大村大次郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ普段、日本経済新聞を読んでいます。違う切り口の本書のような書籍を読むことで、見方をフラットに戻すことができます。
官僚の世界は、なかなか一般人に見えてこないので、「ピンハネ」に関する記述は興味深かったです。
ファイナンシャル・プランナーとしては、確定拠出型年金に関して、国基連の手数料が腑に落ちないと思っていたため、「国家の手数料ビジネス」とまで表現して頂いたのには拍手を送りたいです。
社会保険料に関して、「90年代の公共事業費のツケ」、そしてそれは米国からの圧力によるもので……ああ、なるほどと思いました。
保守的なメディアだけで情報を取るだけでは、本質が見えません。意義のある1冊でした。 -
Posted by ブクログ
歴史を経済的な側面から見直して分かりやすく解説をするシリーズの現代史版。いまの我々に繋がっている現代史なだけにいままでの中でもっとも参考になった。
現代史を経済の側面で見ると、「基軸通貨」、「石油」、「イギリスは悪い」の3点に集約される印象を持った。現代史は覇権国家の時代であり、覇権国家の力の源泉は軍事力と基軸通貨であった。とくに基軸通貨を押さえると国際貿易を押さえることとなり、基軸通貨国家はお札を刷りさえすれば価値を無尽蔵に作り続けることのできる極めて大きなメリットを有することになる。03年のイラク戦争も実はアメリカの石油決済における基軸通貨を守るための戦いであったことがこの本でつまびらかにされている。
現代は石油動力、石油化学の時代とも言え、石油の権益を巡る狂騒の歴史とも言える。現代史の殆どの紛争や混乱は石油を巡るものであったと言うことがこの本でわかる。21世紀は何を巡る紛争の歴史になるのであろうか?
そして、そういった基軸通貨による貿易の支配、石油権益を巡る混乱、直近で言うとタックスヘイブンという鬼っ子、これらすべてを発明したのがイギリスであり、現代史はイギリスの悪巧みによる歴史と言えなくもないなと思えた。
経済なら経済、という軸一本で歴史を見ないとなかなかこういうシンプルな本質は見えてこないので、とても勉強になった。 -
Posted by ブクログ
日米の近代史を「お金の流れ」の観点から解説した大村氏の最新本です。彼が書いてくれるこのシリーズは大変面白いですね。アメリカは建国から今もずっと戦争をしている国ですが、それは明確な戦略があって行っていることが、この本を読むことでよくわかりました。
その行為が良い悪いと私は判断する段階にはありませんが、歴史上の事件が「お金」に絡んで起きているという観点から見てみると、また違った味わい方ができると思いました。歴史は事件そのものを追いかけていくのも楽しいですが、それ以外の見方をしてみると、近代史もやはり私達と同じ、人間によって作られたのだなと実感することができます。
以下は気になったポイントです。
・アメリカの景気がいい、とは金融用語におけるもので、アメリカ経済が良好である、という意味とは同一ではない。株価や失業率の数値は良いが、経済全体は非常に悪い。財政赤字・経常収支ともに赤字(1992年以来)で対外債務が多い(p17、18)アメリカの現在の株高は、FRBによるQE(金融緩和)が最大の要因である(p20)
・アメリカの対日貿易赤字が最も大きかったのは1987年の570億ドル、2015年は686億ドル、現在騒がれないのは、中国がもっと大きな存在だから(p25)
・アメリカは、第一次世界大戦までは、鉄道建設でイギリスから巨額の投資を受け入れていたので世界一の債務国であったが、戦後には一気に世界一の債権国となった。連合国側(イギリス、フランス、イタリア)はアメリカに借金の減額を頼んだが、アメリカはびた一文負けなかった(p31、32)
・アメリカではインフレが起きることを警戒して、金が増えているにも関わらず、通貨量を増やさなかった、つまりFRBの金準備に含めないようにした(p34)
