隈研吾のレビュー一覧
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建築家 隈研吾氏が、日本の建築について8年にわたり研究した成果をまとめたもの。日本の建築といってもブルーノ・タウトが訪日した1930年代以降を対象としており、主として藤井厚二、堀口捨巳、吉田五十八、村野藤吾、丹下健三らについて述べている。建築家同士の対立があり、建築史の変遷をある程度つかむことができた。建築家には芸術家のような人、科学者や数学者のような人、官僚的な人など様々なタイプの人がおり、建築物を通して多くの人々に影響を与えてきたことがわかる。興味深い。
「(タウトの誕生日の桂離宮訪問)自然と人工との間に宙吊りにされたような特殊な生垣を目にして、タウトは落涙したと伝えられている。「純粋で余計なもののない建築。心を打つ、無垢、そう、子どものように。今日のわれわれの情景の実現。おそらく最もすばらしい誕生日であっただろう」」p8
「建築史家の藤岡道夫は、このタウトの指摘に答えるかのように、その著書『京都御所』で御所の細部を徹底的に調査し、世界各国の宮殿建築との比較の上で、このように質素な宮殿建築は世界に例がないという一文で締め括った」p11
「人は自分のことが一番わからない。自分の場所が一番わからない。誰かによって発見、移動されることを通じて、人ははじめて自分を知るのである。タウトの発見は事実、その後の日本建築にも大きな影響を与え、日本建築を変えていった」p22
「木造の細い柱は、コンクリートや鉄骨の柱と違い、薄い壁の中に消去することができた。日本では柱を消去する技法が徹底的に追求され進化を遂げていた。それを可能としたのは、柱以外の補助的な部材、柱と柱の間を埋める土壁・格子・障子・襖のような、まったく構造を負担していないように見える華奢な部材が陰で助け合って建築を支えるという、世界にも類を見ない繊細なエンジニアリングであった」p60
「(数奇屋は民衆のための建築である(村野藤吾))数奇屋とは基本的に茶道のための空間であり、日本において、茶道がしばしば限られた人のための、しきたりに縛られた閉鎖的な芸事になっていることを村野藤吾は警戒していた。茶道こそが村野の一番嫌った「形式主義とペダンティズム」となっていたのである」p145
「柱のような、建築全体を支える主要部材でさえ、日本人は中間粒子とすることに成功した。天井と屋根との間を和小屋と呼ばれるリジットな構造体で埋めてしまうことによって、天井の下に位置する柱はいかようにも移動することができるという、世界に例のないフレキシブルな構造システムを日本人は発明した。柱は移動できないというのが世界の建築の不変の大原則である。しかし日本人は増改築において、当たり前のように、柱を動かしてしまう。木造建築の技術は大陸から伝わったが、この移動する柱は中国にも朝鮮半島にも存在しない。室町時代に完成したといわれるこの和小屋システムによって、日本人は柱さえも中間粒子として再定義したのである」p149
「西欧において、建築とは象徴的でなければならないと同時に、永劫の存在でなければならなかった。永劫のものなど、この世に存在しないというのが、村野の時間に対する哲学なのである。だから村野はあれほどのエネルギーをもって増改築に取り組み、リノベーションの傑作を世の中に残すことができた」p153
「吉村順三の手でデザインされた現代の書院造は「松風荘(しょうふうそう)」と名付けられた。そこで吉村がモデルとした書院造は、天台宗寺門宗総本山の滋賀の園城寺、別称三井寺の境内に建つ国宝、光浄院であった」p183
「MoMAの中庭の建築(松風荘)を、丹下健三ではなく吉村順三が設計したということは、その後の日本建築の歩みに大きな影を落とした(丹下健三の怨念により伝統論争に発展した)」p189
「(高知県檮原町(ゆすはらまち)での体験)そこで教わったことは、僕の一生の宝となった。そこでは単に、建築の施工についての諸々の細かく具体的な知識を身につけることができただけではなかった。自分にしみついてしまった設計の方法論に代わる、新しい方法論を、檮原の現場で学んだのである。それは「頭で設計する」のではなく、「モノから考える」方法であり、「上からの設計」ではなく「下からの設計」という方法論であった」p240
「「コンクリート化」が国家目標であった戦後の日本では、コンクリートが上等であり,高級であり、難易度も高いということになっていた。コンクリートの建物を設計できる一級建築士の方がレベルが高く、木造しか設計できない二級建築士は低レベルと見なされてきた。しかし僕の経験からいえば、木造設計の方がずっと難しい」p241 -
