戸谷洋志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
☆☆☆2025年3月☆☆☆
『生きることは頼ること』―このタイトルに惹かれて手に取った。誰かに迷惑をかけることは悪徳であり、他人を頼るのは恥ずべき事、すべては自己責任でという風潮は根強い。その事に違和感を感じているところで出会った本書は実に参考になる部分が多かった。
本書では「強い責任」「弱い責任」「守られるべき他者に対する責任」「能動的責任」「受動的責任」「中道的責任」など、様々に責任が定義されており、それぞれに興味深いが、僕がまず重視したいのは「強い責任」=「自己責任」だ。
「自己責任」という響きからは、何となく自分でしっかり責任をもって・・・というニュアンスが感じられるが、「自己責 -
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自己責任と言う言葉に対する違和感がもやもやとあったのですが、もやもやの正体は自己責任と言う言葉が、『それは私の責任です』と言う文脈ではなく、『それはお前の責任だろう』と言う文脈で使われているからと言う事が分かりました。
政府が国民に自己責任を言う時には政府が国民に対する責任を放棄しているのでは?と言う考えは、自分が家族や友人や同僚に対して無責任にならないための意味でも忘れずにいたい考えです。
筆者の言う弱い責任や人々の連帯など、頭では何となく分かりますが、常にその考えでいられるかと言われると自信がありません。
赤の他人同士で連帯するべきと言われても、やっぱり損得勘定が働いてしまいますし、 -
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久々に良い本に出会えた。
元から気になっていた著者の本だが。
ここから著書の中の話とは違い、私の考えだが。
自己責任という言葉は、随分勝手な言い訳の様に感じる。
財源、特に社会保障費には限りがある。
社会とは、生きている全ての人たちが対象となる。
障害があるから、高齢者だから、貧困だから、等々、
何かしら生活に支障を来たしている人たちの為の費用でもなく、本来なら日本に住んでいる人全ての人への生活を保障すべき費用。
サッチャーは、全ての人に回す為公正な支給を目指しただけ、
日本の場合は、強者が弱者の生活に目を向けることもせず、自らの仕事を放棄して支給を制限したいが為に、自己責任という便利な言葉で -
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新自由主義に代表される自己責任論に基づく責任を「強い責任」と定義し、その対比の概念として「弱い責任」を提唱していく。
他人に迷惑をかけてはいけない。誰にも頼らず自立すること。
私たちはこのように教わってきたし、日本では現在もその考えが広く社会にいきわたっている。
しかし、本当に誰にも頼らず自立している人など一人もいない。
だから「弱い責任」で責任を押し付けるのではなく、頼ったり引き継いだりしていこうというのが、本書の主張。
たとえば、農家がいなければ、流通してくれる人がいなければ、どんなにお金持ちでもお米を食べられない。
お金があれば何でもやってもらえるという考えは、「自立の勘違い」を生む。 -
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タイトルから、不道徳な行いをする際の快楽的な要素について心理学の視点からアプローチする本かと思っていましたが、実際には「いわゆる不道徳とされる行為を行う人の思考回路や、それらの行為がなぜ不道徳とされるのか」というところを倫理学・哲学の視点から解説した本でした。
よくある哲学書のように「かくあるべき」という切り口てはなく、「自己中」「意地悪」「嫉妬」「自傷行為」といったネガティブな側面を哲学的にどう説明するか、ということをカントやルソー、アーレントなど主要な哲学思想家の論を用いて丁寧に解析しています。
読み物、としては(テーマ的にも)やや硬い印象がありますか、西洋哲学史の入門書としては手に取 -
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ポッドキャストでお話されているのと、面白そうな本いっぱい出しているんだなーと思い、興味があった戸谷洋志さん。
とりあえずタイトルに惹かれて目についたこちらを購入してみた。
古代から現代までの哲学者たちの考えた「友情とは」を、現代の漫画を補助線にしながら紹介していく、ふわっとやさしく哲学に触れる内容。
そもそも友情とはなんなのか?
私は友達が多い方ではないし、(なんならあんまりいない方だと思う…)幸運なことに若い頃から友達同士のトラブルや悩みなど、あまりなかったので、友情について深く考えたことはなかった。
プロローグから毎日一章ずつ、スラスラ面白く読みながら、自分の友情観に照らし合わせた -
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「ケアの倫理」に関してキティに関する言及があり、一読してみた。「自己責任論」への言及より、その背景に「強い責任」があり、それに対置するものとして「弱い責任」について説明するために、中動態、キティ、おそらく著者の専門であるヨナス、そしてバトラーを用いて説明。最後に著者がまとめているが、「弱い責任とは、自分自身も傷つきやすさを抱えた『弱い』主体が、連帯しながら、他者の傷付きやすさを想像し、それを気遣うことである。そうした責任を果たすために、私たちは誰かを、何かを頼らざるをえない。責任を果たすことと、多雨よることは、完全に両立する」。若い哲学者で具体例も分かりやすい。今後の著者の活躍に期待したい。
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Posted by ブクログ
全体的にもう一歩踏み込んで説明してほしいな、という感じで、倫理学に関する本を曲がりなりにも色々と読んだことがある人には、少し物足りない感じがあると思う。が、最後の第六章「反逆することはなぜ楽しいのか」の最後の最後、ハンナ・アーレントの話は、ものすごく印象的で、ちょっと唸ってしまった。
「一つのルールですべての人間を納得させることなんてできない。もしもそれができたら、人間は一つのルールでカバーできてしまうような、単一の存在になってしまう。それに対して、人間には複数性が備わっていて、誰もが他者と異なる存在であり、今まで考えられなかったような新しいことを始めることができる。私たちには、どんなときで -
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ネタバレ助けを求めることは「無責任」ではない。
新自由主義を下支えする思想として日本に導入された「自己責任論」。しかしこれは人々を分断し、孤立させる。
誰かに責任を押し付けるのではなく、別の誰かに頼ったり、引き継いだりすることで責任が全うされる社会へ。
「利他」の礎となる「弱い責任」の理論を構築する。
・国民は経済システムを成り立たせるための手段として、自己責任を課せられている
・そもそも自己責任という概念が、他者への責任転嫁を含意している
・能動態、受動態、中動態
・たとえ中動態になされた行為であっても、それをあとから能動的な行為として事後的に修正してしまう(意思の事後遡及的成立)
・責任とは「傷