あらすじ
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全盲の白鳥建二さんは、年に何十回も美術館に通う。「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」という友人マイティの一言で、アートを巡る旅が始まった。絵画や仏像、現代美術を前にして会話をしていると、新しい世界の扉がどんどん開き、それまで見えていなかったことが見えてきた。アートの意味、生きること、障害を持つこと、一緒に笑うこと。白鳥さんとアートを旅して、見えてきたことの物語。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
国立新美術館で購入。
私は美術館に対して、苦手意識のようなものがある。正直、どんな作品を見ても、「よくわからない」からなのかも。特に現代美術と呼ばれるものや、何かの造形みたいなものは本当によくわからない。
でも、目の見えない白鳥さんとアートを見に行くと、その「よくわからない」ものを説明しなければならなくて(←表現が誤っているかな?)、でも白鳥さんはその「よくわからない」説明を聞いて美術鑑賞を楽しんでいる。目が見えていようとなかろうと、この鑑賞の仕方は誰でもできるんじゃないかな?と思うし、楽しいだろうな、と思う。美術館は静かにするところ、というような傾向があるけども、そういう鑑賞のワークショップに参加すればできるんだ、と思うととても気になる。
自分の業界?会社?では、解説が科学的に正しいかどうかみたいなところが重要視されているけど、「なんかよくわからないけど、〜みたいなこういう形をしている」とかっていうことも、印象に残るし興味のないことに興味を持ってもらうきっかけになるのかも。
この本の途中途中に、著者の障害者に対する偏見に関する話も出てくるけど、誰の感覚にも当てはまるものだと思った。
「優しさや気遣いも、いきすぎてしまえば偏見や差別になる。」
Posted by ブクログ
最初、「見えない人」にわかるように話したり考えたりしながら見ることで、より深い見方ができる、みたいな、あるいは、
「助けられる側」も「助ける側」になれるみたいな、そういうことかと思って読んでいたけど、違った。
何でも、頭でっかちで、実利を求めてしまっている自分の考え方を再確認させられた。
もう1回、ゆっくり読みたいな。
そしてわたしも、いろんな人と、たくさん笑いたい。
Posted by ブクログ
ずーっと読みたくてやっと買えた!
面白いって表現が合ってるのかはわからないけど、読み終わって、すぐにまたもう一回読み始めてしまうくらい好き。
自分の中の思い込みやこうでなきゃいけないって部分にも気づけたし、美術館やアートってもっと自由に楽しんでいいんだよねーって。
展覧会に行きたくなる!
本当の意味での多様性。
お互いに尊重し合いながらも、気を遣いすぎない世界になったらいいなと。。。
Posted by ブクログ
ノンフィクション本大賞の過去作品のなかで
タイトルから目の見えない人は、どうやって作品を観るんだろうときになり読みました。
内容は、どのうように美術を観るのかを実際の写真も掲載されており、自分だったらどう伝えるだろうかなど楽しく考えながら読めました。また、美術以外にも歴史、障がい者問題、答えのない難しい問題も白鳥さんやその友人達と真剣に話し合い、時にはコミカルに話しあい考え方の幅を広げてくれるとても良い本でした。
物事を伝えることの難しさを感じれたことと自分の表現力強化につながると思ったので次に美術館に行ったときは家族でしてみたいです。
Posted by ブクログ
白鳥建二さん。2004年、東京の府中の森であった本田健さんの講演会の帰り道、杖をついた男性が前を歩いていて「大丈夫ですか?」と声をかけたのですが、その方が、この本に登場する白鳥建二さんでした。
何か手助けをしたくて声をかけた私ですが、逆に帰り道が分からなくなった私を駅まで連れて行ってくださり、乗るべき電車まで案内してくれました。その後、私の職場まではるばる来てくださり、目の見えないことや点字のことを教えてくださいました。
東京で助けてくれた白鳥さんが、映画の主人公になっていて、元同僚の方が「映画に出ていたのは、あの白鳥さんじゃない?」と教えてくれたのがきっかけで、この本と出合いました。
アートをどうやって見るのか?見えるのか?
