あらすじ
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全盲の白鳥建二さんは、年に何十回も美術館に通う。「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」という友人マイティの一言で、アートを巡る旅が始まった。絵画や仏像、現代美術を前にして会話をしていると、新しい世界の扉がどんどん開き、それまで見えていなかったことが見えてきた。アートの意味、生きること、障害を持つこと、一緒に笑うこと。白鳥さんとアートを旅して、見えてきたことの物語。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
最初、「見えない人」にわかるように話したり考えたりしながら見ることで、より深い見方ができる、みたいな、あるいは、
「助けられる側」も「助ける側」になれるみたいな、そういうことかと思って読んでいたけど、違った。
何でも、頭でっかちで、実利を求めてしまっている自分の考え方を再確認させられた。
もう1回、ゆっくり読みたいな。
そしてわたしも、いろんな人と、たくさん笑いたい。
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ずーっと読みたくてやっと買えた!
面白いって表現が合ってるのかはわからないけど、読み終わって、すぐにまたもう一回読み始めてしまうくらい好き。
自分の中の思い込みやこうでなきゃいけないって部分にも気づけたし、美術館やアートってもっと自由に楽しんでいいんだよねーって。
展覧会に行きたくなる!
本当の意味での多様性。
お互いに尊重し合いながらも、気を遣いすぎない世界になったらいいなと。。。
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ノンフィクション本大賞の過去作品のなかで
タイトルから目の見えない人は、どうやって作品を観るんだろうときになり読みました。
内容は、どのうように美術を観るのかを実際の写真も掲載されており、自分だったらどう伝えるだろうかなど楽しく考えながら読めました。また、美術以外にも歴史、障がい者問題、答えのない難しい問題も白鳥さんやその友人達と真剣に話し合い、時にはコミカルに話しあい考え方の幅を広げてくれるとても良い本でした。
物事を伝えることの難しさを感じれたことと自分の表現力強化につながると思ったので次に美術館に行ったときは家族でしてみたいです。
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白鳥建二さん。2004年、東京の府中の森であった本田健さんの講演会の帰り道、杖をついた男性が前を歩いていて「大丈夫ですか?」と声をかけたのですが、その方が、この本に登場する白鳥建二さんでした。
何か手助けをしたくて声をかけた私ですが、逆に帰り道が分からなくなった私を駅まで連れて行ってくださり、乗るべき電車まで案内してくれました。その後、私の職場まではるばる来てくださり、目の見えないことや点字のことを教えてくださいました。
東京で助けてくれた白鳥さんが、映画の主人公になっていて、元同僚の方が「映画に出ていたのは、あの白鳥さんじゃない?」と教えてくれたのがきっかけで、この本と出合いました。
アートをどうやって見るのか?見えるのか?
不思議な気持ちでページをめくりました。
著者と白鳥さんのやりとりが楽しく、目が見えても見えなくてもアートを楽しめることがわかりました。
福島の、はじまりの美術館にもいつか行ってみたいです。
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美術館に行こう、関わろうと素直に思える本。
視覚障害の方と美術展示を観に行くというトリッキーな組み合わせだけど、美術館鑑賞でいかに自分たちが見えていないかを実感出来る貴重な経験となる。しかし、そんな効用はフックに過ぎない。
あなたといっしょに居たい。その手段として繋いでくれるものが、モノの見方を浮き彫りにしてくれる美術品であり、美術館なのだ。