・第二次世界大戦後、イギリスはアメリカに対して38億ドル、フランスは10億ドルの融資を求めた、見返りに、イギリスとフランスのブロック経済の解体を求めた(p37、39)
・アメリカはマーシャルプランで、1948-51年まで、年間予算の20%以上である、102億ドル以上(90億ドルが返済不要)の援助をした。西欧諸国は外貨が不足していて、彼らが輸入できなくなり、米国も輸出ができなくなり困るので。西欧諸国はマーシャルプランを受け入れるためにOEEC(後にOECDに発展)を作り自由貿易を進めた(p39、40)
・1971年、アメリカはそれ以上の貿易赤字を出さないように、輸入品に対して課徴金を課した。それまでアメリカが推進してきた自由貿易とは正反対の行動であった。それでも金の流出が止まらないので、ついに、金ドル交換停止を発表した(p47)
・ドイツも日本も第二次世界大戦において都市はがれきの山となったが、産業への被害はさほど大きくなかった、日本の製鉄能力はほとんど低下していない(p54)
・ペリー来航時、日本では金:銀は1:5であったが、欧米では1:15であった、金がより高い価値を持っていた。現在は、1:60以上、当時の中国には欧米の金融機関が進出していて、日本の金を欧米の相場で買い取ってくれた(p59)
・幕府は貨幣の改鋳(貨幣を回収して鋳つぶし、含有率を変更)して、ようやく金の流出を防いだ、その時には百万両の金が流出していた(p60)
・サンフランシスコ講和条約により、日本が戦勝終結前に持っていた対外資産はすべて没収して補償に充てられた、これは当時の金額で3800億円で、国家予算16年分。昭和28年の米軍駐留批評は47億ドル(5100億円で、年間の国家予算の半分程度)(p80、81)
・当初GHQは日本の重工業の生産能力を国内需要に応じる範囲に抑えようとした、その基準値は昭和5年レベルの3分の1、重工業の生産設備(1100万トン中の900万トン)を東南アジア諸国に移設する予定であった(p87)
・朝鮮戦争は、アメリカがそれまで規制していた日本の各産業を一斉に解禁した、アメリカは軍需物質を日本で調達する必要が生じたため(p89)
・アメリカは沖縄返還の交換条件のような形で、繊維製品の輸出を控える、という約束をさせた(p93)
・フォードは大正14年(1925)には日本フォード社を作り、日本での製造販売をしていた。昭和2年(1927)には、GMも組立販売を開始し、この2社で日本市場は占められた(p111)
・昭和11年(1936)に、自動車製造事業法が成立し、国内の自動車会社しか日本で製造販売できないとした。フォードとGMは先行きに不安を覚えて撤退、その工場を日本は買い取った。業法で認可を受けたのは、トヨタ自動車・日産自動車・ディーゼル自動車(いすず)であった(p113、114)
・日米構造会議でアメリカが日本に求めた主なものは、1)政府による大規模投資(現在の巨額赤字国債の原因)、2)大店法など流通制度を見直す、3)土地政策を改善(p135、143)
・日本も三菱地所がロックフェラーセンターを買収した1989年の日本の投資は670億ドルで、イギリス(1000億ドル)よりも少なかった、イギリスを抜いたのは1992年のみ(p138)
・生命保険、損害保険以外の分野である、第三分野(損害保険、がん保険)は、日本の保険会社は参入できないという日米申し合わせがあった(p170)
・NAFTAにより、メキシコの独り勝ちとなった、このNAFTAでの失敗が、アメリカをTPPから離脱させた最大の理由と言える(p204)
・貿易黒字とは、聞こえが良いが、自国の富が持ち出されることで、その代価として外国通貨がたまっていくこと。これは自国を豊かにするのではなく、自国の物価を押し上げるという悪影響を持つ(p213)
2017年6月11日作成 -
Posted by ブクログ
元国税調査官が戦国時代のお金の流れを研究。
