あらすじ
元国税調査官が日本史にガサ入れ! 古代から現代まで庶民は税金に苦しんできた。そして歴史的な事件の背景には脱税が絡んでいた。税金で読み解く源平合戦、織田信長による比叡山焼き討ちは寺社の脱税が原因、二宮尊徳も脱税していた! 明治の財閥の脱税事情など目からウロコの日本史の意外な真実がわかる一冊。
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Posted by ブクログ
これは圧倒的に面白い! 大化の改新の理由なんて、単なる史実だけ覚えていたけれど、当時の朝鮮の状況、国費・軍事力増強の必要性、国内基盤の課題と、税に関わる視点で捉えると辻褄があって、妙に納得した。
武田信玄と織田信長の違いなども、今まで知っていた歴史情報を、更に別の視点から見直すことができた。面白くて一気読みしてしまった。
おすすめです!
Posted by ブクログ
大村氏が面白い本を一昨年に書いていたのを、ネットで最近見つけました、これで47冊目の彼の本を読みました、国税調査官をやっていた独特の視点で歴史を解説してくれています。この本を読むと、人間の本質は時代が過ぎても、それほど変わらないのだなと感じることができて、親しみが持てました。
現在の感覚では「脱税」は、良くないとされていますが、脱税をしたからこそ経済力を持つことができ、地方を、最終的には日本を統治することができたということも理解できました。大村氏には今後も、彼の独自の視点で歴史を解説して欲しいものです。
以下は気になったポイントです。
・日本史上、土地の知的所有を認めなかった政権というのは、事実上、 大化の改新後の大和政権だけである、 大和政権が土地の私的所有を認めなかったのは、 土地を国有化することで、 豪族などに分散していた国の財力を集中させようとしたから(p17) 軍事についても豪族の紙幣を寄せ集めるのではなく、 徴兵によって朝廷の直属軍を増強するのが大化の改新であった(p22)
・斎蔵・内蔵・大蔵とは、雄略天皇の時代に整備された蔵のこと、斎蔵は、天皇の祭具を保管した蔵、内蔵とは、官物を保管した蔵、大蔵とは、全国からの貢物(税)を収めた蔵のこと(p21)
・ 租庸調制度を簡単に説明すれば、 租は米、庸は労役、調は布や特産品を 税として集めるものである(p30)
・日本で 全国的な国土調査が行われたのは 有史以来3回しかない、秀吉の「太閤検地」、 明治 維新期の 地租改正、 そして 大化の改新である、 現在の日本の土地登記簿のほとんどで、 地租改正時に作られた公図が用いられている(p32)
・白村江の戦いの後、 大和朝廷は唐・新羅の連合軍による日本本土への進行に備えた。天智天皇は臨戦態勢を整えるために 667年に 交通の便の良い 近江大津に都を移した、人身の乱の後に都が 飛鳥に戻されるまで、 日本の首都は 近江大津であった(p43)
・天平 7年(735)から天平 9年にかけて起こった天然痘の大流行は日本社会に大きな打撃を与えた、当時の人口の2割以上に当たる 100万人以上が死亡した。天然痘の医学的な対策法はなかったので 神仏に頼るしかなかった、 天平13年 聖武天皇は日本中に国分寺・ 国分尼寺を作ることを命じた、天平15年 (743)今東大寺の造立を決定する、 その財源として考え出されたのが「 墾田永年私財法」である(p48)
・ 貴族や豪族が切り開いた 私有田に雇われる農民が増え、 班田(公の田) が放棄されるようになった、 班田には徴兵 や労役があったが、 私有田にはそれほど重い 役はなかったので、 私有田に移る農民が多かった、 つまり 農民たちは「 税を逃れるために 公田を放棄した」のである(p51)
・平安時代の末期になると「武」を 専門とする 公家や貴族が登場してきた、 その大きな要因は 班田収受 制度が壊れたことである、 9世紀中頃には戸籍が改定されなくなり 10世紀になると 班田収受 が ほ ぼ 行われなくなった (p69)
・ 平安時代の対外貿易では国家の買取専有権があった、 これは関市令 という法律に定められたもので「 外国から交易船が入ってきた場合、 朝廷から役人が派遣され、 まず 優先的に買い取りが行われる、 その残りを貴族や承認が買い取る」というものであった、 その権利は現代の「関税」 であった、 平安時代後半になると朝廷の監視が緩み 、めぼしいものを入力 貴族が先に買い取ることもあった、 いわば 関税の脱税をしていた (p73)
・平清盛は、武家たちを朝廷のシステムの中で支配しようとした、土地の支配権はあくまで朝廷や中央 貴族にあり、 各地の武家は朝廷や中央 貴族から土地の管理を委ねられているにすぎないという姿勢であった、 一方 源頼朝は、武家たちに土地の所有権や徴税権を認め、 朝廷や中央貴族たちとの支配から解放しようとした、だから 武家たちの指示を得ることに成功し 兵士をしのぐ 軍勢を率いることができた(p79)
