幸田文のレビュー一覧
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幸田露伴の次女、幸田文による新聞連載をまとめた一冊。
連載が掲載された1959年から早65年超を経ての新装版。
新聞のコラム連載であり、一編の長さは、文庫本のページ数にして約1ページ半と読みやすい。
「幸田家とその周辺で使われていた言葉」に昔の日本語の響きが合わさり、少々手こずる部分もあったが、現代のインスタントなやりとりが中心の世の中より昔の、言葉をより丁寧に紡いでいた時代の女性の筆に、日本語の美しさと奥深さを感じた。
今としたら時代錯誤な言葉もあるが、かつての日本の日常にふらりと触れられるような、ぺらりとめくるとふわりとタイムスリップできるようなエッセイだった。 -
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帯ではなくカバー自体に「アカデミー賞国際長編映画賞部門ノミネート『PERFECT DAYS』で話題の一冊!」と印刷されていた。実際、それだけでこの2年間に6刷もしているので効果あるのだろう。もちろん、わたしもそれで買った。映画の方は、このままいけば今年のマイNo. 1になる。本書は、未だ物語が動き出す前に映画の主人公が寝る前に少しづつ読んでいた本である。つまり、主人公平山さんの信条そのものを現していた本でもあったというべきだろう。
そういう風に読んでみると、幸田文の木々に対する思い出や、態度は、まさにPERFECT DAYSそのものだったような気がする。
いっとき、わたしは野の花に凝ったことがある。県北の瀑布への小径を毎夏通い、「あゝ今年も此処にこの花が咲いている」と確認することを繰り返した。花はひと夏で萎むけど、植物そのものは上手くいけば永遠に近い生命を生きるのだと実感した。「そう思う自分に酔っているのだ」と友だちに批評された通りに、暫く続け、尾瀬に行って雨で酷い目に遭って夢から醒めたようにその趣味は消えた。
映画の平山さんは、ほぼ毎日、ほぼ同じ公園の同じ木の「木漏れ日」の写真を撮り続けて、おそらく数年は経っていて飽きる様子がない。幸田文さんも、えぞ松の更新に生死輪廻を感じ、3代に渡る木花の生育に想いを馳せ、檜に履歴書を見、七千歳の縄文杉の過酷な一生を想う。ほぼ一生をかけて、木々の「秘密」を追っていた。平山さんも、幸田文さんも、木への愛情は、わたしのような一朝一夕のものではなく、本物である。だからこそ見えてくるものがある。
倒木の上にえぞ松は芽を出す。そうすると真一文字にえぞ松は「更新」する。時間にして250年か300年か。「森はゆっくり巡るのだろうか、人があまりにも短命なのだろうか。」
時々出逢うことのある何百年という大樹に向かい、わたしはいつか聴いておこうと思う。わたしはここまで生きて来て大丈夫だったんだろうか?と。
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某所読書会課題図書:碧郎を姉のげんが見守る物語だが、少しやんちゃな弟を病気で活動があまりできない母の代わりをしている感じだ.いろいろな事件が起こるが、男の子がよくやるかっぱらいを契機に不良仲間と付き合う碧郎.げん自身が疑われた万引き事件での彼女の警官に対する態度は素晴らしいと感じた.碧郎がキリスト教系の学校を退学処分になり仏教系の学校に入り、大人らしくなりつつある弟を冷静に見つめるげん.ほどなく弟が結核にかかっていることが分かり、母に代わって看病をするげん.当時満足な治療方法が無かった病気だったので、医師も時間を引き延ばして、何とか生かしておくことしかできず、次第に衰弱していく碧郎.げんの看病で碧郎は満足して旅立ったと感じた.げんの強さが根底に流れるストーリーだと思う.
