川内有緒のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ノンフィクション本大賞の過去作品のなかで
タイトルから目の見えない人は、どうやって作品を観るんだろうときになり読みました。
内容は、どのうように美術を観るのかを実際の写真も掲載されており、自分だったらどう伝えるだろうかなど楽しく考えながら読めました。また、美術以外にも歴史、障がい者問題、答えのない難しい問題も白鳥さんやその友人達と真剣に話し合い、時にはコミカルに話しあい考え方の幅を広げてくれるとても良い本でした。
物事を伝えることの難しさを感じれたことと自分の表現力強化につながると思ったので次に美術館に行ったときは家族でしてみたいです。
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Posted by ブクログ
福島、第一原発事故後を描く、映画も作っているらしい。
イベントに合わせ急いで読み進める。
深い… 東京では忘れ去られたように都庁でのプロジェクションマッピング… 確かに…電力の無駄遣い
ロッコク、と呼ばれる国道6号線
そこに戻ってきた方々は何を食べて、どう過ごしているのだろう?そこからインタビューがはじまる
またしても知らない事ばり
川内さんの率直な感想、驚きが言葉にされていて読みすむうちに、葛藤もあり、身を削るような撮影、試行錯誤の日々だったのだろうと思いつつも楽しみを見つけている姿勢が素晴らしい。
いつも思う、読めてよかった。
コジラは、古代恐竜をルーツに持ち、水藤薬物の影響で突然変異して生まれた「水爆怪獣」とのこと。水場は、核融合大なエネルギーを放出する兵器で、放射能による甚大な影響を環境に及ぼす。
莫大なエネルギーを爆弾に転用したのが、広島と長崎に落とされた原爆「リトルボーイ」(ウラン型)と「ファットマン」(プルトニウム型)だ。
ウランは一八世紀に発見された元素で、同時期発見の惑星、天王星(ウラヌス)が名前の由来である。そのあとで発見されたプルトニウムは、天王星の外側をまわる惑星、冥王星(プルートー)にちなんで名付け
中筋さんが言っていた「もやい展」の「もやい」とは船をロープで繋ぐこと(舫い)や共同で物事を行うこと(催合い)を意味する
「もやい直し」とは水俣病の社会運動の理念で、分断された地域社会、人と人との関係、自然と人との関係を繋ぎ直すという意味がこめられている。
たとえ人類が地球の奥深くに眠るエネルギー資源を取り尽くし争いや戦争を続けても、地球という惑星は簡単には死なないだろう。逆に先に滅亡するのは人類の方だ。地球資源や豊かな自然環境を必要としているのは、いつだって人間の方なのに、それを忘れてしまっているような気がする。
- 思い出すきっかけがない
- 懐かしめるはずのものが懐かしめない
「ロッコク・キッチン」では、楽しくたくましく暮らす人たちの話も多く聞いてきた。しかし、そういうポジティブなストーリーや状況を描きだすことは、今この瞬間にも存在する大きな苦しみや悲しみ、そして、帰りたくても帰れない人たちの思いを見えなくしてしまうのではないか?それが、自分が感じてきた大きなジレンマだった。 -
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川内さんは本当に「えっ! そこに気が付いてくれたの?」ってくらい人の潜在的にしかなかった(本人も気が付いていない)心模様を描く視点と、表現力に満ちている。
※ 自分は川内さんの過去作の大ファンだ。
「ロッコク」は地元の人達に通じる方言ならぬ、地元語だ。
ロッコク沿いの住民はメディアから、いや世界中から原発事故のあった現場であり、「被災者」として扱われる。
毎年3月になると世界中から記者が訪れて「被災者としての記憶」をえぐられる。
ロッコク沿いに住む人には「原発事故への恨み」が無いと世の中的には「つまらないやつだな~」ってなってしまうんだ、、(悲しい話だよ、)
でも、川内さんの視点は違っている。
「後悔や怨み」ではなく、今を、そして未来に視点を置きながらそこで生きている(原発事故後に住み着いた人もいる)日常を切り取ってくれた。
本当に知って欲しかった事、を描いてくれているように感じて心が震えた。
本書の中で楢葉町に住む、元原発職員のエピソードは特に異色だ、
東電の職員も地元の住民と触れ合っているんだ、心を寄せているんだ、と言うことに改めて気づかされた。
まさに壮絶な経験があった事に心が痛む。
ロッコク沿いの住民の未来が明るく照らされますように、
そう願うばかりだ。
今度、自分もロッコクを訪れてみようと決意した。
川内さんに感謝だ! -
Posted by ブクログ
本書は、福島県浜通り周辺の住人に「何を食べ、どう生きているのか」のエッセイを公募し、話を聴きまとめたもの(「群像」連載の書籍化)です。原発事故その後を「食」を通して伝える秀作でした。