・1185年 源頼朝は「平氏との戦いのために兵糧を確保したい」として、朝廷から、守護・ 地頭の設置と「 兵糧米の徴収権」を認められる、この権利は、実は財政上 非常に大きな意味を持つ。米というものは税として納められるものであったので、兵糧米を徴収する権利を持つとは、徴税権を持つのと同じことであった(p81)
・源頼朝は武家の褒賞や 処罰を 1手に行う権利を朝廷から獲得していた、この権利は鎌倉幕府の根本とも言える重要なものであった、この権利により国の軍事権を 頼朝が一手に握ることができた、 各武家は朝廷ではなく 頼朝に忠誠を立てる、 それが鎌倉幕府の権力の源泉であった、そのために 頼朝は 各武家が朝廷と直接接触することを禁じていた、 この重大な 大前提を弟の義経が崩してしまった、義経と朝廷の接近 が 義経 殺害の最大の理由であった(p84)
・平安時代末期の土地は、荘園と公領がまだらに入り乱れている状態であった、荘園が拡大したとはいえまだ 公領もかなり 残っていた、現在の知事のような職である「 国司」や 県庁のような役所である「国衙」も存在していた 、治安が乱れていたので 治安を守るという役割で各国に「守護」が置かれた、鎌倉幕府から派遣されたものであり いわゆる 御家人である、守護は 各国の治安を守るだけでなく、土地を検断する権利や、兵糧を徴収する権利も持っていた。 一方 地頭は 、荘園に派遣された幕府の御家人のことである 、今まで 荘園を勝手に私有していた 脱税者たちに対して土地を管理する権利を正式に与えた、地頭は荘官に代わって、荘園の管理者となった (p87)
・鎌倉幕府はそれまでの政権(朝廷)を倒して新しい政権を作ったわけではない、 朝廷の1機関に過ぎなかった「幕府」が、なし崩し的に政治を担うことになった、 そもそも 幕府というのは「 臨時司令部」という意味である(p88)
・鎌倉幕府は日本全国の徴税権・行政権 までは持っておらず、 各地の武家が 徴税や行政を行い、 幕府が持っているのは 監督や仲裁をする権利だけであった。 鎌倉幕府の財源は 直轄管理している土地から得られる税と、貿易による関税などに過ぎなかった (p89)
・鎌倉幕府には2種類の領地があった、1つは「 関東御分国」と呼ばれるもので、 御家人を国司に任命し、国衙を通じてその地域を統治するもので、 律令時代から続いていた制度を変形したもので、 建前の上では朝廷の土地を幕府が管理するということである、駿河・武蔵・相模・越後が常に「 関東御分国」になっており、時期によっては、遠江・伊豆・陸奥も入った、もう一つの領地は「関東 御領」と 呼ばれるもので 、鎌倉幕府の直轄地である、 幕府 所有の荘園である、 源頼朝は朝廷から 平氏一族の旧領500箇所を与えられた、鎌倉幕府というのは、 関東を中心とした数カ国から十数カ国を統治していたに過ぎず、 日本全体は 各地域の豪族などが統治していた (p90)
・応仁の乱が起きた原因を税務的な視点で見れば、 室町幕府の財政力が弱すぎたから、ということにある、室町幕府は鎌倉幕府の崩壊後、 後醍醐天皇の親政に対する反対勢力として発足したものである、南北朝時代という時期があったので、 足利 政権内部で揉め事が起きると 反対勢力になったものはすぐに下野して、南朝に加担した、 足利 政権は政権の存立基盤を安定させるために 将軍家の直轄領を削って 家臣を引き付けようとした、 その結果 足利家自体の直轄領は非常に少なくなった(p92)
・寺社がなぜ広い土地を持っていたかというと、その理由は脱税である、古代から寺社は、租庸調が免除されていたので、寺社に寄進をして税を逃れる者が続出した(p98)
・信長は「比叡山に対して、朝倉・浅井 のどちらかに加担するのが 仏教徒として不都合ならば 中立を守るだけでも良い、 そうすれば 以前の比叡山の領地を返還する」と 証文まで出していた、にもかかわらず 比叡山は朝倉軍に加担したので、 信長は激怒し、 翌年 朝倉 君との戦いが一段落すると比叡山を焼き討ちにした、信長は比叡山が朝倉に加担する前から比叡山の荘園を没収していた 最初から比叡山に対して厳しい姿勢で臨んでいた、だからこそ 比叡山は信長に反発したのである(p101)
・信長は大胆な農地改革を行い 領民に対して「 大減税」を行っている、寺社の迫害をそうだが、 信長の施策には「税を逃れているもの、 税を勝手に取っているものを弾圧し、なるべく 領民の税負担を軽くする」という指針が貫かれている (p105)
・当時、酒は 比叡山、 織物は祇園社、麹は北野社、油は 南禅寺などが大きなシェアを持っていた 、幕府は1419年、麹の自家製造を禁じて、全ての麹は、北野社から 購入することを義務付けた、1444年、比叡山の訴えにより ようやく この独占状態は 解除 解除された、北野社は、元は比叡山の末寺である、比叡山は関所を設けて高額の通行税をとっていた、信長は寺社たちの既得権益を打破するために「楽市楽座」「関所の撤廃」を行った(p115)
