小倉広のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
部下のマネジメントの本
良いことは言ってるんだけど、例がどれもできてない例ばかりである。
なぜできないかの深堀りもないしで説得力が薄い。
別な章で同じこと言うなど構成が下手なので本としての質は低くなってしまっている。
考え方は良いのでもう少し上手く書いた本に出会いたい。
①無理を承知で任せる:失敗する権利、既に課長の仕事の人を課長にする、
②任せる仕事を見極める:責任を任せる、リーダー適正
③任せると伝える:ビジョンを合わせる、結果を求める、やり方は任せる
④ギリギリまで力を発揮させる:仕事のレベル・影響力・自己成長を求める、敬意を払う
⑤口出しを我慢する:事実・主観・評価・提案・命令のフィードバック、トータルでプラスか
⑥定期的にコミュニケーションする:集1回、能力xやる気で指示・メンタル対応を変える、認める、期限・マイルストーンを作る
⑦仕組みを作って支援する:平凡な人材で非凡な成果、武器を与える、標準化・単純化・専門化、ストーリーによる横シャワー -
Posted by ブクログ
「ヤフーの1on1」を読んだのがすでに3年前。
自分でも実践していなかったし、その間に職場が2回も変更になったために、記憶にはあったが、重要度は低くなっていた。
1on1は全社的導入ということになれば、非常に意味があるだろう。
トップの明確な意志がないと、制度が形骸化してしまう可能性があるからだ。
しかし部署単位でも個別に熱意を持って続けることは意味があるかもしれない。
そこから全社に広がってもいいし、そうでなくとも部内の課題が解決されていくならば、それはそれは意味があるだろう。
もうすでに平成も終わって令和の時代。
昭和時代の呑みニケーションも遥か昔。
確かにかつては呑みニケーションが機能している面もあった。
部下の成長を促していたり、時には上司部下でも喧嘩していたり。
仕事に対する真剣さがあったし、意見交換することで課題を表面化させ、時には解決することもあった。
逆に言うとマイナス面もあった訳だ。
金銭面の問題や、パワハラ、モラハラ、セクハラなども筆頭だろう。
いつしか呑みニケーションは時代錯誤となり衰退した。
逆に代替えするコミュニケーション手法が見つけられずにいたのが平成時代なのではないだろうか。
平成時代は、部員と意見交換をする機会が激減した。
仕事の課題も放置され、中間のマネジメント層は非常に辛い状況になった。
時代と合わせて人口区分も大きく影響した。
病んだマネジメント層は人口ボリュームとしても厚い層だ。
だから病んだまま降格されずにマネジメントに居続ける。
さらに、平成世代はいつまでもたっても出世が出来ない。
リーダーを育てる環境が作れなかったのだ。
これらが負のスパイラルのように絡み合っていく。
不幸なのは、それでも会社が潰れないでいたことだ。
そんな競争力のない会社がドンドン潰れて新陳代謝が繰り替えさせれれば、まだ新しい時代に合ったコミュニケーションやマネジメント手法が出来上がっていっただろう。
しかしそうはならなかった。
そして、今の令和の時代になり、さらにコロナショックで、いよいよと変化せざるを得ないことになった。
これからが本当に我々が試されている時代に突入する。
このまま朽ち果てるのか?それとも生き残るために変化するのか?
1on1は確かに有効な手段だ。
それは端的に「人は一人では生きていない」ことを意味している。
そして、単なる集団としての会社ではなく、「チーム」として機能できるかどうか。
一人一人の能力は小さくても、チームとして最大のチカラを発揮する。
まさにそういう事が出来ることが、リーダーとして求められることなのだ。
今のリーダーだけでなく、次の世代のリーダーを育てるために、他者貢献の心も植え付けていく必要性がある。
次の世代をどうやって育てて、事業を継続させていくのか。
会社としてどうやって成長をしていくのか。
それは、社会に対してどうやって貢献していくのかに他ならない。
課題は非常に複雑だ。
だからこそ、1on1で少しずつ解きほぐす。
意味はあると思う。
(2020/7/12) -
Posted by ブクログ
著者によるアドラー本2冊目。所々参考になるものの、根本的なところで納得出来ないというか。。
自他の課題の分離なんていいつつ、「他者への貢献」なんて実際には出来ないでしょう。他者への目線があるからこそ、貢献もできるわけで。「(他者への貢献に対する)自分の課題とは、環境づくりのこと」と、割り切ればいいのかもしれないけど。。
所々参考になったのは、以下のようなこと。
・アドラー心理学における教育の目標は「共同体感覚の育成」。共同体感覚とは、①自分は誰かの役に立つことが出来る=自己信頼、②周囲の人は自分を助けてくれる=他社信頼、③自分は社会に居場所がある=所属感、の3つ。そして、共同体感覚を身につけるために「まず他者への貢献から始めよ」
・賞罰教育を受けた子どもは、他社の評価に依存するようになる。(あくまでも大事なのは自身の課題を、どう評価し、判断するか。)
・叱らない。しかし、間違いは正さなくてはならない。そんなときは、2つの基本的指導法を手を変え品を変え継続する。まずは「主観伝達」と「質問」で部下に考えさせる。それでもアイデアが出てこない場合は、次の手として「誘い水」をかける。そして、水が出てきたらサッと引く。「出ては引く、出ては引く」を繰り返す。
・主観伝達は「アイ・メッセージ」で。
・質問はべき論でなく、「どうしたいのか?」
・人は「やらされた体験」からは学べない。自分の意思で決め、試行錯誤した中での体験だからこそ深い学びが在る。 -
Posted by ブクログ
著者の他の本と、然程変わらない。読みながら、「あれ、この本読んだことあったっけ?」と思うほど。
ただ部分部分では所見の記述もあり、参考になった。
