隈研吾のレビュー一覧
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原発事業、植林の山崩れも戦後のつけ。戦後は続いている。
「家がプライベートな空間だと思ったときから、いろいろな間違いが始まったのではないかと僕は思っています。プライベートという思いがさらに進むと『私有』になる。自分の一生の財産であり、人生の目標だと思い込むと、ペンキのヒビ一本も許さなくなるでしょう。そうして、ヒビの入らないビニールクロス張りのマンションができあがり、サブプライム・ローンの破綻に行き着く。」
「人工圧力設計」とエネルギー問題。
「自分が快適に思える街ではなく、サラリーマンとしての自分の地位が保たれる街が、日本全国どこにでもできてしまっている。」
「だましだましをやるには現場が必要 -
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都市化が進み村は衰退したが、しかしその都市の中に新しい形で「ムラ」が形成されていた、というのは面白い。やはり人間には村的なものが欠かせない、あるいは人間の性として形成せずにはいられないものなのだろう。街並みを見る際の建築家の独特の視点が面白い。 ・社会と建築の関係に変化。建築の「動機」に変化。 ・1つは持ち家願望。アメリカ型解決法single-family house。社会主義的解決法、集合住宅。村的な粘っこいつながりは排除された。 ・「空間の商品化」というフィクションが村を破壊した。がそのまやかしも自壊を始めた。サブプライム。 ・311で我々は破壊され尽くした空間になお残る何かを感じた。そ
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金融手法の発達・外部経済環境の変化と街のデザインとの関係が興味深かった
面白かったくだり
・証券化の発達により、創造性のある芸術家ではなく、リスクの少ないブランドとしてエスタブリッシュされた建築家が求められる
→世界の大プロジェクトは少数のブランド建築家が独占、プロジェクトが大きくなるほどデザインの陳腐化が進む
→とりわけ地価が高い東京の再開発プロジェクトで一番大事なのはリスク分散。創造性よりもリスク分散が建築家には求められる
・歴史的な建物が残されると、その対価として街が超高層化する(容積率緩和のテクニック)ex.丸の内
・代官山(経済的に閉じて空間的に開かれている)と六本木ヒルズ(経済 -
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建築家 隈研吾氏が、日本の建築について8年にわたり研究した成果をまとめたもの。日本の建築といってもブルーノ・タウトが訪日した1930年代以降を対象としており、主として藤井厚二、堀口捨巳、吉田五十八、村野藤吾、丹下健三らについて述べている。建築家同士の対立があり、建築史の変遷をある程度つかむことができた。建築家には芸術家のような人、科学者や数学者のような人、官僚的な人など様々なタイプの人がおり、建築物を通して多くの人々に影響を与えてきたことがわかる。興味深い。
「(タウトの誕生日の桂離宮訪問)自然と人工との間に宙吊りにされたような特殊な生垣を目にして、タウトは落涙したと伝えられている。「純粋で -
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ネタバレ隈研吾さんの本だからという理由で手に取った。
この人は自分を持っている人だと思う。だから父親にも、先生、クライアントにもプレゼンし、その場数を踏む中で自分の建築を見つけ、一つ一つ形にしてきたのではないか。
著名で実績のある建築家、流行などを、客観的に見ておかしいことはおかしいと言う。自分のもった違和感を見逃さない。嫌いなものは嫌い、自分はこうしたい。他人にやれと言われたからではなく。
著者の言う「ひねくれた目」を持つことや、時代の変化を知り、人を知り、色々なことに興味を持って自分の世界を広げていくことが大切だと思った。建築家になるならないに限らず、今を生きるすべての人たちにとって。 -
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東日本大震災を機に、建築の在り方を再考した隈さんがたどり着いたのが「小さな建築」。
単にサイズが小さい建築ということではない。
人間と世界のつながりを絶たず、衣服のように人を包み込むような建築。
鉄筋コンクリートやガラスを素材とし、電気、ガスや水道などのインフラという大きな構造に依存しないと成り立たない、近代建築へのアンチテーゼである。
もちろん、近代建築は、人間と災害との闘いの中で考えられてきたものであることは、冒頭にしっかり確認されている。
3・11は建築家に対して、その建築の歴史をも否定するほどのインパクトをもったということだ。
水を入れたポリタンクのブロックを積んで作る家。
紙製の