あらすじ
【第144回直木賞受賞作】御一新から10年。武士という身分を失い、根津遊郭の美仙楼で客引きとなった定九郎。自分の行く先が見えず、空虚な中、日々をやり過ごす。苦界に身をおきながら、凛とした佇まいを崩さない人気花魁、小野菊。美仙楼を命がけで守る切れ者の龍造。噺家の弟子という、神出鬼没の謎の男ポン太。変わりゆく時代に翻弄されながらそれぞれの「自由」を追い求める男と女の人間模様。
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作中常に漂う閉塞感、倦怠感、息苦しさ。とてつもなく気怠い空気がまとわりついてくる。
加えて、ポン太が作り出す得も言われぬ奇妙で妖しいムード。
アッと驚く何かが起こるでもない淡々とした進行なのだがページを捲る手が止まらない。まじないにでも罹ったように摩訶不思議な読み心地。
御一新により、これまでの価値観・常識が覆った事でわかりやすく無気力に陥った定九郎の白けた様子がなんだかまるで現代人っぽくておかしくも共感出来る部分がある。
癖になるなあ。
1刷
2022.4.5
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「自分は、まるで水底に溜まっている砂利粒だ。地上で起こっていることは見えないのに、風が吹いて水が動けばわけもなく揺さぶられる。地面に根を張る術もなく、意志と関わりなく流され続ける。一生そうして、過ごしていく。」
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「さあ、徳川の時代は終わった。みんな自由だ」
自由ってなんだ?何をしろと云うんだ。
明治の新しい世に放り出された元武家の定九郎。
焦燥感と諦めを抱えてもがく姿がよく描かれている。
怪談調に導くポン太と凛とした小野菊とキャラクターも抜群に効いていて、直木賞受賞作品では久しぶりに夢中で読み耽った。読後感も爽やかでまさしく傑作である。
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「自由」なんて聞こえはいいが、これほど「不自由」なものはない。
御一新から10年の根津遊廓。
武士の身分を失い遊廓の客引きとなった定九郎は、ただただやるせない日々を送っていた。
新政府の造り出した「自由」という厄介な柵に縛られながら…。
時折挟まれる落語や都々逸が物語の儚さをどんどん煽っていく。
捨てたはずの過去の柵の中でもがき逃げてばかりの定九郎。
それに対比するかのような花魁・小野菊の凛とした佇まいと華やかな笑顔が素敵!
時代の波に翻弄されても自分を見失わずに生きていきたい!
「自由」とは楽なようで、実はほんと難しい。
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定久郎は元武士、維新後家族捨て出奔。そして名を変え廓に身を潜めた。女は根津廓に売られてきた。どんなに美しくとも籠の鳥。小野菊花魁という名で生きている。彼女の情人、噺家ポン太。彼もまた名を捨て生きている。名を捨てた3人、カタチは違えど自由を求め行動をする。定久郎は翻弄されすぎて途中自由に負けそうになるが、小野菊とポン太がしかけた謎が明かされ全てに納得できた時、彼も彼なりの自由に出会えたのではないか。話に漂う面妖さは砂のよう。はらはらこぼれ心の片隅に塚を築いていく。塚が大きくなったその時、訪れるか私の自由よ。
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ここ最近、読む本にハズレがなく充実した読書ライフを過ごしてます。
面白かった。
それほどページ数が多くもないのに、ボリュームがありました。
いろいろな謎がラストで解決し、すっきりした読後感です。
遊女達の暮らしも、暗い描き方ではありませんでした。
題名の意味と、内容との関係が最後までよく分かりませんでした…。
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さすが木内さんと思える作品です。明治初期の世の中の急変と、そのなkでどこか江戸の雰囲気を残しながらも変わって行く遊郭の雰囲気がしっかり伝わってきます。ですが、好きかと言われれば左程でもなく。
『漂砂のうたう』と言うのは妙なタイトルだと思っていたのですが、読んでみれば納得。まさしく時代の激変の中で漂砂の如く漂う主人公達。特に
主人公の定九郎の諦念(というより逃避かも知れません)が精緻に描かれます。その姿が何とももどかしく。一方で時代に流されずしっかり根ざした妓夫の龍造や花魁の小野菊。むしろこ
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主人公があまり無気力に描かれているが、実は忍びだったり仇持ちだったり…と裏の顔を期待したが、特にそんな秘密もなく、本当に主人公?と思うほどだった。廓という狭い世界でひたすら静かに物語が進み、主人公はいつまでも世捨て人のままだが、中盤以降から小さな事件が起きて、気づけば物語に引き込まれていた。
全体的に希望を持てない重い雰囲気なのは、江戸から明治という激動の時代に生きるのは、実際こんな感じだったのか…最後は明るい結末が見られて良い気分で読み終えられた。
