大村大次郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
国税調査官を歴任された大村氏による本で、最近ネットで見つけたのですがコロナ前の2019年に発刊された本です。タイトルを見ただけて買ってしまいました。
日本の土地の所有制度が、政治形態(中央集権制、封建制)によって大きく変化してきたことがよくわかりました。なぜ江戸幕府が他の幕府(鎌倉、室町)と比べて長く続いたのかも解説されていました。明治維新の時に行われた一連の改革のうちで「地租改正」は革命的なものであったのですね。
以下は気になったポイントです。
・日本史上 土地の知的所有を認めなかった政権というのは、大化の改新後の大和政権だけである(p16)
・ 日本が支配していた朝鮮半島の 任那地域は、 今の韓国の半分ぐらいを占めていた国葬地帯であった、 新羅の支配下に取り込まれたこともあったが、 新羅 から 兆候を受けることを条件に 日本が新羅に 下賜した という形になっており 日本の影響力は維持していた、 また 百済も日本に調光しており 古代 日本は、百済・ 新羅を半ば 臣従させていた(p19)
・大家の改新後は田を与えられ、収穫の3%程度の税を払えばそれ以外の収穫は自分のものになった。 これは以前の豪族の搾取に比べればはるかに楽であったので生活は安定し 労働力も増した(p35)
・唐と新羅の連合軍が、日本と同盟を組んでいた 百済に進撃した、 百済は崩壊し 百済の残党たちは日本に救済 要請をした、そこで 日本・ 百済の連合軍と、唐・新羅の連合軍が白村江において激突した (p37) この戦いに敗れたので 朝鮮半島から鉄鉱石の輸入ができなくなり、 奈良時代の後期から砂鉄のみが用いられるようになった(p39)
・ 荘園は奈良時代後半から平安時代に急速に増殖し、朝廷政権の崩壊の一因となってしまう。荘園の始まりは朝廷の財源不足であった。 朝廷としては、民が自発的に新しい 田を開拓 するように仕向けるため、 723年に三世一身の法を出した。735-737年には天然痘だ大流行し、当時の2割以上の100万人が死亡した、この打開策として時の聖武天皇は神仏に求めた。日本中に、国分寺・国分尼寺を作り、743年には東大寺の大仏造立を決定した。その財源として考え出されたのが「墾田永年私財法」であった(p43)
・ 戸籍の作成が曖昧になっていく 9世紀中頃から、 国司の権限が非常に大きくなった、 明確な 戸籍がないので 徴税額などが 国試の判断で決められるようになっていった(p54) 10世紀になると 班田はほぼ 行われなくなり、律令で決められた 徴兵が難しくなってきた、 徴兵のやり方も 国司に任されるようになった、そのため 国司は その地域の豪族などを手なずけて 兵力として確保するようになった (p59)
・平清盛の頃、日宋貿易が盛んで、当時の 敦賀港は、 博多 に次ぐ日宋貿易の拠点であった、 そして 清盛は 博多よりもはるかに京都に近い「兵庫」に貿易拠点となる 大和田泊(神戸港)を整備した(p65)
・旧来の国家 システムでは群を動員したり 戦争を指揮するのは 朝廷であり、勲功も 朝廷が行うものであった、源頼朝はこのルールを変えて、自分が武士団を管理統括し、朝廷は武士団のことには口が出せないようにした、武家を朝廷から切り離すことで朝廷の影響力を排除した、朝廷の持っていた「徴税権・軍事権・警察権・守護地頭を置く権利など」を獲得した(p68)
・源頼朝は 各武家が朝廷と直接接触することを禁じていた、武家が朝廷に取り込まれてしまえば 武士団による新政権という思想が根本から崩れてしまうしからだ。 この大事な大前提を弟の義経が崩してしまったのである(p70)
