隈研吾のレビュー一覧
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ネタバレゾーニングという制度を見直さないと、都市という抱擁的存在は再生できないと思う
→日本のゾーニングの配慮は女子供には向いておらず、商店街に破れた制服の女子高生のポスターが貼ってあるパチンコ屋さんがあってこどもに見せたくないなあと思う。そういうゾーニングのされ方は都市的議論にあがらないのだろうか。何が規制してくれるのだ?景観だと思うけども。
日本社会独特のプレッシャーの中で、女性たちが生き残るために、男性には知られないところでひそかに磨き上げてきたものです。
→隈研吾と清野由美の恐らくお互いにわかっていてスルーし合うジェンダー観が非常に日本社会的でもはや面白いなーと思った。
すぐ読める。軽い本 -
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こういう子供向けだけど、大人も読めそうなものは、
将来子どもが呼んでくれたらうれしいなぁ~ということで、
少しずつストック。
14歳だから、中学生向けかぁ。
読んでみたけど、決して簡単ではない。
建築家に興味のある中学生が読めば、
ナルホドとなったり、この本を起点に
色んな建築を見てみようとなるかもしれない。
でも、建築って面白いんかな~って程度の
中学生にとっては、この本を読んで建築家を目指すには
ちょっと難しいかなぁという印象。
個人的にもう少し深掘りして欲しかったのが、
この人何やかんやで東大行ってるんですよね。。
建築が大好きで、建築のことばっかり考えていたのは
おそらく真実なんで -
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ネタバレ目指すのは神ではなく。
建築家になりたい人は、どのようなきっかけで建築家を目指すのだろう。やはり何か惹きつけられる建築を見たからだろうか。とてもキャラクターの濃い建築家に出会って、あのような人になりたいと思ったからだろうか。隈研吾が語る「建築家になりたい君へ」のメッセージは、夢でも憧れでもなく、リアルな建築家になりたい人へのアドバイスである。
隈研吾の半生を辿るかたちで話は進んでいく。人生の時々で出会った建築や建築家に対するコメントは、辛辣なようで尊敬と論理性にあふれている。
自分のやりたいことを何が何でもやるような突っ走った建築家は求められていない。それぞれの時代に求められた建築があり -
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建築家になるには建築以外のことも含めて様々な体験をし他人の視点や自由な考えを持とう。
友人から隈研吾という有名建築家の存在を知りその人物や作品が気になって本書を読むことにした。
本人の行動力や建築家という仕事が自分のイメージしていたものとの違いにも驚いた。
例えば学生時代にアフリカへ行く話。渡航実現のために企業や専門家に働きかけたり現地で無作為に集落に突撃していったり。個人的な建築家のイメージでは部屋の中で図面や設計の練習をひたすらしているものだったのでこれは驚き。
建築の仕事の話としてはチームで動いたり現地の調査や職人との話し合いなど、以外と室内に篭りきりではない。
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ネタバレ有名な二人の対談をまとめたもの。
主題は表題の通りだったようだが、ふたを開けてみるとやはり建築の話に寄り道することが多かった。隈研吾氏の作品や、栄光学園時代のお話などは興味深いものではあるが、「日本人はどう死ぬべきか」という内容にはあまり関係のないものだった。
特に4、5章は飛ばして読んでもそれほど問題にはならないだろうし、言ってしまえば1、6章を読めば両氏の考え方は概ね理解できる。
隈研吾氏が舞台の重要性を主張していたのには共感できた。自分という存在が死んだあとでも精神的な存在として残り続けることが出来る場所の大切さ、それは都市化と共に空き家問題が顕在化している現在の日本に必要なものなの -
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隈研吾による都市へのラブレターの写真集。
ある都市で建築を設計すると言うのは、その都市に対してラブレターを書くことである。
はじめに で隈研吾は、そう書いている。
隈研吾による東京での建築作品集には違いがない。
しかし、ラブレターという切り口なので、
建築写真を期待していると、肩すかしを喰らう。
カメラマンは、独自の視線で建物を自己の感性で切り取っている。
あるいは、建物を風景にはめ込んでいる。
よって、本書は隈研吾の作品集であると同時に
新津保 建秀の写真集にもなっている。
二重構造の書籍と言える。
ちょっとはぐらかされた感が、
今風に言えば、半端ではない。 -
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ネタバレふたつのオリンピック。
20世紀から、人は家を持てるようになった。
チャーチル「建築信仰」 吉田茂へ
オリンピック、新幹線、首都高速、代々木体育館
万博
スイス館 木のような入れないパビリオン
武士道
海外参入障壁、ミリ単位の精度の国産コンクリート建築
抽象性、安藤忠雄
ザハ
オブジェクト指向
コルビュジエ
コンクリートと鉄とガラス 世界のどこでも手に入る
新国立競技場
世界の大御所しか応募できない
大成建設 長岡市役所「土間」でコラボ
木でスタジアムをつくる、木の明治神宮外苑に
低い47.4m、地面を掘る
新しい「国立」「国家」無数の小さく多様な物の集合
人が庇でつな -
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隈研吾は、家を私有することに対して、否定的な意見を述べる。
しかし、その問題を解決する解を持っていない。
コーポラブティブ住宅によって、みんなで作ろうとするが、
結果私有であったために、それは失敗の要因だったとする。
彼の頭の中には、サハラ砂漠の中での住居のように、
簡単に建てられ、自然と境界線を置くことなく、私有しない
原始共産制のようなユートピアが、あるのかも知れないが、
現実的に 持ち家制度を 否定しても解決できない。
夢の中での、住処を模索しながら、都市ではなく
村ではない「ムラ」のイメージを掻き立てるが、
そこでも私有制を否定することはできなかった。
隈研吾は、自己矛盾に堕ちて、不満 -
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全体的にはすごく面白いんだけど、男性原理・女性原理みたいな話を持ち出すこと自体が、今やとても「おっさん臭い」し、とはいえそれについてすごく勉強しているというわけでもなさそうなので、中途半端で直感的な思いつきに過ぎないもののように感じる。
加えて、斜めからものを言ったりするのはもうやめたとこの本で言っておきながら、小布施での試みには結構斜に構えているように見える。自覚的なのかどうなのか(自覚的なら、「あえて皮肉めいたことを言うと」とでも言って欲しかった)。
隈研吾さんは基本的に好きだし、話も態度も面白いと思って注視しているが、こういうところはいただけないと思う。