西條奈加のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ短編連作にしても、どうにも似たような話ばかり続くな……?と、思っていたら、なるほど、「雨月物語」がベースになっていたわけか、と納得。「吉備津の釜」のクライマックスシーンくらいしか覚えていないために比較を楽しむなんてことは出来ませんでしたが、「雨月物語」をしっかり読んでいれば、全く違った印象や驚きをもって読めるんだろうなぁと感じました。和歌や古典に通じていれば、またしかり。己の浅学ぶりが勿体ない一冊でした。
とはいえ、何も知らないなりに違和感を覚えながら読み進んだ先の、最後の二編での伏線回収は実に見事です。
そしてウサギの遊戯が、偉そうで生意気な態度といい、所作といい、とにかく可愛い……もふりたい……(笑) -
Posted by ブクログ
私はその存在をはじめて知ったのですが、曲亭馬琴の半生を語るには外せない存在のようですね、土岐村路。長男の嫁であり、最終的に盲いた馬琴の筆記助手となった。独立wikiもあった。へえぇ。
馬琴は日本ではじめて筆一本で生計が成った存在とは言われるけど、こんな強烈な性格だったのかぁ、天才は、得てして、己も周囲も削るものではあるけれど。貞女の鑑と傍目には見えたかもしれないが、内情こういうかんじなら、ほんとに大変だったろう。芯の強い女性の話であることは間違いない。自分なら、路のようにはとても生きられない。そこに己の役割と矜持を見ていたのかもなあ。強い。
馬琴がほんとに思いやりがなさすぎて(なんなら姑も夫も)お路目線のストーリーは一緒に心削られちゃうところもあるんだけど、貫き通した人生はきっとまんざら悪くない、という読後感で終われるところは救い。西條作品まだそんなに数がないので8割は読んでるとおもうけれど、実在の人物をとりあげた作品も西條界ではわりと珍しいので、一読の価値ありな一冊。 -
Posted by ブクログ
舅の馬琴を始め、とんでもなく傲慢・我儘・癇癪持ちで、とんでもなく面倒な家に嫁ついだお路の半生。なんでこんな家に嫁いでしまったのだろうと思う環境の中、大変な苦労をしながらも、人に馴染み、与えられた役割を見いだし、小さな楽しみや幸せをみつけ、たくましく生きたお路に、勇気をもらった。
苦労が多いからと言って、不幸せとは限らない。
幸せはそもそも小さいもので、似たような日々の中に小さな楽しみを見つける。
人の幸不幸はおしなべて帳尻が合うようにできている。
私もこれから先、苦労や悲しみが襲ってくると思う。その時に、この作品を思いだし、少しでもお路みたいに歯をくいしばって生きれたらなと思う。自信はないけれど・・・(笑)
でも、幸せを見過ごさないで生きていきたいなと思わせてくれる作品でした。 -
Posted by ブクログ
箱根関所をめぐる人間模様という時代物を読んだ。しかも、作者はついこの前に『心淋し川』で直木賞を受賞なさった西條奈加さんです。
箱根の関所は幕府管轄とはいえ小田原藩に丸投げだったのです。そりゃそう、箱根峠は小田原しか登れない。そこで小田原藩の上級・下級武士たちが関所の役目につくのですが、組織有ればパワハラあり、仲間意識もうまれてくる。
若き青年「武藤一之介(たけとういちのすけ=ぶいち)」は熱きこころもて親友との交流に、初恋のやるせなさに身をゆだね、日々悩みながら成長していくのだった。
筆運びよし、いろいろよく調べてあって、はぎれがいいですね。『せき越えぬ』の意味深だこと!小さな章立ての「凉暮れ撫子(すずくれなでしこ)」なんて逸品。
駅哀愁ものがたり、昔は関所が舞台だった! -
Posted by ブクログ
時代小説。
主人公お藤は伊勢四日市の生まれ。
幼くして孤児となり、艱難辛苦の果てに江戸にたどり着いた。
この地で縁に恵まれ、口入屋の差配として一歩を踏み出す。
口入屋とはいわば人材斡旋業である。働きたい者と、働き手を必要とする者とをつなぐ仕事だ。
江戸の口入屋の得意先はほぼ武家と決まっていた。だが、お藤は商家に眼を付ける。ただ奉公人を紹介するのではない。時間を掛けて一から仕事を教え込み、すぐ使える形で送り込むのだ。商家では特に、男で台所仕事ができる者が求められていた。お藤が仕切る口入屋は次第に評判を呼び、商いは軌道に乗り始める。