室町幕府は直轄領が少なく経済的にも常に困窮していたと言う話は応仁の乱関連の書籍でも触れまた、明との勘合貿易で儲けることが出来ず、有力守護大名に、安く売ったりみたいな話があったり。
織田信長の桶狭間の戦いを石高で見た時にそこまでの圧倒的な兵力差でもないこと。むしろ、経済的には信長の方が潤っていたという話は興味深かった。
武田信玄の国政の苦労話。上杉謙信や毛利元就が信長に匹敵するほどの経済基盤がありながら、後塵を拝した理由なども面白い。
戦国の世も現代も、この世の沙汰は金次第と言ったところでしょうか。 -
Posted by ブクログ
元国税調査官の大村氏によって書かれた、お金の流れの観点から見た、私の好きな戦国時代の解説本です。現在もそうですが、戦国時代も「お金=経済力」が力を持っていたのですね。
この本では、日本の頂点の近くまで上り詰めた有名な大名の「懐具合」について解説されています。お金を得るために、多くの大名が採用した、増税・関所の増設をする代わりに、織田信長のとった「楽市楽座」、この点は今までの本にはあまり積極的に触れられていませんでしたが、当時力を持っていた勢力(寺社、堺等)には多くのお金を出させる等、織田信長の経済改革センスの凄さを改めて感じました。
西日本の大名がなぜ、キリスト教を容認していたか、豊臣秀吉や徳川家康は、西洋国家と貿易によるメリットを捨ててまで、なぜ鎖国しなければならなかったのか、その中でなぜ「オランダ」を選んだのかがよくわかりました。
歴史を読むときに必要なことですが、現在の常識にとらわれず、当時の世界状況を頭に浮かべながら読む必要性を感じた一冊でした。
以下は気になったポイントです。
・室町幕府は、将軍の世継ぎ問題も将軍家だけで決定できず、周囲の家臣や大名が口を出してきて事が大きくなった(p15)
・応仁の乱の東陣営の首領である細川家は、足利家の支流の一つ、摂津・丹波・讃岐・土佐の守護、一族全体では、阿波・備中・和泉・淡路も治めていた、西陣営の山名家は、中国地方で11か国の守護(p15)
・室町時代の3代将軍、足利義満はそれまでの日本政庁の意地を捨てて、明に対して冊封を受け、明の皇帝から、日本国王に任命された(p17)
・遣明船の準備(合計で、50万石の大名の年貢収入)ができず、日明貿易の権利をばら売りするようになった(p18)
・足利尊氏にとって、後醍醐天皇の崩御後の南朝政権は恐れるほどのものでなかったが、足利政権内部でもめごとが起きると、反対勢力になったものが南朝に加担するので、将軍家の直轄領を削って家臣を引き付けていた(p20)
・室町幕府の大きな収入の柱は、「酒屋土倉役=酒屋と土倉(金貸し)に課す税」であった。彼らの利権を保護することで、税を吸い上げようとした(p22)
・そもそも武家とは、国の土地や荘園を無法に占拠し、武装して無理やり我が物にしてきた者たちである。それを正式に認めたのが鎌倉幕府(p28)
・守護大名と戦国大名の違いは、地域に根付いた実質的な支配権を持っているかどうか(p31)
・伊豆には堀越公方という室町幕府の重要な機関が置かれていた、関東一帯を管轄する室町幕府の出先機関、北条早雲は明応2(1493)に、滅ぼした後、伊豆を勢力圏とした戦国武将となった(p36)
・戦国時代において、生まれもよくわかっていないような身分から有力武将にまで登ったのは、実は豊臣秀吉くらい、他の戦国武将は「ある程度の家柄」で、その家柄規模はその後の国盗り競争にかなり影響を与えている(p39)
・中世の遺跡から、知多半島の土器が発見されていないのは、本州・九州・四国の中では、わずか2-3県。つまり、日本全国に流通していた。知多半島は、中世から日本最大の土器生産地域、日本有数の工業地帯であった(p42)
・江戸時代の遊郭・吉原の経営は、南知多の人々が担っていた、明暦3(1657)年の大火後につくられた新吉原では、20軒の揚屋のうち13軒が、知多郡須佐村出身の経営だった(p43)
・信長が朝廷に参内したときは、禁裏修理料として、4000貫目を寄付している。これは4万石の大名の年貢に相当(p43)
