朝倉かすみのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ著作初読みです
文体、密度、とても読みやすく
一気読みでした
50歳の男女、中学の同級生が
それぞれ一度は故郷を離れて
結婚も離婚も経験し
地元で再会する
再会からほんの一年ほどの間に
お互いがお互いの中に深く深く根をはる
やがて病魔がしのびより
これは悲恋なのか
避けられない終わりであるなら
もっと甘えて良いのではないか
一緒に居ても良いのではないか
残される方はこれでは悲しみから抜け出せないのではないか とか
一方ではこれ以上甘えられないとか
わからなくもなく
とにかくもっと一緒にいようよ
だってそうしたいんでしょ?
わからんでもないんだけど
と伝えに行きたい
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Posted by ブクログ
高齢者達の課題本輪読朗読型読書会のお話
最年長92歳、最年少78歳、平均年齢85歳の超高齢読書サークル「坂の途中で本を読む会」
・会長(大槻克巳):この会の発足から会長を務める。八十八歳
・シルバニア(三田桃子):副会長。元中学校の先生。八十六歳
・マンマ(加藤竜子):会計。八十二歳
・蝶ネクタイ(佐竹均):元中学校の先生。シルバニアとは同僚だったことがある。八十六歳
・まちゃえさん(増田正枝):会の最高齢。九十二歳。「明典」という息子がいる
・シンちゃん(増田晋平):まちゃえさんの夫。付き添いで入会。七十八歳
伯母のやっていた喫茶店を引き継ぎ、読書会の世話をする事になった安田
小説を出版したが、今は書けなくなっている
そんな、老人六人と若者一人の読書会
コロナ禍を経て3年ぶりに再開した会の課題作は、佐藤さとる『だれも知らない小さな国』
このシリーズは有川ひろが佐藤さとるさんが存命な時点で続きを書いていたりする
私はまだ読んだことないのだけど、興味はある
老人たちの間で噂される「おみとりさん」
助かる見込みのない患者の元に現れて安らかな死をもたらしてくれるという
そんな存在をコロボックル物語の作中のキャラに重ね合わせて解釈していく
「坂の途中で本を読む会」
言葉の印象から、上り坂を思い浮かべたけど
後半で、下り坂である旨の発言があって、確かにと納得した
果たして、私は今上り坂だろうか?下り坂だろうか?
年齢的にはまだまだ安田の方に近いのだけど
精神的には老人たちに近い気もする
私が参加しているいくつかの読書会でも、老人や高齢者と言っても差つかえないような方も何人かいる
そんな人達の特徴とも、この登場人物達のキャラ造形に共通点を感じるところがいくつかある
もしかしたら、私もいずれそうなってしまうのかもね
死の影は作中でそこかしこに散りばめられている
でも、そんな死が順当にやってくるとは限らない
こんな老人たちではあるけれども、ある意味で羨ましさを感じる
私ももっと年をとっても、いそいそと読書会に出かけている気がする
こんな読書会があったら生きる気力の一つに成りえるかもね
朗読という行為がもたらす効果
黙読とは違う、朗読者の想いなども感じてしまいそう
今は読書もオーディブル対応の書籍も増えて、音声で聴くという選択肢も選べるようになった
黙読と朗読の視聴は違った読書体験になる気がする
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本を読み、人生を語る。
人が生のままの姿になり言葉が溢れだす。
そんな幸福な時間をぎゅっと閉じ込めたい、という願いが込められた物語です。
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小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。
月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉は今年で20年目を迎える。
最年長92歳、最年少78歳、平均年齢85歳の超高齢読書サークル。
それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡は一度だけで伝わることもない。
持病の一つや二つは当たり前で、毎月集まれていることが奇跡的でもある。