だが、好事魔多しの言葉通り、もちろん、先には困難が待ち受けていた。
物語の柱の1つは、このお藤の商売を巡るお話。
目敏く商機を見つけ、女の細腕で荒波を渡っていく。
利にさといばかりではなく、人情のまろさもあってこそ、商いはうまく回る。たおやかでありつつしたたかなお藤の心の支えになっているのは、今は亡き祖母の教えである。
お藤には、潰れた家業をもう一度興す夢がある。
物語のもう1つの軸は、淡い恋物語である。
生まれ故郷で酷い目にあったお藤は、追手から必死で逃げる途中、1人の侍に助けられていた。その姿は幼い目に焼き付けられたが、相手の名も知らず、それきり会うこともなかった。
その恩人にお藤は江戸で巡り合う。けれどもその姿は、あの時の凛としたものではなかった。彼に何が起こったのか。
お藤の商いと恋は幾重にも曲がりくねり、時に2つが重なり、時により合わされる。
九十九藤(つづらふじ)は葛藤とも書く。葛籠(つづら:蔓で編んだ四角い衣装箱)を編むのに使ったことからそう称されるようになった。くねくねと幾度も折れ曲がる様から九十九の字があてられる。
お藤とお侍の最初の出会いにも九十九藤が絡んでいた。
しなやかで容易には切れないさまは、物語そのものを象徴しているようでもある。
お藤と一緒に泣いて笑って、九十九の曲道をたどった先に訪れる大団円。
爽やかな読み心地の一編。
*まったくの蛇足なのですが、いわゆる藤(ヤマフジ)とツヅラフジは種類が違っていて、フジは一般に、つる性の植物を指して使ったもののようです。表紙の花はヤマフジのもの。ツヅラフジの花はもうちょっと地味な感じのようですね。お藤の名前自体はヤマフジから採っているのでしょうから、これはこれでありと思いますが。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ江戸一番の売れっ子作家・曲亭(滝沢)馬琴の息子に嫁いだお路の半生を描いた物語。
厳格で頑固な馬琴一家に何かと振り回されるお路。
「どうしてこんな家に嫁いでしまったのだろう」と後悔しつつも、嫁としての役割をこなしていた。
やがて病により失明する馬琴の右腕となって、馬琴の思い描く物語『南総里見八犬伝』を紙に写し取ることになる。
私も以前仕事でテープ起こしをしたことがあるけれど、人が話していることを筆記していくのは思った以上に難しい。
私はワープロ打ちだったからまだいいけれど、お路は手書きなので余計に大変だったことだろう。
しかもあの気難しい馬琴相手ともなると、相当神経をすり減らしたに違いない。
何度も罵倒され挫折しかけても、世間に求められる物語を紡ぐ喜びを知ったお路は学問の楽しさを発見していく。
苦労があるからこそ、その陰で見つけた幸せは色濃く映る。
置かれた環境の中で穏やかな幸せを掴むお路の生き方に好感が持てた。 -
Posted by ブクログ
最初の章『酔芙蓉』は、『南総里見八犬伝』で有名な曲亭馬琴の息子で医者の宗伯(そうはく)の妻になったお路が、嫁いで間もなく離縁を言い出て滝沢家を出る所から始まる。そのまま離婚を経たお路の再出発物語かと思いきや、一日で変化を遂げる酔芙蓉の花のように婚家へ戻る。期待を裏切られた気分だが、馬琴の舅ぶりに興味もあった。馬琴と云えば、あまり評判が良くない物書きで、時代小説に悪し様に描かれて登場するのが多々。かなりの御人ではあるが憎めない戯作者だった。
夫の宗伯は父親・馬琴を尊敬しすぎてコンプレックスの塊になり、何かスイッチが入ると暴力的になる。お路は、のぼせやすい馬琴の妻や、子供らと滝沢家を切り盛りする扇の要となっていく。宗伯は医者にもかかわらず病弱で早世、また長男にも先立たれる。その後、視力を失った馬琴に執筆の手伝いを請われ「里見八犬伝」の完結に尽力し、馬琴を見送る。やがて、出版元に頼まれ、曲亭金童の筆名で「仮名読八犬伝」を手掛けた生涯。
何てたくましい女性なのだろう、天性の女性の鑑じゃないか。といっても共感までは持てない。今まで読んで来た西條奈加さんの著書と比べて辛口になった。
『女同士はまず会話を通して親睦を深める。愚にもつかない無駄話を長々と繰り広げるのは、本音や論点をうまく避けるため。必要だけの会話は門が立つ。女はそれを本能で察し、笑いや愚痴や噂に紛らして互いの距離を縮める。対して男は総じて口下手だけに、この芸当は到底真似できない。そもそも礼儀というものが、話術の乏しさを補うために。男社会で進化した様式ではなかろうか。礼儀にうるさい馬琴を眺めていて、お路はそう思い立った』