・今川義元が尾張に侵攻して「桶狭間の戦い」となった理由は、知多半島が欲しかったから(p44)
・調略によって今川にとられた鳴海城・大高城は、尾張から見れば、知多半島への「通用門」のような位置にあたる地域、今川軍の最大の目的はこれを守ること、義元は大高城を主戦場と見ていたが、信長は本陣を衝いた(p46)
・信長軍は、5月19日の早朝、清州城を出発して、昼過ぎには桶狭間で今川本陣を急襲している、40キロ以上を半日で踏破している、秀吉の「中国大返し」以上の超強行軍である(p48)
・天文18年(1549)に、織田信長が斎藤道三に対面した時点で、1700-1800人の直属部隊を持っていたので、桶狭間での直属軍は3000人は超えていただろう、これが、今川本陣の3000-4000人を不意打ちした(p52)
・信長は、領内統治がうまくいっていたからこそ、あれほど急速に、広範囲に兵を進めることができた。領民が反抗して一揆が頻発したり、年貢が納められていなければ、他国へ攻め入れなかっただろう(p59)
・信長の発行する「防御御礼」の場合、発行してもらえば、現場の部隊に矢銭を払う必要は無かった。厳しい軍規を守っていた(p65)
・信長の楽市楽座は、一地域に繁栄をもたらしただけでなく、日本全体の商体系の改革を促し、日本の物流を大いに発展させた(p66)
・大名は、基本的に直轄領からしか税を得ることができない、家臣に与えらえた知行地は家臣のもの。しかし、「棟別銭」は、領内全てに課税される、武田領ではこれが高かった、1582年に信長軍が信濃に侵攻したときには、百姓達が自ら家に火をつけて織田の分国にしてほしいと懇願した(p81)
・戦国時代のデフレの原因は、明からの銅銭の輸入が途絶えたから、残った銅銭も、悪銭が多く、精銭が希少であった(p91)
・信玄は晩年、100万石近い領地を持っていたが、その大半は、桶狭間の戦い以降、今川家の領地だった関東、東海地方に攻め込んで切り取ったもの(p94)
・信長の凄かったのは、だれもが欲しがる鉄砲を大量に集めることができた、それだけの「財力」と「入手ルート」があったので、他者を圧倒できた(p97)
・堺は、日本国内の物流拠点だけではなく、日明貿易の発着港で最大の貿易港であり、最先端の工業都市(鋳物産業の中心)であった、最も東に位置しているため、東日本の大名にとって堺は生命線(p100)
・足利義明は信長に、副将軍か畿内5か国を治める管領職につくように要請するが断り、「堺・大津・草津に代官を置く許可」をもらった、3つの港ともに、当時の日本物流の要衝、この3つを手に入れることで、琵琶湖を登って日本海側へ行く、西日本から東日本へのルートの1つを抑えた。伊勢湾から海沿い入るルートはすでに掌握(p103)
・火薬の材料としての硝石が国産化される1580年までは、ほとんどを中国や南蛮からの輸入に頼っていた(p111)
・武田信玄は、あらゆる手段をつくしても、戦費として7000両(2.1万貫)しか集まらなかったのに対して、信長が堺一都市に課した矢銭(戦争臨時税)が、2万貫であった(p113)
・人数の多さで押し切れる野戦はともかく、鉄砲・火薬など多くの兵器を必要とする攻城戦の場合は、装備の不足が如実に現れる。野田城の攻略に1か月、信玄が京都まで進軍できなかった最大の理由ではないか(p116)
・南蛮船と交易するために、諸大名達は、キリスト教の布教を認めた(p121)
・倭寇の鎮圧に力を貸していたのがポルトガルなので、ポルトガルは倭寇に代わって日本の海外貿易を担うようになる(p122)
・村全体が一帯となって信仰を守る体制(隠れキリシタン組織)は、江戸時代はおろか平成4年まで続いていた(p131)
・明治15年(1882)に東海道線が敷かれるまで、琵琶湖の水運は、西日本と東日本を結ぶ日本の大動脈であった、唐の侵攻をおそれた朝廷は、天智6(667)に、交通の便の良い、近江大津に都を移した。壬申の乱の後に都が「飛鳥」に戻されるまでの5年間は、近江大津は日本の首都であった(p147)