不思議な気持ちでページをめくりました。
著者と白鳥さんのやりとりが楽しく、目が見えても見えなくてもアートを楽しめることがわかりました。
福島の、はじまりの美術館にもいつか行ってみたいです。
Posted by ブクログ
美術館に行こう、関わろうと素直に思える本。
視覚障害の方と美術展示を観に行くというトリッキーな組み合わせだけど、美術館鑑賞でいかに自分たちが見えていないかを実感出来る貴重な経験となる。しかし、そんな効用はフックに過ぎない。
あなたといっしょに居たい。その手段として繋いでくれるものが、モノの見方を浮き彫りにしてくれる美術品であり、美術館なのだ。
一方で、宿題も残る。多様性は多様性として受けいるけれども、そこに優劣の物差しが付いて回る。出来ること、出来ないこと。その価値観をどう乗り越えていけるのか。
Posted by ブクログ
目が見える・見えないとか、そういう身体的特徴をとっぱらって、ただ一緒にアートを感じるだけで良いのだと思う。
川内有緒さんの押し付けがない筆力が、友情とはシンプルにそういうものよねってことをリマインドさせてくれます。
障害とか健常とか線引きなんて、はじめっからないんだよ。
日々感じているもやもやを切り替えてくれるスイッチのようなエッセイでした。
【本文より】
・その日、そのときにしか出せない言葉というものがある。
(中略)飲み込んでしまった数々の言葉を、胸の奥にある引き出しにしまい込みながら生きるしかない。でもこうして旧友に話したことでほんの数グラムだけ引き出しが軽くなった気がした。
・いつだって作品を見にいった先には新たな発見があり、人間同士の出会いがあり、一緒に過ごした時間の手触りはお互いの中に残っていく。
・「優生思想を考えるうえで、いま障害があるひとに対してどう接するのかという『差別』の問題と、それ以前に生まれてくる障害者を減らそうという優生思想的な考え方、そのふたつは切り離して考えないといけないと思うんだよ。」
・目の前に不愉快な差別や優生思想の芽、耐えがたい非道が目の前に現れたとき、(中略)わたしも非力ながら声をあげ、それをぶっ叩いていく人でありたい。世界の複雑さや自分の無力さを盾にしながら、ただぼおっと中立でいることはもはやできない。
Posted by ブクログ
目が見えないのにアートは見えるのか?この疑問も差別発言かもしれない。
このエッセイは現実に今を切り取って目が見えなくても目が見えても楽しく今を生きてる人々のお話でした。
見えていたものは脳が勝手に解釈した幻かもしれない
楽しく過ごせるかは目が見えていても見えなくても人による
楽しんだもん勝ちだ
Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった!全盲の人と美術鑑賞というイベント的な楽しみ(普段見るよりディテールに関心がいき、深く作品を捉えることができるとか。)をより超えて、時間や存在への哲学的な問いへ、他者への眼差し(それはイコール自分への眼差し)へと広がっていく。見えるとか、見えないとかを超えて(いろんなものを越境することで)見えてくるものを、芸術作品と絡めながら、個人的、普遍的な解釈へと至る過程を熱量を持って見せてくれる。白鳥さんはもちろん、登場する友人たちもみな素敵。
やっぱ芸術ええよなぁ。美術館へ行きたくなった。
Posted by ブクログ
著者の川内さんが、目の見えない白鳥さんと美術館を巡る様子が描かれています。
白鳥さんは視覚以外でアートを楽しんでいます。実際に現地を訪れて、同行者が作品についてあーだこーだと話しているのを聞いて、それらを楽しむ鑑賞体験。
みんながワチャワチャ話すことによって、白鳥さんも同行者も作品に対する思い入れが深まっていくような感覚。
アートは静かに鑑賞するイメージだったので、これは確かに面白そう!
