青木真兵のレビュー一覧
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・交換価値が本質的な価値とされているが、使用価値を忘れてないか?
・資本主義は経済が回るように、無料や低単価が市場に回るのを避ける傾向にある。マーケティングによって無料の美しさが、周囲の中で低いものとされることが多々ある。これは知っておきたい。
・労働や紙幣は生を生きるための交換を円滑にするものだったが、投機や利潤追求の手段として肥大化しすぎた。→経済は社会から独立してしまった。
・資本主義を内面化してしまうと、誰かに必要とされなければ価値がないと思ってしまいがち
・組織内で評価されて初めて価値が生まれるという考えに陥りやすい現代で、存在の尊厳をあたたかく見守れる力も持ってたいな
・労働力を商品化し、他社ニーズによって駆動する市場原理の中で目指される自律の先には共生ではなく孤独がある。
★他社ニーズに応えることから立ち上がる近代的な個人ではなく、自己ニーズに基づく手作りから生まれる過剰をお裾分けし合う、この強制の先に自立した個人がある。
→他社にギブするために最強になると豪語するが、最強の意味を「資本主義社会の中で他社ニーズに応え、交換価値を上げること」にしてしまうと、自分の理想とするものとは離れて行く。
→「自己ニーズに向き合い、どんな厳しい資本主義自分の存在の尊厳を認めてあげ、自己充実の余剰分をお裾分けすることで与えられるギブ」を目指していきたいなあ
ただ、資本主義ど真ん中で戦ってる以上、交換価値を高めたうえで個人的には上記の考えを大事にしていたいな
ちょうどよく生きていこう! -
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ネタバレ当たり前のことに立ち戻らせてくれる本。
「世の中は商品で構成されている」ことや「別の原理が働く世界」に蓋をしていることに立ち止まらせてくれる本。自由の幅の広さを示してくれる本でもあると思う。わかりやすく言うと、世界が広がる感じ。
土着とは、
第1章
自分にとっての「ちょうどよい」を見つけ、身につけること。
資本の原理が支配する世界ではない別の世界に好きな時に移れるようになること。
自分の感性を「手づくり」すること。
第2章
その状況に応じて適した手段を選べること。(都市に住みながら地域社会の中で生活することなど)
自分にとっての「ちょうどよい」を見つけ、手放さないこと、そのためには手段を選ばない
第3章
二つの原理を併せ持ち、折り合いを付けて生きていくこと。
第4章
「逃れられない病」のこと。「目を背けようと思っても背けられないもの」、「分かっちゃいるけどやめられない」こと。自分にとっての「自然」
その他、
社会の外を認識するために地に足をつけることが大切なんだけどそのきっかけが自分の感性というところが面白いと思ったし不合理な条件(例えば山村での生活)が誘発してくれることも面白い。
手づくりのアジールも読みたい。引用が多かったかな。 -
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(2022/1/8)
2020年、まだコロナ第2波くらい、オリンピック延期、という段階で書かれたアンソロジー。
日本の知性が集結している。多くの方が参加している。
読み始めたとき、それぞれのお名前の横に簡単な肩書しか書かれておらず、
もう少し人物紹介すればいいのに、、、と思ったのだが、巻末にまとめて紹介されていた。
この本は中高生向きなので、それぞれの著者を知らない可能性が高く、人物紹介が長いとかえって予断を持って読み始めてしまうので、避けたのかな、と推察。
私は彼らの著作を結構読んでいるので、背景を知って読むとより立体的に読めた気がする。
一つ一つのコラムにコメントをするのは野暮なので辞めておくが、一番心を動かされたのは、雨宮処凛さんのコラム。
ペット連れの要生活保護者をどう支援するか。役所は「犬を処分してから来い」と言い放つ。
確かにその考えは自分の頭の中にもある。生きるか死ぬかの状態で支援を求めるのにペットなんて贅沢!と。
しかしその一方、モノではなく生きているペットを捨てる、殺すなどできるはずもないと、、、
我が家にも猫がいるが、極端に憶病なので、地震で避難所に行くことになったらどうなるのか?いやそもそも避難所が受け付けないか、、
話戻ってそうした人を支援する彼女たち。当然お金が必要。これをどう集めるか。
自分は寄付できるか?