・鎌倉幕府の財源は、 直轄管理している土地から得られる 税と、貿易による完全などに過ぎなかった。 鎌倉幕府には2つの種類の領地があった、1つは「 関東御 分国」と呼ばれるもので、 御家人などを 国司に任命し、国衙( 地方役所)を通じてその地域を統治するというものである。 駿河・ 武蔵・ 相模・ 越後が対象で、 時期によっては、 遠江・ 伊豆も入った。 もう一つは「 関東御領」 と呼ばれるもので 鎌倉幕府の直轄地である、 1184年に源頼朝は朝廷から 平氏一族の旧領500箇所を与えられた。鎌倉幕府というのは 関東を中心とした数カ国を統治していたに過ぎず、 日本全体は 各地域の豪族が統治していた(p73)
・応仁の乱 当時の静止の不安定さの要因は、室町幕府の直轄領の少なさと 財政力の弱さにあった、武家政権である鎌倉幕府の直轄領は少なかったが、 室町幕府は さらに少なかった、 大目に見積もっても200万石 程度であった(p78)
・ 日野富子が溜め込んだとされる 7万貫という 銭は 現代 貨幣価値にして40億円以上とされる、 これは個人としての貯蓄であれば確かに大きいが幕府の資産と見た場合全く大した金額ではない。 例えば 上杉謙信は、 柏崎・ 直江津の2つの港からの関税収入だけで年間4万貫あった(p85)
・紀伊の国(和歌山県)では、 水田面積の9割程度が寺社の領地だったとされる、大和の国(奈良県)では、 興福寺・ 東大寺・多武峰・高野山 ・金峯山領でない土地はないほどであった(p93)
・実は 織田信長は大胆な農地改革をし、 領民に対して「 大減税」を行っている。信長は周囲の勢力と戦いながら版図を急激に広げていった、 領民の支持を得られなければ スムーズな領土拡大ができない。 信長が天下統一 事業を急速に進められたのは、 自国の統治が他の大名に比べてうまくいっていたからに他ならない (p105)
・残された記録から見れば 織田信長は征夷大将軍ではなく、太政大臣(朝廷で政権を担当)になっていたのである(p111) 信長は「 中央政権が日本全国を統治する」という形に戻そうとしていた(116)
・ 徳川家康の直轄領は豊臣秀吉の 220万石 程度と異なり、 大坂の陣以降は400万石、 徳川家勢力 全体では800万石 あった (p149)
・明治時代になって 地租改正のために全国の農地が計測された、江戸時代の記録では日本全国の収穫量は3222万であったが、実は4684万石あったことがわかった(p177)
・戊辰戦争で勝った 明治政府は合計860万石の直轄地を持ったが財源は全く足りない、 中央集権 政権として 全国から 税を徴収したかったので、 廃藩置県をしようという動きが出てきた(p190)
2026年5月3日読破
2026年5月4日作成 -
Posted by ブクログ
大村氏が面白い本を一昨年に書いていたのを、ネットで最近見つけました、これで47冊目の彼の本を読みました、国税調査官をやっていた独特の視点で歴史を解説してくれています。この本を読むと、人間の本質は時代が過ぎても、それほど変わらないのだなと感じることができて、親しみが持てました。
現在の感覚では「脱税」は、良くないとされていますが、脱税をしたからこそ経済力を持つことができ、地方を、最終的には日本を統治することができたということも理解できました。大村氏には今後も、彼の独自の視点で歴史を解説して欲しいものです。
以下は気になったポイントです。
・日本史上、土地の知的所有を認めなかった政権というのは、事実上、 大化の改新後の大和政権だけである、 大和政権が土地の私的所有を認めなかったのは、 土地を国有化することで、 豪族などに分散していた国の財力を集中させようとしたから(p17) 軍事についても豪族の紙幣を寄せ集めるのではなく、 徴兵によって朝廷の直属軍を増強するのが大化の改新であった(p22)
・斎蔵・内蔵・大蔵とは、雄略天皇の時代に整備された蔵のこと、斎蔵は、天皇の祭具を保管した蔵、内蔵とは、官物を保管した蔵、大蔵とは、全国からの貢物(税)を収めた蔵のこと(p21)