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ネタバレ隈研吾さんの本だからという理由で手に取った。
この人は自分を持っている人だと思う。だから父親にも、先生、クライアントにもプレゼンし、その場数を踏む中で自分の建築を見つけ、一つ一つ形にしてきたのではないか。
著名で実績のある建築家、流行などを、客観的に見ておかしいことはおかしいと言う。自分のもった違和感を見逃さない。嫌いなものは嫌い、自分はこうしたい。他人にやれと言われたからではなく。
著者の言う「ひねくれた目」を持つことや、時代の変化を知り、人を知り、色々なことに興味を持って自分の世界を広げていくことが大切だと思った。建築家になるならないに限らず、今を生きるすべての人たちにとって。 -
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東日本大震災を機に、建築の在り方を再考した隈さんがたどり着いたのが「小さな建築」。
単にサイズが小さい建築ということではない。
人間と世界のつながりを絶たず、衣服のように人を包み込むような建築。
鉄筋コンクリートやガラスを素材とし、電気、ガスや水道などのインフラという大きな構造に依存しないと成り立たない、近代建築へのアンチテーゼである。
もちろん、近代建築は、人間と災害との闘いの中で考えられてきたものであることは、冒頭にしっかり確認されている。
3・11は建築家に対して、その建築の歴史をも否定するほどのインパクトをもったということだ。
水を入れたポリタンクのブロックを積んで作る家。
紙製のハニカム構造の両側を、ガラス繊維強化プラスチックでくるんだ壁面で構成された「ペーパースネーク」。
傘の骨と防水性のある布を組み立てて作る、携帯できる家、「カサ・アンブレラ」(これは日本人にしかわからないダジャレだ)。
フランクフルト工芸美術館から依頼された茶室は、なんと木や土のような自然素材を使うなとの注文がつく。
そこで、膜に空気をいれたものを構造としたピーナッツの殻のような茶室が出来上がる。
こうした隈さんの「小さな建築」への挑戦が紹介されていく。
こうした作品の一つ一つを追っていくことも、本書を読む楽しみではあるのだが、もう一つはこの本は建築批評であり、建築史という思想の本という側面もある。
自分に刺さったのは、エンゲルスを援用した住宅を私有することへの批判の部分だった。
労働者が住宅を私有しても、家は老朽化してやがてゴミになり、資本を生むことはない。
重い借金を抱え、土地に縛り付けられるだけだ、というのだ。
では、人間はどこに、どのように住むべきか。
残念ながら、まだ「小さな建築」が普及していない。
政府が「小さな建築」、小さな住宅を奨励したり、あるいは住宅を買わずに住み続けられる政策にシフトするとも思えない。
これは、きっとこれからも問い続けられる問題なのだ。 -
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小さな作品でも、そこになんらかのキャラクターが立上がり、
新しい香りがかすかにでもすれば、
世界はそこに敏感に反応し、見知らぬ場所、見知らぬ人からメールが届く。
建築の基本 信用の積み重ね 不純物を含む→文章を書くことで建築の意味を発見
村上春樹 機敏なヴィークル、思い切った実験の短編小説と 長編小説での展開
木のボロさ 生と死につながっている ジオメトリーの否定
ローコスト 反建築
竹の家 低精度のノイズの荒々しさ
早稲田大学 村上ライブラリー 建築の孔 別のトポロジーへと転換される
国立競技場
関係・継続の建築
コルビュジエ、ザハの「閉じたヴォリューム・関係の切断」の代案
木という方法 小ささ 場所とつながる
アンチ空調的環境制御 4枚の屋根の風のシミュレーション
点・線・面 コンクリートの重たいヴォリュームの解体
ラボ 作品ではなく 研究は連続体 -
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2020年東京オリンピックのメイン会場である国立競技場の設計に携わった 今ではその名を知らない人はいない「隈 研吾」さんの建築家になるまでと その後の生き方が書かれた本
建築に限らず 幅広い知識の獲得や深掘りして興味関心を持つ姿勢 どうせ建築するならクライアントととことん腹を割って話せる間柄にならねば…という気概が隈さんの魅力だと思う
そして彼の生き方の一部を自分にも取り込みたいという思いが芽生えた時点で この本との巡り合いは素晴らしかったと言える
ただ ラストがあっさりすぎた…
ページを残したまま飛ばしてしまったのかと 何度か確認するも そこで終わっているのが残念…で星は4つ
