川内有緒のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
単行本の時も 五つ★だったはず
その本が 文庫で再販されると
ついつい 手に入れてしまう
そして また読み始める
すっかり忘れていたところもあり
ぼんやり そうだった
と思い起こすところもあり
それでも やはり
川内有緒さんの紡ぎ出す
ノンフィクションの海に
心地良く漕ぎいだしてしまう
どきどき するところも
はらはら するところも
ふーむ なるほどの ところも
確実に 増えている
バウルの魅力も さることながら
川内さんの存在そのものが
バウルと同化してくるようだ
きっとまた手に取ってしまう
一冊が増えました
文庫の解説が
高野秀行さんであるのも
いかにも 似つかわしい -
Posted by ブクログ
元国連職員でパリの国際機関に勤めていた川内有緒氏の著書。自分が今まで読んだいわゆる「面白い本」には一つの法則があって、それはプロローグからすでに面白いという事なのだが、この作品も例外にもれず面白い作品となった。
著者の川内氏は国連職員時代の出張先バングラデシュで、「バウルの歌」の噂を聞くことになる。バウルとはバングラデシュや、インドの西ベンガル地方に住む吟遊詩人の事なのだが、地元の人でも詳しいことはよくわからないらしい。この訪問から数カ月後に国連を退職した川内氏は、知り合いのカメラマンと現地ガイドの3人で、バウルを探す約2週間の旅に出るのである。
実はこのレビューに、バウルについてもう少し詳しく記そうと思ったのだが、とても簡単には説明できそうもないので、詳細は作品を読んでほしい。しかしバウルの思想や教えがノーベル文学賞を受賞したタゴールや、インド独立運動の指導者であるガンジーにも大きな影響を与え、インドとバングラデシュの独立につながって行ったことに間違いはなさそうだ。
バウルの歌の歌詞には多くのメタファーが含まれているのだが、クシュティア行きの列車の中で聞いた「知らない鳥」、また旅の終わりに船上で聞いた「盲人の祭」という歌には非常に深く考えさせられるものがあった。先進国に生まれ、物質的には恵まれた生活を送っている自分自身も、バウルが表現する盲人の一人なのだろうと思う。 -
Posted by ブクログ
題名と表紙に惹かれて読んだ。
5人の方の生と死。
その家族や友人の故人を見送るエピソード。
涙したり「ふふふ」と笑ったりしながら一気に読めた。
以前に読んだ何かの小説で、夫が「墓はいらない。葬式も年忌もやらなくていい」というのに対して妻が「お墓は故人の為でなく、残された者のため。お墓がなくてはあなたに会いに行けないし、年忌がなければばらばらな土地に嫁いだ娘たちが全員揃う機会がない」と答える会話があったことを思い出した。
弔うというのは、故人のためではなく故人の周りの人間たちのためなのかなぁ、と。
この本に登場する故人たちは、旅が大好きだったり、世界の山に登ったりといった自由に生きていた方々なので、その家族・友人たちは弔う方法として散骨を選んで自分の気持ちに整理をつけたのかもしれない。
死や散骨にまつわる話だが、読後感は明るく爽やか。
作中にも登場する矢萩多聞さんの装丁・装画が素敵で、手元に置いてまた読み返したいと思った。 -
Posted by ブクログ
6月目前の東京、梅雨の気配を孕んだ風を頬に受けながら、思考は熱気と土埃と人いきれのバングラデシュに飛んでいく。
ほんとうに素晴らしい本に出会った。
「自分を探す旅」と言うと酷く陳腐だけど、著者は意図せずして自分を見つけに行ったのだ。
バウルの歌に引き寄せられて旅をしながら、思考は過去(国連での仕事、学生時代の経験、そして父親のこと…)と現実の間を行き来する。
まるで鳥籠の中と外を気紛れに飛び交う「見知らぬ鳥」のように。
バウルに出会うには2週間では短すぎると言われた旅で、信じられないくらい多くの邂逅があった。
彼女が引き寄せたのか、バウルが引き寄せたのか、いずれにせよ出会うべくして出会ったのだと思う。
時を得、人を得る。
いわゆる「持ってる」人だ。
旅先で出会うやさしい人々や、旅を共にしたカメラマンの中川さん、通訳のアラムさん、みんな抱きしめたくなるほどに魅力的だった。
バウルについて、もっと知りたくなった。
そして、私も心だけでもバウルになりたい。
見知らぬ鳥、つかまえたなら、「心の枷」をその足にはめたのに… -
Posted by ブクログ
ノンフィクションはあまり読んだことなかったけど、たまに入る短い詩の引用や、素直で素敵な言葉選びだったのでとても読みやすかった!
美術館に行って作品を見る話なので、猛烈に美術館に行きたくなりました!!
美術館や作品の話はもちろん、全盲の白鳥さんを通じて障害や差別の話も奥深かった。
「全盲の人ってどんな感じ?」
すごく失礼だけど、気になる話題。でも失礼だと思うことがもはや差別なのかも?と思ったり。
私は美術館に行くのも、人と作品見るのも元々好きだけど、自分が美術に詳しくなればなる程、大人になればなる程、「見たまま感じた素直な感想」を言うのは難しくなる。
白鳥さんと作品を見ることで、作品を解説や理解しようとするのではなく、説明しようとするから素直な視点で感想が出てくるのかと納得した。 -
Posted by ブクログ
著者の川内さんが、目の見えない白鳥さんと美術館を巡る様子が描かれています。
白鳥さんは視覚以外でアートを楽しんでいます。実際に現地を訪れて、同行者が作品についてあーだこーだと話しているのを聞く。あとは現場の空気とか、その道中とか食事とか、多分それらを全部ひっくるめて楽しむ鑑賞体験。
みんながワチャワチャ話すことによって、白鳥さんも同行者も作品に対する思い入れが深まっていくような感覚。
アートは静かに鑑賞するイメージだったので、これは確かに面白そう!