・ 租庸調制度を簡単に説明すれば、 租は米、庸は労役、調は布や特産品を 税として集めるものである(p30)
・日本で 全国的な国土調査が行われたのは 有史以来3回しかない、秀吉の「太閤検地」、 明治 維新期の 地租改正、 そして 大化の改新である、 現在の日本の土地登記簿のほとんどで、 地租改正時に作られた公図が用いられている(p32)
・白村江の戦いの後、 大和朝廷は唐・新羅の連合軍による日本本土への進行に備えた。天智天皇は臨戦態勢を整えるために 667年に 交通の便の良い 近江大津に都を移した、人身の乱の後に都が 飛鳥に戻されるまで、 日本の首都は 近江大津であった(p43)
・天平 7年(735)から天平 9年にかけて起こった天然痘の大流行は日本社会に大きな打撃を与えた、当時の人口の2割以上に当たる 100万人以上が死亡した。天然痘の医学的な対策法はなかったので 神仏に頼るしかなかった、 天平13年 聖武天皇は日本中に国分寺・ 国分尼寺を作ることを命じた、天平15年 (743)今東大寺の造立を決定する、 その財源として考え出されたのが「 墾田永年私財法」である(p48)
・ 貴族や豪族が切り開いた 私有田に雇われる農民が増え、 班田(公の田) が放棄されるようになった、 班田には徴兵 や労役があったが、 私有田にはそれほど重い 役はなかったので、 私有田に移る農民が多かった、 つまり 農民たちは「 税を逃れるために 公田を放棄した」のである(p51)
・平安時代の末期になると「武」を 専門とする 公家や貴族が登場してきた、 その大きな要因は 班田収受 制度が壊れたことである、 9世紀中頃には戸籍が改定されなくなり 10世紀になると 班田収受 が ほ ぼ 行われなくなった (p69)
・ 平安時代の対外貿易では国家の買取専有権があった、 これは関市令 という法律に定められたもので「 外国から交易船が入ってきた場合、 朝廷から役人が派遣され、 まず 優先的に買い取りが行われる、 その残りを貴族や承認が買い取る」というものであった、 その権利は現代の「関税」 であった、 平安時代後半になると朝廷の監視が緩み 、めぼしいものを入力 貴族が先に買い取ることもあった、 いわば 関税の脱税をしていた (p73)
・平清盛は、武家たちを朝廷のシステムの中で支配しようとした、土地の支配権はあくまで朝廷や中央 貴族にあり、 各地の武家は朝廷や中央 貴族から土地の管理を委ねられているにすぎないという姿勢であった、 一方 源頼朝は、武家たちに土地の所有権や徴税権を認め、 朝廷や中央貴族たちとの支配から解放しようとした、だから 武家たちの指示を得ることに成功し 兵士をしのぐ 軍勢を率いることができた(p79)
・1185年 源頼朝は「平氏との戦いのために兵糧を確保したい」として、朝廷から、守護・ 地頭の設置と「 兵糧米の徴収権」を認められる、この権利は、実は財政上 非常に大きな意味を持つ。米というものは税として納められるものであったので、兵糧米を徴収する権利を持つとは、徴税権を持つのと同じことであった(p81)
・源頼朝は武家の褒賞や 処罰を 1手に行う権利を朝廷から獲得していた、この権利は鎌倉幕府の根本とも言える重要なものであった、この権利により国の軍事権を 頼朝が一手に握ることができた、 各武家は朝廷ではなく 頼朝に忠誠を立てる、 それが鎌倉幕府の権力の源泉であった、そのために 頼朝は 各武家が朝廷と直接接触することを禁じていた、 この重大な 大前提を弟の義経が崩してしまった、義経と朝廷の接近 が 義経 殺害の最大の理由であった(p84)