なぜ老人たちは読書会を目指すのか。
読みが語りを生み、語りが人生を照らし出す。
幸福な時間が溢れだす、傑作読書会小説。
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Posted by ブクログ
ネタバレ直木賞受賞作発表までに直木賞ノミネート作品を全部読む、をしたが本作の前半の、(ふゆの宗様に対する官能的な妄想もわたしは苦手であったが)宗三郎の露悪的な性的搾取が読んでいて辛すぎて途中で辞めてしまったら、なんと本作か受賞し、受賞からしばらくして1週間かけて再度読み直すことに。
権力と障害に潰されるしかない女の人生だが知性と仲間の存在によって立ち向かっていける
女しか書けない、本当にすごい作品である、読後強く生きていける力が、まさにふゆの中のウニコールのように自分の中にみなぎる感覚、そんな読書経験はいつぶりだろうか。
外装を外した装丁画がかっこよすぎる、ふゆの全身の痘痕はこうして見えるんじゃないだろうか。入れ墨を入れたみたいに、ふゆの内からふゆの知性と精神性の強さの現れとしてウニコールがふゆの身体の表面に現れているみたいな。
長くて時代的な読みづらさのある文章、だけど本当にかっこいいと思う一文がいくつもある。けれどわたしは最後の一文を誰に向けて言ったものと理解すべきかが解らなくて惜しい -
Posted by ブクログ
ネタバレ色々あって、人生が後半にさしかかった大人の恋愛。
恋愛の物語ではあるが、それだけではない。ハッピーエンドで終わらない。最初から、青砥くんの相手の須藤さんが亡くなったことが描かれるからだ。
離婚、親の介護、都会から地元へUターン、お金、仕事、ままらない人生を生きている。
そもそも再会は病院の検査がきっかけ。リアリティがあり過ぎる。
丁寧な心情やリアリティのある日常が描かれるが、何か乾いた、ドライな空気感を読み進めるうちに感じる。
須藤さんの入院、治療、求め合う気持ちとすれ違う思い。もどかしく感じるし、不器用にも感じるが、ふと我にかえると、そもそも人はそんなに器用ではないのだ。
一日一日、青砥くんや須藤さんのように人は丹念に生きていくのだ、楽しいことも、悲しいことも、辛いことも、喜びも悲しみ、さまざまなことに向き合いながら。
単なるラブストリーではなく、深みのある物語だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレつらい、、、、、
最初に結末がわかってるから読み進めるほどにつらい。
「はい、来年の六月」と言い聞かせて、待ち続けて用もない病院に通って「須藤に会いたい。「青砥」と呼ぶ声が聞きたい。すがたを見たい。」と思って、そしてこの結末を迎えた青砥の気持ち、苦しすぎるよ。
須藤も頑固にならずに残された時間を一緒に過ごしたらよかったのにと思うけど、結局、過去の過ち?があるから幸せになったらいけないって強く太く信じちゃってる、そういう須藤の性格ゆえ致し方なかったんだろうな。そしてそんな性格だからこそ青砥も惹かれ続けたんだろうな。
須藤が愛らしいって思うのは終始わたしたちが青砥の目線で見てるからかなと思った。
「忘れないために覚えたのではなかった。青砥の目が勝手に覚えようとしたのだった。西武の美々卯で温かいうどんを食べたとき、うどんから立ちのぼる湯気に「むは ーん」と擬音をつけた須藤の口元も、ホームで電車を待つあいだ、「青砥、今日、うちに寄ってくんでしょ?」とたしかめた須藤の目つきも青砥の目は覚えたがった。」
覚えたがった、っていいな。愛するひとの仕草ってほんの小さなものでも忘れられなかったりするよね。
感情を具体的な他の光景で説明するのが上手で、丁寧に丁寧にわたしたちは2人の愛の過程を見せてもらって、そして一緒にその結末に苦しんだ。
「太い」と形容されるだけある須藤の好きな言葉:
※たぶん須藤だからなんだろうけど、無意識に日プの須藤紗暮ちゃんの顔立ちで思い浮かべていた(年齢全然違うのに)
「や。単に好きだったから。どうしても欲しかったんだ」
泥船だけど、わたしの船じゃん。わたし、船頭じゃん。漕いでいたいんだよ、自分で。でも、みっちゃんが言うんだよ。『あたしが潰れそうになったら、お姉ちゃんは生活保護受けたらいいよ』って。『身内』ってそんながんばんなきゃならないものかね。わたし、みっちゃんをそんなにがんばらせないと生きていけないのかね。