三木俊哉のレビュー一覧
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何かをやり抜くのにどういう思考が必要なのか
【内容メモ】
・すごい人を見るとすぐに神格化したくなるが、その人も小さなことの積み重ねで達成されたもの。努力は才能をはるかに凌駕する。
・やりたいと思う高い目標の下には、ピラミッド構造の中位目標・下位目標があるべき。よくあるのは、中位目標が抜け落ちていて、結局達成できない。
・目標達成のための練習は、「意図的な練習」で常に負荷をかけてフィードバックを行い、改善に努める。
・「意図的な練習」は負荷が高く、アスリートでも一日5時間が限界。一方意図的でない練習は、楽であり、成果への結びつきは弱い。
・興味と目的は、情熱の源泉であり、目的に他社がいると余計やり抜く力は強くなる。
・逆境の際には、「成長思考」で粘り強く努力できるようにしよう
知性は伸ばせると理解する・楽観的な思考のトレーニングする・人の助けを借りる
【所感】
最後のほうは、子育て論で少し流し読みした。
目標の正しい設定・目的の中に他社貢献をというポイントはほかの本でも共通する要素で、改めて重要なのだと理解した。
すごい人を見ると神格化して、自分から遠ざけるが、楽な道に逃げているだけと考えるようにする。より一層人から吸収するように意識できると思う。
経験の蓄積の話で、フィギアスケートの回転数が瞬時にわかる解説者の話があったが、その道を経験している人としていない人では同じ事象も違う見え方/解像度が違う。日常会話でもそのずれは発生するものだと感じた。 -
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気候変動会議派の本と安易に括ってはいけない本。
以下内容解釈 ナラティブに書いているが、これを科学者としたらデータを用いて書かれているのが本書の強み
昨今何でもかんでも地球温暖化のせいにされて報道されていると感じるが、100年で1度の温暖化と最近暑いという体感はスケールが全く合っていない。
様々な要因により、局地的に見れば気候が変動していることがあったとしてもトータルの温暖化とは別と考える必要がある。
台風や豪雨といった現像の実際のデータを見ることで、災害の激甚化がファクトと合ってないことも明らかにされている。
温暖化における人為的要因はどの程度か?
これは回答が非常に難しいということが伝えたいことであろう。
地球レベルのシミュレーションがいかに難しいか、然るにそれらしくなるような調整が必要で、その上で予測された未来についてその正確性には疑問符がつくということを強調している。
こうしたことを踏まえると、
そもそも温暖化が悪いのか?
という問いに向き合った時に、人間活動で大きく増えてる CO2には温室効果があるし、これが温暖化に寄与してるのは間違いないが、これをゼロにしても効果は限定的だし、なによりそのコストは莫大。
であれば緩和から適応に軸足を移し、温暖化した世界に人間が合わせる方が良いではないか。 -
Posted by ブクログ
詳細は本文で正に詳細に解説、議論されているが、本書の主張は巻末のあとがきや解説にあるように、
・そもそも気候に自然変動は大きく、人間活動が与える影響は限定的
・長期間(50-100年)の視点でみるとハリケーン等による災害の激甚化、頻発化の事実はない
・IPCC等が議論の前提にしている数値モデルの信頼性は低い。現在の科学技術水準で長期間の気候予測は不可能
・COPが唱えるようなCO2削減は現実的に不可能で、実現しても温暖化は防げない
・人類はその歴史の中でさまざまな気候変動を生き抜いてきた。CO2削減しなくても気温上昇は限定的で個別に対応できる(著者のいう「適応戦略」)
・CO2削減に巨額の費用と労力をかけるより、適応力に劣る途上国の経済発展と制度充実を促すべき
・気候変動に携わるマスコミ、政治家、事業家は科学的理解に欠けており、科学者は不誠実。事実を虚心坦懐にみれば結論は明らか
著者は米国科学界を代表する科学者(物理学者)の一人で、その提言の意味は軽くない。