実際に鑑賞した作品がカラーで掲載されているのも嬉しい。
白鳥さんの身軽さに、身体に不自由があろうとなかろうと気軽に「普通にしてていい」事の大事さを痛感。
必要以上の配慮は偏見や差別にもなり得るというのも…難しいところなんだなぁ。
ある作品について、白鳥さんの気分になって、会話からどんなものか想像する試みがあります。
実際の作品は表紙カバーの裏に掲載されているのですが、コレ図書室の本だからフィルムが貼られてて…
視覚に頼りまくっている私は、想像すればするほど正解が見たくなり検索してしまいました。だって皆さん説明がオモシロすぎる!
Posted by ブクログ
全盲の美術鑑賞者、白鳥建二さんについて、以前テレビで拝見したことがあった。
穏やかな表情と話し方をする方で、絵の前に立ち、アテンドする人に「何が描いてありますか?」「それはどのようなものですか?」と質問をしても、その答を決して急かすことなく、背筋を伸ばした姿勢で笑顔という柔らかくも芯のある白鳥さんそのものの姿で待っている人だった。
最近私がアートに興味を持ったのは、言葉に寄らない感動を得たいと思ったからだ。
どうしても、言葉に対する比重の高い私の感想は、言語化することによって感動が固定化されてしまうようで、もっと直感的な感動を!と。
結局堅苦しいのだが。
しかし、白鳥さんとアートを見に行くと、言語化=固定化にはならないのだ。
同じものを見て「アサリに見える」「いや、セイウチじゃ?」「猫だよね」と言葉で説明しているうちに見え方が変わってくる。
白鳥さんと二人で、または何人かの人たちとアートを見に行くことで、対象物をよりしっかり見ようとするし、そうすると解釈は一様ではない事に気付くのかもしれない。
これは読書とも似ているなあと思った。
ひとりで読んでいる時に感じるものが、何人かと感想を述べあうことで違う面を見せることがある。
そうか、言語化=固定化ではないのか。
”感想や解釈が同じでないからといって、相手が間違っているわけではない。むしろ違いがあるからこそ発見があり、自分の海域が豊かになる。”
それは、白鳥さんの鑑賞の仕方からも言えるのだと思う。
彼は、アートの技法のことや制作当時の作者の境遇や、もっと言えば公式の作品テーマを知りたくてアートを鑑賞しているわけではない。
それはコミュニケーションツールであり、アートについて語る言葉や空気感が、白鳥さんにアートだけではなく同行者について、また自分自身について考えるためのよすがになるのだ。
ただ、いくつか著者について気になった点がある。
美術館で、白鳥さんともう一人の同行者と、一枚の絵の前で語り合っていた時、「ずっとうるさいんですけど」と見知らぬ女性に言われた時のことだ。
著者はそれに対して、「ここはあなたの専有物ではないですよ」と心の中で反論するのだが。
その女性も著者たちに対してそう思ったから、うるさいと言ったのでは?と私は思った。
その時の状況はわからないけれど、うるさいだけではなく、一枚の絵の前にずっと立っていられると、私などはちょっとイラっとする。
もちろん著者たちは小声で会話をしていたと思うけれど、美術館によっては声が響いて、うるさいと思うことはよくある。
「あんたの解釈を聞きたいわけじゃないんだよ~」って思うことが。
「夢の家」という美術作品の中にとまるときも、家の中ではアルコール禁止というのに気づかず、お酒を持ち込んで飲んでいるが、そういう禁止事項というのは明示されているものだと思うので、気づかなかったで許されることなのか。
そして、ここは夢を見て記録にとどめるために、結構厳格に入浴の仕方から睡眠準備まで定められているのだけど、暑いからといって定められた服装を脱ぎ捨て夢も見ないで熟睡している。
なんというか、自分の正しいに自信があるのか、割りとルールを違反しても平気な人なんだな、と思った。
アートなので、「自由な心」が大切なのかもしれない。
私が堅苦しすぎるのかもしれない。
その辺をうまく呑み込めなくて、いい題材だったはずだけど、読後感は微妙。
Posted by ブクログ
職場で借りた本。
社内でこの本を読んだ5人でドキュメンタリーの視聴会も開催した。
本を読んでなんとなくイメージしていた白鳥さんは、映像の中でもそのままで、でも予想より速く歩く人だった。