一方で、宿題も残る。多様性は多様性として受けいるけれども、そこに優劣の物差しが付いて回る。出来ること、出来ないこと。その価値観をどう乗り越えていけるのか。
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(まだ途中)
【本文より】
・その日、そのときにしか出せない言葉というものがある。
(中略)飲み込んでしまった数々の言葉を、胸の奥にある引き出しにしまい込みながら生きるしかない。でもこうして旧友に話したことでほんの数グラムだけ引き出しが軽くなった気がした。
・いつだって作品を見にいった先には新たな発見があり、人間同士の出会いがあり、一緒に過ごした時間の手触りはお互いの中に残っていく。
・「優生思想を考えるうえで、いま障害があるひとに対してどう接するのかという『差別』の問題と、それ以前に生まれてくる障害者を減らそうという優生思想的な考え方、そのふたつは切り離して考えないといけないと思うんだよ。」
・目の前に不愉快な差別や優生思想の芽、耐えがたい非道が目の前に現れたとき、(中略)わたしも非力ながら声をあげ、それをぶっ叩いていく人でありたい。世界の複雑さや自分の無力さを盾にしながら、ただぼおっと中立でいることはもはやできない。
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目が見えないのにアートは見えるのか?この疑問も差別発言かもしれない。
このエッセイは現実に今を切り取って目が見えなくても目が見えても楽しく今を生きてる人々のお話でした。
見えていたものは脳が勝手に解釈した幻かもしれない
楽しく過ごせるかは目が見えていても見えなくても人による
楽しんだもん勝ちだ
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めっちゃ面白かった!全盲の人と美術鑑賞というイベント的な楽しみ(普段見るよりディテールに関心がいき、深く作品を捉えることができるとか。)をより超えて、時間や存在への哲学的な問いへ、他者への眼差し(それはイコール自分への眼差し)へと広がっていく。見えるとか、見えないとかを超えて(いろんなものを越境することで)見えてくるものを、芸術作品と絡めながら、個人的、普遍的な解釈へと至る過程を熱量を持って見せてくれる。白鳥さんはもちろん、登場する友人たちもみな素敵。
やっぱ芸術ええよなぁ。美術館へ行きたくなった。
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目が見えなくてどうアートを見るんだろうと興味を惹かれて読んだ。
この本は、アート鑑賞を導入にした哲学書だと私は思う。
白鳥さんとのやり取りをきっかけに
・アートをみるとは?
・障害を持つとは?
・優生思想
など、著者の川内有緒さんが考えたこと・気付きが書かれていて、通常の思考の下にある自身の価値観を揺さぶられた。
読みながら考えることが多くて、ゆっくりじっくり読んだ。
痺れたのは「誰かの立場になって想像したとしても、ほかの誰かの人生や感覚まで体験することは決してできない」というフレーズ。
エンパシーが大切だというのは広く知られるようになってきているが、その前提としてこの知識が大切だと感じた。
時間を置いて、再読したい。
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんと美術館を回るドキュメンタリー。
目が見えないので白鳥さんは周りの人からどんな絵か聞きながら想像する。説明する側は今まで無意識に黙ってじっくり見て「感じる」から言葉にすることで今までにない発見があったり、「見る」とはなんなのか。全盲の白鳥さんには何が「見えてる」のか。
そこの想像がこの本を読みながら一緒に考えることができて面白い。美術館に行ってみたくなる。
9章あたりからある美術館の作品を見て、差別とは何か、偏見とは何かを考えさせられるようになる。
差別や偏見はダメと言うのは簡単だけど、もし自分がなったらイヤじゃない?そう思うことは偏見では?
