マイケル・サンデルのレビュー一覧
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2024年5月20日にパリ経済学校で行われた対談の編集本。
「21世紀の資本」のトマ・ピケティと「これからの『正義』の話をしよう」のマイケル・サンデルの対談ということで大変豪華というか贅沢な布陣に期待は高まったが、対談だけあって新しい視点、新しい学説が展開されるわけではなく、専門分野が異なる一流の人同士が会話すると、こういう感じになるのか、というのが、素直な感想。二人とも大学の教授なので、本職は研究ながら、副業で(?)授業もやっているので、対話を展開するのはうまい。が、関心領域が異なるので、相手の言説を自分の思考を深めるために聴いている、という印象。
トマ・ピケティが、「所得格差は一対五まで圧縮できれば十分」と比較史的証拠があることを示唆しながら主張するものの、そのエビデンスが開示されるわけではない箇所が勿体なかった。(99頁) 対談は時間制限があったとして、註位つけてくれてもいいのに。
コミュニタリアンのサンデル氏と、社会民主主義者のピケティ氏の政治的ポジションは、「カネが全てではない」という点と、トランプ大統領(対談時点では再選前)とル・ペンが嫌いである、という点ではよく一致しているよう。
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「世の中にはお金で買えないものがある」。
そんな書き出しで始まる本書。この言葉は暗に、今日多くの事物がお金で売買されており、大概のものはお金で買えるというメッセージを含んでいる。
1.行列への割り込み
2.インセンティブ
3.ギフトカード
4.保険
5.命名権
お金で売買していいものと、してはいけないものをどのように区別するかは難しい。
本書で著者が指摘しているのは、それをお金で売買した場合、「不平等」「腐敗」を招くような取引は好ましくないというもの。
ノーベル賞を金銭で購入できるとしたら。富裕者にとっては有利であり、不公正を招く。またそれを受賞することの名誉は失われるだろう。
4章が特に興味深い内容だった。
生命保険取引は近代まで、生命を元手にしたギャンブルという扱いだった。
友人に保険をかけた場合、かけた友人の死が早ければ早いほど収益率は上がる。よって両者の間の友情が本物であったとしても、保険をかけた側はかけられた側の死を願わずにはいられないというジレンマを抱えることになる。長い時間をかけて、「保険は相互扶助」という印象が作り上げられたのだろう。
アメリカではバイアティカル産業が近年物議を醸している。これは余命の少ない人間の保険を第三者が買い取るというもの。例え双方の合意があったとしても、人の死をビジネスにするのは嫌な印象を受ける。知らない間に、自分が生命保険に加入させられており、名前も知らない第三者が、自分の死を願っているかもしれない。 -
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書籍の内容としては、儒教を西洋哲学、特にリベラルコミュニタリアン論争からどのように描くかというテーマで面白いが、タイトルの付け方がものすごい悪い。
というのも、サンデル先生の登場は最初のみ。
あとは別の著者の論文集なので。
シンポジウムを元にしているので内容構成はしょうがないにせよ、題名がこれではミスリードすぎる。
サンデル先生の部分は面白い。「負荷なき自我」よりもアジアの儒教的価値観は、さらに前提となる部分が"厚い"ため、この概念の一般性を高めるために引き出された問いが面白かった。
農作物が少ないより多い方が良いということに価値中立的な観念をリベラリズム的伝統にはあるが、儒教的には足るを知るという概念があり、それすらも価値中立的ではない点。この議論がデザイナーベイビーなどにも繋がる点など。
サンデル先生の部分は面白いんだが、他が難解なものもあったり、タイトルの付け方が残念なものもあり、こんな点数といったところ。 -
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サンデルとピケティによる平等に対話。話はすれ違っている。かんたんにいえばサンデルは共同体にウェイトを置き、ピケティは社会に置いている。それぞれの駆動源は個人と制度設計である。