実際に鑑賞した作品がカラーで掲載されているのも嬉しい。
白鳥さんの身軽さに、身体に不自由があろうとなかろうと気軽に「普通にしてていい」事の大事さを痛感。
必要以上の配慮は偏見や差別にもなり得るというのも…難しいところなんだなぁ。
ある作品について、白鳥さんの気分になって、会話からどんなものか想像する試みがあります。
実際の作品は表紙カバーの裏に掲載されているのですが、コレ図書室の本だからフィルムが貼られてて…
視覚に頼りまくっている私は、想像すればするほど正解が見たくなり検索してしまいました。だって皆さん説明がオモシロすぎる! -
Posted by ブクログ
全盲の美術鑑賞者、白鳥建二さんについて、以前テレビで拝見したことがあった。
穏やかな表情と話し方をする方で、絵の前に立ち、アテンドする人に「何が描いてありますか?」「それはどのようなものですか?」と質問をしても、その答を決して急かすことなく、背筋を伸ばした姿勢で笑顔という柔らかくも芯のある白鳥さんそのものの姿で待っている人だった。
最近私がアートに興味を持ったのは、言葉に寄らない感動を得たいと思ったからだ。
どうしても、言葉に対する比重の高い私の感想は、言語化することによって感動が固定化されてしまうようで、もっと直感的な感動を!と。
結局堅苦しいのだが。
しかし、白鳥さんとアートを見に行くと、言語化=固定化にはならないのだ。
同じものを見て「アサリに見える」「いや、セイウチじゃ?」「猫だよね」と言葉で説明しているうちに見え方が変わってくる。
白鳥さんと二人で、または何人かの人たちとアートを見に行くことで、対象物をよりしっかり見ようとするし、そうすると解釈は一様ではない事に気付くのかもしれない。
これは読書とも似ているなあと思った。
ひとりで読んでいる時に感じるものが、何人かと感想を述べあうことで違う面を見せることがある。
そうか、言語化=固定化ではないのか。
”感想や解釈が同じでないからといって、相手が間違っているわけではない。むしろ違いがあるからこそ発見があり、自分の海域が豊かになる。”
それは、白鳥さんの鑑賞の仕方からも言えるのだと思う。
彼は、アートの技法のことや制作当時の作者の境遇や、もっと言えば公式の作品テーマを知りたくてアートを鑑賞しているわけではない。
それはコミュニケーションツールであり、アートについて語る言葉や空気感が、白鳥さんにアートだけではなく同行者について、また自分自身について考えるためのよすがになるのだ。
ただ、いくつか著者について気になった点がある。
美術館で、白鳥さんともう一人の同行者と、一枚の絵の前で語り合っていた時、「ずっとうるさいんですけど」と見知らぬ女性に言われた時のことだ。
著者はそれに対して、「ここはあなたの専有物ではないですよ」と心の中で反論するのだが。
その女性も著者たちに対してそう思ったから、うるさいと言ったのでは?と私は思った。
その時の状況はわからないけれど、うるさいだけではなく、一枚の絵の前にずっと立っていられると、私などはちょっとイラっとする。
もちろん著者たちは小声で会話をしていたと思うけれど、美術館によっては声が響いて、うるさいと思うことはよくある。
「あんたの解釈を聞きたいわけじゃないんだよ~」って思うことが。
「夢の家」という美術作品の中にとまるときも、家の中ではアルコール禁止というのに気づかず、お酒を持ち込んで飲んでいるが、そういう禁止事項というのは明示されているものだと思うので、気づかなかったで許されることなのか。
そして、ここは夢を見て記録にとどめるために、結構厳格に入浴の仕方から睡眠準備まで定められているのだけど、暑いからといって定められた服装を脱ぎ捨て夢も見ないで熟睡している。
なんというか、自分の正しいに自信があるのか、割りとルールを違反しても平気な人なんだな、と思った。
アートなので、「自由な心」が大切なのかもしれない。
私が堅苦しすぎるのかもしれない。
その辺をうまく呑み込めなくて、いい題材だったはずだけど、読後感は微妙。 -
Posted by ブクログ
職場で借りた本。
社内でこの本を読んだ5人でドキュメンタリーの視聴会も開催した。
本を読んでなんとなくイメージしていた白鳥さんは、映像の中でもそのままで、でも予想より速く歩く人だった。
本の中で、作者の有緒さん、マイティ、白鳥さんはいつも楽しそうに美術鑑賞をしている。
時々行ったことのある美術館や、見た事のある作品も出てくるので、自分が感じたものと異なる意見や見方を知ることができるのもまた楽しかった。
本には、作品の写真も掲載されているので、一緒に作品を見ている気分になる瞬間もあったけれど、ドキュメンタリー映画もまた、現場の空気感が少し感じられるものだった。
目が見えること、見えないこと、身体的特徴関係なく、ただ一緒にいて楽しい、話していて楽しい、それだけで良いのだと感じた。
美術館、次は何を見に行こうかな。
白鳥さんたちみたいに仲の良い友人と、会話を楽しみながら行きたい。