こういう問題は決して簡単に解決するものではない。
著者の想いや問題提起が本の節々に散りばめられており、考えながら読んでる自分がいた。
今、この瞬間を生きるからこそ、自分の周りの人へ寄り添いながら生きていくことが大切で
例え周りに障害があったり、自分と違う人がいたとしても勝手な色眼鏡で見ることは相手にも失礼だし自分の生き方を狭めてしまうことに繋がるんだろうなと感じた。
みんな一生懸命生きている。
「優しさや気遣いも、いきすぎてしまえば偏見や差別になる」この言葉が自分には刺さったし、無意識に行動に出てたことあったよなと思ってしまった。
他人と比べられ、競争が求められる社会であると思うけど、これから出会う大切な人たちとはそういう垣根とはまた別に思いやって、楽しく自分を表現していきたいと思った。
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なぜ白鳥さんと美術館に行くのかという問いに最後向き合う作者の答えがじんわりくる
絵をどうみるかのもっと先の根本的な人と関わる、話す、分かりあったり
そのきっかけとしての作品鑑賞
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オーディブルにて。
本来的には紙の本で読むべきな気もするが。
美術などを観るにあたり新しい目線や気づきをくれる本やった。なるほど!と思うことも。
一方で読み続けるのがなんとなくしんどいというか、これは環境や感覚に左右されるものかもな。
今は自分の状態が悪かった。回復したら再読してみても良いかな
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究極の多様性。
「僕らはほかの誰にもなれない。」
パラダイムがシフトしまくりの一冊だった。
「幸いにして人間は何歳になっても変わることができる。古臭くてしょうもない昨日の自分をぶっ壊し、古い価値観をゴミ箱に放り捨てながら、この瞬間にもなりたい自分に近づくしかなかった。」
これが書けてしまう有緒さんがすごいと思う。
Posted by ブクログ
2年前にタイトルに惹かれて借りたけど、忙しさもありなかなか読み切れず3回くらい借りた。今回は改めて最初から読み直す。
いかにアートを正確に伝えるかではなく、白鳥さんは各自いろいろな受けとめ方をしているその場の様子を一緒にいて楽しんでいる、ということだった。
作中の白鳥さんの言葉がいくつかささった。
・「差別や優生思想はダメだ」っていうのではなく、「少なからず自分の中にもある」と気づくこと。この2つは切り離して考えないといけない。どんな人にも優生思想はあるのでは。
・「できる」という能力ばかりに人間の価値を置いて来たことが、人間社会にひずみをもたらしている。が、「できる」人も「できない人」も「バックする人」も、いていいんだ。常識や「するべき」論を他者や社会全体へむけると、差別や分断、生きづらさに変わる。そこに気づくと視野が広がる。
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内なるものを表現するカタチはいろいろ。
そして、それを受け止め、感じる方法もいろいろ。
美術などのカタチある作品を鑑賞するには、視覚が主に必要だが、盲人の白鳥さんの鑑賞は、付き添いの人の感想で鑑賞する。
私も今回、オーディブルで聴く読書したが、本書の奈良の仏像鑑賞の部分を聴きながら、意外と見えなくても楽しめるものなんだな、と思った。
足りない、ない、できないことが、人にはそれぞれあるが、できることで補って、また、できる人にサポートされて、お互い生きていく、誰もがそうなんだと改めて感じた。
白鳥さんのように前向きに、生きるって素敵だな、と思ったし、著者や白鳥さんの周りは明るくポジティブ人間で、私もそうありたいと思った。
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美術ってどう味わうべき…と思っていたけれど正解はないのだ。他者の気持ちをわかることは到底できず、互いに発信することでその差異を楽しみ世界を広げていけばいい。自分でいることをもっと満喫していいんだと背中を押された。
偏見、優生思想、「普通」でいなきゃの強迫観念。そうならないようにと思いつつ、無意識に受け入れてしまっている自分を反省しつづける姿勢も忘れずにいたい。
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読み終えてとても色んなことを感じた本でした。
美術鑑賞することとか、障害者と社会のこととか、表現することとか。
白鳥さんはとても淡々としてて、自分に与えられたもので幸せになる術を知っていて、楽しみたいっていう欲があって、その気持ちで人生を楽しめる人なんだなーと思った。すごく面白くて魅力的な人だと思った。その人柄に夢中になった一冊でした。
絶対に手に入らない欲は手放して(それは生まれつきの容姿とか、才能とか、そういうことにもいえる)周りの人たちとの愛おしい時間を大事にしたいと思いました。
目が見える方がいいっていうのは、目が見える人側のエゴなんだね。
余談ですが私も星野源さんのファンなので、急に「星野源」って出てきてびっくりしました笑
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全盲の白鳥さんと美術館をめぐるお話。
読む中で、自分の中にある障がいを持つ人に対する差別を感じてしまった。
障がいのことを知って、分かった気になる怖さというものも感じた。手前の知識ではなくて、その先にある共に居られる、笑いあえる世界を想像していきたいと思ったり。
本の中で紹介されていた、風間サチコさんの作品(木版画?)がとても印象的で、近くで展示会があれば行ってみたい。
