井上荒野のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
これが、姉妹でなかったとしたら平凡な話なのだろう。いや、姉妹であっても平凡なのかもしれない。「姉と、妹夫婦。残酷なかたちしかしれない幸福がある」と、帯には書いてある。残酷なのに幸福なわけは、たぶん姉妹の隣、すぐ隣にある死。だとしたら、幸福は生そのものなのだろう。
姉の椿の狂おしいほどの愛情はなんだろう。迅人への愛ではない。妹・杏への愛情だ。椿は、杏の半身であることをやめない。杏の半身としてしか生きられない。椿が愛してやまないのは杏その人であって、杏もきっとそうなのだろうと思う。迅人はあくまで、姉妹の愛情をつなぐだけの役割にしか過ぎない。男の身勝手さを描いているようで、彼は彼である必要はない。杏を深く愛するからこそ、椿を愛する。椿が杏の姉だから、と迅人はいう。まるで迅人がふたりの女を動かしているかのように見えるが、最後に疲れ果ててしまう迅人は、姉妹にすべてのパワーを吸い取られてしまったのだ。姉妹の愛を完結させるだけの迅人。
親の血が流れている、と椿は自分を醜く思う。そうであれば、杏だって醜いはずだ。だけれど、杏こそが神聖化されている。つまりは、椿は自分を愛する手段が杏を愛することであり、杏を愛する迅人を愛することなのだ。すこしずつでも、外へ気持ちを向けようとしたってうまくいかない。一方、杏は外に気持ちを向けられるのに、うまくいかない。
結局、男は消費される。それがわかっている男はどれだけいるのだろうか。いや、迅人のようにわかっていない男ばかりだろう。男は女を消費しているように思っているかもしれないけれど、真に消費されるのは男なのだ。 -
Posted by ブクログ
「ズームーデイズ」は主人公が8歳年下のテレビマン、ズームーと同棲していた30歳からの7年間の様子を振り返る形で描いたものである。
恋愛渦中にいる間もどことなく冷めているのだが、さらに冷めた視線で当時の出来事を描いている。
過去に新人賞受賞しデビューしたものの、最近では小説を書けないでいる女性作家が主人公である。
妻子ある男性カシキとの恋愛を続けながらも、テレビの司会に起用された時に知り合ったアシスタントディレクターのアルバイト、ズームーと同棲する。
主人公はズームーを「愛そうとしてみる」のだが・・・。
やがて彼女は父親(全身小説家・井上光晴氏)と同じくがんの宣告を受ける。
父親は宣告を受けて1年後に再発、3年後に亡くなった。
自分の命もたぶん、父親と同じくらいだろう。
宣告を受けて悲嘆にくれるかと思えば、かえって「生きる価値のない人間から先に死ぬ」のだから、死んでも別に構わないと諦観している。
2人の男と恋愛しながらも、どこか自分を掴めないでいて「暴走」したり「突然、何かを始めたり」する様が切ない。
また、亡くなった父親を「父神様」とし、父神様の思し召しでこうなった・・・などと随所に描かれるところを読むと、「ああ、父親が死んでも二世の軛から逃れられないんだなあ」と二世作家の悲哀を感じさせる。