・平安時代末期の土地は、荘園と公領がまだらに入り乱れている状態であった、荘園が拡大したとはいえまだ 公領もかなり 残っていた、現在の知事のような職である「 国司」や 県庁のような役所である「国衙」も存在していた 、治安が乱れていたので 治安を守るという役割で各国に「守護」が置かれた、鎌倉幕府から派遣されたものであり いわゆる 御家人である、守護は 各国の治安を守るだけでなく、土地を検断する権利や、兵糧を徴収する権利も持っていた。 一方 地頭は 、荘園に派遣された幕府の御家人のことである 、今まで 荘園を勝手に私有していた 脱税者たちに対して土地を管理する権利を正式に与えた、地頭は荘官に代わって、荘園の管理者となった (p87)
・鎌倉幕府はそれまでの政権(朝廷)を倒して新しい政権を作ったわけではない、 朝廷の1機関に過ぎなかった「幕府」が、なし崩し的に政治を担うことになった、 そもそも 幕府というのは「 臨時司令部」という意味である(p88)
・鎌倉幕府は日本全国の徴税権・行政権 までは持っておらず、 各地の武家が 徴税や行政を行い、 幕府が持っているのは 監督や仲裁をする権利だけであった。 鎌倉幕府の財源は 直轄管理している土地から得られる税と、貿易による関税などに過ぎなかった (p89)
・鎌倉幕府には2種類の領地があった、1つは「 関東御分国」と呼ばれるもので、 御家人を国司に任命し、国衙を通じてその地域を統治するもので、 律令時代から続いていた制度を変形したもので、 建前の上では朝廷の土地を幕府が管理するということである、駿河・武蔵・相模・越後が常に「 関東御分国」になっており、時期によっては、遠江・伊豆・陸奥も入った、もう一つの領地は「関東 御領」と 呼ばれるもので 、鎌倉幕府の直轄地である、 幕府 所有の荘園である、 源頼朝は朝廷から 平氏一族の旧領500箇所を与えられた、鎌倉幕府というのは、 関東を中心とした数カ国から十数カ国を統治していたに過ぎず、 日本全体は 各地域の豪族などが統治していた (p90)
・応仁の乱が起きた原因を税務的な視点で見れば、 室町幕府の財政力が弱すぎたから、ということにある、室町幕府は鎌倉幕府の崩壊後、 後醍醐天皇の親政に対する反対勢力として発足したものである、南北朝時代という時期があったので、 足利 政権内部で揉め事が起きると 反対勢力になったものはすぐに下野して、南朝に加担した、 足利 政権は政権の存立基盤を安定させるために 将軍家の直轄領を削って 家臣を引き付けようとした、 その結果 足利家自体の直轄領は非常に少なくなった(p92)
・寺社がなぜ広い土地を持っていたかというと、その理由は脱税である、古代から寺社は、租庸調が免除されていたので、寺社に寄進をして税を逃れる者が続出した(p98)
・信長は「比叡山に対して、朝倉・浅井 のどちらかに加担するのが 仏教徒として不都合ならば 中立を守るだけでも良い、 そうすれば 以前の比叡山の領地を返還する」と 証文まで出していた、にもかかわらず 比叡山は朝倉軍に加担したので、 信長は激怒し、 翌年 朝倉 君との戦いが一段落すると比叡山を焼き討ちにした、信長は比叡山が朝倉に加担する前から比叡山の荘園を没収していた 最初から比叡山に対して厳しい姿勢で臨んでいた、だからこそ 比叡山は信長に反発したのである(p101)
・信長は大胆な農地改革を行い 領民に対して「 大減税」を行っている、寺社の迫害をそうだが、 信長の施策には「税を逃れているもの、 税を勝手に取っているものを弾圧し、なるべく 領民の税負担を軽くする」という指針が貫かれている (p105)
・当時、酒は 比叡山、 織物は祇園社、麹は北野社、油は 南禅寺などが大きなシェアを持っていた 、幕府は1419年、麹の自家製造を禁じて、全ての麹は、北野社から 購入することを義務付けた、1444年、比叡山の訴えにより ようやく この独占状態は 解除 解除された、北野社は、元は比叡山の末寺である、比叡山は関所を設けて高額の通行税をとっていた、信長は寺社たちの既得権益を打破するために「楽市楽座」「関所の撤廃」を行った(p115)