・太閤検地において、近江国は78万石であり、陸奥国についで全国2位、面積比では断トツ1位、日本で最も栄えていた地域・安土に、信長は城を建てた(p148)
・上杉の越後にある、柏崎と直江津の2つの港からの関税収入は、年間4万貫、30万石の大名の年貢収入(p166)
・島津家は琉球貿易に携わっていたが、琉球を通して、明・東南アジア・西洋と貿易していた(p182)
・信長の行った「国替え」んは、一旦家臣に与えた所領を没収し、ほかの土地を与えること。古代朝廷の「国司」、明治以降の「知事」に似たもので、武家政権での「管領」「守護」とは異なるもの、武家=土地の所有者から、土地の管理を任された官僚という形にしようとした(p196)
・荒木村重の反乱は、実は「本能寺の変」の前哨戦ともいえる、明智光秀と荒木村重には共通項がある(p200)
・貫高制は、米を作ったうえに販売までして銅銭を確保する必要があり農民にとって負担大であった。石高制は取れた米の一部を納めるだけ(p212)
・当時ポルトガルは、アフリカから黒人奴隷を仕入れてアメリカに輸出していたが、それと同様のことを日本でも行っていた。世界各地に日本人の奴隷が見られた(p220)
・秀吉は全国の主な金山銀山を手中にしており、慶長3年(1598)には、金銀合計で、300万石が入っている。これ以外に領地からの収入の220万石があった(p235)
・オランダは、スペイン・ポルトガルと異なり、プロテスタントであり、最大の目的は貿易=金儲けであり、キリスト教の布教を強く求めなかったので、家康はオランダとの交易を認めた(p243)
2016年11月23日作成 -
Posted by ブクログ
今まであまり持っていなかった歴史の視点。
経済で見る戦国史はこんなにおもしろいとは思わなかったです。
経済的な考えからすると織田信長の先見性や独創性の凄さが
あらためて分かり、ただ周りがその発想になかなかついていけない。
本能寺の変もそのことが原因で起こったと考えれば
すごく腹に落ちます。
織田と武田の力の差も単純に合戦だけを眺めていても気が付かないことばかり。
織田は勝つべくして勝ち、武田には1滴も勝つ見込みがなかったことが
はっきりと分かりました。
元国税調査官の視点で見るとまた違う戦国史があり
それは今にも引き続いていることだということがよく分かりました。 -
Posted by ブクログ
最近「パナマ文書」という言葉をニュース等で聞くことがありますが、断片的な情報しかなく何のことか分かっていませんでした。ただし、パナマ文書では、多くの人が取り上げられていることは知っていました。
そんな私にとって、この本は「パナマ文書」を暴露した法律事務所、タックスヘイブンはなぜできたのか、そのバックには英国がいること、日本人がなぜ他の国と比べて少ない理由等、知らないことが満載でした。凄い世界があるのですね。金持ちがより富むわけが少しわかった様な気がしました。
また、長年疑問をもっていた、世界の基軸通貨がポンドからドルに代わった経緯(p80辺り)を初めてこの本で知ったことは私にとって大きかったです。
以下は気になったポイントです。
・ヴァージン諸島の法人から日本の孫氏のもとに配当がもたらされれば、その時点で孫氏に税金はかかるが、ヴァージン諸島に利益を置きっ放しにしておけば、日本の税金は払わずに済み、そのお金は再投資に使える(p19)
・IMFによれば、南太平洋のタックスヘイブンだけで、18兆ドル(世界総生産の3分の1)が集められている。税公正ネットワークによれば、2010年待つ現在で、2270-3450兆円が保有されているとしている(p21)
・大企業や富裕層の税金がタックスヘイブンに持っていかれるので、先進国では彼らむけの税金を下げざるを得なかった。結果として、財源を賄うのは、「タックスヘイブンを利用できない人々」に対して増税するようになった(p22)