しかし、これは単にすれ違いなのだろうか。ピケティは制度設計による再分配で問題は解決すると考えている。最終的な目標は世界政府であり、要はシステムさえ整えれば世界はひとつになるという話だ。それが長大な時間がかかるとしても、である。
しかしサンデルの考えはその先にあるように見える。そのような話は、システムだけでは成り立たず、アイデンティティ(承認や尊厳、共感や帰属意識など広い意味での個人とコミュニティの精神性である)の問題をクリアしなければならない…だが、サンデルの問題意識に対してピケティはそっけない。このあたり、ピケティは自分では経済学者であることを否定するパフォーマンスをしたがるが、やはり経済学者である。哲学者のマインドは、ない。 -
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"正義"とは何か。を問う本。複数の人間を救うために一人の人間を犠牲にすることは正義なのか?といったようなありがちながら刺激的な質問に始まり、最大多数の最大幸福、自由至上、仮想的な共通正義などさまざまな理論が紹介されていく。そういった過去の人たちの考察はそれぞれに特色があって面白いとは思うものの、やはりどこか無理があるなあ。と読み進めると、アリストテレスが出てきて社会道徳が強く押し出されてくる。結局最後は正義と道徳は切り離せない。というオチになって尻すぼみな感じ。そりゃそうなんでしょうが、そこの共通認識ができず、一部の人の思想を他者に強制するようなことが起こるから、いつまでたってもどこかに不満が渦巻いているんでしょうがと。まあ、共通認識を築くためにも健全な議論をしましょう。なんだろうけど、それすら危ういのが今の時代だと思うんだけどな。
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「正義」という言葉はあまりピンと来ない。
日常的に使う言葉ではないからだ。もちろん、子供向けの特撮ものや、映画のなどには「正義」の味方がたくさん登場する。それは世界制服を企む、街を破壊するなど、はっきりとした悪が存在しているからだ。その対比として、正義の味方が存在する。悪がいなければ、正義の味方の出番はない。
改めて、「正義」という言葉を知るために辞書で引いてみると、「人の道にかなっていて正しいこと」とある。この定義であれば、ふだんの生活の中で、「正義」を選択する場面は多くあるのではないだろうか。
駐車場から出ようとしている車に道を譲るのは正義か?
電車でお年寄りを見かけ、席を譲るために声をかけるのは正義か?
あるいは、それをしないのは悪なのか?
正義とは何か。なにが正しいのか。
本書はそれらを考えていく本である。
ハリケーンのあとに便乗値上げした事例。
あなたが暴走する路面電車の運転手だとする。線路上に立っている5人の作業員をはねるか、それとも待避線入ってそこにいる1人の作業員をはねるか。どちらが正しいのだろうかという思考実験。
ベンサム、ミル、カントら、哲学者たちが考えてきた基準ではどうか。
扱う題材が興味深く、哲学書でありながら堅苦しくない。本書はハーバード大学の人気講義から生まれた。人気があるのも納得の内容だ。 -
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さすが、現代の知性の先鋭同志のぶつかり合い、丁々発止のやりとりが続いて、圧倒される。
タイトルにあるように「平等」について、互いの考えを披歴し合うが、キーワードは「脱商品化」と「再分配」か。
言うは易し、行うは……の話ではあるが、サンデルさんが言う
「自分の成功は自分の手柄と考え、自身の成功を胸いっぱいに吸いこみすぎて、その過程で幸運や恵まれた環境に助けられたことを忘れ、自分が恩恵にあずかっていることを — あなた(=ピケティ)がおっしゃるように、ほかの人たちのおかげで成功できたということを — 忘れてしまうからです。」
この反省に立って、考えることだという学びがあった。
今、行き過ぎた資本主義が限界を迎えつつある中、既得権益にしがみつく旧態依然の権力が、やれ○○ファーストや、反グローバル化に固執しているが、自分勝手というか、近視眼的で、非常に危ういものを感じる今日この頃。
ピケティさんは言う。
「北側諸国は国際分業と天然資源・労働力の国際搾取によって豊かになってきた。これが、20世紀に北側で発展したタイプの社会民主主義と福祉型資本主義における何より重要な限界です。今後はこれを変えていかなくてはなりません。でないと競争が — とりわけ中国がもたらす地政学的競争が — 西側モデルにとって20世紀のソ連の脅威を上まわる深刻な脅威になるだろうと思います。」
