幸田文のレビュー一覧
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1960年代に発表された10作品を収録した短編集。
「台所のおと」「濃紺」「祝辞」「おきみやげ」という4作品が、特に良かった。
「草履」は、幸田文の作品には珍しく、ですます調で語られる一人称小説。物語の展開も探偵小説っぽく感じた。
〈食べ物〉と〈病〉に関する物語が多かった。
幸田文の短編を読むと、村上春樹の「牡蠣フライ理論」のことを思い出す。
「あなたが牡蠣フライについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それは
すなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。」(『村上春樹 雑文集』)
幸田文の書く短編はかなり短いものが多いのに、読んだあとには登場人物たちの姿がよく見知った人のように浮かんでくる。
それは、主にタイトルによって予め提示されている事物と登場人物との相関関係や距離感が、要を得て表現されているからだと思う。
本文引用
p12
目に見ずとも音をきいているだけで、何がどう料られていくか、手に取るようにわかるし、わかるということはつまり、自分が本当に庖丁をとり、さい箸を持って働いているに等しいのだった。週刊誌もくたびれるし、ラジオも自分の好みのものをいつも必ず放送しているわけではないし、なによりもいちばん病む心憂さの晴れるのは、台所の音をきくことだった。(「台所のおと」)
p67
いずれにせよ、一番心にかかったのは、くせのある木のいとしさ、くせのある材に多分並ならぬ手間をかけたであろうその人の哀しさ、そしてまたくせを送られた自分は、いったいどういう巡りあわせか、ということ。それは考えてわかることではなく、ただ、三者ともに通じるのは、ふしあわせな環境におかれたとき我慢する能力がある、という点だった。(「濃紺」)
p238
克江さんの記念よ。いつまでも忘れずにいるわ。あたしはハッスルしたがる性質で、ハッスルするのが好きらしいんだけど、気をつけるわ。いつ、どこで、なにを、どのようにハッスルするか、ぴりっと考えて上手にやるわ。きっとあたし、一生ハッスルしていくと思うんですもの。(「おきみやげ」) -
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「幸田文 木」この字面だけでもう、手に取らずにはいられませんでした。
幸田文さんの名前は知っていても、著書を読んだことはありませんでした。ある時ふとこの本を見かけ、この潔いタイトルだけで引き込まれてしまったのです。
「幸田文 木」。なんとも気持ちがいいこの字面。シンプルで強くはあるけれど、どこかあっけらかんとした軽妙さもある。これが「高橋和巳 石」とかだったらもう、たとえ文庫本でも函入のハードカバー本のような重厚さがあるでしょう(何を言っているんだ?)
様々な木との触れ合いを書き、木のあるがままの尊さや、木のある暮らしへの感動を書いたエッセイです。著者の、木への人並みならない想いが伝わります。
綺麗な文章なのにえらぶったところがなく、読んでいて気持ちのいい文体です。着物の襟はピシッとして乱れはないけれど、けして肩がこるほど締め付けてはないといったような、芯のある優しさが文章から感じられます。
なにしろ文章が丁寧なんです。いやに丁寧すぎて細かいことをちまちま長たらしく書くのでなくて、そこに無理のない丁寧さ。些細なことを誇張して膨らませたような無理な力や、てらいがありません。
「屋久杉を見に行った」はまだエッセイの題材として見せ所が沢山ありそうですが、「古紙回収に古新聞を出した」というだけのことでここまで丁寧かつ豊かな文を書けるのは、著者の感受性の豊かさによるところでしょう。自らの心の動きを丹念にすくい取り、言葉を紡いで、文章を編んでいます。読後の満足度はとても高くて、「いい本を読んだな」と素直に思えます。
とりわけ好きなエピソードは、著者が幼い娘と植木市に行った時の話です。
著者の父、小説家の幸田露伴が財布を著者に託して、露伴の孫、つまり著者の娘にこれで好きな木や花を買ってあげなさいと言うのですが、高級な藤の鉢植えをほしがる娘をごまかし、二番目に欲しがった安い山椒の木を著者は買い与える。それを知った露伴が著者を叱りつける場面が描かれているのだけど、もう全文を引用したいくらいに、味わい深いワンシーンなのです。
さすがは文豪・幸田露伴、言葉巧みに理屈ぽく娘を問いつめます。淡々とした口調が活字だと余計に短調に感じられて、露伴の恐ろしさが際立っています。要は、金銭的な卑しさによって子どもの感性の芽を摘んでしまった浅はかな行為を厳しく咎めているのですが、その厳しさの裏に、おさな子の感性を育てることをここまで重要視しているのかという、孫への思いが見えるのです。なぜか読んでいる自分が露伴の孫になったような気分になり、露伴じいちゃんに可愛がられて嬉しいような、くすぐったいような気持ちになりました。
