大崎善生のレビュー一覧
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第2回広島本大賞
第13回新潮学芸賞
素晴らしい棋士がいたのですね。
命懸けで将棋に向き合い、真っ直ぐで、頑固者で、でも憎めないキャラクターの村山聖さん。
多くの人から愛されて支えられていたことに胸が熱くなりました。
特に師匠の森さんが献身的に世話をしていたことには驚きましたし、村山さんを大切に思っている様子がよく伝わってきました。
子供時代の入院生活の辛さは計り知れませんが、病気だったからこそ、将棋だけを追求する時間をとことん過ごせたことで才能を伸ばせた一面はきっとあると思います。
子供の強みを伸ばす子育ては理想だけど、現実的には好きなことだけをやらせているわけにはいきません。だけど、子どもが好きで自主的にやることは本当にその子の強みになるんだなと村山さんが証明していると思いました。
将棋のことは全くわかりませんが、とても厳しくてタフな世界のようでした。
出歩くこともままならない体調でも、体に鞭を打って対局に望む姿勢には凄みや執念を感じ、プロ棋士村山聖の生き様に胸が震えました。 -
Posted by ブクログ
いつこの本を読んだんだっけな。20代の、一人暮らしの部屋、そして大学の近くのカフェ。記憶があいまいで、記憶のそこに手を伸ばすように、インターネットで検索した。なんとかフィッシュ、、タイトルが出てこない。そして、大崎善生の本作品を探し当てて、読んだ。なぜか、この本が記憶に残り、そして今なんとなく読むべきだと思った。本とは本当に不思議なものだ。
読み始めてすぐ、この本の本質、つまり出だしにびっくりした。体の中に記憶を沈めておく湖のようなものがあり、時としてその記憶に手を伸ばし、こぼれ落ちてしまう。まるで水をすくっているような感覚で記憶をとらえて、その記憶は決して戻らないこともある。本作は、こうした過去の記憶を手ですくって、こぼれ落ちていく中でも、記憶と共に生きていくしかない人間を描いているものだからだ。
田舎から出てきた主人公の男、小さなエロ雑誌の出版社で雑誌、週刊エレクトの編集者になった彼には、川上由紀子という女性との出会い、孤独を埋めてくれた存在だった。大学一年生とは、そういう絶望的に感傷的な時期だったのかもしれない。川底から出てください。私とあなたがあった意味、付き合った意味は、そういう何か自分の中に起こるケミストリー、心臓を鷲掴みにするような感覚、失った時に呆然とぽっかりと穴が開く感じ。そして、愛が本当だったら、またどこかで出会える。そういう話だった。記憶を剥がせないシールと表現するように、ビタッと張り付いて剥がすことができないもの、忘れたくても忘れられないもの。アクアリウムの中と、部屋の中の自分、その対比の中に、記憶の水の底と船の上の自分をリンクさせている。
風俗嬢の取材を通して、痩せてしまって精神的にも追い詰められた、自分の部屋に飛び込んできた可奈ちゃんを、2週間介抱して、彼女が出て行った時に置いて行ったのが、ドッグフードとアジアンタム。アジアンタムブルーという次作にも繋がるくだりがあったりして、改めて2度目か3度目かの読書だけれど、改めて心を抉っていくような鋭さと優しさと透明感を持っていると思う。 -
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ネタバレパイロットフィッシュ
「人は一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人気には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶と共に現在を生きているからである」という文書から、この本は始まります。
アダルト雑誌の編集者をしている主人公山崎のもとに、真夜中に電話がかかってくる。声だけで誰かを理解する主人公。それは大学時代の彼女である由希子だった。
由希子は、かつて山崎が就職で苦労していた頃に、編集者として勤める文人出版を探してきた女性であった。また、大学に馴染めず、アパートの一室で沈んでいた山崎を救い出した女性でもあった。
電話の話の中でパイロットフィッシュの話を由希子にする山崎。パイロットフィッシュとは、水槽の環境づくりのために一番最初に水槽に入れる魚のこと。
由希子と電話から、かつての自分を想起し、いろいろなことを思い出す山崎。
2人はプリクラを取るために新宿駅南口で待ち合わせをすることになる…。
個人的にはとても難しくて、残酷な結末の本だな、と思いました。一度巡りあった人とは二度と別れられない。時として、バイカル湖のように、心の深いところから記憶が湧いてくることがある。それが懐かしい記憶であったり、心の支えだったりすることもある。場合によっては、パイロットフィッシュのように誰かが環境を支えてくれていたことに気づくこともある。
