あらすじ
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全盲の白鳥建二さんは、年に何十回も美術館に通う。「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」という友人マイティの一言で、アートを巡る旅が始まった。絵画や仏像、現代美術を前にして会話をしていると、新しい世界の扉がどんどん開き、それまで見えていなかったことが見えてきた。アートの意味、生きること、障害を持つこと、一緒に笑うこと。白鳥さんとアートを旅して、見えてきたことの物語。
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(まだ途中)
【本文より】
・その日、そのときにしか出せない言葉というものがある。
(中略)飲み込んでしまった数々の言葉を、胸の奥にある引き出しにしまい込みながら生きるしかない。でもこうして旧友に話したことでほんの数グラムだけ引き出しが軽くなった気がした。
・いつだって作品を見にいった先には新たな発見があり、人間同士の出会いがあり、一緒に過ごした時間の手触りはお互いの中に残っていく。
・「優生思想を考えるうえで、いま障害があるひとに対してどう接するのかという『差別』の問題と、それ以前に生まれてくる障害者を減らそうという優生思想的な考え方、そのふたつは切り離して考えないといけないと思うんだよ。」
・目の前に不愉快な差別や優生思想の芽、耐えがたい非道が目の前に現れたとき、(中略)わたしも非力ながら声をあげ、それをぶっ叩いていく人でありたい。世界の複雑さや自分の無力さを盾にしながら、ただぼおっと中立でいることはもはやできない。
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目が見えないのにアートは見えるのか?この疑問も差別発言かもしれない。
このエッセイは現実に今を切り取って目が見えなくても目が見えても楽しく今を生きてる人々のお話でした。
見えていたものは脳が勝手に解釈した幻かもしれない
楽しく過ごせるかは目が見えていても見えなくても人による
楽しんだもん勝ちだ
Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった!全盲の人と美術鑑賞というイベント的な楽しみ(普段見るよりディテールに関心がいき、深く作品を捉えることができるとか。)をより超えて、時間や存在への哲学的な問いへ、他者への眼差し(それはイコール自分への眼差し)へと広がっていく。見えるとか、見えないとかを超えて(いろんなものを越境することで)見えてくるものを、芸術作品と絡めながら、個人的、普遍的な解釈へと至る過程を熱量を持って見せてくれる。白鳥さんはもちろん、登場する友人たちもみな素敵。
やっぱ芸術ええよなぁ。美術館へ行きたくなった。
Posted by ブクログ
目が見えなくてどうアートを見るんだろうと興味を惹かれて読んだ。
この本は、アート鑑賞を導入にした哲学書だと私は思う。
白鳥さんとのやり取りをきっかけに
・アートをみるとは?
・障害を持つとは?
・優生思想
など、著者の川内有緒さんが考えたこと・気付きが書かれていて、通常の思考の下にある自身の価値観を揺さぶられた。
読みながら考えることが多くて、ゆっくりじっくり読んだ。
痺れたのは「誰かの立場になって想像したとしても、ほかの誰かの人生や感覚まで体験することは決してできない」というフレーズ。
エンパシーが大切だというのは広く知られるようになってきているが、その前提としてこの知識が大切だと感じた。
時間を置いて、再読したい。
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんと美術館を回るドキュメンタリー。
目が見えないので白鳥さんは周りの人からどんな絵か聞きながら想像する。説明する側は今まで無意識に黙ってじっくり見て「感じる」から言葉にすることで今までにない発見があったり、「見る」とはなんなのか。全盲の白鳥さんには何が「見えてる」のか。
そこの想像がこの本を読みながら一緒に考えることができて面白い。美術館に行ってみたくなる。
9章あたりからある美術館の作品を見て、差別とは何か、偏見とは何かを考えさせられるようになる。
差別や偏見はダメと言うのは簡単だけど、もし自分がなったらイヤじゃない?そう思うことは偏見では?