以下メモ
・当たり前だけどさぁ、全盲の人でも感覚が鋭い人もいるし、そうじゃない人もいるんだよ。運動神経が良い人もいれば、音楽の才能がある人もいる。
・「見えない人」が隣にいるとき、普段使っている脳の取捨選択センサーがオフになり、わたしたちの視点は文字通り、作品の上を自由にさまよい、細やかなデティールに目が留まる。おかげで「今まで見えなかったものが急に見えた」という体験が起こる。
・障害ってさぁ、社会のかかわりの中で生まれるんだよね。本人にとっては、障害があるかなんて関係ないんだよ。研究者や行政が「障害者」を作り上げるだけなんだよね。
・かつて行政が積極的に、障害を持つ人を「不幸」と決めつけてきたことや、人生につまずいてしまった人を「自己責任」で片づける昨今の風潮、そして何かが「できる」という「能力」ばかりに人間の価値を置いてきたことが、いまさらながら様々な形のひずみを日本社会に噴出させている。・・・「もっと〇〇すべき」「私は努力したのだから、あなたも努力すべき」と勝手な「べき論」を他者や社会全体に向けると差別や分断、生きづらさに変わる。すべての人は違うし、違ったままでいい。異なる他者、他者とは異なる自分を受け入れられたら、世界はもっと虹色の雪に近づくかもしれない。
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんが、美術館を楽しむ。
本来想定していないお客様。美術館側の戸惑いもあったが、現在は年数十回の美術鑑賞を楽しんでいる。
美術を見る行為を通じて、見えるひとに対して感じていた引け目や、見えると見えないの壁が取り払われていった。
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美術館にはよく足を運ぶものの鑑賞のしかたがわからなかった。もっと心のままに自由でいいのだなって思った。作者さんが、幸せとはその時間のことで、時間には抗えないけど、覚悟を持ってその時間を宝にするって言ってて、それって能動的幸せだなと。簡単なことではないかもしれないけど、幸せって自分でつかむものなんだなと思ったし、自分の力でなんとかできるものなんだなと希望がもてた。
Posted by ブクログ
五転六転くらい先入観を覆された
全盲の白鳥さんは美術館によく行く
同行者が、この絵はこんなのが描いてあるよ〜あれ!?でも違うかも?とかワイワイ話すのを聴きながら美術鑑賞を楽しむ
白鳥さんは耳で聴いて絵を観てるのか!と気づきを得た著者は、コロナ期間中、白鳥さんをオンライン鑑賞に誘うが乗ってこない
コロナが落ち着いて白鳥さんとまた会えるようになった著者は一緒にお酒を飲みながら、今この場に自分がいることが大事という白鳥さんの話を聞いて、彼が聴覚だけで美術鑑賞をしていた訳ではないことに気づく
『鑑賞のときも言葉とか会話はひとつの情報でしかなくって、空気とか雰囲気とか、そういうものからも多くのものを受け取ってるってことだよね』
『そして美術作品もまた物体としてのエネルギーを発している。』
そういうものを五感で感じるとき、白鳥さんは自分が生きてるぅぅぅという実感を得ているのかもしれない
そしてそんな瞬間はきっと楽しい (^^)v
My preconceptions were overturned five or six times.
Shiratori-san, who is completely blind, often goes to art museums.
While his companions excitedly chat saying, "This painting shows this…" or "Maybe it's something else…", he enjoys art appreciation by listening to them.
The author, realizing that Shiratori-san is "viewing the paintings through his ears," invited him to online art appreciation sessions during the COVID period, but he did not join.
After COVID calmed down and the author could meet Shiratori-san again, they drank together. Listening to Shiratori-san say that simply being present there together was important, the author noticed that he was not appreciating art only through his hearing.
"'Words and conversations are only one piece of information during appreciation. You also receive a lot from the air, the atmosphere, and things like that.'"
"'And artworks themselves also emit energy as physical objects.'"
When Shiratori-san feels such things with all five senses, maybe he experiences the vivid sense of being alive.
And surely those moments are joyful.