日ごろ人の役に立ちたい、などと言っていても、そこに目が向くか。
反省。
それに関連して、ベーシックインカムに注目するコラムもいくつか。
クソ面白くない仕事をAIに任せる。
イギリスをダメにした高福祉、働かなくても食えることに劣等感、感情を持たせるようにしたサッチャー。これは今の日本にもある。生活保護を受けづらくする。
しかし金はあって暇がある、という状態が様々な文化を生む側面もある。
オリザさんも別の切り口ではあるが、不要不急の芸術の必要性を訴える。
・・・もしAIが何でもやってくれて、富がうまく社会に分配されるようになれば、人々は金のためにあくせくするのではなく、本当に人の役に立つために、自分の好きなことをして働けるのではないかな。
なまじ労働が貨幣価値に代替されるから、怠ける人が出るのでは、、、
いくつかのコラムからそんなことを感じた。
あ、それと、「椎名林檎になるための方法を教えてくれるのはどこの学校か?」と真剣に聞く大学生がいたという話は衝撃的だった。増田聡さん。
正解が学校にある、と思っている日本の教育システムの膿のような話。
。。。しかし、こういう本があるということは、日本の知性が捨てたもんじゃないことの証でもある。希望はある。
こんなコロナ禍ではあるが、前を向いて生きていきましょう! -
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現在のシステムの潮流でのカタストロフィの生じる前の方向転換を撤退論としている。
コモンの再生と撤退ということで、斎藤幸平が、『資本主義から撤退して里山に行くだけでは不十分。何故ならそのままでは、資本主義が里山を含めた環境を破壊するから。』と言っていたところに納得。彼はだからこそ資本主義は止めなければならないという。当方はまだ、サステナビリティは社会という形での対応が必要と思っている。戦争、技術進化などに対応する上で、経済を止め切ることはできないと思うため。
撤退とは、単に行くか戻るかの二者択一を意味しない。そのような二者択一を自分に迫っている世界観とは、全く異なる世界観へのパラダイムシフトを意味しているということである。
難しいと考えているシステムの転換は、現代のシステムの思考の中て考えているから。
そのためには、イメージから先に変われ。かえ?とは、目標わ着地点をへんこうすることではなく、現在流通している思考や、言葉遣いそのものを変えるということに他ならない。 -
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「まえがき」の内田樹の文章の衝撃たるや。
21世紀末には、総務省の中位推定で、日本の人口は4700万人に。7000万人も減るという。
そして、この事実を国は知ってはいるが、「このシナリオを国民に対して開示する気がない」にっちもさっちもいかなくなってから、我々に、さて、「日本は沈みつつありますが、生き延びる手立てはもうこれしかありませんと手の内を明かす」だろうと。
その時には「強者にすべての資源を集中し、弱者は見捨てる」というシナリオは出来上がっている…。
そうだろうと思う。そうなのだ。たぶんもう出来上がっているのだ。我々庶民はうかうかしてこれからだまされるのだ。
この「まえがき」と白井聡と平田オリザの論考が、特に優れている。この三箇所だけで、この本は⭐️5つだ。
白井聡はあまりにもハッキリとこの本で、誰もがそうではないか?と薄々気づいていたことを明らかにした。「われわれは根本問題の所在をはっきりと認める必要がある。日本の政治が見るも無惨な状態にあるのは、官僚機構が、あるいは政界が劣化しているからだというよりも、そうした堕落を許すどころか、腐敗堕落した勢力をわざわざ選択し、それに権力を与えている有権者の無知と堕落のためだ、という事実が正面から認められなければならない」
とうとう言ってしまった(笑)
ここを読んだ時間が寝る前だったので、その日は寝付くことができなかった…。白井さん!