こういう問題は決して簡単に解決するものではない。
著者の想いや問題提起が本の節々に散りばめられており、考えながら読んでる自分がいた。
今、この瞬間を生きるからこそ、自分の周りの人へ寄り添いながら生きていくことが大切で
例え周りに障害があったり、自分と違う人がいたとしても勝手な色眼鏡で見ることは相手にも失礼だし自分の生き方を狭めてしまうことに繋がるんだろうなと感じた。
みんな一生懸命生きている。
「優しさや気遣いも、いきすぎてしまえば偏見や差別になる」この言葉が自分には刺さったし、無意識に行動に出てたことあったよなと思ってしまった。
他人と比べられ、競争が求められる社会であると思うけど、これから出会う大切な人たちとはそういう垣根とはまた別に思いやって、楽しく自分を表現していきたいと思った。
Posted by ブクログ
なぜ白鳥さんと美術館に行くのかという問いに最後向き合う作者の答えがじんわりくる
絵をどうみるかのもっと先の根本的な人と関わる、話す、分かりあったり
そのきっかけとしての作品鑑賞
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんと、作者含む仲間たちが美術館にアートを見に行く。
こういう話って、目の見えない人の気持ちになろう、想像力を働かせよう、という結論になるんだろう、と思っていたが、導き出されるのは「僕らはほかの誰にもなれない」「ほかのひとの気持ちになんかなれない」「なれないのに、なろうと思ってる気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる」、そして「ただ一緒にいて、笑っていられればそれでよかった」という言葉。
そのままの自分同士で、障害があろうがなかろうが気の合う人たちと、楽しく笑って過ごす。多様性のゴールはそこなのかもしれないと思った。
どんなに遠くに行って美しい景色を見ても、あとに残るのは同行者の面白い言動だけだったりする。それでいいじゃない、と言ってくれるような本だった。
現代アート、アーティストの説明や写真も面白くて、気になる展示がたくさん増えた。
クリスチャン・ポルタンスキーのインスタレーション、マリーナ・アブラモヴィッチの『リズム0』とか、えぐいけどちょっと忘れられない。
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芸術作品鑑賞についてではなく、芸術を通して触れられる人の人生や経験・価値観について書かれている。
大切なのは、そこで触れられている作品自体ではなく、その作品を通じて起こる人間模様や会話。
Posted by ブクログ
自分が好きな分野がアートと関係がある分野だからアートを見に行くことがある。でも自分はアートを鑑賞するときに、正しく見なければいけないと思っていたし、幼稚な感想しか持てないことを情けないなと思っていた。
本を読んで、自分に見えているものを思いつくままに周りに人に伝えあって、どんどん新しい見え方を見つけていくことがすごく楽しそうだったし、私もそういうふうにアートを楽しみたいと思った。好きに見ていいということに少し救われた気持ちになった。
また、自分が「障がいである」と思っていることは他の人にとって障がいなのかとか、障がいがある人と関わることを怖く思うことはいけないことなのかなど、色々なことを考えた。自分はカテゴリー分けした、身体的に精神的に年齢的に…近い人と関わることが多い環境になんとなくいるけれど、そこだけで世界を見ていたら今の考え方は変わらないんだろうなと思った。自分が正しいとか間違っているとかでは答えが出ない部分だと思うけれど、違う考えや自分には見えていない世界を知って自分の中で腑に落ちる考え方を見つけたいと思った。
知識がなくても読みやすく、登場している方の会話が面白い本だった。また読みたい。
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audible63冊目。
話題になった時に読みたいなと思っていたのにすっかり忘れていて、最近夫に勧められ、audibleで見つけました。
明るくて前向きな白鳥さんの周りには、同じように素敵な方々が集まってくるのだなあと感じました。
見えないけれど見えるし、見えているはずなのにちゃんと見ていない。
白鳥さんも、「見えている」人もアートを味わっている様子が伝わってきました。
わたしも一緒に、白鳥さんや著者とアートを見にいった感覚になりました。
豊かな時間を過ごせました。
Posted by ブクログ
白鳥さんの目が見える、見えないは関係ないという考え方が新鮮だった。
生まれた時から、ほぼ見えない生活を送ってきて、それが当たり前で、逆に「見える」生活を知らないからこそ言える事で、「見える」生活をしてきた人には、気づけなかったことを言ってくれておもしろかった。