この問題についての主流の議論が、人間が自然をコントロールできるという、大自然に対する人間の傲慢さを反映していると感じるのは思い違いだろうか。 -
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気候変動について現代の科学でわかっていることと、わかっていないことを区別して書いている。
わかっていること:
1.11世紀くらいから19世紀前半まで気温は下がってきており、その後長期的に気温は上昇している。人間によるCO2の排出が増えだす前から。
2.人間の排出するCO2は、地球上のCO2の濃度を増やしており、それが気候に何がしかの影響を与えている。
3.長期的に見て台風や山火事などは、増えていない。
4.人間が出すCO2をピークアウトさせたり、減らすのは極めて困難。
わかっていないこと:
人間の出すCO2が気候に対してどの程度の影響を与えてきたのか、これからどの程度の影響を与えるのか。 -
Posted by ブクログ
『レフ・トルストイの1894年の哲学論文『神の国は汝らのうちにあり』には、以下のような考察が出てくる。【いかに難しい話であっても、そのことに関して先入観のない人に対しては、いかにその人の頭が悪くても説明が可能である。だが、いかに単純な話であっても、そのことをとっくに知っていると固く信じている人に対しては、いかにその人の頭がよくても説明が不可能である。】』―『PartⅠ サイエンス/第10章 誰がなぜ科学を壊したのか』
確かにその通りかも知れない。ただし、頭が悪くても、話していることについてのリテラシーがあれば、と自分なら条件を加えるだろうけれど。科学的な思考についての無理解というのは、やはり手に負いかねるような気がしてならない。
石油開発に直接関わる仕事をして来たものとして、近年の気候変動の社会問題化(思うのだが、気候変動が問題なのではない。何故なら気候は必ず変動するものだから。それを社会問題であるとするか否かが問題になっているのだ)に関しては見て見ぬ振りではいられなかった。それどころか問題点の真偽について技術的な見解を求められることも多かったので、議論を生んでいる要点については一応理解しているつもりだ。そもそも地質学を学んだものの視点として、地球環境の変遷はヤワな現代人が経験している変化より大きなものであると理解していたし、アル・ゴアの有名な本が指摘していることについては元々やや懐疑的な立場であったというのが正直なところではある。多くの人が温暖化の元凶と思っている二酸化炭素の大気中の濃度についても、有名なホッケースティック状のグラフばかり引き合いに出されるが、実際には地球史を通して二酸化炭素の濃度は大局的には減り続けており、大きな目で見ればその結果として地球は氷期と間氷期を繰り返すようになっている(今現在も実は定義からすれば氷河期なのだと言ったらどれだけの人が驚くことだろう)。海水準の上昇についても、今より温暖な縄文時代には汎世界的に海水準が高かった(東京も武蔵野や下総台地以外は海の中だったと、ブラタモリで毎度説明している筈だし、ノアの洪水を始めとする古代の洪水の神話が各地で語られているのもこの時期の記憶の残滓とも言われている)し、そのサイクルは周期的に繰り返し、かつ温暖な間氷期は氷期に比べて短期間で終わることも地質学的な常識として理解しているので、海水準の変動で地球環境が取り返しのつかないことになると言われてもうむと唸ってしまう。そして、これは科学的思考というより個人的な思いだが、地球上の生物の歴史の中で人類と呼ばれる生物種が如何に新参者であるかを知る身としては、自然環境保護とかサステナブルという言葉に人間の驕り(人が自然を制御できるという考え方)が潜んでいるように感じてならない。
