あらすじ
山の崩れの愁いと淋しさ、川の荒れの哀しさは、捨てようとして捨てられず、いとおしくさえ思いはじめて……老いて一つの種の芽吹いたままに、訊ね歩いた「崩れ」。桜島、有珠山、常願寺川……みずみずしい感性が捉えた荒廃の山河は、切なく胸に迫る。自然の崩壊に己の老いを重ね、生あるものの哀しみを見つめた名編。
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Posted by ブクログ
72歳、52キロの著者が、日本中の「崩れ」を見に行く。建設省富士砂防工事事務所の所長に「崩れるとか崩壊とかいうのは、どういうことなんですか」と聞くと、地質的に弱いところという答えがかえってきた。それを聞いた幸田さんは、弱い、という一語がはっとするほど響いてきたという。
「読んだのではただ通り過ぎた 弱い が、語られてぴたりと定着し、しかも目の中にはあの大谷崩れの寂莫とした姿が浮かんでおり、巨大なエネルギーは弱さから発している、という感動と会得があってうれしかった。」
P71も印象的だったな。あの地震があってからすぐに読んだので特に。
「人は何の彼のと偉そうにしていても、足の下に動かない土というものがあってこそのこと。むかし子供のころ、動きなき大地とかいう言葉を教えられ、また若いころには、母なる大地とかいう言葉をきいて、感嘆したこともあったけれど、どうしてどうして、大地は動くのだし、母も人間本来のもつ醜さをさらすこともある。」
P89「富士山もそうだと思う。世界にきこえる美しい山とか、秀峯とかいわれる。本当に端麗な姿をしていると思う。だが一度大沢の崩れを見た上で、あらためて仰げば、端麗とは決して生やさしく、ぐうたらべえに成立つものではなく、このように恐ろしいきびしさの裏打があることを思い知らされ、はじめて端麗の尊さに気づく。富士といい、男体といい、どうしてこうも顕著に、美しさと凄さとを併せ見せているのかと思う。」
崩れを実際に歩いて、女性ならでは、というか、幸田文ならではの感性で受け止め表現した記録。何でも見てやろうという好奇心、自然という人間の力ではどうにもならない巨大な力に対峙していく姿勢、そして感性と、表現力…、素晴らしいです。S51年に「婦人之友」に連載されていたのだってね。
Posted by ブクログ
読み時が来たと言おうか、読むべくして読んだ。
幸田文さんの独特の言い回しの文章が好きで、文学作品のほとんどを読んでいるのだが未読だったので。(あとがきにもあるが「心がしかむ」「遠慮っぽく」「きたなづくり」「ひよひよと生きている」などなどの表現が好きで)
これは「崩れ」という地球地質的現象を文学的に捉えているエッセイである。
昨年は日本の災害の年だったとは、年末からのスマトラ地震の大、大災害のニュースが続いているので忘れもしない。けれどもそれは珍しいことではないだろう、小さい災害が目白押しにくるのが特徴の日本。
時期も時期そんなときに読んだこのエッセイ、感動ふたつ。
日本の国は大風が吹けば崩れ、地震が来れば崩れという災害。それは地形の特徴という宿命であるというのが諦念を持つのでなく、意識して見てみようとする姿勢の発見がひとつ。
ふたつめ。阿倍川の大谷崩れを偶然見てから圧倒され、、興味を持って専門家ではないのに日本中の崩れを見て歩いて文章にしようとした72歳のエネルギーが、なぜゆえにあったのか?