・消費税が増税されて以来、大企業の税金はこの20年間で約3割、高額所得者の税金は4割下げられた。穴埋めとして消費税が導入された(p22)
・パナマ文書にアメリカ人の記載が少なかったのは、タックスヘイブンを使っていないわけではなく、「モサック・フォンセカ」の顧客ではなかったということ(p28)
・アップル社は、2つのアイルランド子会社の間に、オランダの子会社を挟ませている。これにより、アメリカの税務当局の追及を完全にかわすことができる(p41)
・日本の大手商社5社は連結ベースで、2100-4500億円もの当期利益を出しているが、税負担は少ない。単独ベースでは、営業赤字なので。利益を税金の安い海外子会社に移して、本社で利益が出ないようにしている(p43)
・モサック・フォセンカの最大顧客は中国であり、実顧客の3分の1は、中国・香港の居住者であった(p48)
・パナマ文書により北朝鮮がタックスヘイブンをを利用していたことが明らかになった。ヴァージン諸島にペーパーカンパニーをつくり、その会社を通して貿易して、軍事費などの資金を調達していた(p50)
・先進諸国はタックスヘイブンに悩まされているが、タックスヘイブンを実際に運営しているのは先進諸国自身である(p54)
・セコム創業者から親族にセコム株を贈与すると、贈与税が500億円かかるが、タックスヘイブンのペーパーカンパニーを間に挟むと、所得税・住民税のみとなり、250億円以下となる(p58)
・武富士が起こした、追徴課税の処分を不服とした裁判は、国税が負けて、徴収していた税金を返還しただけでなく、税金を預かっていた期間の利子(400億円)までも払うことになった(p64)
・全国の相続資産に対する相続税の割合は2%に過ぎない、これはタックスヘイブンなどを用いているから(p65)
・消費税が逆進性なのは、低収入の人はほとんどを消費に回すので、収入に対する税負担はほぼ8%、年収1億円の人は、収入の大半は、預金・投資に回すので、収入に対する消費税負担率は8%よりはるかに低い(p67)
・タックスヘイブンには、二つの親がある。1)税金の安い地域、2)金融の機密性の高い地域(p70)
・エジプトで経営されている(取締役会を行う)事実があるので、イギリスで課税することはできない、イギリスの海外領は、第二次世界大戦後も、税制はそのままであった。多国籍企業に出ていかれないように(p74)
・1955年ころ、イギリスのミッドランド銀行が、アメリカ・ドルの預金を受け入れた、これは為替管理法に触れるので、本来ならばイギリスの中央銀行であるイングランド銀行が指導すべきであったが、これが新しい金融ビジネスになるかもしれないということで目をつむった(p77)
・1960年代の欧州(西ドイツ、スイス、フランス)は外国人の定期預金の利子支払いを禁止した、イタリア、オランダ、フランス、ノルウェー、スウェーデン、オーストリアは自国の銀行に預金できる額を制限した、しかし、イギリスは正反対の方向に向かった(p78)
・イギリスは、ドル預金に対する利子には、税金をかけないという優遇措置をつくった。これがオフショア取引の始まり。これにより、ユーロダラーという新しい通貨が誕生した。ユーロダラーとは、欧州で主にドルを使って外国人同士が取引すること(p79)
・イングランド銀行が危険なことを容認したのは、イギリスの栄光を取り戻すため。世界中の富(金)を集めて、それを元手に世界で初めて金本位制を導入し、基軸通貨であった。1957年時点でも、ポンドは世界貿易の40%を占めていた(p81)
・ポンドの価値が下がり、基軸通貨としての役割を失えば、シティの影響力も弱まる。それを取り戻すために、イングランド銀行は「ポンドの代わりにドルを取り扱う=ユーロダラー」という賭けに出た。これが、オフショア取引の原型となり、オフショア市場が誕生した(p82)
・リーマンショックの要因の一つとされている、グラス・スティーガル法の改正(1999)だが、ロンドンでオフショア市場が作られた時(1950年頃)に骨抜きにされている。アメリカの銀行は、ロンドンのオフショア市場を使って、投資業務を行うことが可能になったので(p85)