老木となったポプラの木が、立木としてのキャリアを終えてマッチ棒になっていく様を工場に見に行った話も印象的でした。工場に響く機械音のリズムと、コンベアの上を整列して流れていく軸木を見て、阿波踊りを連想し愉快な気持ちになる著者の可愛らしいこと。高い感受性は自分の人生を楽しくする技能だと教えられたような気持ちです。 -
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ネタバレ幸田文さんの本を読むと、小説家ってすごいんだなと心から思わされる。全話良くて、特に『台所のおと』は自分が間近で夫婦のやり取りを見ているかのようだった。文章としては『食欲』のこの部分が刺さった。
ネタバレ
・光るなんてことは自分一人が光っても、肝腎の自分には明るさを見て楽しむこともできはしない、光は自分から外へ出て行ってるんだもの。みんながいっしょに光ってこそ、こっちから人の明るさを見ることができて楽しいだのに、光るべきはずの一緒にいた人がみんな光らなくされて自分ひとり光らされていれば、光の楽しさはなくて、光らされているだけに身動きもままならないつまらなさ、てれくささ。見当違いに褒められていて沙生はぴかぴかひとりぼっちだった。 -
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幸田文...明治生まれの随筆家
その孫が編纂している...本書
『しつけ帖』でその文体に惹かれてまた手に取る。
いい文体です。そしてやっぱり心のひだに入り込み琴線に触れます。
書かれた当時は現代と違い「老い」を意識する年齢が今よりずっと早い(若い)のもそれぞれのエッセイ一編の最後に書かれた時の年齢が載せてあるのも興味深かった。
なんていうのかなぁ〜
心に秘めた、何かいい意味での塊がちゃんとあって、それを通して見聞きして感じたもの、自らの体験をこれまたしみる文章で書かれていて...なんだかとっても「人」なんだよなぁ〜と感じてしまう。
もしかして、これてファンなのかなって...思ってしまう(笑 -
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ネタバレ読みおえたばかりで、もう悲しさにじわじわと打ちのめされてます。人は皆いつか死ぬもので、家族とも永遠に別れる日が来るなんてことは、頭では納得していても、実際に迎えるそれは果てしなくしんどいものだというのを強制擬似体験させられてしまったような気分です。文章の密度が尋常じゃないレベルです。幸田文おそるべし。
『みそっかす』ではシモヤケとおねしょでベソをかいていた碧郎さん(一郎ちゃん)がこんなふうに青春を生きて、いっぱしの口を聞いて、ボートやビリヤードなんか嗜んだりして、若いまま最後を迎えたんだろうかと思うと、なおさらしみじみ悲しくなります。
『みそっかす』には登場する長女も子供のうちに亡くなったのを考えると、これも持って生まれた虚弱体質と巡り合わせの結果だとは思うのですが、やはり、継子ゆえの不幸という気がどうしてもしてしまいます。
いくらリューマチ病みの晩婚後妻だったとしても、義母は家庭を放置しすぎです。せっかくの信仰も現実逃避の手段にしかなってないし、長女に家事だけでなく弟の世話まで丸投げとは何なんですか。主人公げんは今で言うヤングケアラーじゃないですか。この奥様の大人としての責任はどこに行ったんでしょうか。
そもそも父親も父親です。息子が結核で倒れてからは湯水のごとくお金を投入してましたけど、その前に女中さんを雇うなり何なりできなかったのか、本気出すのが遅すぎると、他人の家なのに不思議なほど文句が出てきます。
ただ、碧郎本人は、悪戯っ子精神のままに人生を冒険し、楽しんでもいたように読めました。たくさんの人たちと交流して、最後の最後まで人に囲まれ、美味いものを食べ、家庭は機能不全だったとしても、皆から愛情こめて面倒を見てもらえて、一度も他人からこき使われる事もなく好きな事を好きなだけやれた人生だから、ぜんぜん不幸ではないと思います。どこまでがフィクションで、どこまでが思い出なのかは不明ですが、きっと幸田文さんが書くように精いっぱい生きた人だったんでしょう。
変な男につきまとわれていた姉を、弟がご近所パワーでもって守ろうとするあたりがとても微笑ましかったなぁ。ほろり。
今もまだ、げんと共に、真っ赤な扇子を握りしめたまま呆然と立ちすくんでるような気分です。
なんというか、あまりにも描写力が高すぎるせいで、読み手を客観的なスタンスではいられなくさせられるくらいすごい作家なんだと改めて思いましたし、結核は本当にヤバかったんだなと実感を持てました。ちょっと無理な姿勢をしたり、笛をふくだけで肺が崩れるなど、想像するだけで気分が悪くなりそうです。 -
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めっちゃ面白い。
それからすごく不思議。
1955年に書かれた小説なのに、すごく今風っていうか、
なんかね、すんごい面白いお姉さんのツイッター見てる感じ。
何十年も昔の小説だなんて思えない。
……って考えてたら、高橋義孝先生の巻末の解説でちゃんとした文章で説明されてた笑
「文字によって構成される文章というもののロジックではなしに、話される生きたことばのロジックに従って文章となったというのが幸田さんの文章である。」
それそれ!!!