地球温暖化に人類がどれ位影響を与えているかという議論は生業としている事業の将来像を予測する上でも避けて通れない議論だ。その問題に関して個人的な感傷はあるものの、技術評価を長年してきてものとして要点を問われた際には出来るだけ中立的に色々な情報を集めて議論の材料としたつもり。その際、確実な気候変動の予測が如何に困難なことであるのかも併せていわゆるマネジメントに説明するのだが、その時の経験から言うと、ことは科学的な確からしさを問う段階から宗教裁判のどちら側に就くかを問う段階に移行してしまった感がある。それ故、本書の出版には気付いていたもののどうせ読んでも意味は無いという思いもあり、更にこの本がトンデモ科学者による強引な主張の本であるかも知れないという先入観も手伝って、中々手を出すに至らなかった。それでも今更ながらに読んでみたのは、自分自身がそういう不毛とも思える論議から少し離れた立場になったことが一番の理由だ。
著者のスティーブン・E・クーニンは、英国の石油会社BP--余計な話だが、BPは元々前身が旧セブンシスターズの一つであるアングロ・ペルシャ石油であったBritish Petroleumという会社が、ロックフェラーのスタンダード石油から分割された会社の一つであるAMOCOを(BP Amocoと改称)、更に独立系石油会社のARCO(Atlantic Richfield)を買収した後改名した会社の名前で、元の会社の略ではなくBP(plc.)という社名。当時は「Beyond Petroleum」(本書279頁参照)という意味だとも宣伝していた。そんなスローガンもあってか、BPは大手石油会社(いわゆる一つのスーパー・メジャー)の中でも環境問題に人一倍真面目に取り組んでいる(ロゴの色含めて)「グリーンな」会社として業界では知られている--の技術者でもあったことから、米国の某社程ではないにしろ、右派的(反環境派的)な著者の書いたものなのかと思いながら恐る恐る読み進める。しかし図らずも本書が事実を良くまとめた真面目な一冊であることを確認する。特に、パートⅠのサイエンスと題された本書の主要部分を読めば、必ずしも科学一般についてのリテラシーが高くなくとも注意深く論旨を追えば、何が事実で何が誇大広告的な話なのかが理解出来る筈だ。
一方、この問題に多少真面目に取り組んだものとして新たに気付かされたことはほとんどなくて、少し真面目に文献調査をすれば気候変動の社会問題化の問題点については理解が可能であることも再確認される。ほぼ唯一目から鱗的だったのは、地球の黒体放射に与える二酸化炭素の熱収支の影響が1%程度であるのに気温の上昇が10%近くなるのを漠然と辻褄が合わないと思っていたことについて。温度を摂氏ではなくケルビンで考えなければならない、と指摘されて「そりゃそうだよね、ガッテン承知の介です」となった。それと気候モデルのアンサンブル表示は何度も見ていた筈なのに、1905年からの約40年間の気温上昇がどのモデルも実際の上昇傾向を再現できていないというのもグラフの混雑の中で見落としていた。これはモデルの適合性、特に人類の社会活動の拡大と二酸化炭素の排出の温暖化への感度を問うのに重要な点だというのに(その後の寒冷化の傾向がどのモデルで再現されていないのは有名な話だ)。
ミランコビッチ周期という概念こそ出てこないものの、気候変動が天体としての振る舞いや海水温の長期変動周期に影響される話などの主要な物理的因子については網羅的にきちんと整理され、太陽光の熱収支、各温室効果ガスの影響度と特に水蒸気の影響度の大きさとそのモデル上での扱われ方に潜む不確実性の話などのモデリング上の問題点を含めて核心をついて指摘されており、議論に必要な要素は網羅されているという印象。しかもいわゆる孫引きではなく可能な限り元のデータに遡って調べているし、その引用元も参照できるのは、この問題に真面目に取り組む人にとってはありがたい本。何より気候というものは定義からして最低でも数十年単位の傾向を捉えるものであるのに、多くの人がそれを数年単位の気象現象の変化と混同しているとの指摘は正鵠を射るもの。その結果の不確実性故に、IPCCでも多くの気候モデルを並列に扱っているというのに、まして気候モデルでは海水準の変化や降雨降雪量の推定や台風やハリケーンの発生などの長期的な予測は出来ないにも拘らず、これらの短期的な現象に一喜一憂しては気候変動の影響と結びつける風潮に著者は警鐘を鳴らす。もちろん著者も地球が温暖化の周期にあることは認識し、その傾向に人類の活動が何らかの影響を与えていることは認めている。ただし、それが人為的な二酸化炭素の削減を行わなければ取り返しがつかない事態になる、あるいは制御可能であるかのような短絡的な結論を急ぐ「科学」を否定しているだけなのだ。