平田オリザの指摘も示唆に富む。
西洋のリアリズムを情緒、感傷的に読み変える日本文化。
この甘美な情緒が産むものは何か。
せめてソフトランディングできたら、と願う。
兪炳匡の「プランB 」が少しでも実現できたらと思うが、この国はできないだろうな…。
兪さんの指摘、「著者が懸念するのは、現在の日本で生まれ育った人が、欧米諸国に留学ないし就職する際に、『基本的人権の尊重は建前であり、本音では揶揄・否定しても構わない』との言動をとりかねない」こと、さらに、「個人を評価する時に、日本では、仕事をする能力と倫理観・価値観を『足し算』によって評価」するが、「欧米での評価方法は、『掛け算』ですので、差別発言がある限り、高い研究実績を乗じても0以下になり」、「特定の大学だけでなく欧米の大学・政府組織・企業から永久に追放されます」は重く受け止めた。
つい最近、映画人をはじめとする文化人のセクハラに関して、その作品までも追放するのか、という発言が、なんと新聞にまで登場したことが思い出される。
言論人でさえ、足し算に疑問すら持たず、掛け算の発想すらない、その程度の知性が新聞をつくる国なのだなと思う。
今回の「撤退」に関するアンソロジーは、しみじみ読んでよかったと思うが、しみじみ悲しくもなる。
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内田樹さんんが呼びかけて「中高生向き」に書いてもらった,オムニバス本。わたしが知っていた人は6~7人だが,それぞれの呼びかけが面白かった。
本書のメッセージは,30代~70代の年代別に分かれていて,70代なんて,中高生が大人になった頃はほとんど現役ではないわけで,だからこそ,なにを呼びかけているのかが,気になる。
新型コロナによって暴き出された現代社会の矛盾は,コロナ禍が過ぎ去ったとしても,なんらかの修正を迫られるはずだ。会社に行かなくても仕事ができる…と分かったからには,満員電車に乗って会社へ行くこと自体が,すでに「必要なこと」ではなくなってしまった。密を避けることは,過疎地域では当たり前であり,過疎であるわたしの地域で影響を受けたのは「年に一番密になる地元のお祭」ぐらいだ。
指導者たちは,巨大な経済システムの中で,無駄を省くことを第一条件として進めてきたことのツケが,あまりにも大きかったことにやっと気づいたのだろうか。もっとも,10年前の東日本大震災の津波による原発事故のときにも気づいたはずだったのだが…それが,いつのまにか,どっかへいってしまっていた。今回,また,違う形で自然が教えてくれたんだが。
内田さんがいうように,今後の社会は決して楽観的に過ごせるわけではないだろう。高齢化率や出生率などを見ても,その大変さがよく分かる。
じゃあ,今後はだれがどんな社会を作ってくれるのか…いや,君が作っていくんだよ,それは君がやりたいことを選んでやっていくんだよ…というメッセージが,少しだけ勇気を与えてくれる。
60代のお爺ちゃんは,孫たちの世代に何を残せるのだろう。まだわたしにできることはたくさんありそうだ。 -
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ネタバレ近代、前近代、ポストモダンて、何かよくわからない。歴史的時代区分なのか、それに伴う思想的区分なのか。
そういう、人文知の大前提がわかってない状況ながらも、この本で問われている現代資本主義社会への違和感や、そうした巨大なシステムに対してどの様なスタンスで生きることが、より楽しく生きられるのかという思索は非常に心地よく、分かりやすかった。
自然と人との共存というのを、ずっと私自身のテーマにしていたが、その中で社会のシステムをサステナブルに変えていくことと、そのシステムのオルタナティブにして社会の外側に立つことの意義というのを、この本を読んで改めて具体化することができ、また、著者の言う様に両者を行ったり来たりしたいと思った。
持続可能な調達やCSR経営は、資本主義社会を持続可能なシステムに変えていく取り組みで必要だし、他方で、東日本大震災の被災地を訪れて感じた資本主義経済のシステムのもろさとオルタナティブとして地方分散・自給自足の的生活が必要と感じた直感も大事だし、そうした両方のいずれかではなく、両者の間を行ったり来たりすることこそ、自分がしたいことなのだと、この本を読んで理解できた。システムは大切だけれども、システムから弾かれる存在は必ずあって、その弾かれたものが生きるオルタナティブな場が必要であり、そのオルタナティブな場が、システムを相対化していきやすい社会をもたらす。だから、一つの正解・合理性だけのシステムだけではなくて、オルタナティブが必要になるのだ。
