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樹木を愛でるは心の養い、何よりの財産。父露伴のそんな思いから著者は樹木を感じる大人へと成長した。その木の来し方、行く末に思いを馳せる著者の透徹した眼は、木々の存在の向こうに、人間の業や生死の淵源まで見通す。倒木に着床発芽するえぞ松の倒木更新、娘に買ってやらなかった鉢植えの藤、様相を一変させる縄紋杉の風格……。北は北海道、南は屋久島まで、生命の手触りを写す名随筆。(解説・佐伯一麦)
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Posted by ブクログ
文庫本の1冊としてはとても薄い、にもかかわらず、内容は濃かった 著者の好奇心と行動力がすごい 言及されているのは50年以上前の風景なので、今では全然違っていることも多そうだけど、それを差し引いても読み応えがあった 機会を見て、また何度か読み直したい 欲を言うなら、専門家の解説があったらもっと理解が...続きを読む深まったように思う ただ、エッセイ集であることを考えるとそれがありなのかどうかよくわからないので(個人的にはありだが)、手元で検索しながら不明を補うことにする 新潮文庫の100冊2025
2-3年前から登山を好きになった自分にとっては、木や山をもっとちゃんと見たいと思わされる本だった。 が、良かったのはそこじゃない。 なにより、幸田文の書く文章である。根が土中にそれを張るように、思ったこと感じたこと、あとは彼女の轍がつらつらと放り込まれ、生き生きとしていると感じた。「イカれた」と...続きを読むいったぶっきらぼうだが下品ではない表現を時たま見ると、愛らしさでたまらない。 草木山に対する、背伸びもしなければちぢこまるわけでもない彼女のあっけらかんとした境地に、なんだか救われる。 読書をはじめてから、「出会えて良かった」と初めて心から思える本でした。
薄い本からは想像出来ないほどの清々しさがあった。 幸田文の「木」をタイトルとした15のエッセイだ。 著者の「おとうと」を読み終わり、積読しているこの本を引っ張り出してきた。幸田文のワールドにどっぷり浸かって、なんていい文章を書くんだろうと心地よさでいっぱいだ。 木についてのエッセイは長年コツコツと...続きを読む積み重ねた様子がある。文量は少ないがどの作品もしっかりと主張があるし学びが多い。 解説は佐伯一麦、こちらもこの本と著者について語ってくださる。解説から読んで欲しい…そんな一冊でもある。
いやこの表紙じゃないんだけどね、わたしの持ってるのは。。 『PERFECT DAYS』で平山さんが求めてたのと同じやつ(わたしも彼と同じく古本屋で100円で購入)。その表紙のほうが全然かっこいい。 その昔、幸田文を見つけては買っていた時期があり、買ったものの読んでいなかった作品。上記映画に出てきて...続きを読むびっくりして読んでみた。 いや面白い。幸田文さんは率直だ。素直だ。そのような姿勢で、感じたことをそのままあぶり出すかのような文章が素晴らしく魅力的だと思う。 たとえば、「杉」のこんな文章。 「本当のことを打明ければ、私はおびえていた。おびえているから考えることもなみを外れるし、並外れを考えるから、またそれにおびえる。この杉は、なにか我々のいまだ知らぬものに、移行しつつあるのではなかろうか、などと平常を外れたことを思ったりして、だいぶイカレていたのだが、同行皆さんの厚い好意の手前、感じたままのあしざまはいえない遠慮があり、その遠慮で、イカレをかくした。」 その文章の魅力を、巻末の「解説」で佐伯一麦さんがサマセット・モームの文章を引用し、実に的確に語っておられる。 モームいわく、良い文章とは、育ちがよく、礼儀を尊重し、生真面目すぎもせず、つねに適度であり、『熱狂』を非難の眼で見なければならない、という。 そして幸田文さんの文章はまさにこれに当てはまると。 実に同感です。 ----- なお「木のきもの」を読み、樹皮に興味がわいてきた。 「木は着物をきている、と思いあててからもう何年になるだろう。北海道へえぞ松を見に行ったとき、針葉樹林を走りのぼるジープの上で当惑したことは、どれがえぞ松だか、みな一様にしかみえず、見分けができないことだった。仕方がないので、目的地へついてから、教えを乞うた。あなたは梢の葉っぱばかり見るから、わからなくなっちゃう。幹の色、木の肌の様子も見てごらんといわれた。