幸田文のレビュー一覧
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ネタバレ初読みの幸田文さん、文章が始終綺麗でテンポが良く、良い文章とはこういうののことをいうのだな。
面白いかというと、私にとってはそうではなかった。あまり興味が湧かず、読むのに骨が折れた。
全体を読んで感じたのが、作者の共感性の強さ。人よりも圧倒的に木が登場するのだが、人にも木にも、たちまち深く共感して、お節介という言葉が適切かはわからないけれど、その境地まで達する。その温かく何事にも突っ込んでいく作者の様子に温かさを感じ、ほっとさせらた。
解説は、佐伯一麦さん。とても読み応えがあった。
解説の中で、サマセット・モームの『要約すると』が引用されていた。
「良い文章と言うものは、育ちの良い人の座 -
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関東大震災(1923年9月1日)前後の東京を舞台に姉と弟の日常が描かれています。女流作家・幸田文はその時代の空気を丁寧にすくい上げています。
昭和のはじまりを知ることができる名著として、また産業革命と共に広まった結核の猛威を垣間見れる作品としてもオススメ。
初出は1956年1月から九ヶ月間に連載された「おとうと」。私が手にした文集は1959年の活字印刷。旧仮名使いが続出するのでGoogle検索を多用しました。それでも読みやすく、さすがの文学家系でした。
印象に残るのは、主人公の姉は結核を患う弟と喫茶店でアイスクリームを注文する場面です。その直後に写真館で肖像を残そうと姉に提案する罹患者の -
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幸田露伴の次女、幸田文による新聞連載をまとめた一冊。
連載が掲載された1959年から早65年超を経ての新装版。
新聞のコラム連載であり、一編の長さは、文庫本のページ数にして約1ページ半と読みやすい。
「幸田家とその周辺で使われていた言葉」に昔の日本語の響きが合わさり、少々手こずる部分もあったが、現代のインスタントなやりとりが中心の世の中より昔の、言葉をより丁寧に紡いでいた時代の女性の筆に、日本語の美しさと奥深さを感じた。
今としたら時代錯誤な言葉もあるが、かつての日本の日常にふらりと触れられるような、ぺらりとめくるとふわりとタイムスリップできるようなエッセイだった。 -
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帯ではなくカバー自体に「アカデミー賞国際長編映画賞部門ノミネート『PERFECT DAYS』で話題の一冊!」と印刷されていた。実際、それだけでこの2年間に6刷もしているので効果あるのだろう。もちろん、わたしもそれで買った。映画の方は、このままいけば今年のマイNo. 1になる。本書は、未だ物語が動き出す前に映画の主人公が寝る前に少しづつ読んでいた本である。つまり、主人公平山さんの信条そのものを現していた本でもあったというべきだろう。
そういう風に読んでみると、幸田文の木々に対する思い出や、態度は、まさにPERFECT DAYSそのものだったような気がする。
いっとき、わたしは野の花に凝ったこ -
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某所読書会課題図書:碧郎を姉のげんが見守る物語だが、少しやんちゃな弟を病気で活動があまりできない母の代わりをしている感じだ.いろいろな事件が起こるが、男の子がよくやるかっぱらいを契機に不良仲間と付き合う碧郎.げん自身が疑われた万引き事件での彼女の警官に対する態度は素晴らしいと感じた.碧郎がキリスト教系の学校を退学処分になり仏教系の学校に入り、大人らしくなりつつある弟を冷静に見つめるげん.ほどなく弟が結核にかかっていることが分かり、母に代わって看病をするげん.当時満足な治療方法が無かった病気だったので、医師も時間を引き延ばして、何とか生かしておくことしかできず、次第に衰弱していく碧郎.げんの看病
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花や滝、もっと大きな単位の自然を見に行こうと思ったことはあっても、「木」を見に行こう!と思ったことはないかもしれない。身近な存在なのに。
この本を読むきっかけは映画ですが、読んだことで相乗効果がうまれた気がする。
作者が「木は生き物」という思いが強いというか当たり前のことと思っている。印象的だったのは、台風で薙ぎ倒された木たちを、「集団死傷」と表現していること。
もう殺人事件並み。
そして、「死んだ木」と「木の死んだの」の違いなんて考えたこともなかったけど、木の死んだのは「無垢無苦の天然死」という表現は感覚的にも分かりやすい。
まずは生きている木、屋久杉を見に行きたくなりました。 -
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ネタバレ主人公げんの責任感の強さと愛情深さ、人それぞれがおかれた立場を汲み取る理解力に感心させられる。小説執筆に没頭し、常日頃家族を親身に顧みない父、形ばかりで母親らしい愛情を注げない継母、そして自分の居場所を探し、自由奔放に振る舞うおとうと。げんは、若さゆえになぜ自分を二の次におかねばならぬのか、不満に思いながらも、父、継母、おとうとのおかれた立場や性格を思い、自分しかいないと奮起し、家事や継母の使い、おとうとの面倒を見続ける。読んでいるこちらが焦ったくなるほどの責任感だ。なかでもときに本音を唯一ぶつけられる3つ違いのおとうと・碧郎の不安定さを危惧し、目をかける。碧郎の危なっかしさに、冒頭から不穏な
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ひと月ほど前、映画『PERFECT DAYS』を観ました。とてもいい映画でした。役所広司さん演じる平山は、毎日フィルムカメラで木々がつくる"木洩れ陽"を撮り続けます。その一瞬は二度と同じではないと‥。そして平山が読んでいた本が本書でした。
この映画に触発され本書を手にしました。幸田文さん(幸田露伴次女、1990年没)の15篇の随筆集で、92年に単行本が刊行された遺著のようです。ただ、それぞれの初出は1971〜1984と、古いものは半世紀も前の文章ということになります。
草木に心を寄せるのは、心が潤み、感情が動き余韻が残るからと、幸田文さんは記しています。
漠然 -
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ネタバレ映画PERFECT DAYSの主人公平山さんが読んでた本を読んでみようと手に取った本。平山さんは木漏れ日が好きなんだけど、そんな人が読んでそうなエッセイだった。
いくつかの木にまつわるエッセイ集になっていて、難しいかなと思ってたら読みやすい文体。木の表情とか描写が細かくて、一瞬で目を離しそうな風景を1ページ余裕で書かれてる。
読んでるうちにぼーっと眠くなってしまったりして、何回も同じページを読んだりして全部ちゃんと読めてない気がするけど、半分くらいは読めたのかな。
木のことを犬猫とか人間とかと同じくらい好きで、感情持ってる人なんだなと思った。
今まで通りすがりにも気にしてなかった街路樹や遠く -
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幸田文(あや)の15篇からなる随筆集。父は露伴。
樹木に逢って感動したいとの思いから、1971年1月『えぞ松の更新』から、1984年6月『ポプラ』まで、13年半にわたり、北は北海道から南は屋久島まで、実際に見に行って木と触れ合った感想が書かれています。
木は動かないが故に、漠然とただそこに「ある」という感情を抱きがちですが、筆者はそれを「いる」という感情で接している。そのあたりが、木を見に行った先々で会う、木を木材として利用している人たちとの考え方の違いとなっていて、読んでいて興味深かったです(どちらが正しいとか間違っているということではないです)。
内容は、どの随筆も学びが多かったです