現代は人間の身体の仕組みは解明された。しかし心の中身は計りがたい。その『心の中にはものの種がぎっしりと詰まっている』のであるからいつ芽吹くかわからん。それが芽を吹いたそうな。
しかも、地球の仕組みとかの専門的な勉強は老骨なので持ち時間も無し、あきらめて分相応の精出しとするという。つまり、『崩壊というこの国の背負っている宿命を語る感動を、見て、聞いて、人に伝えることを願っている。』
そして全国崩れの跡、流れ出す川、崩れる地形、火山を見て歩くことになる。新潟もしっかり入っている。崩れの多いところと言われているという…。
ただ単に描写するだけではなく、含蓄のふかい言葉、洞察の文章であることはもちろんである。
私は文学的に捉えた「崩れ」を読み、なお、災害のむごさを理解した。幸田さんの不安の予感を持った老女(幸田文)がいたというのがもう何十年も前だということ。ひょっとすると預言者ではないのかしらん。いや、文学は常に先見の明があるものなのだ。
Posted by ブクログ
著名な作家さん。70を過ぎて崩壊地形に関心を持ち全国を探索する。名文で淡々と語る自然災害の脅威。
何とも不思議な作品の感。
名文家で知られる幸田文が、全国の崩壊地形を旅する紀行。
写真も地図もなく、淡々と語るところが筆者でなければ成し遂げられなかっだろう。
大自然の力の前に立ち尽くす大作家の姿が目に浮かぶ。
筆者の行動力には感嘆する。
Posted by ブクログ
幸田文と言えば、露伴とか着物とかしつけとかのイメージなんであるが、老境になってどういうわけか崩れに惹かれて訪ねて行く。
今読むと、その格好でいいの?!というような装備で心配にもなるが、崩れの様を表現する目は真摯で細かい。あばれ川や山崩れ、地滑りが、温度のある生き物のように表現される。
なんだか妙な魅力を持つエッセイ。
Posted by ブクログ
崩れを大地の暴力のように感じていた筆者が、「崩れとは地質的に弱いことだ」と言われて衝撃を受ける場面は印象的だった。日本は古来、災害を克服しようとし、災害と共に生きてきた国なのだと実感。
崩れの痕跡を求めて日本各地をゆくエッセイだと思っていたけど、痕跡ではなくいまなお崩れが続いており、しかもそんな崩れの地は日本各地にたくさんあると知って驚いた。
崩れなどという行くのに体力もいるような(そりゃ山崩れが起きるような場所ですから…)ものに、年老い体の自由も利かなくなった今になって興味を芽吹かせてしまった因果を嘆く筆者だが、老いてもなお好奇心に満ち満ちている文さんがかわいくもあります。
Posted by ブクログ
エッセイでも体験記でもなく見てある記。読んでいると本当のことだか本当のことでないんだかわからなくなってくる。ただ事実が人の見たままに書かれていると言うだけでこんなにドラマになるのかというのに驚くし、それだけのドラマをはらんでいる自然をわたしもみたいなあと思う。
あとどうでもいいことだけどこの人の乙女座感(細かさとか、自分で終始しようとするところとか)から、一歩はみでるところが読めたのがよかったとです
Posted by ブクログ
初めて幸田文さんの作品を読む。
幸田さんはどちらかというと
家庭での事を書くイメージが強かったため、
初めて読むには違う作品を読んだ方が
彼女の個性をつかめたかもしれない。
しかし、齢七十を越えてこの鋭い観察眼。
時には自分では歩けないような場所を、
誰かにおぶってもらいながらも、
幸田さんは、崩れた大地や川を
独自の視線と感受性でえぐり取っていく。
いや、えぐり取っていくは
表現が強過ぎるかもしれない。
幸田さんは、怪我をしてしまった大地の傷痕を、
じっと見つめ、自身の心も痛めながら、
どうしたら治癒出来るのか、
その道の専門化ではないがそのために
自分に何か出来ることはないか、
懸命に考えていたのではないかと思える。
この作品を読んでいると、
いかに日本が、いにしえより
自然の意に翻弄されてきた国であったかに
気づかされる。
日本という国の負う宿命について考え、
その地に生きる者としての心がまえについて
教えられる。
Posted by ブクログ
日本は地震の多い国であると同時に火山国でもあるんだよね。
日本人は自然災害を受け入れながらしなやかに生きている国民なんです。3.11の自然災害も原発事故も乗り越えられる、そう強く思いました。
Posted by ブクログ
これは名随筆。山肌が崩壊しているというだけの「崩れ」を見てここまで豊かに感じることができるものかとびっくりする。赤毛のアンのような自然に対する感度の高さ、しかし純朴というわけではなく。
Posted by ブクログ
著者が日本全国の崩壊地を巡る随筆。
72歳にして、日本の風景に厳然とあり、そして記憶から忘れ去られたようなこの山崩れを尋ね、それを著者独特の目線で、言葉で捉えようとする。
その捉え方は優しい。
自然の冷酷さに嘆きつつ、それに立ち向かう人たちを励まし、暴れる自然に対してけして諦めず愛そうとする。
老女はじっと崩れ落ちる山を見つめる。
そしてわかろうとする。
自分の中のフィルターにこの風景を注ぎ、一杯の茶を淹れるかのように。
お口にあいますかと、微笑みながら読者にさしだす。