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最初は何の話かという感じだったが、最後の方の龍造との会話が美しすぎて泣ける。終始 感情の起伏を抑えた描写をしておいて、最後に落とす。あの数ページだけでも読む価値ある。
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御一新後に時世のお荷物となった「昔のお武家」の定九郎は、江戸の香りが残る遊郭の下働きに身を置く。 「これからは誰しも自由に生きりゃあいいんです」と言われても、世の中の変化に自分の変化が追いつかない。 部屋でゴロゴロするニートが「幕末に生まれてりゃなぁー」と言う飯尾さんのネタがありますが、 定九郎は「幕末に生まれてこなければなー」と思ったに違いない
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「選択の自由」、時代と共に流される「職」は、この明治初期と現代でも変わらない。 現代ではITが普及し今までの職がITによって置き換えられ、職が無くなる。それは今後も継続するのは間違いない。「転職の自由」、どこでどの様に見極め、自分の「天職」と言われるものを手にするかがこれからの時代だ。考えることより「行動」を是非ともお勧めしたい、それも35歳以下であれば。職種、職業(会社そのもの)が失くなる前に自分が思う「天職」を見つけ出すのはそのタイミングだ。
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今の今までずっとポン太や圓朝の噺を聴いていたかのような夢現な小説。
どんどん引き込まれてお話と現実の境目が曖昧になっていった。
小野菊さんのきっぷの良さ、大変素敵でした。
こんな人に出会えることはお話の中でも現実でも、中々ないような…
それに憧れはすれど、私にとっては定九郎さんの気持ちが大変わかるお話でした。
1万円選書の一つ。
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ずっと気になっていた。
ようやく読めたが、思っていたのとは随分違っていた。
不思議な読後感だった。
重い、というのともちょっと違う。
江戸から明治、この大変革の時代、人々はどんな暮らしをし、何を感じ、考えていたのか。
幕末の歴史小説を読む度に、TVで歴史番組を見る度に、結構気になっていた。
そこに一つの答えを示してくれたと思う。
もちろん遊郭は、ごく普通の人とは少し違う。でも、だからこそ、そこに流れ着いているのは変革からはじき出された人だ。そこに渦巻く感情、漂う諦観が鋭い輪郭をもって立ち上ってきた。
面白いというのとは違うが、興味深い作品だった。
しかし、直木賞を取ったというのは、意外だ。
確かに、後半の花魁の足抜けに関わる顛末は読ませるが、基本的には、一般受けするとは思えない内容なんだけどな。
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江戸から明治、時代の波に乗れず遊郭に取り残された人々の物語。文体はさらりとしているけど、ざらりとした鬱屈感漂う雰囲気。時勢に身をまかせ漂うように生きるしかなくても、器用に生きらなくても、水底を流れて削る砂粒のように誰もが跡を刻んでいるはず。生きることを後押しされる作品でした。
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読み終わって、ストーリーを思い出し追ってみても
起承転結、驚きの展開、心踊る出来事などはなく
淡々と進んでいったような気がする
それでも、この小説の世界に静かにずぶずぶと浸り
なんとも言えない世界観に酔って読み終わる
浮かれたところも、落ち込み過ぎるところもなく
不思議な出来事も、すんなりと受け入れて
小説という架空の世界を経験する醍醐味にひたった時間
Posted by ブクログ
最初の100ページあたりは正直言って退屈だった。
この作者の本は、別の短編集でもスロースターターだったなあ…
途中から伝奇物の様相を呈するけれど、夢が覚めてみれば、明るい空の下であった…ような。
途中、世相を映して、西南の役の様子が語られる。
西郷の最後の言葉「もうここらでよか」
明治の時代に乗りきれなかった人の象徴なのだろう。
ここを乗り切ったからといって、決していい時代には進まないことを、後の世を生きる私たちは知っているけれど、主人公にはこの先、地に足をつけて生きて欲しいと願うのだ。
巻末に紹介されていて初めてわかったけれど、表紙の絵は、小村雪岱でした。
この絵ではないけれど、埼玉県立近代美術館で絵を見て、気に入って絵葉書を買った画家でした。
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明治10年吉原遊廓。武家の出であった主人公は出自を隠しながら見世で働く。過去と現在との葛藤、縁を切った家族、縁を得た知人。皆御一新を経て変わらなくてはいけない壁や諦めと闘っていた。
木内氏の名もなき過去の人物の描写は、やはり、まるで見てきたかのような、それ以上にその時代に居た登場人物かのような繊細さと緻密さ。それによる時代の背景を味わえる。
