ほのぼのとしていて優しい、江國香織さんのエッセイとどこかしら似ている雰囲気です。
本書は、神戸新聞でのエッセイのタイトルをそのまま使っているそうですが、このタイトルの意味が終始気になっていました。
この謎は、あとがきで説明されていました。郷土岡山の敬愛する内田百閒さんが関係しています。
小説家の
...続きを読む観察眼は凄いなといつも感じますが、こんなことを考えながら見てるのかと思ったのが、病院の待合室の赤ちゃんの話。
自分の耳をずっと触っている赤ちゃん。
私だったら、たぶん耳がかゆいのかな?くらいにしか思いません。
ところが、小川洋子さんが見ると、
「こんなところに…」という感じで、耳たぶを折りたたんだり、引っ張ったりしている。
適度に芯があるのに柔らかく、複雑な輪郭を持ち、自在に形を変えてもすぐまた元に戻る。
「いったいこれは何なんだ」
この世に生まれてまだ何カ月もたっていない人間が、大きな謎と直面した瞬間に私は立ち会っている。
となり、同じ光景を見ているのに見えている世界が違ってきます。
このエッセイには、阪神タイガースや岡山県のことが出てくるので、個人的な興味が惹かれ読みやすかったです。
また、ご本人の小説に関係する逸話もずい分ありました。
「ことり」のモデルになった文鳥の"ブンチャン"は8年も生きた。
「ブラフマンの埋葬」ほど、のびのびと書けた小説はない。
「最果てアーケード」は、小さい時の思い出から。
とか「琥珀のまたたき」や「小箱」についても書かれていました。
「きかんしゃやえもん」は、最も多く声に出して読んだ本で、なぜかというと… とか、好きな本のエピソードも何冊か紹介されています。
きっと、小川洋子さんに関係した本を何冊か読んでみたいと思うでしょう。
最後の方に「みんな気を付けて!」というようなことが書かれていました。
誰もが経験あると思いますが、私自身が今でもそうしそうになることです。
『小説を読んで、わけが分からない、とつぶやきながら表紙を閉じることは、よくある。
分からない=つまらない、となり、ピンと来ない、退屈、共感できない、認めない、意味不明……。
さまざまな言葉で芸術は否定される。
若い頃は自分もそうだった。自分が基準で理解できないと感じた時点で自分とは無関係と決めつけていた。』
『自分の価値観だけを物差しにして、他者を容赦なく切り捨ててゆく"ツイッター炎上"のニュースは気分が暗くなる。』
みな自分基準で生きているに違いないですが、自分を正当化しすぎる姿勢は、自分を小さな世界に閉じ込めることになりそうですね。