国立競技場の設計についても 設計や人間関係についてもっともっと裏話が書かれていてほしかったなと思う
けど よくばりすぎかな
人の生き方を知るのは面白い
本書は令和4年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部)となっているが ぜひ 柔軟な心に溢れる学生たちにおすすめしたい一冊だ -
Posted by ブクログ
当代一の有名建築家の自伝~三菱金属に勤める父と結婚した母の父親が建てた大岡山の平屋で生まれ田園調布の幼稚園にに通い,小学校4年時の東京オリンピックの丹下健三の国立競技場を見て建築家を目指し,大船の中高一貫ミッションスクールで学び,東京大学と大学院。アフリカに調査旅行に行って一月で論文を書き上げ,設計事務所・ゼネコン勤務を経て,アメリカのプリンストン大学に留学。帰国して事務所を立ち上げたが仕事はなく,伊豆の脱衣所みたいな家(風呂小屋)を設計,環八にM2を設計,バブル崩壊で仕事がなくなり,檮原に係わり,北京郊外で竹の家や,那須の石の美術館に係わる。高くない建築を意識して長岡市役所を造り,地元建築材を意識して広重美術館を作る。長岡市役所が評価され,国立競技場デザインのメンバーに加えられたが,そもそも僕はひねくれていて,時流に乗れない,待てる人間だったのだ~まあ,運の良い人だね。有名になって自伝を書くことになった訳だ
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【読んだ理由】
・建築巡りが好きなので
・難解な文章が多い隈研吾さんが、
学生向けにどんな文章を伝えるのか
興味があったので
【感想】
課題図書コーナーを見ていたら発見しました!
オリンピック国立競技場の隈研吾さんの自伝的一冊。
元々建築巡りが好きですが、
読んだら、
建築熱がますます上がりました。
隈研吾さんの生い立ちや、
建築に対する考え方の推移を、
隈さん本人の文章で読めるのは貴重でした。
改めて、隈さん作品を、
時代を意識しながら見て回りたいです。
課題図書(高校生部門)とのことですが、
未来ある14歳はもちろん、
前途多難な40代(←私)
にも未来を動かす力がありそうな一冊。
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Posted by ブクログ
洞窟からポストモダンにいたるまで、「建築」は、どのような意味を担ってきたのか、設計者・デザイナーはどういう思想背景でそのデザインを生み出し、各時代の様式が形成されてきたのか、客観と主観、普遍性と多様性、構築と自然のせめぎあい、入れ替わりは歴史の中でどのように進んできたのかを、時間軸を下り、複雑混沌を避けながら、簡潔明瞭に説明している。
おそらく、全体的に「客観的」な叙述ではなく、隈研吾自身の解釈で筋を通していると思うのだが、それをあまり感じさせない。本書を通読することは、半期の「建築史」講義を、明るい講義室で聴きつづけているような感覚に近かった。 -
Posted by ブクログ
2020.5.9
隈研吾の自叙伝
戦前から戦後、現在にかけて徐々にグローバル化した世界においての経済、文化、政治と建築の関係について隈研吾の思想が読み取れる。
ここに出てきた建築家たちについてまた勉強したい。
隈研吾は「コンクリート」「サラリーマン」を皮肉たっぷりに批評している。
だが人間は自然という親から生まれてきたからこそ、工業化という形で自立したい、親離れしたい、気持ちは分からなくない。
だからこそ一通り反抗した人間が「元いた場所」に戻ってくるのは当たり前で、それこそ隈研吾が受け入れられ、成功した理由なのではないか。
太宰府に一人旅した時に一際目を引いたスタバは隈研吾のデザインだったらしい!熱海の水ガラスと愛媛の展望台、石の美術館はぜひ見に行きたい。 -
Posted by ブクログ
路地で畳針を操っていた職人さん
鍋を治していた鋳掛屋さん
庭先に井戸を掘ってくれた職人さん
その人たちはその「技」と「姿」で
一人前の仕事とは
を無言で語ってくれていた
今の日本で
それらの貴重な「日本の技」を
見受けることはほぼ無い
明治以来
欧米だけを手本にして
道路、交通、建物を模倣して来て
なんとも無機質な「都市」を作り上げてきた
この日本という国の中で
隈研吾さんの「建築」に
焦点があてられる理由が
本書を読む中に見受けられる
日本という国で
培われてきた「匠の技」、
日本が「これから」を
考える時に どう感じればいいのか
その辺りのヒントの数々が
隈研吾さんが14歳の若い人に向けて
語り下ろしている本書に
詰まっている気がする