大崎善生のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
現代日本の作家である大崎善生(1957-2024)による作品。2001年。本書を読み終えてから、作者がすでに他界していることを知った。
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いまの自分というのは、これまでに出会ってきたいろんな人たちや文物たちや体験たちといった諸々からなるモザイク画のようなものではないか。自分の中にいろんな誰かたちが生きているだけではなくて、自分もいろんな誰かたちの中に生きていて、そうやって自分と誰かたちとは互いに浸透しあっている。「一度出会った人間は二度と別れることはできない」というのは、なるほどそうだと思う。
それは必ずしも思い出だとか記憶だとかということではない。忘れてしまったからといって、すでに深く浸透してしまっている誰かたちが自分の中から消えてしまうことはないだろう。誰かたちの影は突然ヌッと出現するのである。それが元は誰かのものであったということを忘れてしまっていることはあるかもしれないが。例えば何かの拍子に、誰かの言葉が突然思い浮かぶかもしれない、それが元は誰かたちの言葉であると思い出すことのないまま。例えば何かの拍子に、誰かの口癖が突然口を突いて出てくるかもしれない、それが元は誰かたちの口癖であると思い出すことのないまま。例えば何かの拍子に、誰かの趣味が突然自分の好みになって現れてくるかもしれない、それが元は誰かたちの趣味であると思い出すことのないまま。例えば何かの拍子に、誰かの思想や選択や決断が突然自分の生き方として選び取られるかもしれない、それが元は誰かたちの思想や選択や決断であると思い出すことのないまま。
言葉だとか感情だとかいうものは、実は自分のオリジナルであるなどと言えるようなものではなくて、どこまで行っても伝聞的なものでしかないのかもしれない。誰かの言葉、誰かの感情、というように、もはや人称代名詞でもって限定することができない、いわば不定人称的な言葉であり感情であり、しかもその不定人称が、実はいつかのどこかにおける自分の痕跡でないとは言い切れない。いつかどこかの自分が、誰かたちを経由して、また出会い直されたのかもしれないではないか。時間によって雑多な諸々の重なり合いがいっそう混淆されて、もはや何が誰のものであったか遡行することも無意味になり、ついに人称が抹消されていくのかもしれない。
しかしそれは、自分が自分の外部にある何かに支配されてしまっているというのとも違う。その何かには、すでにその何かに浸透してしまっている自分も含まれているかもしれないから。自分と自分の外部との対立、という構図が、たぶん違うのだと思う。
時間を生きるということは、自分がそうした雑多な諸々による細密なモザイク画になっていくことであり、そこには生きられた時間が跡づけられている。
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これは、以前読んだ平野啓一郎の分人主義の考え方と通じるところがあるように思う。
自分というのは、一見すると何か純粋な唯一無二のもののようでいて、その実は、こういった、それ自体ですでに雑多な諸々同士の、さらなる重なり合いのことではないかと思われてくる。にもかかわらず、本当はそんな雑多な諸々の重なり合いであるはずのものが、妙に凝り固まって、何を勘違いしたのか純粋という観念を遡及的に作り上げて、アイデンティティなどと名乗り始めるあたりから、話がややこしくなるのではないだろうか。
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どんなに深い絶望であっても、それが言葉だとか音だとか色だとか運動だとかによって再現前されると、ともかくもそうやって再現前されたという事実だけによってすでに、幾分か救われる思いになる。おそらくそれは、そうやって名前が与えられて、その名前によって他の誰かに呼ばれる可能性に開かれたからであり、それによって、なるほど依然として絶望には違いないが、少なくとも絶対の孤立ではなくなったからであろう。ここに、友や文学の存在理由があるのではないか。
そしてその友的なるもの、文学的なるものは、自分を構成する無数のモザイク、誰かたちの言葉として、すでに自分の中にいてくれているのではないか、という気がする。自分の中にいる他者たちが、孤立した自分をどこかへと開かせてくれている、という気がする。
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「年月とともに失っていくものがあるのと同時に、それとともに生まれてくる感覚だってあるのではないだろうか。」(p245)
「自分を信じろ、そして由希子と子供をつくれ」(p126) -
Posted by ブクログ
幼少の頃から重い病を背負い、残された時間と競うように愚直にそして無邪気に将棋に向き合い、29年という短い生涯を駆け抜けた村山聖。時は命なり。
ただ漫然と生きている自分を省みて、色々と感じさせられる一冊。
父親が寄せた後書きに綴られた、村山聖本人の言葉が胸に沁みた。
「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」