新しい発見がいくつもある、本だった。
Posted by ブクログ
シンプルに新しいアートの見方だと思った。
色んなアーティストが紹介されていて、アートに対しての興味が沸いた。
一冊を通して、元気が出る本だと思った。
Posted by ブクログ
今後の美術鑑賞の際、ぜひ思い出したい一冊。
特に美術館などが苦手な人に読んでほしい本だな、と。
はじめは所謂「美術鑑賞は自由でいい」や「白鳥さんと観ると面白い」といったようなところに終始するのかな、と思っていたのだが、もっと深い差別などの話にも及んでくる。
中でも、自分も考えたことのある優生思想の話にはドキッとさせられたし、人ごとでは居られなくなってしまった。
分厚いが章も細かく分かれていることもあり、軽快な文章でもあるので読みやすい。
Posted by ブクログ
目が見えないってどういう感覚なんだろう?と常々思っていたけど、聞く人もいなければチャンスもなく、ここまで来てしまっていた。(もしチャンスがあったとて聞けなかったと思うけれど)
その疑問に答えてくれたのがこの本だった。
白鳥さんの生き方がとても素敵で、目が見えないって 全然マイナスじゃないじゃん!と新しい感覚にも出会えた。
障害者について 自分が持っている感覚がちょっと違うかもしれないと考えさせてくれる本で、非常に良かった。
子どもたちにも読ませたい一冊。読書感想文とか書くのに良いと思う。
Posted by ブクログ
読み終えてとても色んなことを感じた本でした。
美術鑑賞することとか、障害者と社会のこととか、表現することとか。
白鳥さんはとても淡々としてて、自分に与えられたもので幸せになる術を知っていて、楽しみたいっていう欲があって、その気持ちで人生を楽しめる人なんだなーと思った。すごく面白くて魅力的な人だと思った。その人柄に夢中になった一冊でした。
絶対に手に入らない欲は手放して(それは生まれつきの容姿とか、才能とか、そういうことにもいえる)周りの人たちとの愛おしい時間を大事にしたいと思いました。
目が見える方がいいっていうのは、目が見える人側のエゴなんだね。
余談ですが私も星野源さんのファンなので、急に「星野源」って出てきてびっくりしました笑
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんと美術館をめぐるお話。
読む中で、自分の中にある障がいを持つ人に対する差別を感じてしまった。
障がいのことを知って、分かった気になる怖さというものも感じた。手前の知識ではなくて、その先にある共に居られる、笑いあえる世界を想像していきたいと思ったり。
本の中で紹介されていた、風間サチコさんの作品(木版画?)がとても印象的で、近くで展示会があれば行ってみたい。
以下メモ
・当たり前だけどさぁ、全盲の人でも感覚が鋭い人もいるし、そうじゃない人もいるんだよ。運動神経が良い人もいれば、音楽の才能がある人もいる。
・「見えない人」が隣にいるとき、普段使っている脳の取捨選択センサーがオフになり、わたしたちの視点は文字通り、作品の上を自由にさまよい、細やかなデティールに目が留まる。おかげで「今まで見えなかったものが急に見えた」という体験が起こる。
・障害ってさぁ、社会のかかわりの中で生まれるんだよね。本人にとっては、障害があるかなんて関係ないんだよ。研究者や行政が「障害者」を作り上げるだけなんだよね。
・かつて行政が積極的に、障害を持つ人を「不幸」と決めつけてきたことや、人生につまずいてしまった人を「自己責任」で片づける昨今の風潮、そして何かが「できる」という「能力」ばかりに人間の価値を置いてきたことが、いまさらながら様々な形のひずみを日本社会に噴出させている。・・・「もっと〇〇すべき」「私は努力したのだから、あなたも努力すべき」と勝手な「べき論」を他者や社会全体に向けると差別や分断、生きづらさに変わる。すべての人は違うし、違ったままでいい。異なる他者、他者とは異なる自分を受け入れられたら、世界はもっと虹色の雪に近づくかもしれない。
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんが、美術館を楽しむ。
本来想定していないお客様。美術館側の戸惑いもあったが、現在は年数十回の美術鑑賞を楽しんでいる。
美術を見る行為を通じて、見えるひとに対して感じていた引け目や、見えると見えないの壁が取り払われていった。
Posted by ブクログ
美術館にはよく足を運ぶものの鑑賞のしかたがわからなかった。もっと心のままに自由でいいのだなって思った。作者さんが、幸せとはその時間のことで、時間には抗えないけど、覚悟を持ってその時間を宝にするって言ってて、それって能動的幸せだなと。簡単なことではないかもしれないけど、幸せって自分でつかむものなんだなと思ったし、自分の力でなんとかできるものなんだなと希望がもてた。