上記の文章を読みながら、述べられた女性の芸当を持てなかった私は歯噛みしたいほどの、羨ましさを感じずにはおられなかった。私って、どちらかと云えば男の感性に近いのかな、お路が揶揄する男どもに似ていると苦笑い。 -
Posted by ブクログ
【収録作品】あやめ長屋の長治/猫神さま/百両の壺/子持稲荷/花童/はむ・はたる/登美の花婿
単行本で既読だが、『わらべうた』を読んで、もう一度読みたくなり、再読。
「登美の花婿」は文庫化のおまけのような小品。
江戸の下町で力を合わせて生きる子どもたちと、彼らを助ける大人たちの話。子どもなりにと簡単には言えないほど厳しい経験をしてきた子どもたちを、一度はずれた道から引き戻し、まっとうに生きられるように力を貸す(甘やかすのではなく、厳しくすることで)大人たちの姿は見習いたい。
道を外れるのは簡単なことで、誰にでもありうること。戻りたいと思った時に戻れるほうが本人にとっても社会にとってもプラスのはず。 -
Posted by ブクログ
小早川涼さんの包丁人侍シリーズでお馴染みの曲亭馬琴。そちらで描かれる馬琴はケチで食い意地が張っていて、物書き以外のことは一切やらないのに人には上から目線であれこれ指図する。鮎川惣助も毎度ウンザリする面倒な人物だ。
本作で描かれる馬琴はそれに輪をかけて面倒な人間だった。何事も細かい…というかわざと煩雑にしているのか?と思うほど。身内のためなら賂だろうがおべっかだろうが何でもやるが家族含め他者の気持ちは全く思いやらない。
気に入らないこと思い通りにならないことがあれば癇癪を起こす。
更に言うと面倒なのは馬琴だけではない。その妻・お百もだ。家事の切り盛りはまるで出来ないのに雇った女中にはあれこれ文句を言う。
そして意外だったのが息子・宗伯。包丁人侍シリーズでも体は丈夫ではないようだったが少なくとも医師としての腕は確かで真面目で律儀な性質に描かれていた。
しかし本作では表向きはともかく、実際は馬琴以上に癇癪を起こしやすいし病弱で医師としての務めもままならない有り様だ。
こんな馬琴一家に嫁ぐことになったお路の半生を描いた物語は、お路の闘いの物語でもあった。
宗伯の癇癪、馬琴の鬱陶しいほどの細かさ、お百の押し付け。家族に振り回され、居着かず始終入れ替わる女中たちへの仕込みや家事の切り盛り。次男になるはずだった赤子が流れ、悲しみが癒えない中で勝手に決められた長女の養子話。
耐えきれず家を出たこともある。寝込んだこともある。
しかしお路は決して投げ出さなかった。宗伯とやり合い、お百や馬琴ともやり合った。結局折れるのはお路だが、腹に溜め込まずに言いたいことをぶつけた。
その結果、『病人の世話をするために、この家に嫁いだようなもの』と母に同情されるほど病に倒れる家族を看取った。
早世した宗伯に長男の太郎、お百に馬琴。
癇癪や偉そうな物言いはコンプレックスの裏返しでもあった。小心者であることを隠すための鎧でもあった。
お路の闘いの結末はこんな面倒な家族たちの面倒さを認めることだった。そして自分の面倒さやコンプレックスを認めることでもあった。
終盤は「八犬伝」の口述筆記という最後の闘い。失明した馬琴がお路に託した筆記作業だが、失明しても馬琴の細かさと面倒さと癇癪は変わらない。相変わらず衝突しながらの作業でお路の方が参ってしまう。
読みながら私なら女中たち同様、早々に退散しているなと思いお路の強さ頑張りに感心した。時代背景や子どもたちのためとは言え、三十路で夫を亡くしたタイミングで馬琴邸を去っても良かったはず。だが彼女が去らなかったのは子どもたちのためだけでなく、この堪らなく面倒な馬琴と馬琴の紡ぐ物語に引き寄せられるところもあったのだろうか。
「八犬伝」は虚構の物語だが、その時代背景や舞台設定にはリアルを求めた。そのために馬琴は執筆以上の時間を費やし歴史などの研究をした。馬琴が挿絵の細かな部分にも口出ししたのは時代や風俗考証のためだった。
怒濤のような闘いの日々が去り、晩年のお路が幸せで良かった。結果『帳尻が合う』人生だったということか。