・武田信玄は信長に対して大きく 出遅れていた、不安要素の一つとして、農地が貧弱である、2つ目として、 武田 領が「陸の孤島」であった、陸路を通らなければならないので、 周辺の大名と敵対すれば、 物資の流通がストップしてしまう、 この2つのハンディを抱えていたため 経済成長できなかった(p117)
・大名にとって年貢というものは基本的に 直轄領からしか得ることができない、 家臣たちの事業 値の年貢は家臣のものである、 武田信虎が始めた「 棟別銭」は、 領内 全てに 課税した、 しかも これまで年貢が免除されていた 寺や神社にまで要求した (p120)
・人数の多さで押し切ることができる 野戦ならともかく、 鉄砲・火薬など多くの兵器を必要とする 攻城戦の場合は 装備の不足が如実に結果に現れた、 これが武田信玄の野田城の攻略に1ヶ月もかかった理由であり、 ひいては 信玄が京都まで 進軍できなかった最大の理由である(p132)
・明治時代になって 地租改正のために全国の農地を計測した、江戸時代の記録では日本全国の収穫量は3222万石となっていたが、実は4684万石 もあったことが分かった、 実際の石高は名目の1.5倍 あった、 つまり 隠し田が相当あった (p144)
・幕府は武士の贖罪を帳消し(享保・寛政・天保)を行うたびに、 札差(金貸業者)に対して 特別融資を行うなどして金融不安が起きないようにした (p148)
・幕府が過酷な税を課していなかった理由の一つに、 貨幣鋳造益がある、 江戸幕府は貨幣の鋳造を独占していた諸藩は貨幣の鋳造ができなかった、幕府の許可を得れば 藩領だけで通用する地域通貨は 発行することができた(p151)
・ 地租改正で定められた新たな税率は 土地代の3%であった、 この3%というのは 収穫前の平均 代価の34%程度に設定されていた、 これは江戸時代の年貢と同等か 若干 低い 程度の負担率であった(p167)
・地租改正によって 全国の税率は一律となった、日本のほとんどの農民にとっては負担減であったが、 幕府領の農民にとっては負担増となった、明治維新直後に起きた農民一揆のほとんどは 旧幕府領であった(p168)
・あまり知られていないが 戦前の日本は超高度成長を遂げていた、明治維新から第二次大戦 までの70年間で、 日本の実質 GNP は6倍に増加、 実質賃金は3倍、 実質鉱工業生産は 30倍、 実質 農業生産は3倍になっている、 他の国と比較しても大成長と言える(p170)
・明治43年(1910)からは、 賃貸価格を基準にして地租の価格を決める方法が取られるようになった、地租は戦後、地方税に以上されて「固定資産税」という名称になっている (p171)
・戦前の日本は、酒税・ 砂糖税などの間接税や、官業収入(主にタバコ)が 税収の柱であった、所得税などの直接税は戦争が始まる前まではあまり多くなかった(p182)
・戦後 財閥家が持っている財閥グループの株は、強制的に社会に吐き出された、 強制的に株式市場で売却させた、供出させて売却という形をとった、 ただ 売却しても代金は財閥家には入らなかった、財産税によってほとんどが 徴収された(p201)
2026年2月24日読破
2026年2月26日作成
Posted by ブクログ
脱税に着目して日本史を振り返る、タイトル通りの1冊。
織田信長の延暦寺焼き討ちの理由は脱税の摘発だったり、武田信玄は重税に重税を課す悪魔だったり、戦国武将は戦いの功績ばかりに目が行きがちなので、徴税という内政の解説は新鮮で面白かった。
後半は現代史にも踏み込み、竹中平蔵氏の住民税脱税疑惑世襲議員節税スキーム、トヨタの消費税還付金など。
今でも節税対策と称してさまざまな方法が流布されている。もちろん制度の中で行っていることだと思うけれど、なんだかモヤモヤするところ。ドラゴン桜の名台詞「社会のルールってやつはすべて頭のいいやつが作っている それはつまりどういうことか……そのルールは頭のいいやつに都合のいいように作られてるんだ」が思い起こされた。
調べてみると『脱税の世界史』もあるらしいので近いうちに読もうと思う。
あと、戦時中の愛犬家たちに精一杯のありがとうを伝えたい。ナイス脱税!
Posted by ブクログ
大化の改新や明治維新では、朝鮮半島の脅威を背景に中央集権と税制改革が進められ、その後は対外的な戦いへと向かう流れが繰り返されてきたことが印象的でした。
後半も面白い。
何故日本は世襲議員が多いのか?
政治団体は無税で国税の管轄外。
政治団体というシステムは政治家の相続逃れの格好のスキームになっている。
政治団体から政治団体への寄付は天井知らずで無税
個人から政治団体への寄付は年間2000万まで無税。
世襲が極めてしやすい土壌になっている。
ちなみに日本の衆議院の23%は世襲それに対してアメリカイギリスは7%ドイツは1%以下とのこと。
日本の政治家の質が何故低いか理由何わかった。