芥川龍之介のレビュー一覧
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全編を通してどうしても自死狂死に惹かれているのが解る。お金についてかなり悩んでいるのに、身を切り売りするような文章を作っているので苦しそうに感じる。
「蜃気楼」
蜃気楼と真っ暗な海岸でマッチをつけること。夢の中で全く意識していない人が出てくること。意識の閾の外の見えない部分を表現しているんだなあ。
「河童」
河童はファンタジー世界を作っていておもしろい。でも現実の思想、作家、音楽などが浸食している。
「歯車」
私も偏頭痛の閃輝暗点を感じることがあるから、解るぞこの感じ!と思った。歯車とは言い得て妙で動くチカチカするものが終わってくると頭痛が酷くなる。
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Posted by ブクログ
ネタバレ「文芸的な、余りに文芸的な」を取り急ぎ。といって「侏儒の言葉」は前に読んだことがある。
谷崎との論争も気になっていたところだったけど、最近読んだ佐藤春夫の「芥川竜之介を哭す」にあった「しゃべるように書く」話が気になっていたので、それが主な動機w佐藤春夫の文章でも、ヒステリー治療としての側面は取り上げられていたし、その効用はある程度認めるところもあったようだけど、ジャーナリスト的な側面を考えてしまったり、芥川自身の性格もあってか、皮肉に見ている様だった。
総括すると、文学とは何かを芥川なりに考えて出した答え・考えといったところ。だから、読むのにも時間がかかった。正宗白鳥をかなり評価しているのが意外。「死者生者」は読んだことがないので、気になる……(「芋粥」は既読)。
それから、以前芥川の「プロレタリア文学論」を読んだ時、なかなかに深い考察をしているなあと思ったけど、これからの文学としてその発生?動き出し?を認めていたんだなあ。中野重治が出てきてびっくりした。
「侏儒の言葉」もだいぶ前に読んだ切なので、また機会をみて。 -
購入済み
どの視点から見るか
読み終わった後に、誰の視点から読むかで物語の本質が変わってくるように思えた。
地獄屏風の表現はおどろおどろしいが、絵師と娘、猿、御殿様、それぞれの心から読み返すと切ない思いが残った。 -
購入済み
読書って難しい
作者の意図はどこにあるのだろう、
というのが率直な感想です。
面白いと言えば面白いし、
がっかりだと言えばがっかりだし、
ただただ不可解です。
読書って難しいですね。 -
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ネタバレ道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
道徳の与えたる恩恵は時間と労力の節約である。道徳の与えたる損害は完全なる良心の麻痺である。
妄(みだ)りに道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。妄りに道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。
良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造ったことはない。
わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。或は我我の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。
ではなぜ我我は極寒の天にも、将に溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依よったのであろう? より大きい快を選んだのである。しかし肉体的快不快と精神的快不快とは同一の尺度に依らぬ筈である。いや、この二つの快不快は全然相容れぬものではない。寧ろ鹹水と淡水とのように、一つに融け合あっているものである。現に精神的教養を受けない京阪辺の紳士諸君はすっぽんの汁を啜った後、鰻を菜に飯を食うさえ、無上の快に数えているではないか? 且つ又水や寒気などにも肉体的享楽の存することは寒中水泳の示すところである。なおこの間の消息を疑うものはマソヒズムの場合を考えるが好い。あの呪うべきマソヒズムはこう云う肉体的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加わったものである。わたしの信ずるところによれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教の聖人たちは大抵マソヒズムに罹っていたらしい。
我我の行為を決するものは昔の希臘(ギリシア)人の云った通り、好悪の外にないのである。我我は人生の泉から、最大の味を汲くみ取らねばならぬ。『パリサイの徒の如く、悲しき面もちをなすこと勿れ。』耶蘇さえ既にそう云ったではないか。賢人とは畢竟荊蕀の路にも、薔薇の花を咲かせるもののことである。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事のために苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛び込んだ蛙は百年の憂いを破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁いを与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只此の一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。
あらゆる言葉は銭のように必ず両面を具えている。例えば「敏感な」と云う言葉の一面は畢竟「臆病な」と云うことに過ぎない。 -
Posted by ブクログ
芥川の短編「大川の水」、「羅生門」、「鼻」、「芋粥」、「地獄変」、「蜘蛛の糸」、「奉教人の死」、「蜜柑」、「舞踏会」、「秋」、「藪の中」、「トロッコ」が入っている。
芥川なんて最後に読んだのは何でいつというのも分からない。たぶん「トロッコ」は中学校くらいの教科書かなんかで読んだのか、でも話の内容はなんだったのか、ひとつも覚えていない。けど、あるきっかけがあって、読んでみた。タイトルは知っていても、「羅生門」と「蜘蛛の糸」以外は全然内容を知らなかった。実はこの本はもう3週間以上前に読み終わった本だが、今でも面白いと思うものはどれだろう。やっぱり「地獄変」だろうけど、サル好きのおれとしては「地獄変」のサルがやっぱり印象に残っている。サルが最後飛び込んでいくなんて、なんて可哀そうな話なんだ、と思った。後は、どれも面白いけど、改めてどれと言われると正直よくわかんない。そんなことよりも、キリシタンの話から舞踏会や秋みたいな現代的?な話から、藪の中とか蜘蛛の糸や地獄変みたいな話まで、文体の幅がすごいということに驚いた。(18/05)