舞台の上で、観客席で、誰もが自分自身の孤独と向かい合っている。誰も入ることのできないその場所でしか存在できないものを、ステージ上の輝きに、客席に落ちた暗闇に、見出している。そんな、自分だけの「舞台」との関係性をそっと覗くような短編集でした。
指紋のついた羽
縫い子さんと少女の距離が、ラ・シルフィードの浮いた爪先と地面の距離なのかも知れない。その空間は青年のことを拒否したけれど、少女に手紙を届けて、ボビンケースの中の縫い子さんを守っている。得難い断絶となって二人の世界を包んでいる。ちょっとすれ違って、でもちゃんと心を通わせあっている手紙のやり取りが長く続きますようにと祈らずにいられない。
ユニコーンを握らせる
主人公があり得なかったもう一つの時間について思うとき、その両手は完全な姿になたユニコーンをしっかりと握り込んでいるんだろうと思う。その手の中で、ローラおばさんはいつまでも凛とした姿、張りのある澄んだ声のまま、青年紳士を待ち続ける。主人公が時折思い出す限りは、ずっと。
おばさんは永遠になれたんだきっと。
鍾乳洞の恋
あまりにもすごくてちょっと怯えてしまった。
秘めていた恋の発露としてそんな表現をするんですか!?でも、室長から見た虫のような生き物はちっとも醜くなんかなくて、むしろその小さな体の隅々まで愛おしさに満ちているのだと思うと、いじらしくてたまらなくなる。オペラ座の怪人テーマでこれが出てくるの本当に...恋愛ものとして完璧に限りなく近い作品なのでは。
ダブルフォルトの予言
なんか分からないけど泣いちゃった。キラキラした空間、夢のような時間には終わりがあるから、それそのものを求めてしまっては行き着く先は地獄になる。前半の心地よさはじわじわとすり減っていって、千秋楽で溢れてしまった不安と恐怖と孤独はもう取り返しがつかない現実として残ってしまったんだろうな。でも失敗係はいない。空想の世界を守るための失敗係は、現実には存在しない。79公演分の時間の重さが本を通して伝わって、やるせなくなってしまった。
花柄さん
花柄さんとサインをくれた役者の関係は、花柄さんが立つ一人だけの舞台の花柄さんという役者に対する観客、ということになるのかな。ほんの一瞬だけ、サインをする時間だけ、その人は花柄さんのことを考える。花柄さんだけを見る。それって舞台に立つ演者を見つめるのとおんなじなんだ多分。花柄さんはベッドの上で、もうこれ以上ないほどの観客をその下の空間に引き連れて、拍手喝采の千秋楽を迎えたに違いない。
装飾用の役者
舞台のセットで生活するとだけ聞くとかなり楽しそうではあるけれど、それを上演しなくてはならないとなったら、どうだろう。本物になってはいけない、というのはかなり難しいんじゃないのか。爺さんが敷地内に造ったものを全て偽物にしたのは、自分にとって、自分にだけ本物であって欲しかったからなのかなと思う。そのための役者として、なるほどコンパニオンの彼女はこの上なく適任なのかも知れない。
いけにえを運ぶ犬
はじめのファゴットの音から呼び起こされる後悔。ふとしたことで思い出してしまうどうしても忘れられない嫌な記憶には身に覚えがあるので、読むごとに羞恥心が募って困った。春の祭典の進行と交互に語られる思い出は、力強い楽器たちの音色と妙な静けさの記憶が絡み合って異様な雰囲気を漂わせていた。犬の目に映る自分がこっちを見ている、多分、永遠に。
おばあちゃんのお話がすごく好きなのであと50話くらい教えて欲しかったな。
無限ヤモリ
本物の舞台である芝居小屋が廃屋になっているの、彼女が初めから得られるものなど何もないことを象徴しているみたいですごく嫌だった。すごい。代わりに何もかも偽物であるジオラマの中では、子供達がこれ以上ないほどの幸福に包まれているというのだからもう、何から何までやるせなくて、すごく好きです。