・武田信玄は信長に対して大きく 出遅れていた、不安要素の一つとして、農地が貧弱である、2つ目として、 武田 領が「陸の孤島」であった、陸路を通らなければならないので、 周辺の大名と敵対すれば、 物資の流通がストップしてしまう、 この2つのハンディを抱えていたため 経済成長できなかった(p117)
・大名にとって年貢というものは基本的に 直轄領からしか得ることができない、 家臣たちの事業 値の年貢は家臣のものである、 武田信虎が始めた「 棟別銭」は、 領内 全てに 課税した、 しかも これまで年貢が免除されていた 寺や神社にまで要求した (p120)
・人数の多さで押し切ることができる 野戦ならともかく、 鉄砲・火薬など多くの兵器を必要とする 攻城戦の場合は 装備の不足が如実に結果に現れた、 これが武田信玄の野田城の攻略に1ヶ月もかかった理由であり、 ひいては 信玄が京都まで 進軍できなかった最大の理由である(p132)
・明治時代になって 地租改正のために全国の農地を計測した、江戸時代の記録では日本全国の収穫量は3222万石となっていたが、実は4684万石 もあったことが分かった、 実際の石高は名目の1.5倍 あった、 つまり 隠し田が相当あった (p144)
・幕府は武士の贖罪を帳消し(享保・寛政・天保)を行うたびに、 札差(金貸業者)に対して 特別融資を行うなどして金融不安が起きないようにした (p148)
・幕府が過酷な税を課していなかった理由の一つに、 貨幣鋳造益がある、 江戸幕府は貨幣の鋳造を独占していた諸藩は貨幣の鋳造ができなかった、幕府の許可を得れば 藩領だけで通用する地域通貨は 発行することができた(p151)
・ 地租改正で定められた新たな税率は 土地代の3%であった、 この3%というのは 収穫前の平均 代価の34%程度に設定されていた、 これは江戸時代の年貢と同等か 若干 低い 程度の負担率であった(p167)
・地租改正によって 全国の税率は一律となった、日本のほとんどの農民にとっては負担減であったが、 幕府領の農民にとっては負担増となった、明治維新直後に起きた農民一揆のほとんどは 旧幕府領であった(p168)
・あまり知られていないが 戦前の日本は超高度成長を遂げていた、明治維新から第二次大戦 までの70年間で、 日本の実質 GNP は6倍に増加、 実質賃金は3倍、 実質鉱工業生産は 30倍、 実質 農業生産は3倍になっている、 他の国と比較しても大成長と言える(p170)
・明治43年(1910)からは、 賃貸価格を基準にして地租の価格を決める方法が取られるようになった、地租は戦後、地方税に以上されて「固定資産税」という名称になっている (p171)
・戦前の日本は、酒税・ 砂糖税などの間接税や、官業収入(主にタバコ)が 税収の柱であった、所得税などの直接税は戦争が始まる前まではあまり多くなかった(p182)
・戦後 財閥家が持っている財閥グループの株は、強制的に社会に吐き出された、 強制的に株式市場で売却させた、供出させて売却という形をとった、 ただ 売却しても代金は財閥家には入らなかった、財産税によってほとんどが 徴収された(p201)
2026年2月24日読破
2026年2月26日作成 -
Posted by ブクログ
筆者は学者でも宗教者でもなく元国税庁のライター。僧侶達の私利私欲脱税を見てきたので畏敬の年など無しにフラットな視点で書いている。どこまで事実に基づいているかは不明で著者の私見が多くあるが読みやすく納得できるポイント多し。
以下メモ
•仏典はブッダの死後200〜300年後に書かれかつ時流に応じて改ざんされてきている。(聖書にも通じるが)しかも年々人々に厳しくなっている。
•苦行信仰や超能力信仰ジャイロ教(バラモン教)の教えが混じった物では?苦行信仰も超能力信仰もそもそもブッダが否定している。
•常人には絶対にできないような苦行や戒律を掲示する事で寺や僧侶を奉ろうとしてきたのでは?