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目の見えない白鳥さんとのアート鑑賞は新しいアートとの触れ方を学べる。美術館に行くのは好きだけど、作品の解釈はなかなか難しく頭でっかちになっていたところを自由に感じて良いんだ、と吹っ切ることができた本。白鳥さんとアートを見に行きたいな。
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「見る」という事について考えました。
皮を一枚一枚剥いでいった核の部分でいえば、肉体的な視覚というものは本質的では無いのかも知れない、と感じました。
見るも見ないも見えないも、その人の生き方次第だと。
そしてその人固有の、人生の個性によって、同じ対象物を眺めていようと、見えているものは様変わりするのだと感じます。自分だけの人生を生きる意味、そしてどう生きるかの尊さ。
人生は、なんの専門技術を持たずとも、誰しもが創り編める、芸術作品のようなものだと感じました。
学術的、専門的な「見る」ということにおける情報も大変興味深かったです。
Posted by ブクログ
目が見えないのに絵を見るとは?
今までの私の認識を
ぐるんぐるん
ひっくり返して
でも楽しく読ませるし
美術館に一層行きたくなるし
見方が深まるし
なにより
白鳥さんと会ってみたくなる!
二重にも三重にも
芸術の味わい方
そして生き方が変化する本!
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視覚障害の方と美術館に行くことによって、晴眼者の目の解像度が上がるという気づきは面白かったです。筆者たち(特にマイティ)の美術に対する肩肘張らない姿勢も好感が持てました。僕も一緒に美術館回ってアレコレわあわあ言い合いたいです。
最初の問いには白鳥さんの友人であり、視覚障害者と美術館に行く活動を始めた当事者の一人であるアーティストのホシノさんが回答してくれました。
ーー
絵を見る活動ね。やりやすいんですよ、確かに。でも絵を見る活動で絵を見ようとなんかしていないんですよ、俺も健二も。ただ、そこにいるひとたちと、、、いたいんですね。
ーー
後半は(視覚)障害者に関する考察にシフトしていきますが、ここでもホシノさんの言葉が圧巻だったので、そのまま貼っておきます。
ーーー
僕らはほかの誰にもなれない。それは心身を疲労してドアを閉じてしまう鬱状態のひとにも、 多動症のひとにもなれない。視覚障害者にもなれない、僕らはほかの誰にもなれない。ほかのひとの気持ちになんかなれないんですよ!なれないのに、なろうと思ってる気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ、いまの社会は。だから気持ち悪いの!だから、俺たちは、むしろ進んで、いい加減に、わあああって言いたいんですよ。この世界で、笑いたいんですよ。
ーーー
SDGsなどで何となくモヤっとしてた部分が腑に落ちました。
Posted by ブクログ
目が見えないイコール視覚が必要なものは楽しめない。という固定観念を抱いています。だからこそこの題名に惹かれる訳なのですが。
白鳥さんは自分自身で美術館に連絡して、展示されている美術品の解説をして欲しいと交渉して、それまで無かった視覚障がい者が美術を楽しめるという概念を作り上げたと言えると思います。
もちろん人の説明聞いたって面白くないという人もいると思います。自分だって視覚障害があったとしたら美術ではなくて音楽方面に行くと思いますし。
しかし、この自分がやってみたいと思ったら、既成概念を壊してそこにたどり着こうとする姿勢は物凄いパワーです。
Posted by ブクログ
目の見えない白鳥さんがどうやってアートを「見る」のかと思いきや。。感性の言語化って難しい。
絵を見たり、仏像を見たり、映画を作ったり。。
また知らない世界をひとつ知った。私も絵をちゃんと「見て」るのかなー。ただ絵をなぞってるだけじゃないのかなー。でもそれで満足してるんだよなー。
「自分の存在を実感する」みたいな哲学的な話もあった。
この膨大な時間の流れの中で、わたしたちの存在は儚い。見えている世界も、どれほど真実なのかだって確証が持てない。
僕らはほかの誰にもなれない(ホシノさん)
Posted by ブクログ
タイトルが「目の見えないひととアートを見にいく」でないところにこの話のメインテーマがある。
美術館に行ったら好きな作品をひとつ見つけて3分向き合いましょう、と読んだのを思い出した。誰かと話しながら楽しむのもいい。