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花や滝、もっと大きな単位の自然を見に行こうと思ったことはあっても、「木」を見に行こう!と思ったことはないかもしれない。身近な存在なのに。
この本を読むきっかけは映画ですが、読んだことで相乗効果がうまれた気がする。
作者が「木は生き物」という思いが強いというか当たり前のことと思っている。印象的だったのは、台風で薙ぎ倒された木たちを、「集団死傷」と表現していること。
もう殺人事件並み。
そして、「死んだ木」と「木の死んだの」の違いなんて考えたこともなかったけど、木の死んだのは「無垢無苦の天然死」という表現は感覚的にも分かりやすい。
まずは生きている木、屋久杉を見に行きたくなりました。 -
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ネタバレ主人公げんの責任感の強さと愛情深さ、人それぞれがおかれた立場を汲み取る理解力に感心させられる。小説執筆に没頭し、常日頃家族を親身に顧みない父、形ばかりで母親らしい愛情を注げない継母、そして自分の居場所を探し、自由奔放に振る舞うおとうと。げんは、若さゆえになぜ自分を二の次におかねばならぬのか、不満に思いながらも、父、継母、おとうとのおかれた立場や性格を思い、自分しかいないと奮起し、家事や継母の使い、おとうとの面倒を見続ける。読んでいるこちらが焦ったくなるほどの責任感だ。なかでもときに本音を唯一ぶつけられる3つ違いのおとうと・碧郎の不安定さを危惧し、目をかける。碧郎の危なっかしさに、冒頭から不穏な気配を感じざるを得ない。主人公はげんだが、ときに碧郎目線で語られることで、碧郎の危なっかしさが引き立つ。そんな人間模様が展開される景色の描写は、どこか世の厳しさや物悲しさを感じさせる。しかし、これだけの悲壮感を漂わせる要素がありながら、なぜかその先に希望があるのではないかと思わせてくれるから不思議だ。読んでいても悲劇物語だとは思わない。そこには、げんの強さ、さらなる成長、碧郎の持ち合わせた楽観さ、さらには充分な愛着をそそげていないように見える父や継母なりの愛情や気持ちを、げんが汲み取れていることにある。それが滅入るような話に落ち込まないよう、思いやりと強さに引っ張られているからなのだと気づく。その心情をみごとなまでに言語化していて、共感したり、そういう考え方があるのかと教えられたりした。
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高校生の頃ぶりに読み返した。
冒頭の雨の描写から、なんとなくこの姉弟の今後には、暗い影が差し掛かるのでは、と察しがつく。
でもその中で弟の碧郎は、冒頭で見せる姉を思いやる心を終始持ち続ける。
ひとつの映画を見ているように、華美なところのない、写実的な文章だと思う。
げんが両親や弟に対してやるせない気持ちを持ったり、次の瞬間には同情していたり、家族というのはそうやって互いにいろんな感情を持ち続けるのだろうな。
高校生の頃、たしか長期休みの課題図書のうちの一冊だった。
なんとなしに読んでぼろぼろ泣いて、その勢いのまま感想文を書き、国語の担当教師から「そんなふうに心を動かされる本に出会ってもらえてうれしい」とコメント返しがあったのをよく覚えている。
二度目に読んでも碧郎の最期は悲しくて、ベローチェで目をうるうるさせながら、後半は一気に読み終えた。 -
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【40代の今だからこそ、心に残った本】
この短編集は聞こえるもの、みえるもの、匂いなど、五感を意識されている物語だと思いました。
特に表題作の『台所のおと』は、印象的な作品でした。野菜を炒めるジャージャー、鍋を煮込むときのグツグツなどは耳にしていますが、「誰がの台所仕事の音」を意識したことは今までなかったように思います。言われてみれば、この人の包丁使いは音が出る、と思ったことはありますが、そこで終わってました。
また、家族の病気を多く扱っているこの本を、20代の自分が読んでいたら、あまり響かなかったかもしれません。年を重ねて、家族を持った今だからこそ、心に残る短編集でした。
といっても、まだ感想を整理できておらず、何回も読み直して味わう本かなと思います。 -
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偉大な作家の娘が、父の事を書くという意味では現代の阿川佐和子と重なるけれど、またこれが本質的には随分と似ていることよ…片や出戻り、片や高齢結婚という事も何となく被る。
作家であるからして、家にいて書き物をしているという事は、サラリーマンの父よりもよっぽど多くの時間を一緒に過ごしているし、作家という職業柄、知識豊富で、多少なりとも頭でっかちな所があり、一番言いやすい家族には色々な要求をしてくるという共通点が要因とも思える…
それにしても、阿川家も幸田家もなんだかんだ言いながらも、父親を中心とした家庭における楽しい日常がしのばれる。
さて、振り返って自分は子供達に楽しかった、タメになった思い出を残せてやれただろうかと思うと、甚だ心許ない…特に一緒に過ごせた時間が圧倒的に少なかったと反省するが、後悔先に立たずである…
読後、当然のことながら、幸田露伴の作品を読んでみたくなってしまう。こんな感じで死ぬまでの読みたい本のリストが益々大きくなってしまう。欲のかたまりであっても、こればかりは今から達成不可能な目標と諦めざるを得ないな〜…
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ネタバレ主人公の梨花が、傾きかけた芸者の置屋に住込みの女中として働き始めるところから話は始まる。
「くろうと」の世界に初めて入った「しろうと」なのに、右も左もろくすっぽ説明されないうちにこき使われる。
なんと初日は晩ご飯を用意されていなかったのだ。住込みなのに!