•解脱や輪廻転生もバラモン教由来では?という主張。確かに仏教の核と思うこだわり(執着)を捨てるという思想と解脱による救いにズレを感じるのはそもそもべつの思想だからこそなのか? -
Posted by ブクログ
相続対策について大まかな内容を理解するために、本書を読みました。情報としてはやや古い部分もありますが、基礎的な理解を深めるには十分有用でした。
読後に強く感じたのは、学校教育において税や相続に関する実態をもっと教えるべきだということです。私はアラフォーですが、これまで相続対策について真剣に考えたことがありませんでした。しかし、親が元気なうちにこそ、相続について話し合う機会を持つことがとても大切だと痛感しました。
また、本書を通じて得た最大の気づきは、相続に関する知識ももちろん重要ですが、それ以上に「家族の関係性」が何よりも大切だということです。相続が“争族”にならないためにも、家族間の信頼と日頃のコミュニケーションが重要であると改めて感じました。
その意味でも、この本は相続対策の入門書として多くの人にとって有意義な一冊だと思います。 -
Posted by ブクログ
国税調査官をしていた大村市だからこそ書ける本から得られる情報は、私にとっては有益なものばかりです。今年(2025)3月末に出版された最新作の本で、私が読むのはこれで42冊目となります。昨年定年を迎えてサラリーマン生活を終えてしまいましたが、この本には会社に勤務しながらも税金を減らすことができる情報も載せられています。最も、私が自分で行なって最も有効だった「不動産投資」については詳細には書かれていませんでしたが。
税金は、払っていないと催促されますが払い過ぎていても通知はありません。税法の存在や変更、その意味するところを知っているのと知らないのでは、人生においても大きな差をもたらすことをこの本を読んで痛感しました。人生の次の段階に差しかかった私も、この本に書かれている内容を参考にして賢く過ごしていきたいと思います。
以下は気になったポイントです。
・日本の税金が富裕層に非常に有利になっている典型的なものが、株式配当に対する税金である、国・地方税合わせて20%、配当金がいくらあろうが、これ以上の税金は課せられない。20%というのは、年収300-400万円の人と同程度である。日本の株主の税金は先進国の中で最も安い(p16)
・法人実効税率は30%程度ど、他の先進国と同程度であるが、試験開発費減税があり、限度額は法人税額の20%なので、事実上法人税が20%まで下げられたのと同じである、日本企業全体の経常利益と法人税収を比較すると、実質法人税率は15%程度(p25)
・政治団体に個人が寄付する場合、非課税となっている。そして政治資金規正法で、個人は政治団体に年間2000万円まで寄付できる、だから親が毎年2000万円を子供の政治団体に寄付していけば、相続税を全く払わずして自分の資産を譲り渡せる(p57)
・本来、事業者(開業医も含む)というのは、事業で得た収入から経費を差し引き、その残額に課税されるが、開業医は収入から無条件で72%の経費を差し引くことができる、実際の経費がいくらであろうと(p66)開業医が医療法人であれば、病院や医療機器は、医療法人の所有という建前、実質的には経営者の所有物だが、名目的には医療法人のもの、だから実質上の経営者の開業医が死んで、息子が継いでも、それは医療法人の中の役員が交代しただけなので、息子は何一つ受け取っていないことになる(p70)
・宗教法人は年間8000万円を超えなければ、申告書を出す必要はない。この基準値は、事業年度ごとに計算した基本財産などの運用益、会費、寄付金、事業収入などの合計である(p79)
・サラリーマンが副業をして税金還付を受けられる条件として、1)副業として自分で事業をやっている、2)副業として不動産業をやっている人、に限られる。コンビニでのアルバイトはダメ、ただしアルバイトの給料から源泉徴収されている場合は、申告すれば還付される可能性はある(p89)
・ふるさと納税のメリットは、1)自分の好きな市町村に寄付すれば、その寄付額に応じて返礼品がもらえる、2)寄付金は所得税や住民税から控除されるので、実質の負担額は2000円で済む、返礼品は2000円よりも高額なものが多いので得をする(p97)具体的に言えば、所得税・住民税が、寄付金からマイナス2000円の額が返ってくる、3万円寄付した場合、28,000円が返ってくる、実質的に寄付した金額は2000円である(p98)
・2015年に相続税法が大幅に改正されて、これにより3600万円以上の遺産があれば、相続税がかかってくる可能性が出てきた(p134)年間110万円の贈与税の控除を使う方法は簡単である、親族に対してきちんと贈与するだけでいい、申告などの必要はない。が、必ず「贈与している事実」は必要となる(p144)注意点として、死ぬ前の7年間に贈与したものについては相続税の対象とされる(p146)