そうなんだよなー、中国や、南側 — グローバルサウス — への危機感からの行動だとは思うのだが、長い目で見て、それは得策ではないと思う。
「脱商品化か再分配かを選ぶ必要はないと思います。歴史的にこのふたつが組み合わさって機能してきましたし、ふたつ組み合わさることで大きな効果をあげてきたわけですから。」
非常に、頭の良いお二人なので、概念的なところでどんどん論理を展開するし、互いの質問に、真っ直ぐ答えずに質問返しにしたりと、ディベートの粋をも尽くしたような高度な会話の応酬に置いていかれそうになるが、言ってることは首尾一貫、平等を獲得するため、「脱商品化」と「再分配」を、政治的、経済的、文化的に進めていくためには、「尊厳や相互尊重」を重視、それなくして、不平等を克服しようという感覚を調達しえない、ということだ。 -
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成功や失敗が単に個人の努力や能力だけでなく、運や環境の影響を大きく受けていることに気づかされた。私たちはしばしば、「努力すれば報われる」という信念に基づいて、成功者を称賛し、失敗者に自己責任を負わせる傾向があるが、この考え方には盲点があるというサンデルの指摘は、価値観を見直すきっかけとなった。
特に印象に残ったのは、教育や経済システムが不平等を助長し、一部の人々に有利な立場を与えているという点。社会において成功を手にするための機会が平等でないことは、実力主義の名のもとに隠されている不公平さを浮き彫りにしている。これに対して、どのように公正な社会を構築していくべきか、考えるべき課題は多いと感じた。
また、自身の生活においても、「成功は自分の努力の結果だ」という自己満足に陥っていないか、あるいは「失敗はその人自身の責任だ」と他者を過度に厳しく評価していないかを省みる機会となった。 -
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能力主義は差別を解決しない
"努力して得た能力によって差別を乗り越えた"
は美談ではない。美談にすると差別が温存され
る。
努力は素晴らしいが、そもそも差別がない社会を
目指すべき。
能力社会
能力/学力社会は最後の偏見であり差別。
他の差別は糾弾されるが、能力勝者は見下し、
差別を認識もしておらず、むしろ正当化されてい
る。これが見えない差別を生む。
特に高学歴が差別に敏感かつ無意識差別をする。
労働者、不細工、太ってる、低学歴なんて
努力できるはずなのに!
教育の限界
チャンスを平等にしても結果は平等でない。
欧州
努力を過小評価
欧米
努力至上主義
黙々と努力できる才能は遺伝で決まっている。 -
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「犠牲になる命を選べるか」「徴兵制の是非」「同性婚について」など馴染みやすい命題で議論が展開されますが、理解するにはある程度、哲学用語の知識が必要だと思いました。
「格率」自分で自分に定めた行動の法則。信念とも言い換えることができる。
「道徳法則」人間界には従わなくては道徳法則があるとカントは考えた。道徳的な行いを善しとする理性は人間だけに先天的に備わっているからである。
「定言命法」道徳法則は目的を達成するための手段ではなく、目的そのものでなくてはならない。
例:人に親切にすることに目的はない。なぜなら親切にすること自体が目的だから。
自分の利益や要求、特別な状況がほかの人のそれよりも重要であるという理由で自分の行動を正当化するべきではないというのが定言命法の特徴であり要求である。
自死について:生命の権利はとても重要で、とても基本的なものなので不可譲であり、自分でも放棄することはできないという。私の命は私自身の所有物ではない。なぜなら、他の人々が私に頼っているかもしれないから。人生を生きるとは、自分の命を絶って単に自由に放棄することはできないという、他の人に対する責任を含むかもしれない。
人の尊厳を尊重するとことは、人を単なる道具とみなすのではなく、目的そのものとして考えることを意味する。だからこそ、他の人の福祉や幸せのために人を使うのは間違いである。
恵まれた者は、恵まれない者の状況を改善するという条件でのみ、その幸運から便益を得ることが許される。