福島県沿岸部を縦断する国道6号(ロッコク)。原発事故から11年を経て全線通行可能になるも、ロッコク沿いの町では、現在も浪江町、双葉町、大熊町に帰還困難区域が残っています。
川内さんは、何度もロッコクに通いながら、あの時のままの廃墟や全く別物に変わってしまった景観の移り変わりを見て、ふと思います。「みんな、何を食べ、どう生きてるんだろ?」‥‥本書の始まりです。
単に震災前の暮らしや食を懐かしむ姿勢でなく、今の生活の断片を集め、その地に生きる人たちの生の姿・声を掬い取っています。戻って来た人、移住して来た人など、様々な事情を抱えた人の声からは、確かな血の通った息遣いが感じられます。
住人への距離感の近さや積極的なコミュニケーションの取り方は、野次馬とか不謹慎と批判する向きもあるかもしれませんが、この川内さんの姿勢こそが、被災者へのよそよそしさの壁を取り払い、距離を縮めている気がします。
実際にお邪魔してご馳走になるところまで関わって初めて、その人の食の裏にあるこれまでの、そしてこれからの人生を聴き取れたのではと感じました。
川内有緒さん4冊目でしたが、いずれも著作テーマへ迫る視点が独特で、その発想と前向きな姿勢に感心します。好奇心がその原動力になっているのでしょうか? 本作は、2025年度 Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞しています。
15回目の3.11がやってきます。圧倒的な震災の爪痕の闇を消すことはできませんが、ロッコク周辺の再生・未来の小さな光を描いた本書は、新たな人同士のつながりと食の滋味の温かさをもたらしてくれました。いつか訪れてみたいと思います。 -
Posted by ブクログ
「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」の著者の有緒さん。目の見えない〜が好きだったのでこちらも読んでみようと手に取りましたが、なんと!素晴らしい本です。
福島での原子力発電所の事故の後、なおもその近くで今現在も生活されている方々の様子、そして「ロッコク・キッチン」のタイトルからも分かる通り、そこでの食事が綴られています。
福島は行ったことがなくて(函館新幹線で通過だけ)原発っていうものもどこか遠い世界、言ったら申し訳ないけれど関係ないことのようだった。けれど、この本を読んで少し考えが変わりました。福島(大熊町、浪江町)で起きたこと(原発の事故の跡)は自分の目で見てみたいと思いました。あと、電気を当たり前のように無駄遣いしたくないと思いました。その犠牲になった人を初めて知ったから。 -
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白鳥建二さん。2004年、東京の府中の森であった本田健さんの講演会の帰り道、杖をついた男性が前を歩いていて「大丈夫ですか?」と声をかけたのですが、その方が、この本に登場する白鳥建二さんでした。
何か手助けをしたくて声をかけた私ですが、逆に帰り道が分からなくなった私を駅まで連れて行ってくださり、乗るべき電車まで案内してくれました。その後、私の職場まではるばる来てくださり、目の見えないことや点字のことを教えてくださいました。
東京で助けてくれた白鳥さんが、映画の主人公になっていて、元同僚の方が「映画に出ていたのは、あの白鳥さんじゃない?」と教えてくれたのがきっかけで、この本と出合いました。
アートをどうやって見るのか?見えるのか?
不思議な気持ちでページをめくりました。
著者と白鳥さんのやりとりが楽しく、目が見えても見えなくてもアートを楽しめることがわかりました。
福島の、はじまりの美術館にもいつか行ってみたいです。
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Posted by ブクログ
仕事になるかならないかまだわからないような段階だったけど、福島の復興に関する仕事をすることになるかもしれなかったので、実際に浜通りに行ってみた。
この本は、その浜通りエリアをタテに走る国道6号線こと、ロッコクを舞台に、今浜通りに住む人が何を食べているのかを取材した本だ。
読み終わって、明るいとも暗いともちがう、強いて何か言葉を当てはめるなら切ない、というような気持ちになっている。
実際にみた光景もいくつか描かれていて、そこの空気感もなんとなく想像できて、余計に胸に迫る。色々な想いを抱えた人が当たり前に存在していて、何かを一つに決めきれないことの難しさを、そして決め切らないでいいと、それをゆったりと受け入れることの難しさを感じる。でもどこまでいってもそれが事実で、私たちは浜通りにいようがどこにいようが、そういういろんな想いを持ったもの同士が同じ時代に同じ地球で暮らしてるのだ。そういうことに尊さと切なさとだからこその強さみたいなことを思った。
もうすでに懐かしい。本を読んで、懐かしさがもっと、来る。また行きたいな、浜通り。