朝倉かすみのレビュー一覧
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幼い頃に疱瘡で痘痕が残ってしまった賢い姉のふゆと、のぼせ(痙攣とか発作でもなく、突然取り憑かれた状態になる?)を抱える妹のりよという美人姉妹の物語。それぞれ親戚のおじの計らいで奉公先が決まるものの、1人はその若さ美しさゆえ、1人はその痘痕ゆえに男主人に強姦されるところから人生の歯車が違う方向へ走り始める。
私が思うに書かれているテーマは3つあって、一つ目は女の性は女が決めるという考え。これは産医を継いだふゆが目指す「子の星」となる考え方だが、my body my choiceを江戸時代という男尊女卑どころか長男のみが日の目を見ていた時代に実現したら…という話なのかなと思った(実際にこんな女性がいたのだったら素晴らしいなあ)
二つ目は運命とは、自分の人生とは、という主題で、とある登場人物はこれを籤引きに例える。しかし当たりくじを引いたのであれば、自分の運の良さ、引き寄せの力で片付けていいが、障害や病というものまで自己責任で「引き当てた」人のせいにして良いのだろうか。置かれた場所で咲きなさい、は置かれた場所がそこそこ良ければいいが、持病や障害の責任を本人に負わせすぎではないか。そんな考えもよぎって考えてしまう。
三つ目はこれはあまり私は作者の意図するところを十分理解できていないのだが、ふゆが「ガストホイス」(療養所)を設立するきっかけとなる洋書と、その背景にあるキリスト教的世界観だと思う…禁書であるはずのポルトガル語、スペイン語、そしてオランダ語の本をチュウ太という登場人物が諳んじることができるという文脈でその内容が出てくるのだが、神だろうか病というか運命だろうかの前においては、何人も平等で、何人も治療を受けられるという西洋の考えに作者は共感したのだろうか。それがこの時代では、勝手に孕まされて勝手に堕される立場であった貧富に拘らない女性に差し伸べられる手である、ということか。そこにはリンボという子供の死後の世界とinfiernoという地獄も描かれ、なまじカトリック的世界観は馴染みのない世界ではないので、ふむふむと思いながら読んだ。 -
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読んだ後に本屋のカバーを外すと装丁が素晴らしいことに気がつく。けんぐゎい(圏外)である主人公のふゆ達を表現しているのだろうと思うが、ふと、ふゆを「けんぐゎい」と言い、ふゆを手籠にした彼こそ圏外で、宗三郎の事でもおかしくはないなと思う。
江戸時代の話。ふゆは縹緻(きりょう)良しで頭も良い子で、おっかあは玉の輿にのると思っていたが、6才の時に疱瘡に罹り、見た目が悪くなった。ふゆは手習い所に手伝いに行くようになり師匠にも認められるようになる。師匠は養子(後継)に美しい宗三郎を迎える。ふゆは宗三郎に恋焦がれるが、宗三郎はふゆを手籠にして、ふゆは妊娠する。
宗三郎は妻のほのをはじめとして「けんぐゎい」である見た目が悪い女たちにしか性的に興奮しない。しかも子どもは残したくない。
ルッキズム、社会的地位、ジェンダーなど、他からは「けんぐゎい」でも、たとえ自らもそう感じていたとしても、それに捉われることなく力強く誠実に生きることが素晴らしく、人生を成功させる鍵であることを噛み締めることができる作品。 -
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ネタバレオーディブルで。すごく好き、ヨルゴス・ランティモスみたいな感じ。全身疱瘡のエマ・ストーンみたいな。シスターフッド時代小説。「かぐや姫の物語」の帝と鬼滅の童磨を合わせたような胸糞悪さ10000%みたいな男が出てきてはらわた煮えくりかえるけどきっちり復讐は遂げる。ふゆとけんぐゎいっ子たちで築いた理想の産院は妊産婦と赤ちゃんのためのコクーンであり、生と死のテーマパークともいえるような。下にはちゃんとインフェルノ=地獄が用意されていて垂れ流しの欲望のまま女を犯すうえ妊娠出産・赤子の生き死にまで支配しようとする男を私刑にしてバラバラにしてそこへ送り込む。そりゃそうだ、そこまでしなきゃ安心できないよな。心の中のウニコール(ユニコーン)という架空の生き物を自己肯定の根拠にしているのがとてもいい!自己肯定とはそういうものであってほしい。ここだけ陽気な極彩色なのもランティモス感ある。ふゆが傷つかないようにとウニコールの声が引き止めるけど振り切って飛び出しちゃうシーンはつらかった。それがヒーローの本質のはずなのに。暴行シーンなどは本だったら閉じてしばらく読めなかったかもしれない。スイスイいけたのはオーディブルだからこそっていうのもある。ナレーターさんがすごすぎた。おもしろかった!
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これぞ直木賞!