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五転六転くらい先入観を覆された
全盲の白鳥さんは美術館によく行く
同行者が、この絵はこんなのが描いてあるよ〜あれ!?でも違うかも?とかワイワイ話すのを聴きながら美術鑑賞を楽しむ
白鳥さんは耳で聴いて絵を観てるのか!と気づきを得た著者は、コロナ期間中、白鳥さんをオンライン鑑賞に誘うが乗ってこない
コロナが落ち着いて白鳥さんとまた会えるようになった著者は一緒にお酒を飲みながら、今この場に自分がいることが大事という白鳥さんの話を聞いて、彼が聴覚だけで美術鑑賞をしていた訳ではないことに気づく
『鑑賞のときも言葉とか会話はひとつの情報でしかなくって、空気とか雰囲気とか、そういうものからも多くのものを受け取ってるってことだよね』
『そして美術作品もまた物体としてのエネルギーを発している。』
そういうものを五感で感じるとき、白鳥さんは自分が生きてるぅぅぅという実感を得ているのかもしれない
そしてそんな瞬間はきっと楽しい (^^)v
My preconceptions were overturned five or six times.
Shiratori-san, who is completely blind, often goes to art museums.
While his companions excitedly chat saying, "This painting shows this…" or "Maybe it's something else…", he enjoys art appreciation by listening to them.
The author, realizing that Shiratori-san is "viewing the paintings through his ears," invited him to online art appreciation sessions during the COVID period, but he did not join.
After COVID calmed down and the author could meet Shiratori-san again, they drank together. Listening to Shiratori-san say that simply being present there together was important, the author noticed that he was not appreciating art only through his hearing.
"'Words and conversations are only one piece of information during appreciation. You also receive a lot from the air, the atmosphere, and things like that.'"
"'And artworks themselves also emit energy as physical objects.'"
When Shiratori-san feels such things with all five senses, maybe he experiences the vivid sense of being alive.
And surely those moments are joyful.
Posted by ブクログ
目の見えない白鳥さんとのアート鑑賞は新しいアートとの触れ方を学べる。美術館に行くのは好きだけど、作品の解釈はなかなか難しく頭でっかちになっていたところを自由に感じて良いんだ、と吹っ切ることができた本。白鳥さんとアートを見に行きたいな。
Posted by ブクログ
「見る」という事について考えました。
皮を一枚一枚剥いでいった核の部分でいえば、肉体的な視覚というものは本質的では無いのかも知れない、と感じました。
見るも見ないも見えないも、その人の生き方次第だと。
そしてその人固有の、人生の個性によって、同じ対象物を眺めていようと、見えているものは様変わりするのだと感じます。自分だけの人生を生きる意味、そしてどう生きるかの尊さ。
人生は、なんの専門技術を持たずとも、誰しもが創り編める、芸術作品のようなものだと感じました。
学術的、専門的な「見る」ということにおける情報も大変興味深かったです。
Posted by ブクログ
目が見えないのに絵を見るとは?