こちらの本は、内田樹氏の「ローカリズム宣言」、平川克己氏の「21世紀の楕円幻想論」で知った、社会の在り方、都市と田舎などの二つの原理の焦点を持ち、共存させるという考え方を、実践しさらに両者を行き来することの価値・意義を教えてくれる本であった。自分のやりたいことは、正にこの二つの世界を行ったり来たりすることだということに気づかされて、勇気を頂くことができた。自分も、漸う、やりたいことの哲学的意義を整理し、また具体的な行動方針を明らかにすることができてきた、この頃の中で、本書は自分の考えを整理して動き出す準備を整えるのに役立った。
間を生きるということは、7~3バランスで行動の選択肢を広げてくこと、白黒思考からの脱却ともリンクしていて、認知行動療法的と通じるところがあって面白い。
この本を読んで、気になったのは次の言葉たち。
・ハンナ・アーレントの定義
「労働」自分の生活維持のため
「仕事」世界をつくるため
「活動」他者とコミュニケーションをするため
→自分は、「労働」で自給自足、「仕事」で森林認証、「活動」で地域活性化とブックカフェをやろうと思った。
・社会のあらゆる領域を資本主義理論に置き換えていくと、全体主義的になる
・人は「離床」によって、地縁・血縁というしがらみから自由になったが、個別性、身体性をおろそかにすることになった。そのため、個別性、身体性に根差した土着が必要。
・社会制度や公共秩序に縛られることで、それにそぐわないものが、病気や欠陥として疎外される。そして、ユングのいう「個別化」が進まない。皆が皆、スーパーカーではないのに、皆が高速道路をぶっ飛ばせるスーパーカーの様な働き方を求められている。そうではなく、自分なりに走れる道を自分で探す方が良い。働き方の多様性を考えることが大切。そして、一つの基準(生産性がある)ことだけが大切という価値観を内面化すると、働けない人を殺してしまうことにもつながる。
・自由の本質は、二つの原理を行ったり来たりできること。この自由を手に入れるためには、対立する二つの原理を全く別物として捉えるのではなく、連続性においてみることが必要となります。 -
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古代文字に関わる研究をしている3名の筆者によるエッセイアンソロジー。研究者として生きていくことの喜びと厳しさが伝わってきた。
学生時代の思い出、読んでてほのぼのするようなお話や一風変わった経験談など。
とびきり賢くて、知的好奇心に溢れ、好きなことに没頭する粘り強さをもった素敵な人達が、アカデミックなキャリアを確立するのに苦労していると思うと切ない…。
御三方のお話自体は個人の経験談として興味深いのだけど、おもしろおかしく書かれている訳でもないので、読んでて職場の人の武勇伝や愚痴にがんばって相槌打ってるときみたいな心持ちになってちょっと疲れてくる感じがあった。 -
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古代文字の研究をされている3名の、現在の主な仕事や研究内容に行き着くまでの経緯などを綴ったエッセイ。
古代文字に関する雑学が詰め込まれている本かと思っていたので(そういった話も含まれてはいる)想定していた内容とは少し違ったが、面白かった。
やっぱり皆さん学生時代から古代文明や歴史についての興味が強かったんですね。
あと研究者といっても、自分の興味ある分野の研究に必ずしもありつけるとは限らない、というのは結構社会人と一緒というか、どこの世界もあるあるなんですね。
また、特定の古代人について学ぶために、敵対国の歴史を学び、その国の言語を学び、さらにその言語の元となった言語を学び……と、主題研究のための外堀を埋める作業があまりにも広大すぎて、私ならすぐ放り投げてしまいそうだな、と思ってしまいました。
それほどまでに途方もないことでも、好奇心で追求していく人類って、なんかもう凄すぎる。 -
Posted by ブクログ
仕事と仕事のためのアレコレで終わってしまう日々がしんどくて手に取った本。
まずは自分の求めている在り方を知っていくこと。それを優先して生きること。同時に他者にも他者自身の求める在り方があることを認識し、それを尊重すること。
幼いころから、集団の中で「他者の求めるものを汲み取り、提供すること」を善として教育され育ってきた。しかし、他者が求めるものを他者に差し出す以前に、まずありのままの自分を満たすことを行わなければ、外部の価値観によって自己が毀損され、心身の調子を崩してしまう。
自分も就活から今に至るまで、企業に求められる在り方に過剰に適応しようとし、結果として体調を崩してしまった。今後は他者に重心を置きすぎず、自分と他者を往還しながら、安心できる生き方にチューニングしていきたいと思った。
著者の二拠点生活にも興味が出た。「再現性のあるものではないので」と著者は書いていたけれど、後学のためにも、今はどういうバランスで、そのバランスにどう行き着いたのかも紹介してもらえると嬉しかった。(いくつか著書があるようなので、そちらで紹介されているのかな?)