醜女をヒロインにして成功した小説はとても少ない。美女をヒロインにすれば「誰もが振り返る美女」と書くだけでだいたい想像できる。
しかし、醜女を魅力的に描くには筆者の描写力が必要になる。そこがさすが朝倉かすみ先生である。
この「けんぐゎい」のヒロインふゆは、全身にあばた(痘痕)のある醜女として描かれているが、だからと言って心が美しいとかコミュ力に秀でているとかそういうわけでもない。
自分の内面のコンプレックスと向き合い、いわゆるフレネミーな家族や友人たちと受け流しながらつきあい、目立たぬように毎日を過ごしていく。
その日々に起きた事件が、ふゆの運命を変えていく。
けんぐゎい(圏外)のふゆがたどり着いた天職とは…
エロもグロもあり、映像化は不可能と思われるので、ぜひ本でこの文章を感じてほしい。 -
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直木賞受賞、朝倉かすみさんの本。受賞作ではなく、少し前の本を読んでみた。朝倉さんの本では「田村はまだか」という、こちらもやはり高校の同級生の交流を描いた本が面白かったが、今回も同様にとても良かった。昔好きだった人との再会を経て良い仲になるのはよくある話だが、この本では二人は離婚歴があり家庭を崩壊させた経験がある。両親の不倫や離婚、親の介護、自分自身の病気とも向き合いながら、なんとかその日を生きている。高校時代のキラキラした、瑞々しい時代がまるで幻のよう。そんな50代の心のひだの奥まで、もっというと、そのひだに溜まった垢のようなパサパサしたつまらない感情みたいなものがこれでもかと描かれている。そんなパサパサしたものでも大事で妙に共感できることが多い。こういう描き方ができるってすごい才能だし、受賞作のけんぐあいは全く異なる背景なので読んでみようと思いました。
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超高齢者(平均年齢85歳!)の読書会の物語。
最初は、すぐ気分を害して怒鳴りつけたり、空気の読めない発言をしたり、何度も思い違いの混じった同じ話を繰り返したりする老人たちに、冷やかな、そして自分もいずれそうなるのかと怖いような気持ちで読んでいた。語り手である喫茶店店長(ちょっと自意識強めの28歳)の視点に共感しながら読み進めた。
でも、仲間と本を読み語るときだけは、自分らしい、1番いい自分でいられる、そんな場所が彼らにとっては読書会なのだ。わかる。と思った。
読書会って、そうだよね!
老いへの怖さは、本人達が1番感じている。理性を失い、身体の自由を失っていくことを恐れながら、その気持ちを冗談交じりに言ってみては明るく笑って、月1回の集まりを楽しみに生きている。そこには心温まる、というだけでない切実さを感じた。
歳をとることが、ちょっとだけ怖くなくなったかも。本当の自分でいられる仲間さえいれば。 -
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中年という枠も後半に差し掛かっている今、老後をどのように過ごすのかは、私にとってかなり関心の高いテーマだ。正直、健康に楽しく老後を過ごせるイメージはあまりなく、自分の気力や体力があるうちに、自分で人生をたたみたいとすら思っている。
そんな老後観を持つ私にとって、本作で描かれる、人生の最終盤で楽しく集まる老人たちの存在は、とても明るく、素敵な営みに見えた。
彼らを見つめる若年層もとても優しい人たちだし、心理描写もすっと腹に落ちてくるような言葉が多く、深く共感しながら楽しめた。私にとっては、シリアスになりがちなテーマをコミカルに、そして温かくまとめた素敵な一冊であった。 -
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安田松生(やすだ まつお)28歳、小説家(いちおう)。新人賞をとって、1年後に単行本を上梓したものの、ある出来事がきっかけで小説を書くことが怖くなってしまった。今の仕事は、叔母の美智留(みちる)から引き継いだ『喫茶シトロン』の雇われ店長。
美智留がとりわけ心を砕いて安田に託したのは、月に一回例会が開かれる、「坂の途中で本を読む会」という、老人ばかりの読書会だった。
読書会の老人たちは、とても個性的。歳をとると「濃く」なるらしい。
安田は心の中で愛称をつけた(増田夫妻は例外)
・『会長』大槻克巳(おおつき かつみ)88歳。元人気アナウンサーだったので、常に自分に注目を集めたい。誰かがその場の空気を支配したりすると不機嫌になる。
・『シルバニア』三田桃子(みた ももこ)86歳。元、中学の先生。みんなが騒いでいる時にシビアな一言を発する。良くも悪くも空気が変わる。
・『マンマ』加藤竜子(かとう たつこ)82歳。彫り深くハスキーボイス。イタリアのマンマっぽい、ってこと?
・『蝶ネクタイ』佐竹均(さたけ)86歳。元中学校の先生。お堅い。いい人だけど少しつまらない系?
・『まちゃえさん』増田正枝(ますだ まさえ)92歳。最年長。「明典(あきのり)」という息子のことを繰り返し話す。妄想も入っている。
・『シンちゃん』増田晋平(ますだ しんぺい)78歳。正枝の夫。付き添いで入会。いい人だと思う。
読書会のテーマ本は、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』
本の読み方は人それぞれだが、老人たちの頭の中は常にお迎えが近いことで一杯らしく、本の中に出てくる得体の知れないものを、「おみとり(看取り)さん」や死神に結びつけてしまう。どうしてそっちの方向に曲がるの?という方向に曲がるのである。
そして、「読む会」は今年20周年を迎え、記念事業として、これまでの歩みをつづった自叙伝のような冊子の発行と、公の場での「公開読書会」を計画している。比較的しっかりしている蝶ネクタイとシンちゃんは、自由すぎる老人たちを二人だけで引っ張っていくには不安があり、安田に協力を仰いだ。というか、全面的な協力というか、事実的に丸投げというか。
「有る程の 菊抛げ入れよ 棺の中(あるほどの きくなげいれよ かんのなか)」という夏目漱石の俳句を会長が引用した。
読みの会のような活動をして人生を楽しく過ごすことは、自分の棺桶に自分で花を投げ入れるようなものかもしれない。道を間違えず、ちゃんと冥土に行けるようにと。
とても刺さるくだりだった。
自分もこれから、自分の棺桶の中に少しづつ花を投げ入れていこうと思った。いつか、花いっぱいの棺の中に横たわれるように。
今書いているレビューも、その一本の花になるのだろう。
安田は読書会に参加するうち、自分の中によみがえる面影を感じるようになる。