今までの私の認識を
ぐるんぐるん
ひっくり返して
でも楽しく読ませるし
美術館に一層行きたくなるし
見方が深まるし
なにより
白鳥さんと会ってみたくなる!
二重にも三重にも
芸術の味わい方
そして生き方が変化する本!
Posted by ブクログ
知識などなくても自由にアートをともに語り合うっていいね。
私は絵画の前に立つと、緊張して、ただ誰が描いたなんという絵って覚え込むって感じだったから、こういう実直なお話を聞けて楽になった。
障害者っていうとなんか構えて、困っていることを助けてあげたくなる性格の私。
だけど、それが時にお節介だったりするのよね。
今の社会の障害者に対する見方はまだまだ偏見があるね。
Posted by ブクログ
フラットになれる本。
盲目、美術鑑賞とは正反対かと思っていたけどそれはほんとに思い違いだった。
色んな人と出会い人生を楽しんでる大人達のお話。
そこに盲目とか関係ない。
Posted by ブクログ
視覚障害の方と美術館に行くことによって、晴眼者の目の解像度が上がるという気づきは面白かったです。筆者たち(特にマイティ)の美術に対する肩肘張らない姿勢も好感が持てました。僕も一緒に美術館回ってアレコレわあわあ言い合いたいです。
最初の問いには白鳥さんの友人であり、視覚障害者と美術館に行く活動を始めた当事者の一人であるアーティストのホシノさんが回答してくれました。
ーー
絵を見る活動ね。やりやすいんですよ、確かに。でも絵を見る活動で絵を見ようとなんかしていないんですよ、俺も健二も。ただ、そこにいるひとたちと、、、いたいんですね。
ーー
後半は(視覚)障害者に関する考察にシフトしていきますが、ここでもホシノさんの言葉が圧巻だったので、そのまま貼っておきます。
ーーー
僕らはほかの誰にもなれない。それは心身を疲労してドアを閉じてしまう鬱状態のひとにも、 多動症のひとにもなれない。視覚障害者にもなれない、僕らはほかの誰にもなれない。ほかのひとの気持ちになんかなれないんですよ!なれないのに、なろうと思ってる気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ、いまの社会は。だから気持ち悪いの!だから、俺たちは、むしろ進んで、いい加減に、わあああって言いたいんですよ。この世界で、笑いたいんですよ。
ーーー
SDGsなどで何となくモヤっとしてた部分が腑に落ちました。
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんと出会ってからの著者の物語。
自分と関わる人が、障害を持つ持たないに関わらず、誰かに関心をもち、その世界を知りたい、理解したいという気持ちで接していくことで、寛容さが育まれ、人生を豊かにしていくことにつながるのかなと思いました。
また、時間を共有できる人がいることに幸せを感じる部分は白鳥さんと私の共通項のようです。
2025.3追記
この本をきっかけに大原美術館へ
充実した時間を過ごせました
Posted by ブクログ
タイトルが「目の見えないひととアートを見にいく」でないところにこの話のメインテーマがある。
美術館に行ったら好きな作品をひとつ見つけて3分向き合いましょう、と読んだのを思い出した。誰かと話しながら楽しむのもいい。
Posted by ブクログ
美術ってこんな気ままに見ていいんだ、と思える本です。目の見えない白鳥さんと一緒に美術館巡りをする作者一行。愉快な珍道中(?)に思わずニヤニヤしてしまいました。
Posted by ブクログ
目の見えない人がなぜ美術館に?と思いながら読み始めた。
それは私が勝手に思っていた事、一緒に見る人の説明で絵を想像してみる事が出来る。
面白いと思った事は、同じ絵を見ても人によって感じ方や捉え方があるから、一緒に見る人に寄って伝わり方が変わってしまう事。
目が見える人が、目が見えない人よりも人生を楽しんでいるとは決して言えないと思った。