本の中で、作者の有緒さん、マイティ、白鳥さんはいつも楽しそうに美術鑑賞をしている。
時々行ったことのある美術館や、見た事のある作品も出てくるので、自分が感じたものと異なる意見や見方を知ることができるのもまた楽しかった。
本には、作品の写真も掲載されているので、一緒に作品を見ている気分になる瞬間もあったけれど、ドキュメンタリー映画もまた、現場の空気感が少し感じられるものだった。
目が見えること、見えないこと、身体的特徴関係なく、ただ一緒にいて楽しい、話していて楽しい、それだけで良いのだと感じた。
美術館、次は何を見に行こうかな。
白鳥さんたちみたいに仲の良い友人と、会話を楽しみながら行きたい。
Posted by ブクログ
目の見えない人とアートを鑑賞することで、たくさんの発見がある。それだけでも面白いが、この本は生きることについてまで言及されていて深く考えさせられた。
Posted by ブクログ
オーディブルにて。
本来的には紙の本で読むべきな気もするが。
美術などを観るにあたり新しい目線や気づきをくれる本やった。なるほど!と思うことも。
一方で読み続けるのがなんとなくしんどいというか、これは環境や感覚に左右されるものかもな。
今は自分の状態が悪かった。回復したら再読してみても良いかな
Posted by ブクログ
究極の多様性。
「僕らはほかの誰にもなれない。」
パラダイムがシフトしまくりの一冊だった。
「幸いにして人間は何歳になっても変わることができる。古臭くてしょうもない昨日の自分をぶっ壊し、古い価値観をゴミ箱に放り捨てながら、この瞬間にもなりたい自分に近づくしかなかった。」
これが書けてしまう有緒さんがすごいと思う。
Posted by ブクログ
2年前にタイトルに惹かれて借りたけど、忙しさもありなかなか読み切れず3回くらい借りた。今回は改めて最初から読み直す。
いかにアートを正確に伝えるかではなく、白鳥さんは各自いろいろな受けとめ方をしているその場の様子を一緒にいて楽しんでいる、ということだった。
作中の白鳥さんの言葉がいくつかささった。
・「差別や優生思想はダメだ」っていうのではなく、「少なからず自分の中にもある」と気づくこと。この2つは切り離して考えないといけない。どんな人にも優生思想はあるのでは。
・「できる」という能力ばかりに人間の価値を置いて来たことが、人間社会にひずみをもたらしている。が、「できる」人も「できない人」も「バックする人」も、いていいんだ。常識や「するべき」論を他者や社会全体へむけると、差別や分断、生きづらさに変わる。そこに気づくと視野が広がる。
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内なるものを表現するカタチはいろいろ。
そして、それを受け止め、感じる方法もいろいろ。
美術などのカタチある作品を鑑賞するには、視覚が主に必要だが、盲人の白鳥さんの鑑賞は、付き添いの人の感想で鑑賞する。
私も今回、オーディブルで聴く読書したが、本書の奈良の仏像鑑賞の部分を聴きながら、意外と見えなくても楽しめるものなんだな、と思った。
足りない、ない、できないことが、人にはそれぞれあるが、できることで補って、また、できる人にサポートされて、お互い生きていく、誰もがそうなんだと改めて感じた。
白鳥さんのように前向きに、生きるって素敵だな、と思ったし、著者や白鳥さんの周りは明るくポジティブ人間で、私もそうありたいと思った。
Posted by ブクログ
美術ってどう味わうべき…と思っていたけれど正解はないのだ。他者の気持ちをわかることは到底できず、互いに発信することでその差異を楽しみ世界を広げていけばいい。自分でいることをもっと満喫していいんだと背中を押された。
偏見、優生思想、「普通」でいなきゃの強迫観念。そうならないようにと思いつつ、無意識に受け入れてしまっている自分を反省しつづける姿勢も忘れずにいたい。
Posted by ブクログ
読み終えてとても色んなことを感じた本でした。
美術鑑賞することとか、障害者と社会のこととか、表現することとか。