つまり、高いところにある葉や花にだけ、うつつを抜かすな、目の高さにある最も見やすい元のほうを見逃すな、ということである。そのときに、これは木の装いであり、樹皮をきものとして見立てれば、おぼえの手掛かりになると知った。」 「木は着物をきている」という発想が面白くて、ジョギングの最中、樹皮ばかり見るようになった。もともと桜が樹皮だけでわかる唯一の木だったけど(子どものころ桜の木に登ってたから)、楠を覚えて、そしたら他の場所でも「あ、楠だ!」とわかるようになり、楽しい(字を覚えた子どものよう)。 先日はジュゴンの肌みたいだなぁと思って興味をもっていた木が、「ヤマモモ」だと知る。 わたしは葉っぱを見ずに樹皮ばかり見ているので、葉にも目を広げつつ、少しずつ木の種類をわかるようになっていきたい。
人生を共にしたい本 木の話なんだけど、確実に人間が生きる上で大切なことが書いてある 「人にも木のように年輪があって…」とかどっかで聞いたような生半可な教えではなかった。若いわたしにはまだまだ分からないような核心があった。時が経ったら読み返して、どんな気持ちになるのか知りたい。 文字量は多くないが、...続きを読むその分無駄が一切ない。 こんなに美しい文を久しぶりに読んだ。なんとも言葉では言い表しにくい感覚。 著者の人格、今まで積み重ねてきた人生を読んでいるような気持ちにさせられる。「尊敬」としか形容できない… 書末の解説を読んだら十数年かけられて出来上がった作品とのこと。丁寧にひとつひとつ書かれたものなんだなと、忍耐力にまた感服…
「幸田文 木」この字面だけでもう、手に取らずにはいられませんでした。 幸田文さんの名前は知っていても、著書を読んだことはありませんでした。ある時ふとこの本を見かけ、この潔いタイトルだけで引き込まれてしまったのです。 「幸田文 木」。なんとも気持ちがいいこの字面。シンプルで強くはあるけれど、どこかあ...続きを読むっけらかんとした軽妙さもある。これが「高橋和巳 石」とかだったらもう、たとえ文庫本でも函入のハードカバー本のような重厚さがあるでしょう(何を言っているんだ?) 様々な木との触れ合いを書き、木のあるがままの尊さや、木のある暮らしへの感動を書いたエッセイです。著者の、木への人並みならない想いが伝わります。 綺麗な文章なのにえらぶったところがなく、読んでいて気持ちのいい文体です。着物の襟はピシとして乱れはないけれど、けして肩がこるほど締め付けてはないといったような、芯のある優しさが文章から感じられます。 なにしろ文章が丁寧なんです。いやに丁寧すぎて細いことをちまちま長たらしく書くのでなくて、そこに無理のない丁寧さ。些細なことを誇張して膨らませたような無理な力や、てらいがありません。 「屋久杉を見に行った」はまだエッセイの題材として見せ所が沢山ありそうですが、「古紙回収に古新聞を出した」というだけのことでここまで丁寧かつ豊かな文を書けるのは、著者の感受性の豊かさによるところでしょう。自らの心の動きを丹念にすくい取り、言葉を紡いで、文章を編んでいます。読後の満足度はとても高くて、「いい本を読んだな」と素直に思えます。 とりわけ好きなエピソードは、著者が幼い娘と植木市に行った時の話です。 著者の父・幸田露伴が財布を著者に託して、孫である著者の娘にこれで好きな木や花を買ってあげなさいと言うのですが、高級な藤の鉢植えをほしがる娘をごまかし、二番目に欲しがった安い山椒の木を著者は買い与える。それを知った露伴が著者を叱りつける場面が描かれているのだけど、もう全文を引用したいくらいに、味わい深いワンシーンなのです。 さすがは文豪・幸田露伴、言葉巧みに理屈ぽく娘を問いつめます。淡々とした口調が活字だと余計に短調に感じられて、露伴の恐ろしさが際立っています。要は、金銭的な卑しさによって子どもの感性の芽を摘んでしまった浅はかな行為を厳しく咎めているのですが、その厳しさの裏に、おさな子の感性を育てることをここまで重要視しているのかという、孫への思いが見えるのです。なぜか読んでいる自分が露伴の孫になったような気分になり、露伴じいちゃんに可愛がられて嬉しいような、くすぐったいような気持ちになりました。 老木となったポプラの木が、立木としてのキャリアを終えてマッチの軸木になっていく様を工場に見に行った話も印象的でした。工場に響く機械音のリズムと、コンベアの上を整列して流れていく軸木を見て、阿波踊りを連想し愉快な気持ちになる著者の可愛らしいこと。高い感受性は自分の人生を楽しくする技能だと教えられたような気持ちです。