「人間は常に主観的で、自分自身の痛みでしか他人の痛みを理解できません。ですから体に障害があったり重い病気の人の気持ちを真に理解することはありません。哀れみも同情もありません。常に対等という意識です。・・・ネフローゼということを短所と思うよりも長所と思い、人と違った人生、変わったおもしろい人生が歩めるくらいの気持ちが大切だと思います。・・・もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかし力いっぱい走る体験より、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」 -
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audible92冊目。
今まで何度も書店で手に取ってきたのに、ずっと後回しにしてきて、ようやく読めました。
読もうと思っていたきっかけさえ忘れていたのですが、たぶん、松山ケンイチ主演で映画化されて…だったような。
天才棋士といえば藤井さんの活躍がめざましいですが、元祖は羽生さん、のイメージでした。
が、羽生さんと同世代にもう1人、こんなにも素晴らしい棋士がいらしたのですね。
どうして知らなかったのだろう…
将棋界に入ってからもかなり病気に苦しめられていましたが、ただ、闘病生活があったからこそ将棋に出会い、とことん将棋と向き合えたともいえるのですよね。
そこがなんとも、複雑です。
大崎善生さんの作品は、ずいぶん昔に『パイロットフィッシュ』を読んだだけだったのですが、こちらの作品でデビューされていたのですね。
実際に将棋界に関わっていた方だったとは知りませんでした。 -
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ネタバレ大崎善生さんの小説『アジアンタムブルー』。
大崎さんの代表作だと私は思います。
主人公・山崎隆二と恋人・続木葉子との出会いから別れ、そして彼女の死後の再生までを描いています。
山崎隆二は、東急百貨店の屋上で1人過ごしていた。そこで中川宏美という女性と出会い、過去を話しだす。宏美は、夫が宏美の友人の女性とともに電車に飛び込んだという。
隆二も色々なことを思いだす。
友人に万引きに巻き込まれ、デパートのガードマンに叩きのめされたこと。高校生のときの美術部の先輩である美津子との情事のこと。ヌードモデルとして職場に来て、泣いてしまって脱げなかったモデルのユリのこと…。
山崎隆二はアダルト雑誌の編集者として働く33歳の男性でした。ある日、SMの女王として知られるユーカの紹介で、新進気鋭の写真家・続木葉子と出会います。葉子は水たまりを主題とした独特の写真を撮影しており、その芸術性と人柄に惹かれた隆二は、彼女と恋人関係になります。しかし、葉子は旅行中に倒れ、末期の癌と診断されます。余命わずかと宣告された葉子の願いを叶えるため、二人は南フランスのニースへ旅立ち、そこで最期の時を共に過ごす。
葉子の死後、隆二は深い喪失感に包まれる。そして、冒頭のように東急百貨店の屋上で立ち尽くすことになる。
ではあるが、彼女との思い出や出会った人々との交流を通じて、再び前を向いて歩き始める。「憂鬱の中から立ち上がったアジアンタムだけが、生き残っていく」という葉子の声を頼りに。
阿部寛さん、松下奈緒さん主演で映画化もした作品です。人の喪失と再生を描いている名作だと思います。
「憂鬱の中からしか掴めないものがある。それをこの手にしっかりと掴むのだ…」
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ネタバレ大崎善生さんの『ロックンロール』
主人公の作家の植村は、第2作目の小説執筆のため、パリ近郊のポートオルレアンのホテルに滞在しています。そもそも彼は、熱帯魚の雑誌の編集長をしていたが、高井という編集者が彼を訪れ、口説き落とし、小説家にしたのだ。植村のデビュー作は評価が高かったが、2作目の筆が遅い。そのため、ヨーロッパに来訪し、小説を書くことにしていた。しかし、それでも筆が進まず、焦燥感に苛まれる日々を送っている。
植村は、彼宛に送られてきたCDをふと思いだす。ジョージハリスンの『All things must pass』。送り主の名前に心当たりはない。
ではあるが、20歳の頃、ジョンレノンが亡くなった夜、ロック喫茶で出会って一夜を共にした女性、そしてその女性とのセックスを思い出していた。
そんな中、突然、ある女性がポートオルレアンの彼の部屋のドアをノックする。名前は石井久美子。彼女の登場により、植村生活に変化が訪れる…。
物語は、レッド・ツェッペリンの名曲を背景に、パリで繰り広げられる恋模様を描いていきます。
と言ってもなんだか美しい恋愛小説というわけではなく。
笑ってしまうような縺れた人間関係。
久美子は高井の3人いる彼女の1人ではあるし、久美子は元彼の鏑木との仲も煮え切らない。植村の態度もはっきりしない。
響いてくるのは植村の好きなロックンロールのメッセージ。ロックンロールの小さな石を握りしめて、歩いていこう。どんな哀しみにも対抗できる魔法の歌。
相変わらず、大崎善生さんの文章は表現が美しく、流れるようでとても読みやすいです。