・故人が特に遺産のプランを考えていなかったり遺言がなかったりする場合は、とりあえず配偶者にたくさんの遺産を相続させることが、最も妥当な分配方法である、具体的な分配方法は、遺産が2億円以内であれば、全部を配偶者に相続させる、そうすれば遺族全体として最も相続税を少なくすることができる(p153)
・1990年代初めにかけて、ソビエト連邦はじめとして東欧の共産主義国が相次いで崩壊して東西冷戦が終了した、それ以降、先進国では相続税率が下げられた、相続税とは共産主義が世界を席巻し始めた頃に作られた税金である、貧富の格差が拡大して庶民の不満が高まってきたので、庶民の不満をなだめるために相続税が取り入れられた、共産主義国が崩壊した後からは先進国は貧富の格差に気を配らなくなった(p156)
・低所得者は収入のほとんどを消費に回すので消費税の負担率は高く(消費税率に近く)なる、一方お金持ちは収入のうち消費に回す分は限られるので、消費税の負担は低くなる(p163)
・消費税は増税されるたびに、法人税や高額所得者の税金は引き下げられた、所得税は26.7→19兆円(1991.2018)、法人税は19→12兆円となっている、合計で15兆円減っている、現在の消費税の税収は20兆円であり、所得税・法人税の穴埋めに使われている、消費税が導入されても高齢者福祉は充実したことはなく、社会保険料は引き上げられ、介護保険料まで取られるようになった(p166)
・消費税は「国内で消費されるものにだけ課せられる」という建前があるので、外国の観光客がお土産に買っていくもの、自国に持ち帰るものについては課税されない(p170)個人輸入は、1回の取引が1万円以内の消費税や関税が免除になる、だから,、16666円以内であれば税金はかからない(p174)
2025年6月4日読破
2025年6月7日作成 -
Posted by ブクログ
脱税に着目して日本史を振り返る、タイトル通りの1冊。
織田信長の延暦寺焼き討ちの理由は脱税の摘発だったり、武田信玄は重税に重税を課す悪魔だったり、戦国武将は戦いの功績ばかりに目が行きがちなので、徴税という内政の解説は新鮮で面白かった。
後半は現代史にも踏み込み、竹中平蔵氏の住民税脱税疑惑世襲議員節税スキーム、トヨタの消費税還付金など。
今でも節税対策と称してさまざまな方法が流布されている。もちろん制度の中で行っていることだと思うけれど、なんだかモヤモヤするところ。ドラゴン桜の名台詞「社会のルールってやつはすべて頭のいいやつが作っている それはつまりどういうことか……そのルールは頭のいいやつに都合のいいように作られてるんだ」が思い起こされた。
調べてみると『脱税の世界史』もあるらしいので近いうちに読もうと思う。
あと、戦時中の愛犬家たちに精一杯のありがとうを伝えたい。ナイス脱税! -
Posted by ブクログ
ネタバレ「お金の流れ」「経済」を起点に歴史を解説する本。
・国の栄枯盛衰には一定のパターンがある。
└徴税がうまくいっている間は富み栄える。
└しかし、役人たちが腐敗して賄賂などをしだすと、国家財政が傾く
└それを立て直すために、重税を課すと民からの不満が爆発しする
└そのようにして国内で生まれた対抗勢力、または外国からの侵略者によって、その国の政権(王)が滅んでいく
・官僚組織は巨大化するほど腐敗しやすくなる
・ユダヤ人は世界中にネットワークを持っているので、商売がうまい
・また、ユダヤ人の国というのが数千年間なかったので、ピンチの時に助けになるお金の必要性が高かった
・通貨としての先駆けは紀元前1600年頃の中国の殷王朝
└紀元前2000年頃のメソポタミア文明では、銀が通貨代わりになっていたが、単に重量によって価値が設定されていたので、通貨と呼ぶには難がある
・第二次世界大戦前後はアメリカの金保有率が7割ぐらいを占めていたので、アメリカ優勢にするためにブレトンウッズ体制を取り、金との間に平価を設定するのは米ドルだけにし、他の通貨は米ドルとの間で為替レートを決めることにした。
・世界恐慌の要因の1つは、アメリカが金を溜め込みすぎたため -
Posted by ブクログ
大化の改新や明治維新では、朝鮮半島の脅威を背景に中央集権と税制改革が進められ、その後は対外的な戦いへと向かう流れが繰り返されてきたことが印象的でした。
後半も面白い。
何故日本は世襲議員が多いのか?
政治団体は無税で国税の管轄外。
政治団体というシステムは政治家の相続逃れの格好のスキームになっている。
政治団体から政治団体への寄付は天井知らずで無税
個人から政治団体への寄付は年間2000万まで無税。
世襲が極めてしやすい土壌になっている。
ちなみに日本の衆議院の23%は世襲それに対してアメリカイギリスは7%ドイツは1%以下とのこと。
日本の政治家の質が何故低いか理由何わかった。