もっとも好きな本の一つ。木の命が、存在が、迫ってくる。これほどつぶさに描ける感受性、表現力、追い求めて全国へ木を見に行く情熱。何年かけても表現する胆力。心から尊敬しあこがれる。
新潮文庫の紹介文を引用すれば 人それぞれに履歴書があるように、 木にもそれがある。 それを基調として、北海道から屋久島まで 木々を訪ね歩いた随筆集。 映画『PERFECT DAYS』 ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』(2023年公開)では、主人公・平山(役所広司)が日常の中...続きを読むで穏やかに生きる姿が描かれますが、彼が手に取り、繰り返し読む文庫本が幸田文『木』でした 。 幸田文さんは、幸田露伴の次女。 幸田露伴からの木々の教育は受けていたとしても 文章を書き始めたのは、離婚して父を介護し その父の死を契機として。 初出は、丸善の機関誌『學鐙』 どうして、それが今年の新潮文庫の100冊かと 普通なら考えるところ、今作は kumaさんや本とコさんが映画がらみで レビューをされていてすんなり受け入れた次第です。 小説でない作品を読むのは苦手なので 覚書に変えて 「えぞ松の更新」1971/1 北海道、倒木更新 「藤」1971/7 、8 藤をめぐる父親と娘との思い出 「ひのき」1971/ 9、10、11 意思を持つ木 「杉」1976/1、3 尾久島の縄文杉 「木のきもの」1976/4 木の樹皮を着物の柄や素材に見立てる 大井川寸又峡のひめしゃらー羽二重 「安倍峠にて」1976/6 静岡奥地の安倍峠の楓 「たての木よこの木」1976/9 木の死んだの、死んだ木 「木のあやしさ」1977/1 静岡県大谷嶺 各地の崩壊現場の様相 「杉」1977/2 テトラポットへの興味 「灰」1978/1、2 桜島の降灰 「材のいのち」1978/4 斑鳩 古塔再建 材として生き続ける木 「花とやなぎ」1978/5 桜と柳 「この春の花」1981/8 都内の桜 三春の滝さくら 「松楠杉」1982/10 老樹を見て歩く江戸川の松、四日市の楠 福島の杉 「ポプラ」1984/6 ポプラの日本での扱いの難しさ もはや、レビューというより 読んだ証拠でしかない。m(_ _)m 父・幸田露伴の影響 幼いころから露伴に連れられて山や寺社を歩き、木や草に目を向ける習慣を身につけています。文が「木」に特別な親近感を寄せるのは、父との記憶が土台にあります。 「生きもの」としての木への想い 倒れてもなお芽を吹く、伐られても材となって生きる。文は木を「人の一生」と重ね、死と再生の象徴のように見ています。特に「材のいのち」「たての木よこの木」などは、その思想が色濃いです。 老いと死への思索 文が「木」を書き始めたのは60代後半以降。自分自身の老いを意識し始めた時期であり、老樹や倒木を見て「生の余韻」や「材としての生き延び」を考えています。これは作家自身の生き方とも響き合います。 日常生活と旅のまなざし 文の旅は取材や依頼ではなく、自分の関心に基づく小旅行。日常生活に根ざした感受性を持ちつつも、各地の樹木を訪ね歩きます。 女性としての感覚 「木のきもの」に見られるように、樹皮や木肌を布や装いに喩えるのは、文独特の視点です。自然と生活文化を架橋する感覚は、文のエッセイの魅力のひとつです。
作者が折に触れて書いてきた木に対しての15の随筆を死後にまとめたエッセイ集。 作者の深い洞察、素直な視点、少しのユーモアが混じっており、1編1編がとても読み応えのあるものとなっていた。 「木のきもの」という着物の知識が問われる章もあるにはあったが、基本的には知識がなくても読んでいて楽しめる内容...続きを読むとなっており、ストレスなく読めた。 個人的には「ひのき」の章が好きだった。木の歴史というものに触れ人の性格と似た部分があることを匂わせながら、大工からするとどうしようもないアテという材木の頑固者への作者の思いやりのある視点やそれでもヒノキであることを否応なく思い知らされるハードボイルドさが、神妙な心持ちにさせる読後感を残していた。
読んでいると気持ちが凛としてくる 自分が今まで目にしてきたいろいろな木々が思い出される 薄い本で、何度読んでも飽きないので、持ち歩く事が多い
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木(新潮文庫)
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