でも、時として誰かが作り出した生態系から逃げ出せず苦しむこともある。由希子のように。
人は巡りあった人と二度と別れることはできない。そう尻尾とちぎれた犬が尻尾を追いかけるように、いつまでも同じところを回り続けているのかもしれない。
どうしても、人は同じ過ちをしたり、過去の辛い記憶や人間関係から抜け出せないことがある。
そのことをこの小説は想起させます。 -
Posted by ブクログ
大崎善生作品の中で、一番のびのびとしたほんわかヒューマンラブコメディ。
大崎作品の中で、これほどコメディ色が強い作品は珍しい。
一番、大崎さん自身を生身で感じられる、まるで大崎善生さんと旅をしているかのような作品。
大崎作品の中ではトップレベルに読みやすく、またふんわりとして温かい。
それでいて、キュンキュンする。
「スワン・ソング」とは正反対で、この登場人物である冴えないのか冴えてるのか分からない、"のしイカ"のようにヒラヒラとした"おじ"に、淡く鮮烈に恋する読者は少なくないのではなかろうか。
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恋というものは、
人間の一番性的な部分と、一番プラトニックな部分が一つにつながっている部分を刺激する。
メビウスの輪なのか螺旋状なのか、本来相反する二つの本質ががっちりとつながっている部分。
大崎さんはこの作品で、それを描いているように思う。
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大崎善生作品の「ディスカスの飼い方」に出てくるハイコプレハのように、「ロックンロール」で登場人物が云うように、
"意味もない海底の石をめくってはめくり、
焦げ付いた鍋の底を磨いては磨き、
人生でいつの日かレンブラントの大作のような作品に挑めるように、
片方のポケットに小石を入れて、
諦めず、悔やまず、振り返らない、
何があっても最後まで生き抜く"
そんな人生にしてゆきたい。
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Posted by ブクログ
難病ネフローゼのため、29歳の若さで逝った実在の棋士、村山聖(さとし)の生涯を描いた伝記的小説。
松山ケンイチ主演で映画化もされました。
5歳でネフローゼを発病してから常に死と隣合わせでありながら、羽生善治、谷川浩司を倒して名人になりたいと、命がけで将棋に打ち込んだ聖(さとし)。
「勝たなければ意味がない」と勝ちに拘った聖(さとし)が本当に勝ちたかった相手は、羽生でも谷川でもなく、病だったと思います。
そして、病に勝てる筈がなかった。
この作品を読みながら、「生きるとは何か」を考えずにはいられませんでした。
そして、私なりに考え、
「生きる」とは「夢を持つ」ことではないかと結論に至りました。
夢と言っても、
「世界的な大作家になりたい」などという人生の大目標のような夢ばかりではなく、
素敵なお洋服を着ておしゃれしたいとか、
新しく出来たレストランでお食事したいとか、
旅行したいとか、推し活とか、
我が子の成長とか、
そんなどこにでもに溢れている夢。
聖(さとし)も、
「名人になりたい」という、
執着にも似た夢の他、
北海道に行って自分の目で雪を見たい、
本を読みたい、少女漫画を読みたい、
牛丼は吉野家でなければ絶対ダメ、
という、小さな「夢」がいくつもあり、
ネフローゼでありながら決して諦めなかったのです。
夢を失くすということは、「生きている」のではなく、「死んではいない」ということではないのか。
聖の29年という短くも激しく濃密な人生を読み終え、そんなことを考えました。
映画は公開時に観ており、暗いテイストでしたが、原作を読むと村山聖は、病気ではあったけども家族や友人と深い絆で結ばれており、みんなに愛された幸せな人だったのではないかと思います。
将棋が好きでない人にとっては読みづらい内容かもしれませんが、多くの人に手にしていただきたい1冊です。 -
Posted by ブクログ
村山聖という人間の生き様は、力強く、涙もろく、暖かで優しく、楽しくて、いつまでも面白い。
悔しいんだろうな。と、随所で感じた。
読んでいる私にはどうしようも出来ないからなのか、私も悔しい気持ちになっていた。
応援したくなる。
もう、彼はいないのだと本を閉じてから思った。将棋会館のどこにも村山聖はいない。
本を読み終わってから寂しさが込み上げてきたのははじめてだった。
今、この時代に彼が生きていたのなら、
どうしただろうか。その答えは、数々の棋譜に残されているのではないのだろか。私たちには時間がある。ゆっくりと村山聖という人間を知りたいと思いました。