Posted by ブクログ
山伏・八紘嶺に登山に行く折、地図に大谷崩下に「幸田文」の文字。何だと思って検索すると、幸田露伴の次女とのこと。
大好きな山域に関するエッセイとあり、手を取った次第だ。
作者は還暦過ぎてからこの大谷崩れを目にする。その荒々しさがずっと心に引っかかり、「崩れ」に興味もち日本中の崩れ巡りをする。
Posted by ブクログ
70歳を越えた幸田文が山岳地の崩れに興味を持ち、調べ、歩いて書いた随筆集です。
松之山の崩れを見学したものの、それを書くべきか書かざるべきか逡巡するところが特に好きでした。被災した方のそれぞれが抱える一様でない気持ちと、心の動く方向が一様でないからこそ生まれる歪みみたいなものに思いを巡らせているところが、自分だったらこうは考えなかっただろうな、でも考えられるようになりたいものだなと思いました。
Posted by ブクログ
予備知識なく読み始めたのですが、本当の自然観察なんですなぁ、ちょっとびっくり。こういうのって個人的には好きであります、タモリの坂道フェチにも通ずるものあります。まぁ、タッチは随分違うかもですが。
自然観察と言いつつ、行きつくところは人間の営みへの想いであり、本作全体の息遣いは日本社会に生きる者の諦念を感じます。
昨今の社会を取り巻く環境に対する日本、あるいはアジア特有の自然観と申しましょうかね。なかなか味ある作品だと思います。
Posted by ブクログ
土砂崩れ現場を見て歩きかかれたエッセイというかな。大規模なものはすごい迫力だろう。一度それを見てから各地を訪ねた記録。72歳の老女(ご自身でそう言っている)の品があって瑞々しい文章が素敵。
Posted by ブクログ
著者の感受性の鋭さには感心するが、なにせ文体が自分の好みではなく、薄い本ではあるが読むのに苦労した。
日本に住んでいる限り、自然との戦いはこれからも続くだろうし、勝ち負けではなく、どこかで折り合いをつけ共存するしかないのだろう。科学の力は偉大ではあるが、決して万能ではない。
Posted by ブクログ
【本の内容】
山の崩れの愁いと淋しさ、川の荒れの哀しさは捨てようとして捨てられず、いとおしくさえ思いはじめて…老いて一つの種の芽吹いたままに、訊ね歩いた“崩れ”。
桜島、有珠山、常願寺川…瑞々しい感性が捉えた荒廃の山河は切なく胸に迫る。
自然の崩壊に己の老いを重ね、生あるものの哀しみを見つめた名編。
[ 目次 ]
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新緑の楓林を鑑賞するために安倍峠を訪れた幸田文さんの前に現れたのは、地元観光課のかたの心くばりにより案内された大谷崩れでした。
「あの山肌からきた愁いと淋しさは、忘れようとして忘れられず、あの石の河原に細く流れる流水のかなしさは、思い捨てようとして捨てきれず、しかもその日の帰途上ではすでに、山の崩れを川の荒れをいとおしくさえ思い始め」た幸田さんは日本にある「崩れ」を見て歩くことになったのです。
時には、人に背負ってもらってまでして「崩れ」を見に行く幸田さん。
すでに72歳になっていた幸田さんを動かすやむにやまれぬ思いはなんだったのでしょうか。
ただ私にわかるのは幸田さんの目を通してみる「崩れ」によって思い知らされる山々のもつ厳しさ、哀しさ、人々の健気さ、優しさは私たちが生きていくうえで決して忘れてはいけないことだということです。
この本を読んでから山歩きをすると今までまるで見えなかった風景が見えるでしょうか。
いいえ、きっと今の私には見えない。
幸田さんが生きてきた長い年月を私も経たとき、幸田さんのような眼をもつことができるように生きていけることを私は願っています。
[ おすすめ度 ]
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
私の勉強不足や、題材への興味が
少なく、少し読みずらかった。
ただ、胸打たれる言葉や
ハッとするような表現も相変わらず
多くあり、さすが。
なにより驚きは、
これを書いたのが、70過ぎだという事。
Posted by ブクログ
72歳で各地の「崩れ」の現場を見て歩く、なんて無謀すぎます。おそろしい執念。「幸田文」って、生活を大事に暮らす賢い女性のイメージだけれど、そして多分、本当にそうなんだろうけど、その裏側に、こんなクレージーな一面があったなんて…。ギャップが大きいだけに、驚かされました。
その一本筋の通ったところは、白洲正子と重なるな、と思い、年齢を調べてみると、正子の6歳年上で同じ世代。ふたりとも、フィールドワークへの飽くなき探究心を持ち、80歳を過ぎても精力的に物を書いていました。明治女ってかっこいいです。
Posted by ブクログ
70歳を過ぎた老婆の冒険物語。日本の崩れ探訪。このバイタリティーには拍手。家事手伝いと化した私も見習わらなければとチトあせる。名を成し功を遂げた人だからここまで周りが協力してくれたのも老婆の力。
文中に「心がしかむ」との表現があるが、沖縄の方言にも「しかむ」との同義の語がある。しかんだ!「台所のおと」のイメージからさらに私の中で魅力が増した。なんか幸田文をもっと読みたくなった。