幸田文のレビュー一覧
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高校生の頃ぶりに読み返した。
冒頭の雨の描写から、なんとなくこの姉弟の今後には、暗い影が差し掛かるのでは、と察しがつく。
でもその中で弟の碧郎は、冒頭で見せる姉を思いやる心を終始持ち続ける。
ひとつの映画を見ているように、華美なところのない、写実的な文章だと思う。
げんが両親や弟に対してやるせない気持ちを持ったり、次の瞬間には同情していたり、家族というのはそうやって互いにいろんな感情を持ち続けるのだろうな。
高校生の頃、たしか長期休みの課題図書のうちの一冊だった。
なんとなしに読んでぼろぼろ泣いて、その勢いのまま感想文を書き、国語の担当教師から「そんなふうに心を動かされる本に出会っても -
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【40代の今だからこそ、心に残った本】
この短編集は聞こえるもの、みえるもの、匂いなど、五感を意識されている物語だと思いました。
特に表題作の『台所のおと』は、印象的な作品でした。野菜を炒めるジャージャー、鍋を煮込むときのグツグツなどは耳にしていますが、「誰がの台所仕事の音」を意識したことは今までなかったように思います。言われてみれば、この人の包丁使いは音が出る、と思ったことはありますが、そこで終わってました。
また、家族の病気を多く扱っているこの本を、20代の自分が読んでいたら、あまり響かなかったかもしれません。年を重ねて、家族を持った今だからこそ、心に残る短編集でした。
といっても -
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偉大な作家の娘が、父の事を書くという意味では現代の阿川佐和子と重なるけれど、またこれが本質的には随分と似ていることよ…片や出戻り、片や高齢結婚という事も何となく被る。
作家であるからして、家にいて書き物をしているという事は、サラリーマンの父よりもよっぽど多くの時間を一緒に過ごしているし、作家という職業柄、知識豊富で、多少なりとも頭でっかちな所があり、一番言いやすい家族には色々な要求をしてくるという共通点が要因とも思える…
それにしても、阿川家も幸田家もなんだかんだ言いながらも、父親を中心とした家庭における楽しい日常がしのばれる。
さて、振り返って自分は子供達に楽しかった、タメになった思い -
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ネタバレ主人公の梨花が、傾きかけた芸者の置屋に住込みの女中として働き始めるところから話は始まる。
「くろうと」の世界に初めて入った「しろうと」なのに、右も左もろくすっぽ説明されないうちにこき使われる。
なんと初日は晩ご飯を用意されていなかったのだ。住込みなのに!
梨花は目端が利いて、気働きができるので、次第に主人一家からも通いの芸者たちからも信頼されてくる。
梨花の賢いところは大事なことを見逃さず、出過ぎた振る舞いをしないこと。
誰に対しても公平であること。
彼女の半生については多くを語られないので、戦前は女中を持つ側の奥さんであったこと、家族とは死別したことくらいしかわからない。
多分戦後のどさ -
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自分の伴侶が、子供が……いきなり病気になってしまったら……愛や金策、周囲の目、生活に大きな変化が訪れます。
そんな女性たちのショートストーリーを集めた本。1960年代の文章ですが、最近、改めて文庫化されました。
ともかく言葉遣いが洗練されていて、すべてを言わずに、暗喩で「読ませる」のがうまいです。こういう文章に定期的に触れられるといいかなと思いました。
もしわたしが病気になってしまったら…入院して病室に入れられたら、女子としての振る舞いとかは制限されてしまうのか……うちの人はどう思うようになるのか……考えると少し怖くなってしまいますね。これから、若い時分に女性化を進めてきた子達が高齢者施設 -
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これは、幸田文さんご自身とご家族のことを小説化したと思われる。
生母が早く亡くなり、文豪の父親(幸田露伴がモデル)と継母とげん(文さんがモデル)と弟の碧朗の四人家族。父と継母の仲は上手くいっておらず、継母と子供たちも折り合いが悪い。継母は何とか母の役目を果たそうと努力はするが、げんと碧朗のことをどうしても好きになれないのを隠せない。その上リューマチで家事が出来ない継母に代わってげんが女学生の頃から家事を任されている。
碧朗は中学生になり、不良仲間に入れられ、どんどんグレていくのだが、げんはそれを一番近くで見て知っていても、父と継母には気を遣い相談することが出来ない。碧朗は万引きをして警察 -
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読み時が来たと言おうか、読むべくして読んだ。
幸田文さんの独特の言い回しの文章が好きで、文学作品のほとんどを読んでいるのだが未読だったので。(あとがきにもあるが「心がしかむ」「遠慮っぽく」「きたなづくり」「ひよひよと生きている」などなどの表現が好きで)
これは「崩れ」という地球地質的現象を文学的に捉えているエッセイである。
昨年は日本の災害の年だったとは、年末からのスマトラ地震の大、大災害のニュースが続いているので忘れもしない。けれどもそれは珍しいことではないだろう、小さい災害が目白押しにくるのが特徴の日本。
時期も時期そんなときに読んだこのエッセイ、感動ふたつ。
日本の国は大風が吹 -
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女の話。
女が女を見る目は鋭い。見逃さない。
夫を亡くして自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなった時、今までの生活とは全く重ならない芸者の置屋での女中を選ぶとは、それまでの人生、いったいなにがあったのか?と気を揉ませる主人公の来し方。
足元すくわれないよう、でも出過ぎぬよう、能ある鷹は爪隠すのスタンスで新しい生活の場でうまくやっていく。
作者は本当に芸者置屋の女中をやったことがあるということだから、内容もリアル。
それにしても女主人が床に倒される場面(熱のある子供がぐずって抱きついてきて)の丁寧な、そして悪意のある、一コマ一コマを切り取るような説明。
また別の女主人の床から起き -
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花街のあるひとつの経営の傾いたお屋敷の話。
主人公は女中の視点から人や金が出たり入ったりする様を一番冷静に見ている。
主人とあまりこころの通じていない場合の「小さなおうち」という感じかな。
このくらいの年代の小説は、人の虚勢や格好のつかなさダブルスタンダードなどを詳細に書き、その上で「まあこのくらいのことは可愛げがありますよね」と好感を持った描写がなされることが多くて、わたしにはあまり馴染まないなと思う。
しかしこの一言では言い切れない複雑な心情はよく捉えられていて、幸田文さんに相対してしまったらわたしは一体何重の心の扉を見透かされてしまうのか…と恐ろしい気持ちになった。
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なな子