根本的なところで思うのは、「他人軸でなく自分軸で評価せよ」というが、リーダーの価値は、他人(部下や同僚)を幸せにすることだ、ともいう。
つまり、どうやっても他人軸からは抜け出せないのではないか、と思うのだ。本当に自分軸というなら、仏教の修行僧のように、家族も何もかも捨てて、涅槃を目指す…ということにならないか。うーむ。
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他人に軸を預けている限り、私達は人生においても幸せになれない。なぜならば、幸せかどうかの判断を他人に委ねているから。
自分の中に軸を作り、結果ではなくプロセスを見て、それだけにこだわるべき。
自分には師がいないという人ほど、相手のちょっとした欠点が許せない。自分はできていないにもかかわらず、相手にパーフェクトを求めたがる。
陽徳を積むと、エネルギーを奪われる。「いいことをする」といった瞬間に批判され、誹謗中傷の的となるから。リーダーは、そもそもが、常にエネルギーを奪われる宿命にある。
だからこそ、永遠に陰徳を積み続ける必要がある。
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Posted by ブクログ
全部で100の心構えが紹介されている。初見の話は多くないものの,耳が痛い話が結構載っている(個人的には特に,仕事や習慣のところ。「緊急でない重要事項」がおそろかだったことを痛感。)。できてないものは何度も指摘して欲しく,またテーマも幅広いので,案外重宝するかも。
ただし,著者の考えるルールであり,著者の生きた(類似の本でもよく紹介されるような成長できるための)恵まれた環境や(バブル的な)時代感が大きく反映されているところがある。この本のあたりまえをすべて習得してできるものは著者のコピーでしかないことを念頭において,自分にあてはまるかどうかを考えながら読みたい。 -
Posted by ブクログ
過去にも何冊か読んだが、書かれている内容が実践的で好き。
著者の奥様のエピソードはさもありなんと笑ってしまった。
よく「いいところだけを見つめる。悪いところは目をつぶるべきだ」などという人がいますが、私はそうは思いません。それは簡単なことではないからです。
仮に悪いところに目をつぶったところで、やはり私たちは我慢できなくなるものです。…
そうではなく、「いい面も悪い面もセットで相手を認める」のです。
そのためには、前提として「あらゆる人間は不完全である」ということを認めなくてはなりません。そして、一歩その見方を前に進めて「人間は不完全であるからこそ魅力的である」と考えるのです。
たとえば、「君は優秀だね」「よくがんばったね」といった褒め言葉は、考えてみれば、明らかに「上から目線」の発言です。
…
ここで唯一彼らに対して有効な褒め方というのは、「認める」ということです。
それは、新幹線の時間に間に合わないかもしれないというギリギリの状況でした。そんな私の焦りを知るはずもない妻が気軽に話しかけてきました。
「ちょっとあなた、聞いてよ!」
「どうしたの?」
内心、焦っているのですが、妻との会話を大事にしなくてはならない、と考えている私はムリに平静を装って振り返りました。すると妻は、何とも意外な言葉を私に投げかけてきたのです。
「ご近所の山田さん、分別ゴミの日なのに、そうじゃないゴミまで捨てていくのよ!ひどいでしょ!!」
こんなに忙しくしている私に話しかけてくるのですから、「よほどの緊急事態か?」と思いきや、妻はこんなに呑気なことを言い始めたのです。
「そんなことどうでもいいだろ。今そんなことを聞いてる暇はないんだよ!」と私は思いました。しかし、私はコミュニケーションの先生です。「どうでもいいだろ!」と答えるわけにもいかず、内心イライラしながらも、ぐっとのみ込み、こう言いました。
「そ、そうか。よし、わかった。じゃあ、今から僕が山田さんにちゃんと言ってくるよ」
ところが、妻から返ってきたのは予想外の一言でした。
「ちょっと、何いってんのよ!余計なことしないでよ!!」
山田さんならまだしも、なぜか私が激しく叱られてしまったのです。
―余計なことって……、こっちはお前のために、しかもこのクソ忙しいときに、わざわざ問題を解決してあげようとしたんじゃないか!!私はこみあげる怒りをぐっとこらえて、こう続けました。
「わかった、わかった。直接言ったんじゃ角が立つな。じゃあ清掃局に電話をするよ」
するとまともや予想外の反応です。
「何言ってんの、バカじゃないの!!」
さらに妻は激怒してしまいました。
この共感は部下たちのプロセス行動=努力へ対しての共感であり、決して愚痴や不満の「中身」に対する共感ではありません。
打たれ弱い人間とは、「不完全な自分を認めることができない」人間のことである。
打たれ強い人間とは、決して完全無欠な人間などではない。
そうではなく「不完全な自分を認める勇気がある」人間である。
そして同時に、「不完全な他人を認める勇気がある」人間である。
only if(○○ができれば私はOK。あなたもOK)ではなく、
even if(たとえ○○ができなくても私はOK。あなたもOK)で生きること。
これこそが、真に強い人間である。 -
Posted by ブクログ
人に仕事を任せるに際しての「考え方」を書いた本。
「こうやればうまくいく」的なハウツーではありませんでした。
おそらく、多くの人が「わかっちゃいるけど、それができないから困ってるんだよー」と思っているであろうポイントが
正しく列挙されているような印象を受けました。
任せるとは関係なく、「自分に矢印を向ける」という考え方は、改めて大事にしたいと思いました。
それはつまり、自分に仕事を任せてくる人がこの本に書いてあるような意味での任せ方をしないからといって、
「あいつの任せ方はよくない」などと考えず、
「この状況に対して、自分は何ができるか?」と考えていく、というようなことです。
・・・気をつけまーす(・_・;)