場から見た幕末、明治維新は手塚治虫著『陽だまりの樹』が思い出される。正直、本書を読んでいても、多くの場面で手塚の描く登場人物がそのまま脳裏に浮かんでいた。
 田辺太一こそ出てこなかったが、桜田門外の変のシーンや、老中阿部のぬらりとした顔、亜国駐日大使ハリス等々。本書ではキーパーソンの一人である、外国奉行の一人水野忠徳は、『陽だまり~』のほうでは下田玉泉寺でのハリスとの交渉で大汗を拭きながら言を左右にハリス一行の江戸入りを拒んでいた役人だったのだろうか。岩瀬忠震、小栗忠順も登場していたのかもしれない。改めて『陽だまりの樹』も読み返してみたくなった。

 さて、その『陽だまり~』では、いっさい登場しなかった田辺太一が主人公。この人物に光を当てたところが著者の目の付けどころの妙(と言うか、『陽だまり~』で手塚が、伊武谷万次郎という一介の御家人を主役に据えたのと同じ視点だ)。
 攘夷論渦巻く国内の世相と、欧米列強の開港・交易圧力という内憂外患の板挟みで、軸の定まらないご公儀の勤め人たる太一が、上記の水野や岩瀬、小栗と言った上司に鍛えられ、勝海舟、渋沢栄一らの知己を得て明治まで駆け抜ける成長譚。

 著者の真骨頂と言うか、存在感ある人物造形が光る。主人公田辺太一は、軸のブレない一本気な性格。それだけなら面白みに欠けるが、「緊張が極に達するとつい噺家らしい口調になってしまう」という味付けをする。会話にリズムが生まれ、上司相手に噺家然と語り掛けるものだからハラハラもするが、愛嬌も添えていて面白い。女好きで放蕩癖という点も描かれるが、これはどうやら実在の人物もそうだったようだ。
 同僚の福地、家族である兄孫次郎、その嫁ツヤ、嫁の己巳子ら周辺の登場人物も太一と存分に絡んできて幕末の生活感を見事に描き出している。

 そして、もう一人、エッヂを利かせた人物造形は、なんと言っても太一の生涯の上役となる水野忠徳であろう。吝嗇家で頑固、自分の筋を通しすぎて左遷もされ、外遊の機会も棒に振り、部下である太一に類が及ぶことも一度や二度ではない。序盤は徹底的に厭な上司として描かれる。太一による洋銀兌換の二朱銀の提案も、さも自分の発案かのように部下の手柄を掠め取っていくのだった。
 この上司が、生涯を通じ太一を導いていく立場になっていくとは想像だにできなかったが、こりゃ作者に一本とられたと思わされる点。思い返せば、『光炎の人』でも、主人公の音三郎と対峙する科学オタクの金海という男が、ヤな奴として描かれるのだが、実は彼の考え方に正義があったという描き方をしていた。作者のお得意の手法か。

 だからだろうか、読み終えて、付箋を付けた箇所を抜き出してみて気づくが、水野が太一を諭す箇所が一番多く出てくる。曰く、

「前例を覆せばすなわち己が認められると考え違いをしておるゆえ、手に負えんのじゃ」

これは外国奉行のトップを交替させられる折に後任者に対して太一に愚痴った言葉だが的を射ている。他にも水野が太一に語る人生訓は枚挙に遑ない。

「誰にも認められずとも、己の信じることをやり遂げた者こそが、最後は功成り名を遂げるのだ」
「仕事というのは忠心、忠義ばかりで行うものではない。上役だの公儀だののために尽くす、という考えももはや古い。(中略) なにより己のためだと考えたほうがよい」
「そなたは公儀の家人よ。しかしだからといって、無私かつ忠誠であらねばならぬという法はない。いかに家人とて、駒のごとく使われてはならぬのじゃ」

 思うに、これは幕末の幕府閣僚を題材に、勤め人の心得を説いたビジネス書か?! 終身雇用、年功序列が崩壊し、企業と雇用者との新たな契約形態が模索される今の時代に投げかけられた処世の指南書のようでもある。
 変わり者水野をして、現代社会の逃げ腰とも言える部下の指導・教育姿勢にもチクリと物申す著者。

「叱るには覚悟と労力が要る。つまり相手の面倒を見るという肝(はら)よ。対して褒めるのは、心なくとも甘言さえ吐いておけば済む」

 なにかあればパワハラだと騒がれる昨今。後輩、部下の面倒を見ると肝をくくって接することのなんと希薄になったことよ。自分の子どもに対してもそうだもの。こうした視点で描いたのは作者の手腕でもあり、掲載媒体(日本経済新聞)の性格、あるいは時代の求めか。編集者とも、そんな作品トーンの打ち合わせがあったのかもしれないとと思わさせる。

 こうして愛すべきヤな上司に鍛えられ成長していく組織人太一。本書で描いた時代の先に、岩倉遣欧使節として再渡欧、人生の花をいっそう咲かせる時代もあるが、そこまで描かない作者の割り切りは、これまで読んだ作品同様見事だ。事実を列挙する歴史小説ではないのだな、これは。そう思うと、尚更、本書の言わんとすることは何だったのかと、視線の角度が上向き加減からちょっと下がってきたりもするのだった。

 幕府の一家人の視点から描く、ちっちゃな話だなと、読み始めは思う(いや、読み終わってもか)。司馬遼太郎が高度経済成長期に『竜馬がゆく』で描く幕末とは、視点の違いだけでなく、トーンも明らかに異なる。
 竜馬に感化されて、ありもしないが未知だということを幸いに己の可能性を信じ大いなる大志を抱けた当時と比べ、今の時代にこの小説を読んで十代二十代の若者たちは何を思うのだろうか。
 己の分をわきまえて、与えられた場所で任務を全うすることの大切さだろうか? 親方日の丸で所属した組織に期待するな、組織を利用して己を高めよという教えか? 

 自分もちっちぇ勤め人渡世の終盤を迎えつつある身ながら、変に期待させない昨今のこの手の小説のトーンに時代を感じる今日この頃。寂・・・。

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2019年12月09日

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