マイケル・サンデルのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「正義」という言葉はあまりピンと来ない。
日常的に使う言葉ではないからだ。もちろん、子供向けの特撮ものや、映画のなどには「正義」の味方がたくさん登場する。それは世界制服を企む、街を破壊するなど、はっきりとした悪が存在しているからだ。その対比として、正義の味方が存在する。悪がいなければ、正義の味方の出番はない。
改めて、「正義」という言葉を知るために辞書で引いてみると、「人の道にかなっていて正しいこと」とある。この定義であれば、ふだんの生活の中で、「正義」を選択する場面は多くあるのではないだろうか。
駐車場から出ようとしている車に道を譲るのは正義か?
電車でお年寄りを見かけ、席を譲るために -
Posted by ブクログ
さすが、現代の知性の先鋭同志のぶつかり合い、丁々発止のやりとりが続いて、圧倒される。
タイトルにあるように「平等」について、互いの考えを披歴し合うが、キーワードは「脱商品化」と「再分配」か。
言うは易し、行うは……の話ではあるが、サンデルさんが言う
「自分の成功は自分の手柄と考え、自身の成功を胸いっぱいに吸いこみすぎて、その過程で幸運や恵まれた環境に助けられたことを忘れ、自分が恩恵にあずかっていることを — あなた(=ピケティ)がおっしゃるように、ほかの人たちのおかげで成功できたということを — 忘れてしまうからです。」
この反省に立って、考えることだという学びがあった。
今、行 -
Posted by ブクログ
成功や失敗が単に個人の努力や能力だけでなく、運や環境の影響を大きく受けていることに気づかされた。私たちはしばしば、「努力すれば報われる」という信念に基づいて、成功者を称賛し、失敗者に自己責任を負わせる傾向があるが、この考え方には盲点があるというサンデルの指摘は、価値観を見直すきっかけとなった。
特に印象に残ったのは、教育や経済システムが不平等を助長し、一部の人々に有利な立場を与えているという点。社会において成功を手にするための機会が平等でないことは、実力主義の名のもとに隠されている不公平さを浮き彫りにしている。これに対して、どのように公正な社会を構築していくべきか、考えるべき課題は多いと感じ -
Posted by ブクログ
ハーバード白熱教室のマイケル・サンデルによる能力主義社会に対する警鐘。
2016年の大統領選でトランプがヒラリー・クリントンを破って当選した。そこで明らかになったのは、富める者と貧しい者の間の断絶だった。そしてそれはアメリカが80年代から目指してきた能力主義の行き過ぎにより招かれた事態であると、かつては人種の違いや出自によって生まれた差別を解消する者として、その人の能力で人を評価しようとする能力主義は素晴らしいものに思えた。
しかし、それは能力を安易に測る手段として学歴偏重を生み、結局、社会の流動性を高めるのではなく、裕福な家庭に生まれた者が、様々な手段で高学歴を得て、そのような手段を得られな -
Posted by ブクログ
功利主義やリバタリアニズム・リベラルといった思想の具体的な内容と限界、そこから導かれる「道徳」の必然性を、様々な事例とともに理解できる一冊。例えば、功利主義(="最大多数の最大幸福")と基本的人権は両立しない(功利主義は、少数の人権を蔑ろにして多数の効用が向上することを是とするから)等、あの有名な考え方にはこんな弱点があったのか!と目から鱗な点が多数あった。
が、全体としてそれらが整理されておらず、似たような話がダラダラ続いたり、逆にいきなり主題が切り替わったりして、かなり読みにくい印象も受けた。講義としては面白いのかもしれないが、本の構成(≠内容)としてはあまり良い出来と -
Posted by ブクログ
マイケル・サンデルそのものではなく、オマージュというか、マイケル教授の思想、論文を学者が講評しているような内容だ。詩的、いやまさに哲学という事だが、中国の故事に触れ、アジア的な価値観の源泉も辿るような感覚もある。
例えば、「礼」の具体的事象。通勤の途中で通り掛かる人におはようと言って微笑み、その人が同じように挨拶を返してくれれば、二人はお互いに前向きな姿勢を徐々に高め、相手を気遣うようになる。相互に親切であろうとする心構えができるであろう。儒教の理想はこのような「礼」の実践を通じて同胞への気遣いや情を養うこと。
孔子は我々が刑法を頼りに社会を管理すればトラブルを避けられるかもしれないが「恥 -
Posted by ブクログ
「犠牲になる命を選べるか」「徴兵制の是非」「同性婚について」など馴染みやすい命題で議論が展開されますが、理解するにはある程度、哲学用語の知識が必要だと思いました。
「格率」自分で自分に定めた行動の法則。信念とも言い換えることができる。
「道徳法則」人間界には従わなくては道徳法則があるとカントは考えた。道徳的な行いを善しとする理性は人間だけに先天的に備わっているからである。
「定言命法」道徳法則は目的を達成するための手段ではなく、目的そのものでなくてはならない。
例:人に親切にすることに目的はない。なぜなら親切にすること自体が目的だから。
自分の利益や要求、特別な状況がほかの人のそれよりも重要