・ユーロダラーが拡大した要因の一つとして、冷戦がある。ソ連は手持ちドル資金をイギリスの銀行に預けた。1997年には国際融資の90%以上がユーロダラー市場を通して行われた(p87)
・イギリスは、海外領にスイスのような秘密銀行をつくり、そこでユーロマネーを運用するスキームを考えた。1)税金を安く、2)会社登記を簡単に、3)金融の秘密を守る、このとき、タックスヘイブンのスキームが出来上がった(p88)
・日本人や日本企業は、タックスヘイブンとして、ケイマン諸島(登録税、関税以外は一切の税金なし)を使うことが多い。2015年時点で、63兆円(国税収入を超える)額である(p92)
・ケイマン諸島をタックスヘイブンにするときに、ポンド圏から離脱させた、ポンドがそこから流出する恐れがあるので。代わりとして、アメリカドルとリンクするようにして、1974年に、1ケイマンドル=1.2ドルとした。このドル固定制度は、ケイマン諸島がタックスヘイブンとして繁栄した要因の一つ、ケイマン諸島でドルが使えるので、イギリスとしてもケイマン諸島が反映して、ポンド流出も止められた(p101)
・ウォール街は、金融取引量自体は世界一、しかしその大半は国内取引。世界経済全体のシェアを見れば、ロンドンのシティの方が、ウォール街を凌駕している。国際的株取引の約半分、国債新規公開株の55%、国際通貨取引の35%は、シティが占めている、外国為替取扱量は、1日あたり2.7兆ドルで世界全体の40%、アメリカは半分以下の1.2兆ドル(p104)
・イギリスが世界金融に影響力を持っている理由は、タックスヘイブンの総元締めだから。イギリスおよび海外領オフショア銀行の預金推定残高は、3.2兆ドルでオフショア市場の55%を占めている(p105)
・スターバックスは、税金が非常に安いオランダに、知的所有権を管理する会社を置き、他の国のスターバックスから高額のロイヤリティを払わせて、税金の安いオランダに収益を集める仕組みを作っていた(p110)
・フェイスブックは、スターバックスと似たようなスキームで、アイルランドに子会社を作って、そこに利益を移転させていた(p112)
・アメリカは、タックスヘイブン規制が難しいと見るや、急速にタックスヘイブン化し始めた。デラウェア州、ネバダ州などでは、銀行秘密法に似た法律が作られている(p124)
・イギリスは、ジャージー島にEUの制約を受けない地域を作った(p124)
2016年7月31日作成 -
Posted by ブクログ
今年から相続税が上がって、これまで相続税とは無縁だった人も対象になる可能性が大きくなって、巷には、相続税対策と称して、悪質な商法が現れてきているので、要注意ってことです。
まぁ、これまで対象にならなかった人が、これから対象になるからといって、そういう人の税額は大したこと無いので、あんまり気にしなくて良いってことのようです。一応、細かな節税方策についてもいくつかありましたが、気になる人は要チェック。
これまでも対象であったような人の相続対策の最強アイテムは、以下の通り。
小金持ちの場合・・・都心に330m2以下の豪邸を購入して、家族と同居
大金持ちの場合・・・「財団」を作る
どちらも、縁の無いお話でした。 -
Posted by ブクログ
今回初めての確定申告をやることになり、全く知識がないから情報収集の為この本を手に取りました。
税金を納める国民と脱税を取り締まる国側が居るのはいいんだけど、どっちも人。
自分が得することを考えて脱税をするのは国民も国も変わらないんだなと思った。
自分は払う側だからこっち目線で書くけど、
国の為に税金を納めてると思ったら
その取り締まる側の国税のトップがその地位を盾に脱税をしていて、
そんな倫理もクソもないとこに金なんか払ってられるか、なんて思ってしまった。
しかし脱税はいかんので、やれる限りの節税はしたいなと思いました。
もっと勉強します。