パートⅠの最終章「誰がなぜ科学を壊したのか」からパートⅡ「レンポンス」に関しては、それまでの章とは異なり著者の個人的な解釈が多く含まれる。ここでは人間の経済活動やその影響度の経済価値など気候モデルとは異なるタイプの不確実性が含まれる故に自然現象の予測以上に前提条件の確からしさに疑義が残ると自分は考えているのだが、著者は案外単純にシンクタンクが説明するようなシナリオを軸に価値を判断しているようにも思う。特に最後の章「プランB」では、気候変動の実態を知るパートとは異なり人類がこの問題にどう対応出来るのかが語られるのだが、その説明は慎重に聴いておく必要があるだろう。ただし、不確実性の高い気候変動の予測を前にして、不可知である(結局、自然現象はカオス的に振る舞うのだというローレンツの教えの通り)が故に何をしても無駄であると投げ出すのではなく、科学者として何が言えるのかを絞り出してみたという主旨の章であり、その主張の土台となっている考え方そのものは有効であるとも思う。
『「説得」のための誇張やウソに惑わされないために私は科学者として、科学界の実に多くの個人や組織が、情報提供ではなく説得のために気候科学を誤って伝えていることに失望している。しかし、あなたも一市民として気をつけなければならない。民主主義社会では、有権者が最終的に気候変化への対応方法を決定する。科学が言っていること(と言っていないこと)を十分知らずに下される決定、悪くするとウソの情報に基づいて下される決定が、よい結果につながることはまずない。新型コロナウイルスでもそのことをつくづく思い知らされた。気候やエネルギーでもそれは同じことだ』―『PartⅠ サイエンス/第10章 誰がなぜ科学を壊したのか』
企業の経営者たちは一度冷静に本書を読んでみるべきだと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ気候危機説は捏造だ!
温暖化の科学は決着していない!もともと気候は自然変動が大きい!
ハリケーンなどの災害の激甚化、頻発化などは起きていない!
数値モデルによる温暖化の将来予測は不確かだ!
大規模なCO2削減は現実的ではなく、自然災害への適応が効果的だ!
足元、一方向の議論になりがちな「気候変動」。
全てが人間によるもののように報道されているが、気候変動の要因には様々なものがあり、過去のデータを紐解けば、ここ数十年の温暖化のような事象は、数万年、数十万年まえの地球においても、発生していた。
質の悪い石灰を燃やした時に出るエアロゾル微粒子が太陽光を反射するので、冷却効果を持つ。
気候システムを流れるエネルギーのうち、人間の影響は1%に過ぎない!
「モデリングは不確実」ならば、気候変動における人間の影響を計測、予測するのも不確実なはずだ!少なくとも、人間のせいだと決めつけるのはおかしい!
米国における竜巻の発生件数は、1950年の2倍!しかし、以前は検知できなかった、弱い竜巻の数を数えられるようになったからに過ぎない。
レベル1以上の竜巻の数は、1950年となんら変わらない。
気候は長期、気象は短期。でも、みんな、数日暑い日が続くと、その気象動向をもって「気候変動!」と呼ぶ。。 -
Posted by ブクログ
非常に良かった
著者は温暖化懐疑派だが、感情論ではなくエビデンスをベースとして、今の人間活動原因説を明確言えないことを述べている
そもそもスタートが人間活動が原因ということを決めつけられ、それに合うような結果、シュミレーションを見せるようになってしまっている
結局は客観的か科学的根拠から判断するのではなく、科学が上手いように悪用さらてプロパガンダとなってしまってる
政治が絡むと科学的に正しい事ではなく、目先の利益や国益が優先されてしまう
科学者がその一端を担ってはいけないと思う。だが、そもそも頭のいい政府の役人達はそれを承知の上でやっているのではないか?そこまでバカなのか?