白鳥さんはとても淡々としてて、自分に与えられたもので幸せになる術を知っていて、楽しみたいっていう欲があって、その気持ちで人生を楽しめる人なんだなーと思った。すごく面白くて魅力的な人だと思った。その人柄に夢中になった一冊でした。
絶対に手に入らない欲は手放して(それは生まれつきの容姿とか、才能とか、そういうことにもいえる)周りの人たちとの愛おしい時間を大事にしたいと思いました。
目が見える方がいいっていうのは、目が見える人側のエゴなんだね。
余談ですが私も星野源さんのファンなので、急に「星野源」って出てきてびっくりしました笑
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんと美術館をめぐるお話。
読む中で、自分の中にある障がいを持つ人に対する差別を感じてしまった。
障がいのことを知って、分かった気になる怖さというものも感じた。手前の知識ではなくて、その先にある共に居られる、笑いあえる世界を想像していきたいと思ったり。
本の中で紹介されていた、風間サチコさんの作品(木版画?)がとても印象的で、近くで展示会があれば行ってみたい。
以下メモ
・当たり前だけどさぁ、全盲の人でも感覚が鋭い人もいるし、そうじゃない人もいるんだよ。運動神経が良い人もいれば、音楽の才能がある人もいる。
・「見えない人」が隣にいるとき、普段使っている脳の取捨選択センサーがオフになり、わたしたちの視点は文字通り、作品の上を自由にさまよい、細やかなデティールに目が留まる。おかげで「今まで見えなかったものが急に見えた」という体験が起こる。
・障害ってさぁ、社会のかかわりの中で生まれるんだよね。本人にとっては、障害があるかなんて関係ないんだよ。研究者や行政が「障害者」を作り上げるだけなんだよね。
・かつて行政が積極的に、障害を持つ人を「不幸」と決めつけてきたことや、人生につまずいてしまった人を「自己責任」で片づける昨今の風潮、そして何かが「できる」という「能力」ばかりに人間の価値を置いてきたことが、いまさらながら様々な形のひずみを日本社会に噴出させている。・・・「もっと〇〇すべき」「私は努力したのだから、あなたも努力すべき」と勝手な「べき論」を他者や社会全体に向けると差別や分断、生きづらさに変わる。すべての人は違うし、違ったままでいい。異なる他者、他者とは異なる自分を受け入れられたら、世界はもっと虹色の雪に近づくかもしれない。
Posted by ブクログ
全盲の白鳥さんが、美術館を楽しむ。
本来想定していないお客様。美術館側の戸惑いもあったが、現在は年数十回の美術鑑賞を楽しんでいる。
美術を見る行為を通じて、見えるひとに対して感じていた引け目や、見えると見えないの壁が取り払われていった。
Posted by ブクログ
美術館にはよく足を運ぶものの鑑賞のしかたがわからなかった。もっと心のままに自由でいいのだなって思った。作者さんが、幸せとはその時間のことで、時間には抗えないけど、覚悟を持ってその時間を宝にするって言ってて、それって能動的幸せだなと。簡単なことではないかもしれないけど、幸せって自分でつかむものなんだなと思ったし、自分の力でなんとかできるものなんだなと希望がもてた。
Posted by ブクログ
五転六転くらい先入観を覆された
全盲の白鳥さんは美術館によく行く
同行者が、この絵はこんなのが描いてあるよ〜あれ!?でも違うかも?とかワイワイ話すのを聴きながら美術鑑賞を楽しむ
白鳥さんは耳で聴いて絵を観てるのか!と気づきを得た著者は、コロナ期間中、白鳥さんをオンライン鑑賞に誘うが乗ってこない
コロナが落ち着いて白鳥さんとまた会えるようになった著者は一緒にお酒を飲みながら、今この場に自分がいることが大事という白鳥さんの話を聞いて、彼が聴覚だけで美術鑑賞をしていた訳ではないことに気づく
『鑑賞のときも言葉とか会話はひとつの情報でしかなくって、空気とか雰囲気とか、そういうものからも多くのものを受け取ってるってことだよね』
『そして美術作品もまた物体としてのエネルギーを発している。』
そういうものを五感で感じるとき、白鳥さんは自分が生きてるぅぅぅという実感を得ているのかもしれない
そしてそんな瞬間はきっと楽しい (^^)v
My preconceptions were overturned five or six times.