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明治10年。根津遊廓に生きた人々を描く長編
ご一新から十年。御家人の次男坊だった定九郎は、出自を隠し根津遊郭で働いている。花魁、遣手、男衆たち…変わりゆく時代に翻弄されながら、谷底で生きる男と女を描く長編小説。第144回直木賞受賞作。木内さんは初読み。なんとなく乗り切れないまま読み終えてしまった。他の作品に期待したい。
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時は明治維新後、所は根津遊廓。登場するのは、客引きとなった元武士・定九郎、人気花魁・小野菊、噺家の弟子・ポン太。前半はダラダラ話が進む。後半は話が動くが、一体何が起こるのか?どう展開するのか?まるでミステリー。
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大政奉還、明治維新、そこから10年。根津遊郭の美仙楼(心淋し川のご近所でしょうか)の立番となり、客引きをする男は、元御家人、定九郎。出自を百姓と偽り、今の仕事に流れ着いた。日本の変化に取り残された男と、自由は名ばかりの遊郭の女達。
明治維新の主役とはなれなかった人たちを取り上げて、自由という言葉だけが先走る空虚な日々。
定九郎が、ずーっとふわふわしているので、物語もふわふわしてる。行きどころの無い、遊郭の女達の覚悟した雰囲気との対比で、その不甲斐なさが際立つ。武士がその立場を失った当時が偲ばれる。
情景とか歴史感はとてもしっくりと読めるのだけれど、所々に挟む「学問のすすめ」や「自由民権運動」が、あまり物語にハマってこないなあと思う。
花魁の失踪と圓朝の噺を重ね合わせて幻想的で良いんだけど、失踪の顛末は、あまりに想像通りでした。
Posted by ブクログ
これを読む少し前に「江戸開城」を読んだので、その時代背景を読み解くにはちょうど良かった。
二百何十年続いた大平の世が終わり、刀を捨てたお侍さん達の混乱は想像を絶する。内容とは少しかけ離れそういう事に思いを馳せてしまった。
今後日本人が経験する事は無いであろう最大級の革命、クーデター、大事件の爪跡の残る東京、根津遊郭の風景が頭に浮かぶ。それはとても暗くどんよりしていて下町の活気、風情などとはほど遠いゴーストタウンのようなものだったのではないだろうか。妓も、客も、廓で働く人たちも、なんだか誰もが腹の底から笑うような事もなく蜉蝣のように生きている様が浮かんでしまい、読むのが辛かった。
最底辺の仕事に就き住む家もお金も家族も無い定九郎であるが、きっとあのままずーっと暗い地下道を歩くような人生なのだろうなぁと思い、暗くなった。 今オカスな事だらけの 世の中だけど、時流れて、良い時代になったなぁ。なんて思ったりもした。
Posted by ブクログ
武士の家系に産まれたがら、現在は遊廓の客引きをしてる定九郎。遊廓が時代の流れに漂い、将来の希望も見出せないやる気のない彼と、周りの人たちもまた、それぞれの人生を背負っている。
Posted by ブクログ
………霧が晴れるまでが、長い!!
小野菊のくだりは何となく察しがついてたから、そこに至るまでの定九郎のもやもやグズグズが長いこと、長いこと!
最後に収束するにしては、それまでの鬱屈とした流れが……これでもか、これでもか、で、正直自分の中では綺麗に瓦解しなかった。はっきりしないことも多かったし。しんどかったー。
Posted by ブクログ
明治維新後、根津の遊郭で働く元武家という身分を隠して働く定九郎。
時代に取り残され仕事に身を入れずただ流される日々を過ごすなかで定九郎は何を見出すのか・・・
前半は読み進まないが後半は一気によめる。
Posted by ブクログ
籠の鳥とは、身体のことか、心のことか。
明治維新の頃の根津遊廓が舞台。時代はわかるけど、根津の遊廓のことは全然知らなくて、もっといえば廓のことは雰囲気しか知らなかったので、最初はちょっと難しかった。でも、読みとおせた。主人公の定九郎は、かっこいいというより心の弱さを見ているみたいで見たくない、かっこよくない。ここから逃げたい、でも逃げられない、逃げられなくても心は自由とは、そんなテーマ。
泥の中に身を置きながら、美しい小野菊。小野菊の強さ、美しさは、どんな悪意に晒されていても揺るがない。出られないのは、龍造も同じで、彼もまた揺るがない人。神出鬼没のマイペース、噺家の弟子のポン太。最初はこの人幽霊かと思った。自由とは、揺るがないことか。
直木賞ということですが、確かに読ませるな、と思った。木内昇さんの時代物は『新撰組幕末の青嵐』を読んだけど、これもなかなか面白く、他も読みたいと思った。
Posted by ブクログ
中盤までは主人公に肩入れできず、読み進めるのが辛かった。新時代を受け入れる事も出来ず、かと言って逆行して新政府と戦う勇気もなく、今いる場所で努力することもせず、常に自分の居場所はここじゃないと逃げることを考えている主人公。でも結局今まで生きていた自分の証みたいなのは癖となって消そうと思っても消えないんだね。それが分かった時の感じは哀しいような…何とも言えない。
文章はきれいで好きなんだけど、キャラクターが好きになれなくて残念でした。