梨花は目端が利いて、気働きができるので、次第に主人一家からも通いの芸者たちからも信頼されてくる。
梨花の賢いところは大事なことを見逃さず、出過ぎた振る舞いをしないこと。
誰に対しても公平であること。
彼女の半生については多くを語られないので、戦前は女中を持つ側の奥さんであったこと、家族とは死別したことくらいしかわからない。
多分戦後のどさくさで財産を失くしたうえに、家族の病気治療などで没落していったのかなと想像できる。
先日読んだ『小さいおうち』の時子がもし戦後生き抜いていたら、このような境遇にならなかったとも限らない。
置屋の主人とその娘、姪とその娘という女所帯のうえ、通いの芸者が3人。
元は7人いた芸者が3人に減っているのだけれど、その減らし方もよろしくない。
どうにもお金のやりくりが苦しくて、あちらにもこちらにも不義理を働いている様子である。
けれども「しろうと」の梨花はこの世界に身を置こうと思い決めている。
タイトルは『流れる』。
流されるではなく流れるなのだから、彼女たちの生き様を非難しているわけではない。
ただどうしようもなく時代は流れていき、人は低い方に流れるものなのだ。
物語の最後、女たちはそれぞれに身の振り方を考えていく。
そして梨花にもそれなりの話が来るところで終わる。
いちおうはハッピーエンドなのかもしれないけれど、梨花のこれからがハッピーである保証はない。
タイトルは『流れる』だけれど、流されていくのでも、流されまいと気張るのでもなく、流れを見据えながらそこに根を張ろうとする梨花が主人公というところに納得した。 -
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自分の伴侶が、子供が……いきなり病気になってしまったら……愛や金策、周囲の目、生活に大きな変化が訪れます。
そんな女性たちのショートストーリーを集めた本。1960年代の文章ですが、最近、改めて文庫化されました。
ともかく言葉遣いが洗練されていて、すべてを言わずに、暗喩で「読ませる」のがうまいです。こういう文章に定期的に触れられるといいかなと思いました。
もしわたしが病気になってしまったら…入院して病室に入れられたら、女子としての振る舞いとかは制限されてしまうのか……うちの人はどう思うようになるのか……考えると少し怖くなってしまいますね。これから、若い時分に女性化を進めてきた子達が高齢者施設に入ったり…ということに起因する問題がテレビとかで取り沙汰されるようになるかもしれませんね…… -
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これは、幸田文さんご自身とご家族のことを小説化したと思われる。
生母が早く亡くなり、文豪の父親(幸田露伴がモデル)と継母とげん(文さんがモデル)と弟の碧朗の四人家族。父と継母の仲は上手くいっておらず、継母と子供たちも折り合いが悪い。継母は何とか母の役目を果たそうと努力はするが、げんと碧朗のことをどうしても好きになれないのを隠せない。その上リューマチで家事が出来ない継母に代わってげんが女学生の頃から家事を任されている。
碧朗は中学生になり、不良仲間に入れられ、どんどんグレていくのだが、げんはそれを一番近くで見て知っていても、父と継母には気を遣い相談することが出来ない。碧朗は万引きをして警察沙汰になり、退学して別の学校に転学後、どんどん遊び人になっていくのだが、父親はどうすることも出来ず、碧朗に言われるままに金を出してやる。幸田露伴は文さんには厳しく家事を仕込んだらしいが、息子には弱かったらしい。げんは碧朗が荒れていくのを悲しい思いで見つめながら、親が何も出来ないのを歯がゆい思いでみている。
そんな家庭だから碧朗の体調が悪くなっているのを家族たちは気づかず、医者に行ったときには、相当進行した結核だった。
不和な家庭の中で三つ違いの弟に母のような気持ちで寄り添い、それを疎ましがられながらも、最後には自分の縁談を諦めてまで結核の弟の看病をし続けた、げん。家事も弟の看病もげんに任せきりの父親。リューマチと二人の子供への心の距離から碧朗にもげんにも寄り添えない継母。げんはその真ん中に立って、娘として姉として実質主婦として必死で家族を支えていた。
幸田文さん、厳しい娘時代を送られていたのだなあ。不和な家庭の中での唯一人の姉と弟の絆。微妙な年頃で不良化し、姉から離れていく弟をときには取っ組み合いのケンカもしながら見守り、病気になられれば疎ましがられながら面倒を見、最後には甘えられて、信頼されて看取った。
どんなフィクションよりも文さんの実話を元にしたこの小説を文さんの素晴らしい筆致で書かれると、心にずっしりきた。
幸田文さんの文章はパリっと糊の効いた浴衣のように清潔感があり、美しく、凛として、そして江戸っ子気っ風のようなものを感じるが、それはお父様から譲り受けた文才だけではなく、この小説のなかの“げん”と同じ芯の強さと厳しかった家庭環境と、それでもやはり良家の人が持つ美意識から育てられた文才なのだなと思う。