気候の観測、解析技術を向上させることが重要で、そこにお金と時間を使うべきだと感じた
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Posted by ブクログ
534ページある分厚い本である。本の厚さに躊躇している人がいたとしたら、そんな心配は無用である。まるで、小説を読んでいるかのごとく、語り手のリズムに引き込まれて、時間を忘れて読みふけってしまった(私はそうだった)。物語は、2006年9月22日アメリカのユタ州で発生した交通事故から始まる。1980年代から世の中に徐々に浸透していった文明の利器である携帯電話が社会にどんな影響をもたらすものかを科学的な検証、事故の統計、事故の当事者へのインタビュー、事故当時の時代の空気感(当時の常識的な考え方)等様々な視点から多角的に追体験していくことになる。
とはいえ、学術的な書きっぷりではなく、当事者はなぜその行動を起こしたのかという思いや、体験したときの心情も語られるので、小説を読んでいるような気がしてしまう。著者の綿密な取材と書き手としての才能であろう。
ぜひ多くの人に読んでほしい一冊。
新しいテクノロジーが生まれると、多くの人が夢中になり、社会に浸透していく。今までにないものが登場することで、新しい問題も同時に生まれる。今ではよく聞く言葉になった「ながらスマホ」。一度はやったことがある人がほとんどであろう。本書を読んだあとは、絶対に「ながらスマホ」はやらないと考え、即実践するでしょう。スマホは便利なものだが、人間の注意力を奪うもの。スマホは時と場所をわきまえて利用するものと認識するべきなのだ。
冒頭に発生した事故の加害者となってしまったレジー・ショーさんの体験を私達は本書でたどることになる。彼の物語を知った読者にも、著者は行動を促している。こんな悲しい事故は二度起こしてはいけないのだと。 -
Posted by ブクログ
正直言って、ものすごく読みづらい本!(そして、そこそこ分厚い)
話が章ごとに、まったく違うことを語っていく。
・ルーンショットとは誰からも相手にされないバカげたアイディア
・バカげたアイディアを潰されないようにどう守るか
・既存モデルを守るだけでは絶対に衰退する
・水と氷の平衡状態が大事
・アーティストとソルジャーの共存が大切
・イチ組織の人数は150人が最大。それ以上になると官僚的になる。
・ある閾値を超えると、一気に物事が進むことを意識する
それぞれが完結した内容となっている。
どこにどうやって集約されていくのかが読めない本だったが、何と最後の数ページですべての伏線が回収されていくという!
(謎解き映画かよ?という感じ)
一番の腹落ちは巻末の解説でした。(笑)
ここでそれぞれの伏線の意味を解説してくれて、なぜ最後に結論付けているのかを、ものすごく明確に説明してくれるという!
(ただし先に解説だけ読んでも、その思いとか、深い部分までの理解は得られないと思うので、やっぱり我慢して最初から読むしかない)
最後の最後まで読んでみて、ようやく「んんっ!」と唸る本。
ただ、本当に今のこの時代に読んでみる価値はある!
「イノベーションのジレンマ」が有名だが、やはり今現在の成功事例があると、それを否定してまで新しい事に取り組むことは相当に難しい。
その辺が丁寧に描かれている。
成功している企業は規模が大きくなるから、上記で言う「150人の壁」を超えてしまう。
そうすると途端に「仕事をする(ここで言うルーンショットをめざす)」ことよりも、「社内政治(上司や周囲と関係を築く)」ことにインセンティブが働くという。
これは納得感がある。
ある程度の規模以上の会社は、自分一人が頑張っても、サボっても影響力が少ない。
だったら本業を磨くことよりも、如何に同僚を出し抜いて、自分が組織の中で有利なポジションを獲りに行く、という方向を目指す事になる。
これが150人という単位なのだという。
同じ会社としても、支店や工場など、ユニット単位を150人を意識して組織づくりをする旨を説いている。
これと、ルーンショットとどう結びつけるのか。
これが「水と氷の平衡状態」「アーティストとソルジャーの共存」などが関係する。
スティーブ・ジョブスの例が出てくるが、Appleの成功は特殊過ぎる。
むしろ、Next・Pixerといった「まだ芽が出てないルーンショット」の話の方が面白い。
社内で「平衡状態」を保つのは本当に難しい。
しかしある日突然に、ブレイクスルーを起こす日が来る。(これが閾値超えだ)
放たれたルーンショットは、いつかそれが普通のこと(技術)となり、また新しいルーンショットを探す、育てることに向かう。
本当に読んでみて意味がある本と思う!
是非一読を!
(2020/8/26)