多分ね、生のことばで書いてあるから、古い感じがしないの。
すっごく新しいの。
今も昔も、人間の思考回路なんてそう変わんないんだなって感じする。
しろうとの主人公の目で語られる花柳界の雰囲気がすごくリアルで面白い。
私は冒頭の「猫だわよ!」と、
駐在さんに出す志那そばをとんでもないところから手渡しするシーンが好き。
声上げて笑っちゃった。
作者の分析的な視点も効いてる。
ま~~~~~芸者衆の性格が良かったり悪かったりするんだけど、
そのキャラクターデザインが優れてて、
「確かにそういう人生を歩んでたらこういう性格になって、こういうことも言うだろうな」
って納得しちゃう。 -
購入済み
想いは月にまで
筆者の小説・エッセイでは、身近でありふれた題材を繊細で新鮮な視点で垣間見ることができるので楽しい。遠い宇宙空間でさえも筆者の世界に取り込まれてしまうのが、筆力のなせる技なのだと思う。
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幸田文さんの父、幸田露伴氏は戦中の大空襲以来、寝たきりになってしまわれた。寝たきりでもそれ以前の規則正しい生活は変わらず、毎朝同じ時間に目覚められて、すぐに文さんと娘の玉子さんが、洗面の用意をし、煙草、ほうじ茶、朝食、搾りたての牛乳、新聞を決まった順番に用意するなど、厳しいお父上の看護はなかなか大変だった。
いよいよ重篤になられたのは、戦後二年目の昭和22年の夏だった。ある朝血を吐かれ、それを見て文さんは、いよいよお父様に死が迫ってきたと確信した。
急いで親しい人や、医者に知らせなければとあたふたとする。今のように携帯どころか、固定電話もないので、電車に乗って呼びに行く。猛暑の夏でただでさえ蚊が多いのに、蚊帳が切れていること、蚊取り線香がないことに気づき、そのことでも慌てる。氷をたべることを軽蔑していた父親が口のなかが気持ち悪く、氷を食べたいと言うので、猛暑の中、氷を求めて、あっちの氷屋、こっちの氷屋とうろうろする。やっと買い求めた氷を溶けないように持ち帰るのも大変。お父様が食べ物をこぼされた時に、着物や袷やお布団を洗うのも大変。お父様はそんなにきれいにしなくて良いというが、国宝のような父親なので、お見舞いに訪れる人の手前、粗末な格好はさせられない。
そして亡くなる二日くらい前に、お父様が誕生日であることを思い出し、赤飯や尾頭付きを用意していなかったことに愕然とする。何とか、用意出来た赤ご飯と小さな鯛の載った、それまでで一番粗末な祝い膳を見せると、父親は食べられなかったがニッコリした。文さんは子供の中ではお父様に可愛がられなかった子供であったらしいが(可愛がられた姉と弟は早くに他界した)、その時のお父様のニッコリで、今まで積もってきた気持ちが和らいだそうである。
こんなお父様の介護は大変だなあと思ったが、文さんは優しいなあとも思った。
今なら、スマホも冷凍庫もあるし、(私の住んでる所は)病院だってドラッグストアだってあちこちにあるし、交通もかなり便利なのに、私は要介護の母にも、もう亡くなった父にもこんなに優しくしていない。文さんの時代と違って、女性が外で働くことを本人以上に理解してくれ、元気な時は孫をよく預かってくれたのに。
以上はこの本の前半の「父」の感想。お父様の幸田露伴氏の介護から他界、お葬式までを書いたもの。感動しながらも、露伴氏は古い時代の固い、厳しい、わがままな男性で、女性に自分の世話をさせすぎだ。「男尊女卑」の時代の人だと思った。
ところが、後半の「こんなこと」を読んで、誤解していたことが分かった。