Shiratori-san, who is completely blind, often goes to art museums.
While his companions excitedly chat saying, "This painting shows this…" or "Maybe it's something else…", he enjoys art appreciation by listening to them.
The author, realizing that Shiratori-san is "viewing the paintings through his ears," invited him to online art appreciation sessions during the COVID period, but he did not join.
After COVID calmed down and the author could meet Shiratori-san again, they drank together. Listening to Shiratori-san say that simply being present there together was important, the author noticed that he was not appreciating art only through his hearing.
"'Words and conversations are only one piece of information during appreciation. You also receive a lot from the air, the atmosphere, and things like that.'"
"'And artworks themselves also emit energy as physical objects.'"
When Shiratori-san feels such things with all five senses, maybe he experiences the vivid sense of being alive.
And surely those moments are joyful.
Posted by ブクログ
目の見えない白鳥さんとのアート鑑賞は新しいアートとの触れ方を学べる。美術館に行くのは好きだけど、作品の解釈はなかなか難しく頭でっかちになっていたところを自由に感じて良いんだ、と吹っ切ることができた本。白鳥さんとアートを見に行きたいな。
Posted by ブクログ
視覚障害の方と美術館に行くことによって、晴眼者の目の解像度が上がるという気づきは面白かったです。筆者たち(特にマイティ)の美術に対する肩肘張らない姿勢も好感が持てました。僕も一緒に美術館回ってアレコレわあわあ言い合いたいです。
最初の問いには白鳥さんの友人であり、視覚障害者と美術館に行く活動を始めた当事者の一人であるアーティストのホシノさんが回答してくれました。
ーー
絵を見る活動ね。やりやすいんですよ、確かに。でも絵を見る活動で絵を見ようとなんかしていないんですよ、俺も健二も。ただ、そこにいるひとたちと、、、いたいんですね。
ーー
後半は(視覚)障害者に関する考察にシフトしていきますが、ここでもホシノさんの言葉が圧巻だったので、そのまま貼っておきます。
ーーー
僕らはほかの誰にもなれない。それは心身を疲労してドアを閉じてしまう鬱状態のひとにも、 多動症のひとにもなれない。視覚障害者にもなれない、僕らはほかの誰にもなれない。ほかのひとの気持ちになんかなれないんですよ!なれないのに、なろうと思ってる気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ、いまの社会は。だから気持ち悪いの!だから、俺たちは、むしろ進んで、いい加減に、わあああって言いたいんですよ。この世界で、笑いたいんですよ。
ーーー
SDGsなどで何となくモヤっとしてた部分が腑に落ちました。
Posted by ブクログ
目が見えないイコール視覚が必要なものは楽しめない。という固定観念を抱いています。だからこそこの題名に惹かれる訳なのですが。
白鳥さんは自分自身で美術館に連絡して、展示されている美術品の解説をして欲しいと交渉して、それまで無かった視覚障がい者が美術を楽しめるという概念を作り上げたと言えると思います。
もちろん人の説明聞いたって面白くないという人もいると思います。自分だって視覚障害があったとしたら美術ではなくて音楽方面に行くと思いますし。
しかし、この自分がやってみたいと思ったら、既成概念を壊してそこにたどり着こうとする姿勢は物凄いパワーです。
Posted by ブクログ
作者の人間性があまり自分にあわなかったけど
伝えようとする、対話することで自分達の理解が深まるのは確かになって納得した
自分だったらどう人に伝えようかと思いながら鑑賞するのはいいかもしれない
盲目の人がどんな感覚なのか、あくまで白鳥さんの場合だけだとは思うが学びになった