戸谷洋志のレビュー一覧
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自己責任と言う言葉に対する違和感がもやもやとあったのですが、もやもやの正体は自己責任と言う言葉が、『それは私の責任です』と言う文脈ではなく、『それはお前の責任だろう』と言う文脈で使われているからと言う事が分かりました。
政府が国民に自己責任を言う時には政府が国民に対する責任を放棄しているのでは?と言う考えは、自分が家族や友人や同僚に対して無責任にならないための意味でも忘れずにいたい考えです。
筆者の言う弱い責任や人々の連帯など、頭では何となく分かりますが、常にその考えでいられるかと言われると自信がありません。
赤の他人同士で連帯するべきと言われても、やっぱり損得勘定が働いてしまいますし、 -
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久々に良い本に出会えた。
元から気になっていた著者の本だが。
ここから著書の中の話とは違い、私の考えだが。
自己責任という言葉は、随分勝手な言い訳の様に感じる。
財源、特に社会保障費には限りがある。
社会とは、生きている全ての人たちが対象となる。
障害があるから、高齢者だから、貧困だから、等々、
何かしら生活に支障を来たしている人たちの為の費用でもなく、本来なら日本に住んでいる人全ての人への生活を保障すべき費用。
サッチャーは、全ての人に回す為公正な支給を目指しただけ、
日本の場合は、強者が弱者の生活に目を向けることもせず、自らの仕事を放棄して支給を制限したいが為に、自己責任という便利な言葉で -
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新自由主義に代表される自己責任論に基づく責任を「強い責任」と定義し、その対比の概念として「弱い責任」を提唱していく。
他人に迷惑をかけてはいけない。誰にも頼らず自立すること。
私たちはこのように教わってきたし、日本では現在もその考えが広く社会にいきわたっている。
しかし、本当に誰にも頼らず自立している人など一人もいない。
だから「弱い責任」で責任を押し付けるのではなく、頼ったり引き継いだりしていこうというのが、本書の主張。
たとえば、農家がいなければ、流通してくれる人がいなければ、どんなにお金持ちでもお米を食べられない。
お金があれば何でもやってもらえるという考えは、「自立の勘違い」を生む。 -
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ポッドキャストでお話されているのと、面白そうな本いっぱい出しているんだなーと思い、興味があった戸谷洋志さん。
とりあえずタイトルに惹かれて目についたこちらを購入してみた。
古代から現代までの哲学者たちの考えた「友情とは」を、現代の漫画を補助線にしながら紹介していく、ふわっとやさしく哲学に触れる内容。
そもそも友情とはなんなのか?
私は友達が多い方ではないし、(なんならあんまりいない方だと思う…)幸運なことに若い頃から友達同士のトラブルや悩みなど、あまりなかったので、友情について深く考えたことはなかった。
プロローグから毎日一章ずつ、スラスラ面白く読みながら、自分の友情観に照らし合わせた -
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「ケアの倫理」に関してキティに関する言及があり、一読してみた。「自己責任論」への言及より、その背景に「強い責任」があり、それに対置するものとして「弱い責任」について説明するために、中動態、キティ、おそらく著者の専門であるヨナス、そしてバトラーを用いて説明。最後に著者がまとめているが、「弱い責任とは、自分自身も傷つきやすさを抱えた『弱い』主体が、連帯しながら、他者の傷付きやすさを想像し、それを気遣うことである。そうした責任を果たすために、私たちは誰かを、何かを頼らざるをえない。責任を果たすことと、多雨よることは、完全に両立する」。若い哲学者で具体例も分かりやすい。今後の著者の活躍に期待したい。
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ネタバレ助けを求めることは「無責任」ではない。
新自由主義を下支えする思想として日本に導入された「自己責任論」。しかしこれは人々を分断し、孤立させる。
誰かに責任を押し付けるのではなく、別の誰かに頼ったり、引き継いだりすることで責任が全うされる社会へ。
「利他」の礎となる「弱い責任」の理論を構築する。
・国民は経済システムを成り立たせるための手段として、自己責任を課せられている
・そもそも自己責任という概念が、他者への責任転嫁を含意している
・能動態、受動態、中動態
・たとえ中動態になされた行為であっても、それをあとから能動的な行為として事後的に修正してしまう(意思の事後遡及的成立)
・責任とは「傷 -
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以前に著者と棋士の糸谷哲郎八段の対談本を読んだことがあり、名前を知っていたので手に取ってみた。当時は糸谷八段が目当てだったんですけどね。
親ガチャという言葉の流行から現在の社会問題を哲学的な視点を交えて紐解いていくといった内容。
親ガチャという言葉は知っていたけれど、あまり深く考えたことはなかったので新鮮だった。今まで日常から哲学を考えようといった本をいくつか読んできた。それぞれが工夫を凝らして書いてあるので身近に感じる部分もあったが、それでも想定している事象が「そんなことある?」と感じるようなものだったり「そこまで細かく考えなくともよくない?」となるような展開が多かった。やはり私にとって -
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本書は、帯に「知識ゼロからはじめる哲学入門の王道」とあるように、哲学の入門編です。冒頭からしばらくはワクワクして読み進めましたが、2~4章はいくら嚙み砕いてくださっているにしても、難解でした。本書を入門として、より多くの書籍を読み進めていかないと、理解は難しいのだろうと感じました。
【はじめに】(P5-8)
・『当たり前』を問い直す学問こそ、哲学に他ならない
・人間は、『当たり前』に疑いを持つと、ついつい『本当はどうなんだろう?』と考えてしまう生き物だし、そしてそれはめちゃくちゃ楽しい
・そんな昔から、どう考えても日常生活の邪魔でしかない哲学がいまだに生き残っているのは、結局、考えることの楽 -
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親ガチャというある意味ネットスラングとして用いられている言葉をキーワードとして様々な近代的な事象を紐解いていく、かなり易しい哲学書だと思いました。
人には思想や価値観が人それぞれに有していて、それを否定することは許されない。
自分の価値観が絶対に正しい、別の価値観は間違っているから否定してよいという態度を「残酷さ」という。
もちろん間違ってる価値観はあるかもしれないがこの態度という言葉に着目すると、揺るぎない確信さえあれば何を否定しても構わないと読み取りました。
自身の価値観も他人の価値観と同じように揺らぐものだと認識し、対話をするということが親ガチャ的厭世観を持つ彼らを救う唯一の方法ではない -
Posted by ブクログ
親ガチャの関して様々な議論をまとめた本書には、哲学的な示唆に富む考察がふんだんに出てくるが、一般の人間にとって哲学的なことを考察するチャンスは非常に少ないと感じている.自分の責任と他者との関わりの中で生きていく人間が連帯を確立していくことで一つの解決策を見出して行けると提案している部分が気になった.p201: すでの存在している<われわれ>へと帰属させるのではなく、人々がすでに所属している<われわれ>のなかに、それまで<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>の外縁を拡張していく.