文さんに、掃除、料理、障子の張替えなど、ありとあらゆる家事を仕込んだのは、お父様の露伴氏だったのだ。露伴氏はその母親に徹底的に仕込まれたということで、掃除ならまず、ハタキの作り方、障子の張替えなら、ハサミなどの道具を研いだり、糊を煮る所から(少し凝り性だったらしいが)徹底的に丁寧に教えた。文さんは反抗心を持ったが、露伴氏がやってみせる見本はあまりにも手際がよく、無駄がなく、美しかったので、歯が立たなかったそうである。
文さんはいわゆるお嬢様なのに、普通のお嬢様に習わせるようなお茶やお華のお稽古ではなく、家事の一つ一つを修行のように奥深く教え込まれた。
「家事に追われるというのは何と惨めなことで、家事はこちらが先手になって追いまくるべきもの。自分を豊かにして楽しくするために女はもっと勉強しなくてはならない。能力と労力をあげて、本気で家事に集中すれば、勉強の時間は恐らく、必ず得られる。」というのが、幸田家の流儀だったそうだ。
難しいなあと思うが、今のように家電製品もなかった時代の大先輩の言葉に励まされる。
解説に文さんの文章は誠実さが魅力だと書いてあったが、私もそう思った。飾り気はないが、細々とした記憶、国宝のようなお父様の死に直面したときの迷い、幼いときからずっと父親に気に入られたいと思っていた心情など、具体的な事実も自分の心のうちも誠実に書かれていることで美しいものが美しいと分かり、共感出来る。
露伴氏の本は読んだことがないが、文さんによって残された幸田家の記録は私にとっては、文化財のような一冊である。
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名作だった。名作ゆえに、読み終わった途端、もう一度じっくり読んでしまった。私の思う名作とは、味わいのある言葉遣いがあること、何度も読み返したくなること、人にすすめたくなること。美味しくて、足繁く通い、友達にも教えたくなる、名店と一緒だ。
物語も、女中が見た没落しかかった芸者置き場という、下世話ながら惹かれる内容だ。そこには上流へ流れる者、下流へ流れる者、それぞれのストーリーがある。
最後の著者の言葉、「水は流れるし、橋は通じるし、『流れる』とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。」という文章に、この物語の全てが凝縮されているように感じた。ふとためらう繊細な心を細やかに描写している。 -
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他の作品にも言えることだが、女主人公はいつも大人である。家庭の不和の中でも自分の役割を全うしようとするが、年幾ばくも無いため至らぬ点にしばし気づかされるものの、そこで拗ねたり開き直るのではなく、ただただかくあろうとする姿勢で困難に立ち向かっていく。病気を理由に家事をしない義母の代わりをし、自分が弟より重要視されていないと理解しながらも、父や弟に誠実に接しようとする姿は、現代に生きる自分自身の子供っぽさとは対極だった。拗ねて、怠けがちで、他人のせいについしてしまう自分。
気が利きすぎる主人公は心休まる時は少なかったかもしれないが、人間の尊厳・美しさを見せてくれた。 -
Posted by ブクログ
やっと手に取った幸田文。期待を裏切らない面白い作品だった。漢字変換されてない言葉が多々あるので慣れるまで少し読みにくかった。意地があって口が達者な女しかいない置屋の内情。主人公:梨花が素人で所謂普通の感覚を持っている人、という設定が読む側が素人であるだけにスッと話に入っていきやすかった。会話の箇所を読むと往年の女優が喋っているのが容易に想像できる。この頃の人はみんなこんな早口でスパッと話したもんなんだなぁ。裏の中華料理店と五目そばの受け渡しをするシーン、可笑しくて可笑しくて声たてて笑ってしまった。途中、同映画も観てみたが、そのシーンがちゃんと入っていてムフフとなる。映画も素晴らしかったけれど原作の方が梨花の黒い部分も出てて好きかな。他の幸田作品も楽しみ。